独り言


2025.11.24  休日当番
久しぶりの休日当番に当たりました。大体、1年半に1回くらい回ってきます。
インフルエンザの流行時のため多分混雑するだろうと予想していましたよ、本当に。 

検査キットもふんだんに準備して。
電話担当も配備して。 

来ましたねえ。
市との取り決めで、朝9時から12時までの3時間の任務なんですが、終わったのが15時過ぎ。
僕もスタッフも昼食も摂れず。
トイレに行くのと水分を補給するだけの過酷な労働となりました。 

殆ど(90%以上)が上気道炎症状で、検査を希望される患者さん。
検査陽性率は80%以上でした。
コロナはゼロで、インフルエンザばかり。
家庭や学校でインフルエンザの人がいて、時間を置かずに発熱していたら、
「もう検査は省略しましょう」
と言って、みなし陽性にしちゃった患者さんも何名かいました。 

家族3名で受診された場合なんかも、代表者のみインフルエンザの検査をして、その人が陽性なら
「皆さん陽性としましょう」
というケースもありました。 

普段、発熱外来は人数を絞って(枠を設けて)やっていますが、今日は無制限。
こんなにも熱を出している患者さんがいるなんて…。 

仕事が終わり、暫くは院内に残り、薬局や患者さんからの問い合わせの電話を待っていまして、クリニックを出た時にはもう日が暮れておりました。 

スタッフが感染していないことを願っております。
僕は多分大丈夫。開院して以来、インフルエンザに罹ったことないから。

2025.11.22  野蛮人
皆さまはこの言葉にどういうイメージをお持ちでしょうか。
アマゾンやアフリカの奥地に生息して、文明を持たず、狩猟を生業として、怪しげな宗教や呪術、生贄をささげるような人々。
そして、仮面を被り下半身は布っ切れ一枚で上半身は裸みたいな恰好。
文明社会とは隔絶した世界に住んでいる住民といったイメージでしょうか。 

以前、オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を読もうとしたことがありました。
結局、読破できずに諦めてしまったんですが、今少しわかるような気がしているものが、「野蛮」なんですね。 

テロやジェノサイドというものが収まらず、〇〇ファーストみたいな対立、分断を引き起こしているものの元凶は、
「純血」とか「純粋」というものではないかと。

同質な者たちだけからなる集団(閉鎖的な集団ですね)が自分たちとは違う異質な人たちとの対話を拒み、排除して、
コミュニケーションを図ろうとしないことがよく見られます。
 

そして、同じ民族、同じ宗教、同じ言葉をしゃべるというような同一性、同質性の高い集団はいずれ細分化されていきます。
そのうち同じ政党を支持するか、同じ知的水準を持っているか、同じ経済状況なのか。
次々と同質性を求めていきます。
そこには自分の仲間に向けた親密感、一体感と他者への排他性、拒絶感が生まれるんですね。

文明社会っていうのは本来、自分とは違うものを受け入れ、コミュニケーションをとることで共同体を形成していくわけですが、
それが欠けていることをオルテガは「野蛮」と言ったわけです。
 

野蛮な時代とは、人間が分散する時代であり、互いに分離し、敵意を持つ小集団が蔓延る時代である。 

野蛮人、結構いるんじゃないですか。ワシントンやイスラエル、永田町にも。 

 

今日はほとほと疲れました。
昼食に出かける気力も失せて、患者さんから頂いたみかんを食べて、競馬を見て過ごしました。
夜はカウンターでマスターに愚痴をこぼしながらカレーを食し帰宅。

平日に来れば待たずに済むのになあって。
土曜日にしか来れない患者さんは仕方ないんだけれど。 

あと、靴の間違いが立て続けに2件。
ご自分の靴の履き心地ってわかるはずなのにって、自分だけなのかなあ。
連絡してもナシのつぶて。

その他にも。
うちでは血液検査の結果は当日出ません。
翌日に判明するのですが、とんでもない結果が出るケースが年間数例あるんですね。
そういう場合、患者さんにお電話してすぐに対応することになるのですが…。
昨今、詐欺の対策で特に高齢者は警戒されています。
知らない番号には出ないって。
不幸にもクリニックの電話番号を登録していない患者さんに緊急の電話をかけても出てくれないんですね。
すぐにでも大きな病院に受診してもらいたくても連絡ができない事例がありまして。 

