奉行所刃傷事件         トップ

 矢部定謙が南町奉行になってわずか1ヶ月後の6月2日、南町奉行所内で刃傷事件が発生した。
 藤岡屋日記に次のような記述がある。
於南御番所騒動一件
矢部左近将監組同心  吟味方下役及刃傷自殺 佐久間伝蔵
同          即死 堀口貞五郎
同物書役       深手 高木平次兵衛
右貞五郎義、趣意不相分、昼八ツ時頃、於矢都左近将監御役宅詰所書物致罷在侯処、伝蔵罷越、一刀昌首打落し、次に平治兵衛江深手為負候よし。

 天保7年当時は年番下役だった佐久間伝蔵はこの時は吟味方(御詮議役)下役となっていた。 
 佐久間はこの日、同心堀口六左衛門の倅で同心見習の貞之助に突然に切りかかり即死させるという刃傷事件を起こした。。 
 更に止めに入った同心高木平次兵衛(平兵衛という文献もある)にも深手を負わせ、佐久間はその場で自分で喉を突いて自害して果てた。。
 奉行の矢部は佐久間の乱心ということでこの事件を処理した。 しかし実はこの事件の裏側には5年前の御救米買付にあった不正事件をめぐる関係者の対立があった。

 
佐久間は天保7年当時、仁杉五郎左衛門のもとでお救い米の買付けにあたっており、堀口貞五郎は同役堀口六左衛門の倅である。
 
 ともに五郎左衛門の部下として米の買い付け業務にあたった堀口六左衛門が、矢部に内通し、一件の責任はすべて五郎左衛門や佐久間のせいにしてしまい、自分とその息子の貞五郎は、陽のあたるところに居ることを怒って刃傷に及んだものだ。

 佐久間が殺害しようと思っていたのは堀口六左衛門だった。 しかしその日、六左衛門がなかなか出勤して来ず、たまたま倅の貞五郎が出て来たので思わず切りかかった、というのが真相のようだ。
 佐久間にすれば、恩ある五郎左衛門に対して弓を引くような態度の堀口にうらみを持っての行動だったが、この事件がきっかけとなってお救い米買付に不正があったことがあかるみに出てしまい、結果的に五郎左衛門を窮地に陥れ、やがて牢獄に送られることになる。

 奉行所内の事件は奉行の矢野にとって失態でもあるので、佐久間が気狂いしたことにして内密に処理しようとしたが、やがて鳥居忠耀の知るところとなる。
 与力や同心の事件は町奉行の管轄ではなく武家の監察にあたる目付の権限であり、その目付職にあったのが鳥居耀蔵であった。
 鳥居も旗本で最高のポストである町奉行職に大いなる野心を持ち、矢野追い落としのため部下に命じて佐久間伝蔵の妻だったかねをそそのかし、「矢野の処分は片手落ちである」と老中筆頭水野忠邦の登城時に駕籠訴をさせた。
 5年も前の、しかも当時の常識ではとるに足りない事件が町奉行の座をめぐる権力争いの具にされていたのである。

 旧幕府引継書「南撰要」の南諸事届(国会図書館)によれば
 6月13日 南町奉行所忌中に付十四日より吟味出入後日延物は一同不及出旨通達
       同忌中に付左衛門尉殿(北町奉行 遠山景元)即月番御心得被成候事  
       忌中御悔明後日可出達
とあり、南町奉行所が忌中のため、北町奉行所が急遽月番を代わっている。
 更に
 6月18日 天保七申年諸式高直之節商人立替又は買物銭被仰付候者名前書留可被申聞
 7月 9日 去る申年より昨子年まで五ヵ年分町入用写差出可申  
とあり、5年前のお救い米買付に関する調査を開始した事が伺える。

 なお、この刃傷事件のあった日付について宮城賢秀、松本清張などの小説では6月29日としている。 事件が6月2日であったことは上述の藤岡屋日記や神田の町名主斎藤月岑の日記「月岑日記」にも6月2日の項に記載があり、間違いないと考えられる。
 
多くの小説は三田村鳶魚の著作{捕り物の話」を引用しているためと思われる。
 

 ちなみに、「月岑日記」によればこの数日「天気よし」と記録されており、天候の安定した盛夏であったことがうかがえる。

 実説 遠山の金さん(大川内洋士著 近代文芸社刊)にもこの事件が次のように取り上げられているが、やはりその日付は6月29日となっている。

南町奉行所での刃傷事件

 天保12年4月28日(1841年6月17日)、南町奉行筒丼紀伊守政憲は西丸留守居に転じ、そのあとに矢部駿河守定謙が任じられた。それから3か月たった6月29日(8月15日)、南町奉行所内で同心の佐久問伝蔵が同役の堀口六左衛門の倖貞五郎と高木平次兵衛を殺害して自殺するという事件が起こった。堀口六左衛門が天保の飢饅のときの自分たちの不正を隠すために、佐久問の仕業と言い触らしていたことを睨んでの犯行であった。矢部はこの事件を佐久問の乱心によるものとして処理したが・それが後に矢部の失脚につながることになる。


