憧れは憧れのまま、心の中に閉じ込めておいたほうがきっといい。
(追いかけても決して、手に入らないものそれが、美しいものだと思うから)



コートを抉るように突き刺さった黄色い塊が、空に向かって跳ね返った。 応援団の凄まじい歓声が沸き起こる中、審判の告げる試合終了の合図に小さくガッツポーズをとった。

「お疲れ」
「…ありがと」

ベンチに戻ると日吉が不服そうな顔でタオルを手渡してきた。 彼のしかめっ面はいつもの事だが、どうも俺に向けられるそれは他人より眉間の皺数が多い気がする。
(日吉が部長に新任してから一ヶ月程が経過したが、まだ神経質になっているんだろうか)
なんて一時は真剣に悩んだりもしたものだが、今となっては慣れっこだ。
元々、素直に笑った顔を見たことすら無いしね。


受け取ったタオルで額に浮いた汗を軽く拭うと、その足でコート外の水場に向かった。




「どうしてシングルスに転向したんだ」
「うわ、びっくりしたー。俺、今かなり脈拍やばいよ多分」
「それは悪かったな」

冬の近づく晩秋の水温は冷たくて、丁度いい具合に心身を引き締めてくれる。
固く瞑った瞼を開こうとした瞬間だった、彼の声が背後から聞こえたのは。

「お前、コテコテのダブルス向きだよ」
「そうでもないって」
「俺に勝った事も無いくせに」
「手加減してるんだよ」
「………」
「嘘です、今のなし」

見上げると真昼の太陽が、頭のてっぺんより少し傾いている。 ああ、もう夏が終わったんだなあなんて、そんなところからもひしひしと感じる。
ちらりと日吉の表情を盗み見ると、同じように空を仰いでいた。

「今のお前見てると痛々しい」

まるで独り言のように彼の唇から零れた言葉が、俺の胸の奥深くに突き刺さった。
何でだろう。
別に、傷ついたわけでもないのに、じんじんと胸が熱い。
(哀れむような、悲しそうな顔をされたからだろうか)

「…日吉だって、前より活き活きしてないよ」

(この痛みは、お互い様だろう?)

「……俺とお前を、一緒にするんじゃねえよ」

彼がすぐに、その爪先をコートの方へ返してしまったから。
俺が彼の顔を、瞳を覗き見ることが出来たのはほんの一瞬だった。

(成る程、これはやっかいだ)

「日吉はもう、大人になったんだ」

彼が貫く信念は、もう自分ひとりの為のものではないのか、
その俺よりも小さな背中に、たくさんの人の想いを背負っているのか、

俯くと、鼻筋を拭いきれなかった水滴が滑っていった。
喉の奥からは、クツクツという薄い笑いがこみ上げてきて、なんだか泣きたくなった。




(僕は大人になったのだと思っていた)
憧れの影を追うのを止め、自分のためだけに信念を貫こうと思っていた。

それが、正しい道だと思っていたんだ。
 

少年期の最終戦争