独り言
2024.08.31 台風
今度の10号は九州から四国を抜けて西日本を中心に大きな被害をもたらしているようです。
うちの実家にも念のため安否確認をしましたが、全く問題なかったようで一安心。
近くに山も川もない田んぼの中の住宅地ですから、被害があるとすれば暴風によるものでしょう。
しかし、停電や断水もなく、食料も確保してあったようで心配して損した気分。
子供の頃よく行った駅館川が増水して、テレビのニュースでもその映像が流れていました。
あれはあの辺かな?って思いながら見ていたんですね。
それにしても最近のテレビって、何だか凄く親切に視聴者のことを気遣ってくれます。
台風の時はああしろ、こうしろ、あらゆる準備を怠らずに最悪を想定しろとか。
少子化で子供が少なくなっているにも関わらず、まるで子供に言い聞かせるように注意してくれます。
大人なら自分で判断して自分で行動するでしょう。
年ばっかり食って、自分で判断し、行動できる人が少なくなったんでしょうか。
そんなの成熟した大人とは言えないと思うんですけど。
「あの時言ってくれたらそうしてたのに」
「そんなことになるって言わなかったじゃないか」
と、言われたくないっていう意識が出すぎているように感じています。
他責社会って言うのかな?
転ばぬ先の杖が多すぎ、自分の足で歩きなさいって。
そして、今日で8月が終わりました。
夏休み前の何となく浮ついた気分、暑くて暑くて死にそうだった熊本も遠い昔のように思えます。
コロナコロナの発熱外来も少し沈静化してきていますし、平穏な9月が迎えられると良いんですが…。
2024.08.24 似てる?
小林鷹之氏、石丸伸二氏、斎藤元彦氏、ついでに小泉進次郎氏、吉村洋文氏、何となく同じ匂い(雰囲気)がするんですけど。
小泉さんは知的な要素としては違うかな?(失礼を承知で申し上げています)
つるんとしたイケメンで、人気はあるんでしょうが、強権的で優しさを感じさせない冷たい感じっていうのかな?
自分の意見と異なる人を相手にしない、排除するという感じがするんですね。(違ったらゴメン)
そう考えると、小泉氏は違いますね。
そもそも自分の信念(ビジョン)というものを主張したことがないし、なんのためにそこにいるのかもよくわからない方ですし。
選挙の時に大活躍する方という認識です。
今回は神輿に乗ってしまって、さあ大変。
政治家って本来は公人です。
彼ら彼女らは自分を支持してくれる多数の人の信託を得て当選するんだけれど、支持層だけに向けた美味しい政策を採るのであればそれは私人と同じですよね。
公人であれば支持してくれなかった人にも嫌々ながら、渋々向き合っていかなければならないと思っています。
だって、選挙で100対0で勝ったわけじゃないでしょ、もしかしたら51対49の僅差で当選したかもしれないじゃない。
おまえらは負けたんだから俺の言うことを聞けっていうのは傲慢すぎますね。
また、選挙で勝った負けたということと、政策の良し悪しは本来違っていると考えるべきと思っています。
「市場は間違えない」というのは市場経済では成り立つ論理です。
ダメな商品はマーケットが見向きもしないので売れなかった、売れなかったものは退場するしかないということは正しいかもしれません。
しかし、政治の世界は違います。
政策が全く取るに足りないものでも、政党名や本人の見た目や知名度やパフォーマンスで当選するのが選挙っていうものです。
かつて、勝ったのは正しい政策を掲げたからだ、負けたのは間違った主張をしたからだという誰かさん(元大阪府知事)のお話はとても危険だと感じたものです。
「負けた奴の意見なんて聞く必要はない。だって、多数決で支持されなかったんだから。」
というロジックがまかり通ることになったら世も末でしょ。
「強権であることはリーダーシップがある」と、はき違えるような風潮、それを受け入れるような民衆って、何だか不気味な感じがしてなりません。
それから、選挙とは全く無関係なんですが、
「私、失敗しないので」
「私の言ってること間違ってる?」