小説に描かれている刃傷事件
 この事件は小説の題材にもとりあげられている。
 下記に、その代表的な宮城賢秀の「北の桜、南の剃刀」と松本清張の「天保図録」の該当部分を紹介する。
 前者は刃傷事件そのものを詳しく描いているが、後者は事件そのものはさらりと描き、その背景を詳しく説明している。
北の桜、南の剃刀  宮城賢秀

天保12年6月29日。午ノ刻(正午)。

本石町の時の鐘が鳴り響いていた。
数寄屋橋御門に近い元数寄屋町二丁目の飯屋の前を堀口貞五郎が通り過ぎて行く。
貞五郎は黒羽織の裾を巻き、着流しに雪駄ばきであり、長脇差を腰に差していた。
貞五郎は外濠に架かる橋を渡り、数寄屋橋御門の内の南町奉行所へ入って行った。
一方、佐久間伝蔵は堀口六左衛門が出勤してくるのを年番部屋で待ち続けていた。
佐久間は朝一番に出勤し、堀口がやってくるのを待っていたのである。年番部屋の自分の私物入れの戸棚の中には二振りの古刀が隠してある。
町奉行所の与力の花形は年番方と吟味方であり、年番方は奉行所の総務兼人事課長のようなものである。それゆえ、その下役の同心も奉行所の中では羽振りのよいほうであった。
「堀口め、もう昼過ぎじゃぞ…。」
佐久間は年番部屋と玄関の間を何度も行ったり来たりしていた。
表門を入り、石畳を踏んで真っ直ぐ行くと玄関があり、右側に縫ノ酢、与力番所、年寄同心詰所、年番部屋と並んでいた。
その4つの部屋は廊下で結ばれており、年番方の同心が行ったり来たりしても怪しむ者はいない。
無腰の佐久間は玄関を覗いて一番奥にある年番部屋へ戻った。
--せっかく潔斎してきたというに……。
佐久間は未明に井戸の水で身を清め、何も口にせずに出てきていた。
それゆえ、喉はからからであったが、堀口を仕留めるまでは何も飲むまいと心に決めて見詰めていた。
その部屋には相役もいたが、肝心の堀口は遅刻しているし、他の者も調べ物か何かで席を外していた。それゆえ、長脇差の鞘を払っても見ている者は一人もいない。

「父上にも困ったものじゃ」
吟味方与力の下役である貞五郎は、同僚に聞こえるように言った。
いま、席に着いたばかりであり、同心詰所にいる相役らに、父親が腹痛を起こしたために遅刻したと言い訳をしていた。
「どれ、年番部屋まで行ってみるか…」
貞五郎は腰をあげ、ゆっくりと同心詰所を出て行く。
その様子を定町廻り同心の児玉大三郎と仁助が横目で見ていた。
仁助を私用で使っているのは児玉であり、定町廻り同心では最年少の二十七歳であった。
「気障なやつでござんすね」
仁助が小さな声で、児玉に言った。
堀口父子が南町奉行矢部駿河守定謙に胡麻を播っていることは、与力同心全員が知っていた。
それゆえ、私用で使われている仁助も判るわけであり、実際に貞五郎は気障そのものであった。
その貞五郎は自分の属する吟味所へ行く前に、年番部屋へ寄って堀口の欠勤を告げるつもりであった。
「貞五郎……」
「これは高木さま・…-」
貞五郎が年番方与力の下役である同心の高木平次兵衝に挨拶した。
高木は堀口が矢部駿河守へ渡した資料の一部を、蒐集してくれた同心であり、佐久間はそれも知っていた。
「父上は如何なされた?」
「実は昨夜、呑み過ぎまして……」
「なんじゃ、二日酔いか。お奉行が気にしておられたぞ」
「さようでございますか。これから年番部屋へ父上の欠勤を届けに行くところでございます。」
「わしも用を足したら行く。しばらく待っておるがよい。どうせ佐久間伝蔵しか残っていまい。」
貞五郎は玄関へ上がり、継ノ問を覗いてから、廊下を通って一番奥の年番部屋へ向かった。
長脇差は右手に持っており、抜いても刃引きがしてあるので人は斬れない。貞五郎も一通りは剣術も習っていたが好きなほうではなかった。

