ぬれた唇が気持ち悪かった。こんな感覚、知りたくなかった。



私の方が好きになったのは早かった。だから彼よりも何倍も何百倍も好きな気持ちに自信があった。 実際一回振られたし、それでも私は彼が好きで彼を諦めなかった。 そんな自分に恋をしてうぬぼれていた結果なのかもしれない。
私は少女マンガのような淡い恋しか知らなかったのだ。

「恋の魔法が解けちゃった…どうしよう」
「キスなんて嬉しいばっかじゃないの。ていうかあの日吉がねえ…意外としか言えない」
「嬉しくなかった。私もしかしたら日吉くんの事好きじゃなかったのかも」
「あんたが恋愛ベタ過ぎるだけだから。ていうか子供」
「だって!何かショックだったんだもん…」

日吉くんに、キスされた。付き合い始めて、3日しか経っていない日の事だった。
一年生の時、すっごく綺麗な日吉くんに一目ぼれして、我慢出来なくてすぐ告白して。 (異性に対しては内気な私がよく思い切った行動に出たものだと友達に感心された)
でも振られた。そのせいでますます好きになった。 二年生になって、一年あっためた気持ちをまた伝えたら、なんだかあっさり付き合う事になった。 (嘘かと思った)
付き合ったその日に、手を繋いだ。
その次の日に、そういえば私、日吉くんに好きって言ってもらってないけど日吉くんは 私の事が好きなの?って聞いたら照れくさそうに(あと面倒くさそうに)「好きだ」って言ってくれた。
とんでもなく嬉しくて舞い上がった私の気持ちは、その次の日のキス事件で陥落する。
そしてそのまた次の日のお昼、友達に報告しつつ相談する現在。

「ショックを受けてるあんたの方が理解不能だけどね私は」
「だって…付き合ってたった3日しか経ってないんだよ…」
「あのねえ、好き同士が恋人になったらキスしてセックスしてってのは普通でしょ?他に 何すんのよ。」
「こ、声おっきいよ!!そ、それにせ、せっくすとか…私そんな事考えた事ないよ…」
「じゃあこれから考えなさいよ。好きなら当然の欲求なんだから」
「そうなのかな…」

そういう気持ちは全然わからなかった。 好きな人と、手を繋ぎたいとは思うけど具体的に付き合ったら何をするかなんて考えた事もなかったのだ。
ただ幸せな気持ちに溢れて満足して、それ以降何があるかなんて…想像も出来ない。 それに想像することすら何だか恥ずかしいし恐れ多い。

「あんたねえ、何か恋愛を美化しすぎじゃない?」

的確な言葉だった。多分、そうかもしれない。 それに、なんていうか私の中でキスとかそれ以上のものとかそういうものは、 愛が無くても出来てしまう行為という認識が強くて。 そういうものを求められると、必要なのは身体であって心じゃないんじゃないかって考えてしまう。 だからきっと私は「キスをしてきた」日吉くんに失望したのかもしれない。
日吉くんもそういう人だったんだ、って。

「なんかわかんなくなってきた…」
「少女漫画読むのはいいけどもっとレベルが上なの読めば?今度貸すよ濃厚なの」
「いい!それはいい!!(濃厚なのって…何を読んでるんだろう)」
「日吉も可愛そう…このちんちくりんのどこが好きなのかしら」
「失敬な!」

どこが好きなのって、そんな恐ろしい事考えたくない。 日吉くんには一回振られている。 その事実があるからこそ恐ろしい。 私が好きな気持ちを利用しているだけかもしれない。 だから身体の関係なんて持ったら私の心が傷ついてしまう気がする。
(でも、こんな風に考えちゃってる自分が一番嫌い)
(まるで日吉くんが好きな事実がうそみたいな瞬間が嫌い)



「日吉くん…」
「なんだ」

手を繋ぐ二人を囲むのは真っ暗い闇だ。日吉くんは周りがうるさいのとか嫌いな人だから、 なるべく付き合うならひっそりと、が理想らしい。 だから私たちの関係は口外しない約束だ。(友達には話しちゃったけど) 一緒に帰ってくれるのが奇跡のように感じる。

「昨日、」
「……………」
「あの、…やっぱりいい…」
「…何だよ気持ち悪いだろ」
「ごめんなさい!」
「はあ?」
「何ていうかその…」
「言いたい事があるならはっきり言え」
「…私、日吉くんの事何にも知らないね」

そうだ、知らないのだ。何も知らないけど、唇のあったかさや感触だけは知っている。 それが気持ち悪いのかもしれない。 心が、身体から離れているような、そんな浮遊感。

、」

目をつぶる余裕もなく、唇が重なって離れていく。 ぶつかってくる風がすうすうと変な感覚で。思わず息を潜める。

「俺は人に物を伝えるのがうまくない」

逸らされた瞳が、狼狽するように揺れていてなんだかおかしかった。 (日吉くんは相手の気持ちを無碍にするような人じゃない)

「一年だ。ずっとお前の事が頭から離れなかった、だから」

(お前がもう一度好きだと言ってくれた時、嬉しかった)
それだけ言うと日吉くんは乱暴に私の手をとって歩き出した。


過ごした時間はもしかしたら3日間じゃなくて、まるっと一年だったのかもしれない。 それだけでなんだか嬉しかった。
日吉くんの精一杯の誠意を受けて、憂鬱な私は消え去って、
日吉くんのくちびるを知っている自分が急に誇らしく思えた。


With my compliments
(謹んで贈呈)