支配役・年番方への昇進      玄関へ戻る
 文化文政時代は無役(番方)、牢屋見廻役、本所見廻役・養生所見廻役など比較的地味な分課であったが、天保時代に入り40代になると待望の同心支配与力に昇進し、南町奉行所の中心的な与力として活躍を始める。
 
同心支配役は奉行所に所属する与力・同心を5つの組(1番組から5番組)の長であり、同心の任免権を握る。
   無足見習 ⇒ 見習 ⇒ 本勤並 ⇒ 本勤 ⇒ 支配並 ⇒ 支配役


五郎左衛門の昇進 町鑑からの抜粋
文政 9年(1826) 筒井紀伊守政憲 八右衛門幸■@
五郎八郎
幸雄A
3番組(1)

年番、同心支配役、御詮議役 中村八郎左衛門
仁杉八右衛門
五郎左衛門幸信H
1番組(2)
本所改役
天保 2年(1831) 筒井伊賀守政憲 八右衛門幸雄A
5番組(4)

御詮議役
中村八郎左衛門
原善左衛門
五郎左衛門幸信H
1番組(2)

本所改役
天保 9年(1838) 筒井紀伊守政憲 八右衛門幸雄A
5番組(4)

御詮議役 佐久間彦太夫
仁杉五郎左衛門
五郎左衛門幸信H

鹿之助
4番組(1)

同心支配役、歳番方、江戸御橋回り
町火消人足改
天保12年(1841) 筒井紀伊守政憲 八右衛門幸雄A
5番組(4)
籾蔵回り
佐久間彦太夫
仁杉五郎左衛門
五郎左衛門幸信H
鹿之助
4番組(1)

同心支配役、歳番方、江戸御橋回り

 天保2年の町鑑では文政9年の本所見廻役となっている。 前職の牢屋見廻役と同様、少なくとも6年以上勤めたことになる。
 この年11月に年番方まで昇進していた義兄の八右衛門が引退し、倅の幸雄に家督を譲っている。 このため南町奉行所では大きな人事異動があった模様で、それまで1番組に属していた五郎左衛門は5番組に移り、その序列1位、すなわち同心支配役に昇進している。
 天保12年の「与力同心前録」に 

仁杉五郎左衛門
   享和元酉年十二月二日 見習
   同年十二月十八日御抱入
   天保ニ卯年十一月十六日支配役
とある。上記に引用した町鑑はその人事異動前に発行されたものである。

 南北の町奉行所は所属する与力・同心を一番組から五番組の5組に編成する。各組与力5騎、同心20人が目安である。
 所属する与力には序列があり、その筆頭を同心支配役、筆頭与力、あるいは支配与力などと称した。 この同心支配役が一組の同心を預かり、同心の任免権を持った。毎年年末に自邸に所属同心を集め、「長年申しつくるように」という決まり言葉で同心の次年度の「契約更改」を言い渡したという。  同心支配役になると役料30石が付加される。
 
 天保9年の町鑑では年番方となっている何年に年番方に就任したかは不明であが、江戸町触集成第13巻で天保7年には五郎左衛門が既に年番方になっていた事がわかる。 同心支配役に昇進した天保2年から天保7年の間のことである。

江戸町触集成第13卷 13100号文書
年寄同心中検使見分等二被相越候節、多分私共代之者差出候段被及御聞、如何二思召候、依之以来私共可相成丈場所江罷出候様可仕候、若病気差合等御座候節ハ、組合名主罷出候様可仕候、有検使見分御用相済候以後、年寄同心中宅江私共為挨拶罷越候節、又は為謝礼目録等持参致候者も有之候趣、是又被及御聞一以来右躰之義決而仕間敷旨、其段年寄同心中江も被仰渡候間、若宥躰之義有之候ハ、年寄同心中ぢ早々被申立候様被仰渡候段、寛政元酉年六月年番名主江証文被仰渡候段、猶又去ル辰年被仰渡候趣も有之候処、其後名主共之内二も代替若年之者も有之・心得違之程も鷹計、万一於場所右躰之義は勿論、酒暖等差出、右二事寄町役人共も相用、町入用余分相懸候様之義有之候而は以之外不相済義二付、薯蝸被仰渡之趣、銘々組合之者急度申合可旨被仰渡奉畏候、為後日侃而如件

  天保七申年十二月十日
       南北小口年番名主

右は南御番所於御年番所谷村猪十郎殿御立合、仁杉五郎左衛門殿被仰渡候事


  注)谷村猪十郎は北町奉行所年番与力、後に水油不正事件で重追放、欠所となっている。
 

 年番(歳番)方は奉行所および組屋敷内の取締、人事、金銭出納を取扱う役で、支配与力5人の中から2人(3人の時代もある)が選ばれて兼帯し、同心6人が下僚として付属した。
 当初は支配役の当番の形をとったので年番の名があるが、後に支配役の中から経験豊富で力のある与力が選ばれて何年も連続して勤めるようになった。

 
 年番方は組頭とよばれた事もあり、与力の責任者である。
 与力の人事権は形式的には町奉行にあるが、実際には年番方が他の支配与力の意見を聞きながら策定した人事案を奉行が追認する形をとっていたので、実質的な人事権を握っていた。
 人事のほかに奉行所の会計、与力給地の配当などの権限も持っており、まさに奉行所を統括し、奉行を補佐するNO.2であった。
 現在の中央官庁に何も経験のない大臣が任命されて来ても、事務次官を筆頭とする役人集団が何の支障もなく行政を続けていける形に似ている。