「堀口貞五郎でございます」
貞五郎が入口で声をかけ、年番部屋に入ってきた。
いまかいまかと堀口六左衝門が来るのを待っていた佐久間伝蔵は、その息子の顔を見るや、かっとなった。
「貞五郎、六左衝門はどうしたツ!」
佐久間が長脇差を握り、立ちあがった。
貞五郎は佐久間が何故怒っているのか解らない。それゆえ、応えることもできずにいた。
「さ、さ、佐久間さま…-」
貞五郎は佐久間が長脇差の鯉口を切るのを見て、慌てた。
奉行所の中ゆえ、右手に長脇差を持っており、左利きではないので咄瑳には抜けない。
貞五郎は仕方なく鞘のまま上段に構えようとした。
「貞五郎、父子して仁杉五郎左衛門さまの恩を忘れおって……」
佐久間はいきなり長脇差の鞘を払い、貞五郎の左肩から右脇へと袈裟懸けに斬りつけた。
「何をなされる……」
貞五郎が長脇差を床に落とした。
「仁杉さまに代わって成敗してくれる」
佐久間がニノ太刀で、貞五郎の首を刎ねた。
首が床へ転がり、鮮血が年番部屋の入ロヘ吹き飛ぶ。
そこへ、
「佐久間どの、乱心めされたか-…」
高木平次兵衛がやってきて佐久間を答めた。
佐久間が長脇差を捨て、自分の私物入れのほうへ走る。
高木は佐久間が逃げようとしているものと思い、後を追った。
が、佐久間は自分の私物入れの戸棚から二振りを取り出し、その一刀の鞘を払った。
高木が長脇差を左手に持ち替え、鯉口を切ろうとする。
「堀口の尻馬に乗り、仁杉六左衡門さまを罪に落とし入れおって…」
佐久間が高木の右腕を斬り落とし、ニノ太刀で相手の胸板を突き刺した。
高木は白刃を左手で掴んでおり、佐久間が思い切って大刀を引き抜く。二人は鮮血でとべとになった床へ尻餅をついた。
「助けてくれえ、だれかあ…」
高木が這って入ロヘ向かった。
佐久間は立ちあがろうとして滑り、その場に転んだ。
高木は声をあげ続けており、それを聞いて隣室の年寄同心詰所から三人が駆けてきた。
しかし、血まみれの二人の姿を見てだれも近寄ろうとはしない。
そのうちに変を聞き、佐久問の実弟の相場万蔵が駆けつけてきた。すでに、高木は落命して廊下の端のほうへ横たわっている。そのころには南町奉行所の表にも奥にも刃傷沙汰は知れ渡っていた。
「兄上ツ、万蔵でございますツ!」
「万蔵、来るな。相場家とは関わりのないことじゃ」
佐久間は血の付いていないもう一振りの古刀の柄を握っており、柱を背にしていた。
佐久間家から相場家へ養子にもらわれたとはいえ、万蔵にとっては伝蔵は実の兄である。
それは奉行所のみんなが知っていた。
「兄上ツ、御番所の中でござるぞツ!」
相場は佐久間を叱りながら年番部屋へ入って行く。
相場家の者も佐久間家の者も代々同心を勤めており、奉行所は神聖な職場であった。
相場が年番部屋へ入って行くや、その後ろから与力や同心や中間や小者が恐る恐るついて行く。
「来るな万蔵、来るなと申したぞ。わしは乱心なぞしておらぬ。仁杉五郎左衝門さまの恨みを晴らしたまでじゃ」
佐久間がはっきりと言った。
みんなが納得する。しかし、佐久間の罪は罪である。相場もそう思っているので実の兄を取り押さえねばならない。
「兄上、解っております」
相場が佐久間に近寄り、
「したがこの刃傷は見逃せませぬ」
両の手をさしに差し伸べ、太刀を寄越せという振りをした。
「万蔵、寄るな。しかと見ておれ、これが武士(もののふ)の最期ぞ」
佐久間はそう言うや、大刀の切っ先を自分の喉元へ向け、相場が止める前に一気に突き刺した。
「兄上ツ!」
相場はどうすることもできない。
佐久間は柱に寄りかかったまま、果てた。
佐久間の喉元から鮮血が噴き出し、相場の顔面に降りかかる。
「万蔵、触れてはならぬ」
吟味方与力が、相場万蔵に注意した。
相場は佐久間伝蔵の手に握られている大刀を取り除こうとしていた。
「よいか、みんなに申しておく。一指も触れてはならぬぞ。お徒目付が検視に見えるまでそのままにしておくのじゃ」
吟味方与力がみんなに言い終えるや、年番方与力が刃傷事件を目付へ報せるべく配下の同心を江戸城中へ走らせた。