なんて断言する人(断言できる人)とはちょっとお付き合いしたくないですね。
自分は不完全で、未熟で弱い人間であることを自覚し、相手に敬意を払い、譲歩できる寛大な心を持っている人が増えてくれればもう少し愉快な社会になると思うんですけどね。
そして、自分もそうなれるよう努力するのは言うまでもありません。
2024.08.17 休み明け
先ほどまで早稲田実業vs大社の高校野球を見ていました。
誠に良い試合でしたね。
島根県代表がこんなに強いとは…、お見それしました。
長い間高校野球を見てきましたが、島根県代表は浜田の和田、江の川の谷繁、開成のジャイアン白根くらいしか知らないんですね。
いつも1回戦で負けているイメージが強くてね。(失礼)
これでベスト8が決まりました。
当初の予想とは大分違った顔ぶれとなりまして、報徳、桐蔭は早々と姿を消してしまいました。
広陵や明徳はちょっと厳しいという見立て通りの結果でしたけど、山田と相模は下馬評通りの強さを見せています。
注目選手は健大高崎のキャッチャー箱山君でしょうか、身体能力の高さは抜けているように感じました。
DeNAにドラ1で指名された大阪桐蔭の松尾君も良かったけれど、彼と遜色ない能力を備えていると思いました。
1日おいての準々決勝ですが、僕はここでお腹一杯なので一旦視聴終了となります。(チラッとは見るけど)
診療は昨日からフルスロットルでして、患者さんからは「頑張ってくださいね」なんて声掛けされましたから。
これが毎日続くかと思うと体も心も萎んでしまうんでしょうが、期間限定ですから大丈夫。
そして、休み中に増えた体重は順調に減らせていまして、あと1週間も節制すれば元に戻りそうです。
しかし、どうして親はいつまでも子供は一杯食べるものと勘違いしてしまうんでしょうか?
たまに帰ってくる子供のために、色々ともてなしてくれるのはありがたいのですが、もう成長期じゃないんだからほどほどで良いよね。
それでなくてもコレステロールが高めなんだから。
そういえばどさくさに紛れて岸田さんが次の総裁選には出馬しないと表明していました。
果たして看板の架け替えはうまくいくでしょうか。
でも、「刷新感」をアピールするだけで世間は騙されちゃうんだよなあ。
中身は全く変わってないし、変えようとしない体質は旧ジャニーズとおんなじって言うと叱られちゃうかな?
「スピード感」という言葉も同じで、「雰囲気」、「何となく頑張ってる感」を醸す言葉ですよね。
例えば、心筋梗塞の緊急カテーテル治療を行う時、脳出血の治療を行う時、
「スピード感をもって治療にあたります」
って担当医に言われたら皆さんどう感じますでしょうか?
「感」じゃなく、「今すぐやります」って言ってくれよって思いませんか?
そこで本質を質すことをしない新聞をはじめとするマスコミの罪は大きいと思っています。
政局中心で、誰が推薦人を集めたとか、誰と誰が食事をしたとか、誰と仲が良い、悪いとか…。
大事なのはこの人の政治信条は何か、国の課題をどう解決していくのかってことを取材し、国民の前に提示することだと思っているんですけどね。
2024.08.15 夏休み2024 その2
夏は地元に残ったかつての友人たちと食事会をするのが恒例となっていまして、
今回はニューフェイスも参加してくれました。
家業を継いでいる専務(副社長?)
県職員
地元中学校の校長先生
東京のIT企業に勤める本部長(SEさん)
そして僕
いつも参加してくれる薬剤師さんは初盆のため今回は欠席
校長先生と本部長はこれが初参加でしたが、昔の面影はばっちり。
しかし、過去の思い出は修正され、改変されそれぞれの郷愁となっていくようです。
田舎で育った僕の場合、
地元を離れるということは田舎を捨て、それと同時に多くの友人たちとの交流も捨ててしまいました。
そして、大学では新しい仲間と出会い、バカなことをしたり言ったりしながら大人になってきたんですね。
結婚式に招待する、される場合を思い浮かべてみましょうか。
中学、高校、大学の友人、そして職場の関係者は別々のテーブルに振り分け、互いに何だか気まずい雰囲気ってありませんか?