できればクリニックからの電話には出て欲しいなあ。 

2025.11.17  京都
「そうだ、京都に行こう」
というわけでもなく、以前から決まっていたもので、休診にして秋の京都へ行っていました。
コロナ前には何度も行っていたのですが、本当に久々の京都の旅。

トロッコ列車、保津川下り、貴船と鴨川の川床を楽しんだ夏の京都(職員旅行)はもう何年も前で、秋の京都は35年ぶりくらいでしょうか。
日本人より海外からの観光客の方が多くなっているといわれていましたが、正にその通りでした。
あちらこちらから外国語が飛び交い、自分たちの方が異国にいるかのような雰囲気。

京都駅の南側(八条口)はそれほど変わっていなかったのですが、北側(烏丸口)は昔の京都らしさが消えていたように感じました。 

清水寺の近くの式場では生涯最後となるはずの燕尾服に着替え、用意したカンペをつっかえつっかえ、声を上ずらせながら読んできました。

ああいう場面でちゃんとスピーチできる大人になりたかったけれど、自分には難しかったようです。

2025.11.08  流行語大賞
インフルエンザが流行しています。
A型だけでなくB型も出ていまして、朝から電話が鳴りっぱなしです。
発熱外来の枠はあっという間に全て埋まってしまいます。
かかりつけの患者さんの検査希望にも応えられず、誠に申し訳なく思っております。 

今週は恒例の新語・流行語大賞候補がノミネートされておりました。
今年はスポーツ関連(特に野球)が一つもなくてちょっと拍子抜けです。
やくみつるさんなら「ドジャース」関連ものを入れてくるかと思っていたんですけど。 

そして、知っているものが半数くらいで、「本当に流行したのかな」って懐疑的に見たものですが、
やっぱりおじさんは流行から取り残されてるみたいです。
 

大賞の予想でもしておきましょう。
ミャクミャク、国宝、クマあたりかな。
政権に忖度するなら女性首相関連で。 

流行語でも流行歌でも昔(340年くらい前まで)ならあらゆる世代で認知されていたものです。
しかし、現代ではある世代、ある階層では爆発的に流行るんだけど、それを外れた人々には全く認知されないっていうことがよくあります。
マーケティングでも幅広くカバーするような商品を作るよりもターゲットを絞った方が良いという考えがあるようですね。
ニッチなもの、オタクなもの、尖ったもの、そんなところから攻めていって話題性を獲得していくという戦略でしょうか。
多くの場合、そのターゲットに男性(特に高齢の)は入ってないようです。

まあ、いいんですけどね。

2025.11.03  連休やさかい
秋の好天にも誘われて、どっかに遊び行こうって思わないこともなかったのですが、結局クリニックと家の往復。
クリニックではずっと書類書きをしておりました。
同業者(特に内科の先生)にはとかく評判の悪い、例の書類です。
インクと紙の無駄でしかないんだけれど。

しかしですね、お国からは「定期的に渡すんだぞ」と厳命されているものですから。
何か月か毎にまとめて下書きをしているわけで、今月がそれにあたってしまっています。
電カルだとコピペができるそうですが、うちは全て手書き。
カルテを引っ張り出して、名前、生年月日、データを書き写す作業をしております。

土曜日から昨日、今日で全体の2割程度を済ませましたが、平日も朝と昼休みと診療後にちまちまやるしかありません。
厚労省のお役人って、無駄な事、無駄な仕事を作ることに関しては卓越した才能を持っているようです。
無人の診察室でひたすら書類を書いているのって、自分で掘った穴をもう一度埋めなおすという拷問(囚人の穴掘り)みたいなものなんですけどね。
ポールニューマンの「暴力脱獄」でしたっけ? 

 

インフルエンザが流行っています。
土曜日の発熱外来患者さんは全てインフルエンザA型でした。
幸い、治療薬がありますのでそれほど重篤になることはありませんが、患者さんの辛そうな表情を見るとなんとも言えない気分になるものです。 

医療の本来の業務って、患者さんの診察や治療であるべきで、決して書類書きじゃないんですけどね。
これには勤務医の先生も同意してくれるんじゃないかと思っていて、
一人の患者さんが入院して退院するまで何枚の書類を書かせるねん。
各種同意書、検査説明書、治療計画書、退院指導書etc. 
その他にも紹介状、返信、退院サマリー、診断書もわんさかありますもん。
病院は入院日数を短くしてベッドの回転率を上げろって言いますから、ますます書類を書く手間が増えるっていう寸法。 

解決策はあるのかって。
ここはAI先生の出番かな?
他には医療秘書(医療クラーク)さんを大勢雇う。
っていうところが考えられます。
しかし、お金がかかるんですね。
これには診療報酬を増やすことが必須ですけど。
高市さんには期待してもいいのかな? 