天保図録 松本清張

六月二十九日に南町奉行所内年番所で刃傷が起こった。
その下手人は年番方下役佐久間伝蔵という者であった。
年番方というのは会計事務を取り扱う役である。
殺されたのは吟味方下投堀口貞五邸ど年番方下役高木平兵衛という者である。
その朝、佐久間伝蔵は定刻に年番所にきて事務を執っていたが、初めから顔色が悪かった。それにそわそわして落ち着きがない.
同僚が怪しんで訊くと、ただ気分が思いと云うだけで、すすめられても帰ろうとしない。
佐久間は南町奉行所定廻筆頭堀□六左衛門の出勤をひたすら待っているようなふうだった。
六左衛門は容易に顔を見せない。同僚は佐久間伝蔵が堀□に特別に申し立てることがあって不快をがまんしてまで執務しているのかと思っていた。
そのうち午過ぎになって堀口六左衛門の伜、堀口貞五郎が何かの用事でひょっこりと顔を出した。
佐久問は貞五郎の顔を見ると、堀口殿、と呼んだ。この息子も親父によく似ているが、興奮した佐久間は貞五郎を見て六左衛門と見誤った。
貞玉郎が笑って首を振り、出ていこうヒするのと佐久間の身体がおどり上がった仰と同時だった。
貞五郎の首が血糊といっしょに畳の上に落ちた。佐久間は一刀流の使い手である。
妙な音が聞こえたので、高木平兵衛がのぞきに来た。その場を見て仰天し、遁げ出すところを佐久問はいきなり血刀を高木の肩先に喰い込ませた。
高木が脇差を半分抜いたままよろよろと倒れかかると、その右腕が肩□から削ぎ落とされた。
この騒動に他の同僚が駆けつけたが、佐久間伝蔵は二人を殺した刀を持ったまま血の海の中に立っている。
「佐久間、乱心したか」
と、一人が云うと、
.「乱心はせぬ。堀口一人を倒したかったのだ。堀口六左衛門を生かしておけば、奉行所の秩序
が立たぬ。」
と、謎のようなことを呟いた。
それから大勢の見ている前で、持った刀を逆に取ると、年番所の柱に凭れかかり、着物の袖を刀身に巻いて、切っ先を己れの咽喉に突き通した。
「佐久聞」
人びどが駆け寄ると、佐久間の咽喉と□からは血が噴出し、背中が柱を伝ってずるずるとすべり落ち、そのまま畳の上にへたりこんで果てた。
そのあとで、佐久問伝蔵が狙った堀口六左衛門が何も知らないで出勤した。
堀口は息子を殺されたが、己れは遅刻のために命が助かったのである。
検視の御徒目付には、佐久間伝蔵は発狂して刃傷に及んだと報告した。
殺された堀口、高木の二人は生きたままの体(てい)で駕籠に乗せ、八丁堀の役宅に送り届けた、
ほかの事件と違い、殺された役人を勤め先の奉行所から人目の多い昼間に出すわけにはいかないから、夜陰になって死体を搬出したのであった。
浜中三右衛門が深尾平十郎に聞いた一件を鳥居耀蔵のところにさっそく耳打ちに行くと、耀蔵には以上のように駕籠の正体が、御徒目付からの報告でわかっていた。
事件は、単に奉行所の下僚が発狂して同僚二人を斬ったというだけである。
直接には奉行の矢部駿河守の責任にはならない。
浜中三右衛門はせっかくの注進にもかかわらず、耀蔵が事件内容をこちらの知らないことまで詳しく知っているのにがっかりしたが、
「どうもちっとばかり筋が妙だな」
と、耀蔵はひとりで眼を光らせ、改めて考え込んでいた。
「御徒目付の報告には、佐久間伝蔵は気鬱でずっと引き籠っていたところ、久しぶりに出勤したそうな。
そこへ陽気の暑さが癒らない頭にきて、見さかいなく同僚を殺したというが、これは奉行所側の申立てをそのまま取り次いできただけだ。三右衛門、おまえ、この一件をほじくってみろ、あんがい、おもしろい筋が出るかもしれぬぞ」
.おもしろい筋というのはもちろん矢部駿河守の責任になるような事情が裏に伏在しているかもしれぬ、それを探ってこい、と耀蔵は云うのである。
「だいたい、わしはそのうち、そのほうを御徒目付に推薦しようと.考えているのでな。」
耀蔵はぽつりと云った。
「え、あの、てまえを御徒目付に?」
「うむ、せいぜい励んでくれ」
「ありがとうございます。このうえは身を粉にしましても・・」
御徒目付は働きの場のあるところだ。次第によっては、もつと出世ができる、
三右衛門は感激して耀蔵を伏し拝んだ。
「委細かしこまりました」
.勇躍して鳥居の屋敷から出た三右衛門の心当たりは、平十郎から聞いた林田治作という与カである。
浜中三右衛門は八丁堀の役宅に与力林田治作をしきりと訪ねて、南町奉行所の刃傷の一件の裏を聞き出そうとかかった。
そのたぴに相当な土産物を持参する。彼は傍杖を食って佐久問伝蔵に殺された高木平兵衛の遠縁薯だと名乗って面会した。
三右簡にして見れば、ここで鳥居躍蔵の点数がとれるかどうかの瀬戸際だから必死である。
与力というのは本来世襲制度だが、町奉行所付であつて、奉行に付いている役柄ではないから奉行が下知しても必ずしもそのとおりに働くということない代わり、素人が奉行に就任しても事務の上でまごつくということもなかった。
要するに組織の中の役目であつて、奉行と上下の人問関係はなかった。

