独り言


2024.09.28  新聞のこと
やっと朝晩が涼しくなってまいりました。
朝、クリニックに着いたら窓を全開にして涼しい空気を入れることにしていますが、
ものの30分もしないうちに
「何だか暑くなってきたぞ」となり、エアコンのスイッチに手が行くんですね。
まだまだ秋本番には遠いのかな。 

朝やることと言えば、パソコンやレセコンの電源を入れて、メールチェックやデータチェックをすること以外に、
新聞を読むことも重要なお仕事になっています。

今や大谷の広報誌となった感のある日刊スポーツは殆ど読むところがなくなってしまいました。
だって、連日一面は大谷なんだもん。 

昔、デイリーを購読していたころは、何があっても一面は阪神だったようなものです。
なぜタイガースファンでもない僕が律儀にデイリーを買っていたかって?
勝負に勝つためには相手を知ることが大事だったから。(違います) 

勤務先の医局には報知とスポニチと日刊とサンスポが置いてあったので。
それにそれぞれの一般紙もあったので全ての新聞を読むのはとても大変でした。
でも、デイリーは競馬欄(特に関西馬情報)が充実していて良かったですね。 

デイリーは買えても流石にトーチュウまでは買えませんでした。
そのトーチュウも廃刊になるそうです。
毎日新聞が富山での配送を休止するとか、東京新聞の夕刊が23区以外では配達中止になるとか、
紙媒体がどんどん衰退していくことは寂しい限りです。
 

新聞を読むという習慣は今の30代以下の世代にはもうなくなっているんでしょうかね。
若い世代だけでなく、50代、60代でも新聞の定期購読をしている人は少なくなっています。
1020年後、定期購読してくれている高齢者層がいなくなると新聞の発行部数って今の半分以下になるんじゃないかと予想しています。 

そうなると、もうビジネスとしては成り立たないと思います。
そして、最後まで残るのは聖教新聞、しんぶん赤旗、読売新聞くらいかなあ。
それぞれどこかの広報誌として。 

新聞を読まなくなった原因は世論調査でも明らかなように、
・ネットで情報にアクセスできる、それも新聞よりも早く
・自分に必要じゃない情報をお金を出してまで読む必要はない
・そもそも高い
などが挙げられています。 

個人的には国民の心性というか、考え方が変わってきたせいではないかと思っていまして。 

・教養や知性というものに対する畏れ、敬意の欠落
・正論に対するシニカルな見方が蔓延る風潮
・多面的な思考を忌避する態度  など 

あと、文字を読む、特に長文や論説文を読解する能力が低下しているように感じるんですね。
だから新聞を読まない(読めない)、本を読まない(読めない)人が増えてきたんだと思っています。

2024.09.23  いつもの
土曜日のお昼は専ら外で食べていて、大体お決まりの所なんですね。
(時にはカレー屋、混んでたらコンビニへ)
そこへ行くと、いつものメニューを注文しています。 

できるだけ混んでいる時間帯を避けるから、どうしても2時頃になります。
流石におばちゃんには顔を覚えられてしまい、
最近では、「いつもの?」って聞かれるようになりました。 

色々バリエーションをつけたいと思っているんですが、7割がたいつものやつ。
時々別のものを。 

元来天邪鬼な性格なので、先に「いつもの?」って聞かれたら、わざと違うものを注文してしまうところがお子ちゃまですね。 
聞かれなきゃいつものを注文するのにね。  

「いつもの診察ですか?」
と聞かれる患者さんは多いと思います。 

スタッフには患者さんの顔と名前をきちんと覚えるようにと言ってありまして。
こう聞かれた患者さんは常連さんと認識されたと思ってくださいね。 

 

92回目の連休は大人しくお墓参りに行ってきました。だって、お彼岸ですもの。
そしてやっと涼しくなってきました。 

中国深圳での日本人殺害の事件で感じたこと。
発端には反日感情が引き起こしていると多くの日本人は思っているようです。
(中国政府は「偶発的なもの」と言ってますけどね) 

だから日本政府は中国に対し、何らかの対策を講じろと働きかけをしています。
果たして中国は何か有効な対策を打ち出すでしょうか?
しかし、期待薄だと思っています。 

翻って、日本で起きている北朝鮮や韓国に対するヘイトスピーチ、中東の外国人に対する排外的な動き(活動)が問題になっています。
その国から異議、申し立てがあった場合、日本政府は何かやってますか? 