関東圏に出てそこに生活の拠点を構えてしまった場合、わざわざ田舎の友人を大勢呼びよせることはなくなり、
大学時代の友人や職場の仲間が中心となってしまいます。
だから、田舎から出てきた友人たちは何だか居心地が悪そうにしていませんでしたか?
でも決して古い友人たちとの友情がなくなったわけでもなく、お互い成長して、新たなステージでの友人を獲得していっただけだと思います。
ずっと地元にいて、小学校、中学校の仲間とばっかり遊んでいるような濃い関係にどっぷりつかった人々もそれはそれでいいのかもしれません。
田舎で久々に友人と会うということは、当時(中学、高校時代)にタイムスリップするんですね。
変わらないことを互いに確認しながら。
でも、変わっているんですよ。
腹も出たし、頬やあご、目のあたりはたるんでいるし、髪の毛も少なくなり、白髪ばかりになってるし、病気の一つや二つはあるし。
でも、友人と会えば「全然変わっちょらんのお」って言い合うんですね。
僕の場合、実家に高齢の母がいるので年に2回帰省していますが、早晩いなくなることでしょう。
その時、果たして九州の片田舎へ行く動機はあるんだろうか?
そんなことを考えながら帰途に就いたんですね。
最後に。
友人たちとの食事会の翌日、母と一緒に外食した時の事。
フロアの女性店員さん(恐らく20代)が高校時代に好意を抱いていた同級生にそっくり。
いろいろと想像をめぐらしていたら料理の味なんてそっちのけ。
美味しいウナギだったはずなんですが。
最終日、そのことを思い切って専務(副社長?)にメールしてみたら、
「彼女の子供は男の子だし、今アメリカにいるよ」だって。
ひと夏の夢から覚めました。
ドンマイ。
明日からは通常モードです。
2024.08.15 夏休み2024 その1
長い夏休みが終わりました。
今年は天候に恵まれ、帰省中一滴の雨も降りませんでした。
朝早く起きて、羽田へ。
今年は生まれて初めての佐賀へ。
「佐賀に観光名所なんてあるの?」という突っ込みはさておいて。
空港からレンタカーで、まずは吉野ヶ里遺跡へ。
弥生時代の住居、生活を復元した歴史施設でしたが、ともかく暑かった。
公園内を歩いて見学しましたが、汗びっしょり。
うちの地元にも小ぢんまりとした歴史資料館を伴った弥生時代の住居を復元した施設がありますが。
吉野ヶ里遺跡の方が圧倒的にいい感じ。
その後は唐津(呼子)に直行。
目指すはイカですね。
行くなら有名店、ということで、河太郎呼子店へ。
かなり待つ(並ぶ)のを覚悟していましたが、幸いなことに5分ほどで店内に案内されました。
時間帯が良かったみたい。
昔、博多で学会が行われたときに食べて以来のイカ料理。
透き通るような刺身、イカ焼売、最後はイカの天婦羅で〆。
ナイスでした。
2日目は佐賀牛を食べに佐賀市へ。
途中、有田焼で有名な有田を回ってきたものの、何もなかった有田市。
本当はあったのに自分が見つけられなかっただけかもね。
暑い中10分ばかり店の外で待たされましたが、無事に佐賀牛を食べられたので佐賀でのノルマは果たした形となりました。
そのまま熊本に行くのももったいなかったので有明海のムツゴロウでも見に行こうと寄り道してから一路熊本城へ。
前回(2019年)は修復中のため、そばまで行って写真だけ撮ってきたのですが、今回は天守閣まで。
前回も夏の暑い日だったんですが、今回も猛暑日。
駐車場の選択をミスして、辛い散歩となりました。
熊本の夜はやっぱり馬でしょう、と言われますが…。
個人的に馬刺しは遠慮したかったので繁華街をぶらぶらした挙句、牛のお店へ。
3日目は実家へ向けてのドライブ。
熊本から実家までは阿蘇山を超えなくてはならないのですが、今回は西側からアプローチ。
気になった道の駅に立ち寄った関係で菊池方面から南小国を経由して日田へ抜けるルートとなりました。
昼食は南小国のそば街道の「吾亦紅」という蕎麦屋さんへ。