与力林田治作は「あれは佐久問伝蔵の発狂」という一点張りだ。
気違いで片付けられると、刃傷の原因も遺恨の因果関係もないから、筋が掴まれない。
しかし、三右衛門はそれでへこたれなかった。彼は執拗に林田を訪ねていく。
普通の者が与力の宅を訪れるということは、そう珍しいことではなかつた。
大名屋敷や大身の旗本の邸内には種々と面倒な事件が起りがちで、先方ではそれを表沙汰にしたくない事晴もあって、与力に内密に探索方を依頼することがある。そんなときは、留守居や用人などが使いになってくるのである。
そんなわけで三右衛門の激しい出入りもそれほど目立たなかつた。
かなりの時日ののち、根気負けした林田治作がうっかりとと三右衛門に洩らした。
「下手人の佐久間伝蔵は、堀口六左衛門の出勤の日を前から気にしていて、凶行のあつたつい先日も、同役の台所からはいってきて確かめて帰った事実がある」
三右衛門は喜んだ。 倒す相手の勤務の日を確かめるくらいなら、もはや、佐久間伝蔵は狂人とはいえない。これは立派に計画的な犯行なのだ。
しかし、佐久間がなぜ堀口六左衛門を殺さなければならないかというところになると林田治作の口じゃ後悔したように閉じられた。
堀口六左衛門は定廻筆頭であるから、年番方下役の佐久間からみるとずっと上役だし、先輩である。
殺人の原因は同僚間の紛争とは思えない。これには複雑な奉行所の内部事情が伏在していることは明らかだった。
それは、事件のいっさいを「狂人の発作」に帰してしまっていることでもわかる。
浜中三右衛門はいちおう林田治作を諦めて、今度は殺された六左衛門の伜貞五郎の風評を近所から聞き集めた。しかし下手人佐久間のほんとうの遺恨の相手は父親の六左衛門であって、伜ではないから、ここからは佐久間との関係が出てこない。
だが、彼の執鋤な聞込みで、堀口貞五郎の葬式が出た日、彼の姉がこっそりとよそから帰って焼香をしたということがわかった。この姉なる女の身装など聞いているうちに、どうやら、大身の家に奉公している妾らしいとわかった。
三右衛門はふたたび林田治作のもとに戻った。彼は、貞五郎の姉、つまり六左衛門の娘がどこに奉公しているかをしきりと問い立てた。
すると、この前から三右衛門の襲撃に面倒臭くなっている与カは、ここでもつい本当のことを打ち明けた。
「堀口六左衛門の娘は、奉行矢部駿河守殿のお側に上がっているのです」
「なに、堀口の娘が矢部の妾に?」
三右衛門は眼を剥いたが、同時に心の中で歓声をあげた。
矢部の妾が堀口六左衛門の娘で、その六左衛門は己れの下役の佐久間伝蔵に狙われた。ここではっきりと、一件は矢部駿河守にも絡んでいると判定がついた。
だが、それから先の調査は、浜中三右衛門には無理だった。なにしろ、矢部駿河守の落度はないか探ってこいと耀蔵に云われて、やたらと数寄屋橋と八丁堀とを往復したような男だ。奉行所の絶対秘密主義の前には手も足も出ない。
しかし、被害者の身内が矢部駿河の妾になっているという事実を掴んだだけで、三右衛門は得意になって鳥居耀蔵に報告した。
「そいつアうめえものを拾ってきたな」
耀蔵も、顔色を動かした。彼は私邸で下の者に会うと、とかく遊蕩時代の伝法口調を使いたがる癖があった。
「よくやった。そのうち、また何か握ったら知らせてくれ」
耀蔵は聞くだけのことを聞いて三右衛門を追い返した。
鳥居耀蔵は、はじめから浜中三右衛門などに期待を置いてはいなかった。彼は、自分のもとにしっぽを振ってくる連中に適当に気を持たせて、何か拾ってくれると、それだけを自分の儲けにしておいた。
耀蔵は目付という役柄、いくらも部下を持っている。すなわち御徒目付、御小人目付などだが、こういう専門の者を使っていると、とかく人目について調査が進まない。彼はその定石をはずして支配違いの者を主として使った。支配勘定役の石川醇之丞などがそれである。
浜中にしても、石川にしても何とかして出世の手づるにありつきたいという心持で鳥居のいうとおりに密偵をつとめている。
鳥居躍蔵は、今度は石川を呼びつけて、さっそく、南町奉行所の一件を説明した。
「おれのところには当たりまえのことしか報告が来ていないが、さる筋から聞くと、下手人の佐久間伝蔵が狙った相手は、殺された堀口貞五郎の親父の六左衛門らしいということだ。この六左衡門の娘が矢部駿河の妾に上がっていることを突き止めた。どうも、このへんにからくりがあるらしい。ひとつ働いてくれんか」

