付き合い始めて1ヶ月、恋人らしい事と言えばたまに手を繋ぐぐらい。 一緒に帰ったり、どっかに遊びに行ったりと言うのは今までどおりだし、 いまいちピンと来ない私たちだったけれど私はそんな現状に少しだけ安心していた。
謙也だって、急に私を女の子扱いなんかしなかったし私も今までどおり遠慮はしなかった。 『恋人』なんだなってふと考えて、ちょっと嬉しくなったり やっぱり謙也の事色んな意味で『好き』だなって思う事は増えたけど。

そんなある日の事だった。
「こないだ話しとったゲーム、買ったから今日うちこーへん?」とお弁当のおかずを つまみながら謙也が言った。 今日は定時退行日で部活がなかったし、私も特に用事が無かったので「行く!」 と元気よく返事をした。
あっという間にやってきた放課後、ゲームが楽しみすぎて謙也の家へ向かう足取りが いつもより軽く早足になる私の後ろを、謙也が笑いながら追いかけてきた。
玄関までやってきたところで謙也が鞄から鍵を出そうとしているのを見て、不思議に思う。

「あれ?今日、弟くんいないの?」
「友達と野球の試合するんやて。昨日の夜からはしゃいどった」
「なんだ。一緒にゲームやれると思ったのに」
「…まあ、今度な」

ガチャリという無機質な音が響いて、少し沈黙が訪れた。
謙也の家なんて来慣れてる。玄関だって何度も見てる。 なのに、謙也の家族のいない家にお邪魔するのは初めてだと気付いてしまった。
放課後は大抵小学生の弟くんがいるし、休日はお母さんやお父さんがいる。
『友達』と『恋人』の差って、こんなところにもあらわれるんだろうかと、 急に心に焦りが生まれた。 別に、謙也はいつもの謙也だし、家に誰もいないからってそれが何だと言うのだろう。 これじゃまるで私が意識してドキドキしてるみたいで馬鹿らしい。
そう思いながら、私は急に何もいえなくなってしまった。
「お邪魔します」と小さな声で言い、謙也の後ろについて部屋へ向かった。 部屋に着いた後鞄を放り投げた謙也は、飲み物とってくるからと部屋を出て行って。 私は(どこに座ろうか)なんてそんな事すらいつも通りに出来なくなっていた。

「…何やねん、突っ立って。はよ座りや」
「あ、うん。いや、謙也の部屋ってこんなに綺麗だっけ、座るとこ一杯あって悩んでた!」
「失礼なやっちゃな!なんやねんそれ」

自分でも変な言い訳をしたと思う、けれど飲み物を持って戻ってきた謙也を見たら 口から言葉が飛び出していた。 実際、いつもより部屋は片付いていたと思う。
いつもなら床に散らばっているマンガは綺麗に棚に収まっていたし、 脱ぎっぱなしの服だって無い(女の子が部屋に来るんだから 服くらい片付けときなよ!と私はいつも言っていた)。
まるで初めてこの部屋に来たような気分になる。なんてことだ。

「まあええけど。俺、1Pな」

ベットのふちにもたれかかって座った謙也の隣に私も腰をおろして、コントローラーを受け取る。 握ったそれはすぐに汗ばんで、自分が緊張していることを意識せざるを得なかった。
楽しみにしていたはずのゲームだって、ちっとも楽しいと思えなくて。 ぎゃあぎゃあ言う謙也の罵倒の言葉だって耳に入らなかった。
(謙也はいつも通りなのに)(私ばっかり空回ってる気がする)
(家に誰もいないだけじゃないか)(それが何だっていうんだ)
(私たちは変わらない、友達だった頃と変わらない)

「おい、聞いとんのか!」
「えっ、何?」

ぱし、っと手首を掴まれて、思わずコントローラーを取り落とした。 ゴトリと音をたてて床にそれがぶつかる音が聞こえる。
顔を上げるとあまりにも近い謙也の顔に、反射的に顔に熱が集まった。

(家に誰もいない)、それだけだった。
それ以外、何も変わりはなかったのに。

「わ、私帰る!!!」
「ちょっ、おい何やねんさっきから!」
「今日、用事あったの忘れてた!!」
「はあ?!待っ、」

勢いよく立ち上がって謙也の前を通り過ぎる。 謙也が持ってきたグラスの中で氷がカランと音を立てた。
後ろでコントローラーが床とぶつかる音がして、謙也が立ち上がる気配がした。 これ以上、へんな緊張と真っ赤な顔を見られてたまるかという一心で 部屋のドアノブに手を伸ばそうとしたけど、届かなかった。

気付いたら、後頭部と背中が床に打ち付けられたショックでじんじんしていた。
目を閉じていても感じられる、自分に覆いかぶさった影の存在にどうしたらいいかわからなくなった。

「おっ、お前なあ…」

ゆっくり目を開けると、私につられたのか真っ赤な顔をした謙也が目に入って。 あんまり情けないその顔を見て、私は変な声を出して笑った。

「いっつもイライラする程無防備なくせに、今日は変に力みすぎや」
「…そ、そんなことな
「あるわボケ。…まあ、意識してくれたんは嬉しいけど」
「べっ、別に意識なんかしてない!謙也のくせに!早くどいてよ」

掴まれていた片腕を動かそうと思ったけれど、びくともしなかった。 謙也ってこんなに力強かったんだなんて考えながら、 自由だったもう片方の手で謙也の顔を押しやった。
「ぶっ」って謙也が変な声を出して、それから「嫌や」と言った。

「どいたら帰るつもりやろ」
「……………だって、」
「用事なんかほんまは無いくせに嘘つくな」
「………………」
「…露骨に避けられると、へこむやんか……」

その声はいつになく寂しそうで、私の指の間からのぞく目はあまりに真剣だった。
謙也はいつだって誠実で、いい加減な気持ちで相手に接する事が出来るような 器用な人間ではなかった。
告白をしてきてくれた時だって、彼はとても真剣だったのに。 私はと言えばなんだろう。逃げてばかりいるような気がする。

「ご、…ごめん、私、何か恋人同士なんだなって思ったら、急に、ドキドキして、」

私が謙也の顔を突っぱねていた手をおろすと、謙也も私を拘束していた腕を離して 上からどいてくれた。 お互い向き合うように座り込んで、謙也は俯く私の話に耳を傾けていた。

「恥ずかしくなって、でも、それは…、ちゃんと謙也が好きだから、だよ…」

それ以上何も言う事が無くなって、自分は何を言っているんだろうかと 言った後に後悔して。 手持ち無沙汰な両手で自分の爪をいじったりした。

…、」
「う、うん…、」

頬に謙也の手がそっと触れて、相変わらず熱いその手にびっくりして。
それから重なった唇のやわらかさにびっくりした。
かつんという音をたてて軽く歯がぶつかって、離れていった謙也の顔を見ると やっぱり真っ赤で少し笑った。

また、沈黙が訪れて。
初夏の気温からくるのか、恥ずかしさからくるのかわからない暑さに汗ばんだ手を開いたり 握ったりした。 しばらくしておもむろに謙也が口を開いて。

「なあ、もっぺん言ってや、」
「何を?」
「その、俺の事好きや、て…いうやつ、…」

そんなに真っ赤な顔するくらいなら、もう一回言ってくれなんて言わなきゃいいのに。
そんな事を思ったが、きっと謙也に負けないくらい、私の顔も赤かっただろうと思う。


Killing me softly with your words
(あなたの言葉で私を優しく殺して)