「乾くんってさ、裸眼いくつぐらい?」

技術の時間、はんだごてを片手に基盤を溶接している目の前のがふとそんなことを聞いてきた。 視線はあくまで高熱で白い煙をうっすらと上げているはんだの先端であり、 俺が作業の手を止めて顔を上げてもと視線がぶつかることはなかった。
どうやらこのクラスメイトははんだ付けに集中する片手間に俺とトークをしようということらしい (もうほとんど無意識なのかもしれない)。

「気になる?」
「うん。レンズの厚さがそれくらいになるには、どの程度の視力の低下が必要なんだろうって」
「分厚いレンズに興味があるのか?」
「んーん、そこまで深い意味はないよ」

やっと顔を上げたと思ったら、はんだを付け終えて油断していたのか 「あっ、髪の毛こがした!」などとちりちりになった髪の毛を忌々しそうに眺めていた。
それもつかの間、「小学校の頃まではね、私両目とも1.5あったんだけど、」 と言いながら彼女は小さな袋から次の部品を取り出した。
似たような部品を両手に持って見比べながら、説明書を眺めたり黒板を振り返ったりしている。 「次にここの部分の作業をするつもりなら、使うべき部品はの右手にある方だよ」 と指摘してやると、「そうそう、ここで迷ってたの。よくわかったねありがとう」と笑った。

「にしてもこういう授業って将来何か役に立つのかなあ」
「技術を専門に進む奴だって中にはいるだろう」
「そっかあ、あ、私コイルまだ巻いてなかった」

「うん?」
「両目とも1.5あったから、どうしたんだ?」

話が途中で中断されてそのまま流されていっていたので、俺は続きを促した。 すると彼女は「え、何が?」ときょとんとして、丸くて大きな瞳で俺を見た。
(俺としてはこんなに解り易い、規則にのとった手動ラジオの基盤を作り上げていくよりも、 彼女の脳みそを分解してみたいもんだね)

「視力の話をしていた(はず)だろう、俺たちは」
「ああ」
「で?」
「うん、今は0.3くらいしかないの」
「じゃあコンタクトだったのか?」
「まさか。裸眼だよ」
「0.3って言ったら常時眼鏡着用のレベルだろう」
「でも、見えてるから」
「それは見えてるんじゃなくて、見えてる『つもり』なだけだと思うぞ」

うーんと言ってコイルを握ったまま、彼女はじっと俺を見つめてきた。
あまりのまっすぐな視線にギクリとする (観察するのは得意だが、観察されるのはどうも苦手だ)。

「いや、でも乾くんの顔は見えてる。大丈夫」
「そうか(何が大丈夫なんだ)」
「実際ね、確かに見えてる『つもり』かもしれない。 だってほら、物の形を覚えちゃうと頭の中で『こういう形をしている物』だ、って先入観が働くでしょ? だから見えなくても困らないっていうか」
はきっと世紀の大発見が出来ないな。新しい物にはどうやって対応するんだ」
「そこは想像力を働かせるの。例えばこの今私が巻いてるコイル。 物凄くグチャグチャに見えるけど、そう見えるだけで実際はとてもキレイに巻いてある」
「いや、それは実際グチャグチャだぞ」
「やっぱり?」

俺と会話しながら巻いていたコイルはあっちこっちに好き勝手遊びまわっており、 彼女はくせのついてしまったそれをもう一度巻きなおすはめになった。
その様子を見て、彼女の意識が手動ラジオの製作よりも俺との会話に偏ってきている事がわかる。

「視力って回復しないっていうけど、完璧に見えなくなったりするのかな」
「視力の低下によって失明することは一般には無いと言われている。 視力が低下すると言うことは、眼球の働きが鈍っているというだけで回復は可能と考えられているよ。 今は技術が発展していて、視力回復手術とかもあるしね」
「そうなんだ。乾くんは歩く辞書みたいだねえ」
「それは褒めているのか?」
「そうだよ」
「そうか」

自分の作業の手を止めて再び彼女の方を見てみると、 巻きなおしたはずのコイルは相変わらずぐちゃぐちゃになっていた。
そんな状況に耐えかねたのか、コイルをキットの中に戻して彼女ははんだに手を伸ばした。 片手にはさっき教えたはずの部品ではなく、酷似しているが間違っている部品が握られていて 「、それじゃないぞ」と指摘してやると「嘘だあこっちだって」と彼女は目をこらし、 「あれ、本当だ」と呟いた。

「やっぱりの裸眼は限界だな」
「今のはたまたまだって。でもさあ、失明しないって聞いて安心した」
「いや、さっきのはあくまで視力低下の話であって、もちろん病気になったら失明するぞ」
「え、乾くん病気なの?」
「いや、違うが…の話は脈略が無いな。果たして俺達がちゃんと対話出来ているのか本当に謎だ」
「乾くんがちゃんとくみ取ってくれてるからオールオッケーだよ」

(その、オールオッケーというのがどういう思考の果てに導きだした結論なのかを聞きたい)
しかし流石想像力で視力をカバーするというだけはある。
きっと俺の話にだって物凄く勝手な肉付けをして解釈しているに違いない。 じゃなければどこから俺が病気であるという話題が浮かんでくるのか説明がつかない。

「でも良かったね。失明したらテニス出来なくなっちゃうから」
「それはそうだな」
「データも収集出来ないし、乾くんのアイデンティティがなくなるようなもんだもんね」
「それはある意味での褒め言葉と受け取っていいのか?」
「そうだよ」
「そうか」

手元に視線を落として導線を基盤にはんだ付けしていると、 向こうの方から「あっ、髪の毛またこげた!」という声が聞こえてきて俺は小さく笑った。
彼女はまったく予測不可能で興味深い被験者である。が、(今のはデータ通りだ)。

「にしても乾くんはよくわかってらっしゃって話やすいよ。友達みんな笑い上戸みたいで」
の友達は大変だろうな」
「乾くんも大変?」
「いや、俺は楽しいばかりだよ」
「よかった」

はんだ片手に顔を上げて、きれいに笑ったは本日3度目のセリフをこのあとすぐに言うだろう。

(確かにテニスもデータ収集も出来なくなるのは困るけれど、 彼女がいろんな事象に対してどんな風に笑いどんな風に顔を歪め そしてどんな風に俺を見るのか、この目で確かめる事が出来ない方が嫌かもしれない)

そんな事を考えて小さく微笑むと、やはり彼女は「あ、髪の毛が!」と声を上げた。



(ところで思ったんだけど、乾くんは眼鏡がないとほとんど見えないわけだよね)
(ああ、そうだな)
(じゃあ眼鏡の方が本体みたいなもんだね)
(どういう意味だ?)
(だって失明しなくても、メガネがなかったら何にもできないじゃん)
(それもそうだな)
(メガネ、大事にしないとね。乾くんの選手生命がかかってるから)
(おおげさだなあ)

(SeigakuVictoryForever様に提出させていただきました*20090819)
(素敵企画ありがとうございます!)