それから半月ばかり経った。
本職は支配勘定役だが、さすがに探索には手馴れている石川は、さしもの難物を見事に聞き出してやってきた。
「刃傷の一件は、おめがねどおり、矢部駿河守に大いに関係があります」
「やっぱりそうか」
耀蔵は長煙管に煙草を詰めて、話を聞く身構えになった。
「そもそもは、矢部殿が小普請支配のとき、当時の南町奉行筒井伊賀守殿を蹴落として、あとに自分がなりとうて、いろいろと筒井殿の身辺を手探っておったそうで、今回の騒動もそこから出ております」
それを聞いて耀蔵がぎょっとなるかと思いのほか、吸口を含んだ彼の唇はにんまりと笑った。
矢部の立場と、いまの自分の立場とがまったく同じなのである。
誰の欲望も同じことだな、と耀蔵は肚の中で笑う。矢部も勘定奉行からはずされて、西の丸留守居、小普請支配と歩いているうちに町奉行を狙ったのだ。それで筒丼の落度を探っていたというのはおもしろい。
その筒井伊賀守は見事に追い落とされて、その後釜に矢部が現実にすわったのだから、矢部は筒井の弱点を見事に掴んだにちがいない。
「その筒井の落度とは何かえ?」
「ことは買上米不正に関っております」
と、石川嬢之丞は勢い込んでその事件を語りはじめた。
「買上米は南町奉行所与力仁杉五郎左衛門の一手扱いで、しかもその手限りのことになっていましたから、町奉行の筒井殿も詳しいことは知っておりませぬ。矢部殿は当時勘定奉行でしたが、買上米をするたびに不正があると睨み、その資金を出している御用達の者から勘定書控を内々に出させて、その書類を吟味しておったそうですから、早くからそのへんに気をつけていたものとみえます」
天保にはいってから飢饅が頻発し、そのたび江戸市民が飢餓に瀕した。幕府ではその救助策として遠国から米を江戸に運ばせていたが、これを「御救米」といった。
天保七年には幕府は御救米一万石を出して筋違橋外、和泉橋外に救小屋を設けて粥をほどこしている。小屋入りする者はやなぎわら五干人以上に及んだ。それでも柳原通りから浅草にかけて三十余人の餓死体をならべたほどである。
「そのうち、天保七年度の買上米は最も臭いと矢部殿は睨んだようですが、肝心の証拠が出て参りません。だいたい、これはもう四年も前の話なので、その古いことを洗うには、どうしても買上米の主役になっていた仁杉の口を割らせなければならないのですが、仁杉がそれを白状するわけがないので、矢部は、仁杉の下に使われていた佐久間伝蔵と堀口六左衛門とを誘ってみたのです。」
「なるほど」
「ところが、佐久問伝蔵はなかなかの堅造で、いくら金を掴ませて矢部の自由にはならなかったといいます。一方、堀口六左衛門のほうは、こいつは何とかなりそうだという見込みをつけて当たったのですが・やはり組頭の仁杉を庇って口を開きませんでした。だが、筒井奉行を蹴落としたい一心の矢部殿はここで巧いことを思いつきました」
「それが堀口の娘を矢部が妾にした件だな?」
「そのとおりです。堀口の娘を見初めたということにして、その親父まで手繰り寄せ、だんだんに都合のいいことを彼の口から聞き出してしまったそうです」
「なるほどな。で、その内情というのは何だ?」
「深川佐賀町の米問屋に又兵衛という者がおりまして、これに越後米を買わせにやったところ、番頭の手違いで廻船が遅れたため、大坂、仙台の買付米と入り船が重複いたしました。すると、そのままでは相場が安くなってたいへんな損がいくのを、その損金を又兵衛には出させないで、買上米の資金を出した御用達の仙波太郎兵衛という者に出させ、帳面を押しつけてしまったそうです」
「うむ、うむ」
「そこにもってきて、また越後に買米に行つた又兵衛の手代どもが向こうの女郎にうつつをぬかして三百両ほどの金の使い込みをやりました。仁杉は、その金も材木町の地廻米問屋孫兵衛という者に云いつけて地廻米を買い上げさせ、その値開きの金で帳面を合わせてしまったそうです」
「そうすると、又兵衛という奴は、廻船の遅れた科を免れただけでなく、手代どもの使い込んだ金の弁償までせずに済んだわけだな?」