ふとそんなことが頭をよぎったものですから。

2024.09.21  体験
この年まで「被爆体験者」という存在、そしてその言葉さえ知らずにいました。
でも、その言葉を聞いた時、何とも言いようのない違和感を覚えたものです。
被爆体験者は被爆者とは違うという解釈がその違和感を一層増幅させました。 

それはなんでだろう?
やはり「体験」という言葉にあるのではないかと思ったんですね。 
「体験する」というのは、実際に生身の身体が、対象となるイベントに参加する、身を置く、目にする、聞く、触れるというものだと認識していました。 

バンジージャンプを体験する
自動運転を体験する
看護師の業務を体験する
3D映像を体験する
体験入部する
など、色々あります。
これらは主に能動的に(自主的に)といったニュアンスがあります。 

予期せずに、図らずも体験するものは大体が「事故」と呼ばれるものでしょう。
そして、その時被害者や加害者に、目撃者にもなりますけどね。 

被爆を体験するということは決して自発的に、積極的に「体験した」わけではなく、「不幸にも」という意味合いが強いと思います。
だから、体験者というよりも被害者といった側面が大きいように思えるんですね。
それに被爆を体験したというのであれば実際に被爆したことになりませんかねえ?
だって、体験したんでしょ、身体ごとそこに(現場に)いたんでしょ。
という論理が成り立つと思うのですが。 

そもそも国の決めた境界線(爆心地からの距離と行政区の区分け)が実情に合わなかったせいでこんな不幸な事態が起きたらしく、
被爆体験者なんて何だか無理やり付けた名称のように感じるんですね。
 

そして、体験者にされた人もきちんと被爆者として認定されることを願っています。

2024.09.15  乱立
自民党の総裁選びでメディアは賑わっていますが、本命っぽい人気者が選ばれてしまったら日本はとんでもないことになるような気がしてなりません。
自民党的には選挙に勝てて安泰かもしれませんが、国民にとっては絶望的な事態に陥るんじゃないかと危惧しています。
クールでセクシーな社会って。 

日本医師会は自民党の応援団みたいな組織ですが、国民から、そして医療機関からもすこぶる評判の悪いマイナ保険証の制度を見直してくれる候補者を推してくれるといいんですけどねえ。
僕は党員でも何でもないけれど、個人的には某デジタル大臣なんて絶対にダメだと思っております。
他にも、ご飯論法で有名になった人も勘弁してもらいたいところです。
「意外と〇〇」というお方や「△△△あれば憂いなし」なんていう方もね。 
一番まともなのは林さんかな?って思っているんですが、さてどうなりますことやら。 

かつて、政治家に倫理とか良識を求めるのは八百屋で魚を求めるようなものだと言われましたが、せめて少しだけましな人が総理になってほしいところです。 

連休だったのでナイトゲーム(ナイター)を観に行ってきました。
普段、デーゲームしか観に行かないんですね。
チケットをただでくれるからとか、大谷の出る試合だからって言われてもナイターは次の日が休みじゃなければ行きません。
もうそんな年じゃなくなっちゃったんですね。 

昔(ほんの40年前)だったら、朝まで麻雀やってましたよ。
次の日が授業でも、
「授業なんて休めばいいじゃん」、「2時間くらいなら眠れるだろ」とか、悪友が囁くんです。 

研修医の頃だって、23時までお姉さんのいる店で飲んでいましたから。
これは上の先生がいる手前、若手は先に帰ることができなかったんです。
でも、断り上手な先生は、
「明日の朝、負荷試験があるので帰ります」って12時頃に帰ってましたけど。

負荷試験って大体が67時頃に患者さんのベッドサイドに赴き、血液検査をやるんですね。
これ看護師さんは決してやってくれませんでしたから医者が全てやる約束になっていました。
(一応、早く帰るための大義になるんです)

