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2006年4月3日(月) |
諸行無常 是生滅法 |
身近なものの死に直面すると、改めて人生を考えさせられるものなんだな〜って今、しみじみと感じているところです。
今年2月26日に我が家の愛犬「りき」が、14年あまりの命を閉じました。穏やかな顔をして横たわったその姿を見た瞬間からやりきれない悲しみが込み上げてきて、大人気なくも大泣きをしたばかりです。最後の半年、それは壮絶でした。ひと月過ぎた今でも、その光景を思い出すと「くる」ものがあります。犬は人間の7倍の速さで老いるといいますが、人間でいえば100歳を越えたところだったのでしょうか。そう考えると「りき爺さんは長生きしたんだな〜大往生だな〜」と幸せに思えます。
ですが反面、私はこの人間の尺に合わせるかのような考え方(ドッグイヤー)はどうかとも思います。諸行無常…時は始まりや終わりがなく、また止まることがありません。生命あるものは皆、この同じ時の流れの中に生きています。私達は自分の年齢を「犬でいえば」って考える人が、はたしてどれだけいるでしょうか?人間の持つ勝手な一面を象徴しているように思えます。
愛する「家族」を亡くし、感情的になっているのが自分でもわかります。ですが、いつまでも悲しんでばかりはいられません。ふと一息つくと、人間をどうこう言っている自分も勝手なのがわかります。私は亡き「りき」に生きることの尊さを教えられ、改めて生かされていることに気付きました。
好むと好まざるにかかわらず、この世の生けるものはいずれ必ず死ななければなりません。是生滅法…それは自然の理であり、誰しもが理解していることだと思います。しかしながら、それはまだ先のこと、おおよそ他人事のように考えている方は少なくないと思います。生死は平等に与えられていますが、生きる時間はそれぞれです。悲しむ側から悲しまれる立場になるのは今日や明日かもしれません。人生の長短にかかわらず、今をどう生きるのか、考えることは大事だと思います。
「家族みんな、健康で仲良く暮らしてね…」彼はそう言って旅立った気がします。亡き「りき」に心配をかけない為にも、親から授かったこの命をできるだけ長く、子供にバトンタッチできるその時まで、がんばって生きなきゃな〜って心からそう思います。いつまでもめそめそしていると「りき」に心配をかけるどころか、怒られそうです。 |
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