その後あちこち寄り道しながら実家へ。
この旅行中は電話に出ることができず、申し訳なかったです。(でも半分くらいは出たんですけどねえ)
2024.08.07 甲子園
明日から夏季休暇に入ります。
最終日は検査会社のトラブルがあって、ちょっと憤慨しつつ診療しておりました。
結果が見られない、患者さんにデータを渡せないって、勘弁してよ。
この春にシステムを変え、それがあまりにも評判が悪かった上に、今回はシステム障害ですか。
復旧のめどは立ってないんですって。
まあうちは明日から休みなので、被害は最小限に食い止められたのかなあ。
いくら何でも休み明けには復旧しているでしょう。
先日、都内に行ってきましたが、とっても暑かったです。
ものの10分で涼しい目的地に着いていたのですが、こんな中でスポーツする高校生は大変だなあと実感した次第です。
さて、高校野球が始まりました。
個人的に興味があるのは3回戦まで。
準々決勝以降はおまけみたいなものです。
休み中にはできるだけ多くの試合を見たいと思っています。
一応、組み合わせも決まったことですので、ベスト4の予想など。(8強のところで再抽選があるけど)
青森山田、東海大相模、大阪桐蔭、報徳学園とでもしておきましょう。
ここにくさびを打ち込むのが関東一、智辯和歌山、京都国際、中京大中京あたりかな。
夏休みですが、僕はいつも通り独居の母の顔を見てきます。
電車や飛行機での移動もあるため連絡がつかない時間帯もありますが、できるだけ対応したいと思っています。
田舎へ帰ると、昔の仲間と現況を報告しあうのが常ですが、今年は新しいメンバーも加わる予定で、
彼らとは高校卒業以来なんですね。
皆、定年間近で、今後どうなっていくのか、これまでの人生、これからの人生を語り合うというのがいいですね。
一方、僕は今まで通りでして。
自営業ってそんなもんでしょう。
定年もないので行けるところまで、そのまんま。
2024.08.03 教育のこと
国立大学の授業料を上げるべきというどっかの私立大学の塾長がおっしゃっていました。
これには個人的に断固反対でしてね。
僕も含め貧困家庭育ちの者にとっては、大学に行くこと(高等教育を受けること)が階級の上昇の可能性に繋がると思っています。
親が中卒、高卒の家庭なんかだと、大学に行けばその子の階級は一つくらい上がります。(今はそうでもないのかな?)
社会学の世界では現代は格差の固定化が顕著になっているとされていて、
東大の入学者の家庭環境、親の年収、そして出身高校を見れば一目瞭然。
そして、医学部入学者の家庭についてはもっと顕著だと思います。
どんな家庭に生まれても立身出世の可能性があるということが重要で、
ある限られた階層に生まれた恵まれた子弟だけが高等教育を受けられる、というのはいびつだと考えています。
そこからは新たなイノベーションが生まれる可能性は低くなり、国力は益々低下していくものと思います。
授業料を上げるとなると、貧困家庭の子供は私立大学はもとより益々国立大学には進学できなくなってしまいそうです。
大学に行くより家計を助けろよって、戦前や終戦直後の日本みたいでしょう。
奨学金制度があるでしょって言われてもあれは単に学生ローンのようなものになってますし。
僕は日本育英会の奨学金を高校、大学ともらいましたが、当時は無利子でしたよね。
それでも10年くらいかけて返済したと思います。
国立大学は独立行政法人化されてしまいましたが、これも悪手だったと言わざるを得ません。
「自前の努力で金を稼げ」って言ってるわけで、「国は金を出さないよ」ですね。
優秀な若者を育てたいのであれば国がもっとお金を出さなくっちゃ。
だから今回の塾長の主張って、国立大学に向かって、
「お前らは恵まれてるな、ずるいぞ」
「こっちは授業料を高くしてるんだから、お前らも上げろよ」
って言ってるような感じ。
そもそも文句を言う相手を間違えているように思えます、文句は国に言えと。