「けっきょく、一文も損をせずに終わりました。この仁杉の取り計らいを町奉行の筒井伊賀殿は黙認し、知って知らぬ顔をしていたといいます。矢部殿は、その仁杉の手下についている堀口六左衛門から、とうとう、これだけの事実を聞き出したようです。つまり、堀口の娘を自分の妾にしたばっかりに内情がわかり、とうとう、目的を果たしたというわけです」
「それで筒井伊賀が責任を取らされたのだな?」
「矢部殿は上司として部下の不正な帳尻合わせを黙認していたのは筒丼殿の不届きである、というふうに上のほうへ吹き込まれたと思います」
上とは、暗に水野越前を指している。
「……その話は聞いていないでもないが」
と、耀蔵は急に知らぬ顔をして吐月峰に煙管を叩いた。
「そうか。裏にそんなカラクリがあったのか。で、佐久間伝蔵という男が堀口六左衛門を狙ったのは、どういう理由だ?」
「それはですな」
と石川濤之丞は眼の前の鳥届耀蔵が眼を輝かして上機嫌になっていくのをうれしそうに見て、説明を続けた。
「この買上米不正のことは、表沙汰にはされないで内々に済まされましたが、とにかくその責任を負って筒井伊賀は辞めざるを得ないところまで追い込まれたわけです。ただここに気の毒なのは仁杉五郎左衛門で、彼はこの不正一件の処分の犠牲になって入牢しましたが、ほどなく牢死を遂げたそうです。」
石川醇之丞は冷たくなった茶で唇を濡らした。
「佐久間伝蔵が腹に据えかねたというのはこの片手落ちの処分で、仁杉が深州佐賀町の米問屋又兵衛に損をかけさせなかったのは、これまで又兵衛がたびたび江戸に御救米を運んできた功労を考えていたからです。いわば、特別の気持ちで取り計らってやつたものを、誰かのために不正行為とキメつけられてしまった。そのために、自分をかわいがってくれていた仁杉が牢死をする始末になった、仁杉に私心があったわけでもないのにこういう非道に遭わねばならなかった、それもこれも堀口六左衛門が矢部殿の口車に乗せられてべらべらとしゃべったからだ、しかも堀口はほどなく定廻筆頭と出世して、密告の口を拭って知らぬ顔をしている、とてものことに秘密の多い奉行所でこのような人問を生かしておくわけにはいかない:…、これが佐久間伝蔵が堀口に刃
傷に及ぼうとした考え方だったようでございます」
石川濤之丞は一気にしゃべった。
「そうか、よくわかった」
鳥居耀蔵は酒を運ばせて石川の労苦をねぎらった。
「やっぱりおぬしでなければ将があかない。ほかの者ではとても手に合わぬ」
賞められて石川は杯を手に持って頭を深く垂れた。
「さように仰せくださると、まことに恐れ入ります」
「いやいや、わたしは人材主義だからな、旧いしきたりや、吝な慣習に囚れずに、役に立つ人物はどしどし登用したい」
「それはおてまえさまこそ第一でございましょう」
石川は即座に鳥居に追従を云った。
「うむ。……石川」
「は?」
「ここだけの話だがな」
耀蔵は声を低くして相手の心をくすぐるようなことを云った。
「おれはいつまでも御目付ではおらぬでな。そのうち、必ず上のほうへいく。いま、それをはっきりとは明かせぬが、まあ、見ておれ。ここ半年の問に、おれはある職に就く」
「それはおめでとうございます」
「そうなると、おぬしから頼まれていた一件もすらすらっと運ぶというものだ。何せ、おぬしのことは気にかかっているが、いまのおれの身分ではほかの者が煩そうて、やれ、先例がどうの、規格がどうのと吐かしおる。だが、今度の新しい職に就けば、もう、端の者につべこべは云わせぬ。きっと、おぬしを上のほうに取り立ててみせる」
「恐れ入ります」
石川は杯の上に涙をこぼさんばかりに顔を下げた。
「わたしもご奉公に上がったからには、働き甲斐のある役目に就きとうございます」
「それだ。お互い、実力のある者は、とかく今のぎ遂では満足せぬものだ。:石川、おれはおぬしを今後おれの右腕になる人間だと思っている。いいな?」
「忝うございます。お手前さまのためなら、死んでもくちおしゅうございませぬ。」
石川が喜んで帰ったあと、鳥居耀蔵は暗い庭へ出た。

