ジャンボ鶴田

2000.12.2「つぅさん、またね。」

 鶴田夫人が、鶴田の死までの思い出を綴った本を読んだ。(看書録参照)
 急死直後の報道は、情報不足もあって、勝手な憶測や根拠のない記事で溢れていたようだ。
 自ら輸血の中止を求めたという記事(東京スポーツだったと記憶している)は、その時から変だと思っていたが、全身麻酔だったので、あり得ないことだった。
 手術が成功していれば、平均寿命まで生きることができたらしい。
 悲しみと混乱の中にいる遺族に取材攻勢をかけておきながら、正確な情報を提供しない報道。
 報道している側としては悪意はなかったのだろうが、冷静な判断というのはできないものなのか。
 この本によって、やっと真実を知ることができた。
 

2000.6.18「メモリアル献花式」

 青山葬儀場で「メモリアル献花式」があった。
 12時からなので、遅めに出て、1時過ぎについた。
 中にはいるのを並んで待つことはなく、すぐに入れたが、参列者がとぎれることもない。
 式場にはいると、「イエスタディ」が聞こえたが、管弦楽団による生演奏だった。
 遺影の前に、レスリング・シューズが置いてあった。混んでいないのでゆっくり手を合わせることができた。
 出口に向かおうとして驚いた。三十人ほどのカメラマンが、こちらへ向かってカメラを構えている。
 レスラーや、有名人が現れるのを待ちかまえていたのだろう。
 鶴田夫人とお子さんが立っていた。夫人は女性の弔問客と手を取り合って泣いていた。
 私は、頭を下げ、その横を通り過ぎて外へ出た。
 亡くなった人を送る儀式は、故人のためにあるのではない。
 残されたも者ためにあるのだ。
 全日本プロレスは、今、瓦解の危機にある。
 鶴田が元気で生きていたらどうなっていたか、などということを考えてもどうにもならない。
 残されたファンは、現実を見つめ続けるしかない。
 受付でドナー・カードを配っていた。
 肝臓移植を望みながら果たせなかった鶴田。第二、第三の鶴田が出ないように、という気持ちもあるのだろう。
 私は、妻と話し合った結果、心臓停止後のすべての臓器の提供に同意することにした。
 さようなら、ジャンボ鶴田。

2000.5.26「死去から十日たって」

 5月16日(火)の夕方、駅の売店のスポーツ新聞の見出しを見たときには息が止まるかと思った。
 鶴田が死んだ。
 アメリカで元気でやっていると思っていたのに。
 その後の、テレビや新聞、雑誌での報道によると、肝炎からガンになり、マニラで肝臓の移植手術を受けたものの、大量に出血し、亡くなったのだという。手術が成功しても、1年ぐらいしか生きられなかったらしい。
 鶴田が一線を退いた時、怪物も肝炎には勝てないのか、でも、だんだん衰えていくところを見ないで済むのはかえっていいかも、などと思っていた。しかし、肝炎が命まで奪うことになるとは思わなかった。
 肝炎での入院から一時復帰したとき、「普通の人間なら死んでいた」という報道もあったが、その時は、「プロレスラーは凄いんだぞ」という大げさな報道だと思っていた。
 しかし、本当に、重症だったのだ。
 最近、全日本プロレスゆかりのレスラーの死が続く。ゲーリー・オブライト。ボビー・ダンカンJr。
 スティーブ・ウィリアムスは、追悼番組の中で、「みんな体を大事にしろ」と言っていたが、実感がこもっていた。ファンも悲しいが、肌を合わせ、命がけで試合をしてきたレスラーはもっと悲しく、つらいだろう。
 「週刊ゴング6月6日増刊号」によると、B型肝炎のキャリアであることが発覚したのが85年8月で、本格的に発症したのは92年春だという。
 感染していることが明らかになってからが、鶴田最強の時期だった。
 鶴田は強かった。本気で試合をしたことがないと言われるほど、誰よりも強かった。
 さようなら、ジャンボ鶴田。