3時までお店にいて、翌日7時頃から通常業務するのってやっぱり若いからできたんでしょう。
(昔は患者さんの朝食前に回診をしていました)

当直明けでそのまま仕事をするのもきついんですが、お酒が入っているというのも結構きつい。
「早く帰りたいなあ」って思いながら飲む酒って決して美味しくないですよね。 

昔話はこのくらいにして。

ナイターは6時始まりで9時過ぎまでかかります。
ヒーローインタビューなんかも聞いていると結構遅くなります。
電車を乗り継いで帰ると11時過ぎになりまして、老体にはもう無理ですね。
普段、95時の生活(21時に寝て5時に起きるという意味ね)をしてる僕にとっては今シーズン初の、
そして最後のナイター観戦でした。
 

阪神が怒涛の勢いで来ていますので一気に逆転するような気がします。
そうなればシーズン前の予想通りの結果となります。(悲しいけれど)

2024.09.07  金曜日の事
今週、午前中だけ休診という不思議な体制がありました。
知らずに来てくれた患者さんが何人もいらっしゃったことは薄々感じていました。
だって、僕は院内にいたんだから。
実は3か月ほど前に、「この日に行くよ」と通告され、そのお客さんのお相手をしていたんですね。 

こういう仕事をしていて非常に嫌なものって、
個別指導、行政監査、立ち入り検査、税務調査などではないでしょうか。
別に疚しいことはしていないのに何故か心がかき乱されます。 

今回、立ち入り検査なるものが行われました。
別に悪いことはしていないのですが、定期的に(6年おきくらい)行われます。 

厚労省の通達を守っているかどうかを確かめられるわけです。
事前に(確か6月だったかな)保健所からお知らせが来まして、そこから一気にブルーな気持ちになってしまったんですね。
日々の診療の中、厚労省の通達の一つ一つを確認し、それを実直に行動に移すことをやっていなかったつけが回ったというわけです。
資料を作り、整理し、記録を残すという膨大な作業が待っていました。 

コロナ患者の発生届、コロナワクチン、発熱外来で振り回されている間も、
医療安全対策、感染対策、医薬品管理、医療機器管理、放射線管理などをしっかりやってね。
当然、職員への研修も忘れずに。
なんて言われたら…。リンダじゃなくても困っちゃう。 

それに、以前より格段にチェック項目が多くなっているんですね。
「そんなことまで?」というものを重箱の隅をつつくような感じとでも言いましょうか。  

元来、整理整頓が苦手な僕はこの作業がとても苦痛で、気分も抑うつ気味になっていましたね。
7月頃、院長はとても不機嫌じゃなかったですか? 

物事を規則通りに行い、改革を進めることで医療を良くしていこう。
そのメッセージは確かに正しいのかもしれませんが、個別の事情を斟酌せず、がんじがらめの規則で縛るやり方ってどうもいけません。
通達に次ぐ通達で自由度が狭まっていく様は、文科省の教育現場への締め付けにも似ている感じです。 

しかし、今回の立ち入り検査においては終始和やかな雰囲気で終了しました。 

行政の検査、査察、指導というものに対する我々下々の抱いている印象は、
「とにかく細かく、ネチネチと、冷たく、厳しく指摘してくる」
といったものではないでしょうか。 

規則通りにやっていないこと、不足していること、こちらの落ち度を指摘する、言わば減点方式で厳しい検査官によって虐められる。
そういう気持ちでびくびくしながら待ち受けていました。 

ところが、今回の保健所の方は全くそうではなく、
我々が取り組んできたこと、やっていることを評価するというポリシーで、こちらがわからないこと、困っていることに対して、
「こういう風にやればいいんですよ」
「他のクリニックではこうやっていますよ」
「コロナで大変だったですよね」
などと、上意下達で指導するというより、同じ医療を行っている同志という雰囲気を醸していました。 

ただ、いくつかの点においては、
「これはまずいですね」という指摘もありましたが。 

約一時間があっという間に過ぎ去っていました。
この間、僕一人で応対したのでお茶も出してあげられず、そこは大きな反省点でした。



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