うちはどこまでもアナログ路線ですから、AI先生もいないし、秘書さんを雇う余裕もなく、院長のタダ働きにかかっております。

2025.11.01  あと2か月
11月に入りました。
今年もあと2か月。
自分の親も今日一つ年をとり、僕も今月一つ年を重ねます。

とっくの昔に惑わなくなり、既に天命を知り、最近では耳順うようになってきたかなあ。
確かに、他人の意見に対しいちいち反論することもなくなったように感じます。
でも、内心は心穏やかじゃないですよ。
そういった面ではまだまだ未熟かな? 

患者さんにはよく言います。
70歳代までですよ。元気でいられるのは」
80歳を過ぎたらやりたくてもできないし、行きたくても行けなくなりますよ」 

うちの親を見ていてもそうでした。
80歳を過ぎて両親(特に父親)を連れ出そうとしても
「家がいい」って言ってどこにも出かけなくなりました。 

60歳代は自分や連れ合いの親の介護があったりします。
また、孫の世話に奮闘している方もいらっしゃいますね。
70歳を過ぎるとある程度自由になりますね。
ここが最後のチャンスだと思うんですね。
経済的にも時間的にも余裕があって、足腰もまだ何とかなるんです。
人生には限りがあります。
さあ、楽しみましょう。 

 

言葉遣いについて。
若いビジネスパーソンとの会話で凄く気になる言い方があるんですね。
自分が年を取ってしまって単についていけてないだけかもしれないけれど。 

其の一、「ありがとうございます」地獄。
こちらが何か質問をしたりすると、
「ありがとうございます」
の一言から始まります。
別にあなたに感謝されるようなことを訊ねてないし、ダイレクトに、
「それはですね、〇〇なんですよ」
と答えて欲しいですね。 

其の二、「させていただきます」の押しつけ。
「この度、〇〇という製品を発売させていただくこととなりました」
「〇〇の会を始めさせていただきます」
みたいな。
こっちの許可を得なくちゃダメなわけでもなく、そちらの都合でやっていることなんだから。
「発売いたします」、「始めます」で良いと思うんですね。 

其の三、「よろしかった」のシャワー。
電話の営業でよく使われるフレーズでして、
「〇〇でよろしかったでしょうか」
どうして過去形?
何度も言われるから
「よろしいです」と切れ気味に返事をしたこともしばしば。 

其の四、「めっちゃ(めちゃくちゃ)」の嵐。
これは営業の方は使いません。
若者が使うのはまあね、流行り言葉として使ってるんでしょ。
しかし、大の大人(5060代)が使っていると、何だか軽薄な感じがしてしまうんですね。
自分の語彙の貧弱さをさらけ出しているように感じてしまいます。
そこはやはり、「とても」や「凄く」を使って欲しいな。 

レストランで食事をしていることを想定してみましょうか。
「めっちゃうまい」
「とっても美味しい」
どちらの言葉を使う人とお付き合いをしたいかっていう話。 

あと、どうでもいいことですが、
芸能人同士の交際の時に用いられるフレーズで、
「真剣交際」
真剣じゃない恋愛もあるのかなあ?
それはただの遊びだったり、お試し交際ってこともあり得るから?
今回はそんなんじゃないよっていう無意味なアピールのように感じちゃうんです。 

最後に、
「世界の真ん中で咲き誇る」
誰かさんの所信表明演説。
世界の真ん中ってどこ?
比喩なんでしょうが、何をもって咲き誇ろうとしているのかよくわかりません。
経済的にはGDP順位は凋落の一途で、政治的には国際的に注目される発言もなく、アメリカの腰巾着(言わば植民地)です。
「日本凄い」って言いたいのはわかるんですが、それは自分でアピールするのではなく、
他人(他国)から「日本って凄いね」って言われてこそ、咲き誇ることになるのではないかと思っています。



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