 ジャンボ鶴田……本名・鶴田友美。1951年3月25日生まれ。2000年5月13日死去。

1999.2.28「引退に寄せて」

 馬場社長が亡くなり、全日本プロレスは三沢、鶴田、百田のトロイカ体制で運営していくということになっていたが、2月20日、ジャンボ鶴田は引退を発表した。
 すでに半引退状態にあったので、リングに上がらなくなること自体は大きな変化ではないが、ポートランド州立大学へ教授待遇で2年間行くのが理由で、それにともない、全日本プロレスの役員も辞職するという。立場の面では完全に切れてしまうのだ。
 かつて鶴田は「存在自体が反則」とまで言われ、怪物と呼ばれていた。
 おそらく、史上最強の日本人プロレスラーだろう。
 あるインタビューで、「鶴田は一度も本気で試合をしたことがないのではないか」と聞かれた三沢は「たぶんそうだろう」と答えていた。
 もちろん、本人の意識としては本気を出していたのだろうが、実力のすべてを出し切っていたかというと、そういうことはなかったのではないか。
 なぜなら、鶴田が本気になってしまったら、プロレスが成立しないからだ。勝ったり負けたりということがなくなるだけでなく、相手のレスラーはほとんど再起不能にされてしまう。
 鶴田は、相手のレベルに応じてバックドロップで落とす角度を変えていると言っていたが、無意識のうちに、相手を徹底的に痛めつけるようなことはしないように気を使っていたのだろう。
 鶴田はずっと強かったが、谷津、天龍らの離脱・移籍の後、ますます怪物になっていった。
 三沢が川田、小橋、菊地とともに「超世代軍」として対抗しようとしていたが、どうみても鶴田に対してだけは勝ち目はなかった。
 初めは三沢側にいた田上は、「体が大きい」という理由で鶴田のパートナーとなって鍛えられていったのだが、あれは、田上をパートナーにすることで、強すぎる鶴田にハンディキャップを与えていたのかもしれない。正規軍(後に聖鬼軍)はあとは渕と小川で、実力者ながらジュニアヘビー級だった。
 ところが、田上は鶴田のパートナーとして次々に強いレスラーと試合をすることになり、鍛えられて強くなってしまった。自分でも強い外人レスラーと当たるのは怖かったと言っていたが、本当に頼りないところがあった。「一体どうすればいいんだろう」という気持ちがありありとしていて、それで私は田上ファンになってしまった。
 ある時、渕が解説者になっていて、「田上はどうか」と聞かれ、「最近は組んでいても頼もしいですよ」と言っていた。よっぽど最初は頼りなかったらしい。
 ビデオにとって見直すと、田上の試合に渕がセコンドにつくと、渕があれこれ指示を出しているのがよくわかった。
 渕は鶴田の参謀格だった。
 鶴田一人なら無敵でも、ダッグマッチではそうはいかない。渕もまた、田上の教育係であったようだ。

 現在、全日のトップは四天王と呼ばれる4人のレスラーである。この4人は、鶴田がいたことで鍛えられたのだ。障害が大きいほど、それを乗り越えるために大きな努力が必要になる。鶴田というのはどうやったって越えられっこない壁だったのだが、それを越えようと努力した結果が今日につながっているのだ。
 そして、田上が実力を発揮しだした時、それを待っていたかのように鶴田は肝炎になり、一線を退いた。
 鶴田がいなくなったことは寂しいことではあったが、あの怪物が少しずつ衰えていくところを見ずに済んだのは幸いなことだった。
 そして、鶴田は大学院進学という、前人未踏のことをやってのけた。まさに破天荒だ。そして修士となり大学の講師にまでなり、今回は国外での研究活動に入るのだ。
 私は、鶴田と馬場さんに共通するもの感じる。それは何かというと、「プロレスラーの幅を広げた」ということだ。
 馬場さんは、「強いレスラー」から「面白いレスラー」に変身し、明るく楽しいプロレスを体現して見せた。
 そして鶴田は、引退後の道を研究職に求め、誰も考えなかったことをやってのけた。
 どちらも、プロレスの通念から大きくはずれた行動であり、プロレスのイメージの変革である。
 鶴田は、引退後だけでなく、入団時にも大きな功績を残した。それは、「全日本プロレスに就職します」と明言したことだ。
 馬場さんは、プロレスラーになることは肉親に反対された。娯楽としてのプロレスを楽しむ人は多くとも、プロレスラーという職業のイメージはよくなかったわけだ。ところが鶴田は堂々と「就職」と言ってのけ、プロレスラーを他の職業にひけをとらない立派な職業にしてみせたのだ。
 もちろん、プロレス・ファンにとっては、プロレスラーというのは、特別な人たちであり、はるか高みにいるような気にさえなるのだが、ファンではない人からすれば、ということだ。

 ジャンボ鶴田は強かった。全盛期の鶴田なら、ヒクソン・グレーシーと戦っても簡単に勝てただろう。もっとも、鶴田はアルティメットのような試合に出たいとは思わないだろうが。
 引退発表会見の後で、鶴田は、全盛期に前田と戦ってみたかったと言っていた。それが日本テレビでも放送されたのには驚いた。長州とも天龍とも戦った鶴田にとって、未練の残る相手が前田だったとは。藤波はがっかりしたのではないだろうか。
 深読みすれば、鶴田は、挌闘技路線を進む者よりも、プロレスラーとしてプロレスの王道を進む者の方が強いのだ、ということをいいたかったのかもしれない。UWFに興味を持っていたとは思えない。噂の前田というのはどんなものなもか知りたかったのだろう。
 藤波は、どうしても鶴田と戦ってみたかったのなら、新日との契約を更改せず、一度新日を飛び出して全日にフリー参戦すればよかったのだ。どうせ新日は出戻りを受け入れるところなのだから。一度だけの交流戦よりも、1シリーズ参戦して組んだり戦ったりしたほうがよかったのではないかと思うのだが、おそらく藤波は、そういう、自分の都合を優先するようなことはできない人間なのだろう。

 今度、鶴田は馬場さんとともに伝説のレスラーとして語り継がれることになるのだろう。
 その全盛期を見ることができたのは、プロレス・ファンとして幸いなことだった。