「武家編年事典」 稲垣史生
「武家編年事典」にも奉行所内の刃傷事件について比較的詳細に掲載されている。三田村鳶魚の文献「捕り物のはなし」からの引用である。
 特徴としては、一般に評判の良い矢部駿河守を策謀家としてとらえていることである。刃傷事件のあった6月に既に五郎左衛門が獄死しているなどという前後関係の間違いもあり、100%信用できる内容ではないが、よく読んで見ると多くの小説、文献のもとになっていることがわかる。

しかし、そんなことをされて合点のいかぬ佐久間伝蔵という者がある。仁杉の取計らいは、買米にに就て相当骨を折った又兵衛に大損をさせたくないという考えから、帳づらを押し付けさせたので、別に悪意はなかった。だから筒井も何もいわなかったのだ。然るに自分と一緒に仁杉の下にいて、万事一緒にやっていた堀口が、利欲のためとはいいながら仁杉を出し抜いで筒井を凹ます材料を矢部に与えるとは、いかに不人情である。ああいう人非人と同役では自分も油断がならぬ。何時どんな目に遭うか知れない。これでは秘密の多い町奉行所の用事は出来なくなってしまう。後来のみせしめに、ひどい目にあわせてやらねばならぬと決心した。
 そのうち仁杉その他は入牢したが、仁杉は牢の中で発病、宿預けになって申し渡しもない間に死んでしまった。佐久間伝蔵の年来の情誼もあり、仁杉の最期の気の毒なことを今さらのように感じたから、憎む心がますます強くなった。
 堀口も佐久間も年番方下役(会計係)というので、同じ役を勤めていた。
 天保12年6月29日、ちようど矢部が町奉行になって3け月目、伝蔵は年番所へやって来て、堀口の来るのを侍っていた。ところが、どうしたのか堀口が出勤しない。昼すぎになって吟味方下役に出ている堀口の倅の貞五郎が、何の用があったのか出て来た。それを見ると、佐久間は一刀の下に首を打ってしまった。
 続いて出て来た高木平次兵衛をも斬った。この高木は、堀口のために矢部に渡す資料を蒐集する手伝いをした者だ。変を聞いて伝蔵の弟の相場某が駆け付けて取り押さえようとする間に、伝蔵は年番所の柱に寄りかかったまま咽喉を突いて落命した。そのあとへ目指す堀口が出勤したので、遅刻したために刃傷を免れることが出来た。
 この変事を聞いて御徒目付が検視に来たが、矢部が筒井を追い込む資料が刃傷の基になったことを隠して、伝蔵は多分発狂したものであろうと言い切った。
 時に御目付の鳥居耀蔵は、かねて仁杉の不正を知りながら一件物である堀口や佐久間を捨てておくのを見て、矢部の取り扱いを変だと思った。こう睨んだのは、鳥居が町奉行になりたいから、矢部を蹴るつもりなのだ。
 鳥居は御徒目付を使ってすべてを知り、これこれのことがあるから油断がなりませんと、盛んに水野越前守に吹きこんだ。水野はこれを受入れて、天保13年3月21日、町奉行就任以前、支配違いの者と申談し、筋違いの取計らいをしたという理由で、矢部は在職わずか9力月で伊勢の桑名へ御預けになってしまった。それだけではなく、鳥居はさらに手を廻して、佐久問の女房を使って水野越前守に駕寵訴をさせ、矢部が勝手なことをしているのを裏書きさせた。矢部にはまさに、人を呪えば穴二つの結果になった。
                        (三田村鳶魚・捕物の話より)