独り言


2024.02.24  寒かった
この3日ばかりは寒かったですね。
しかし、1月の寒さに比べると大したことなかったように感じました。 

クリニックの暖房を「強」にしてもなかなか温まらなかった1か月前とはやっぱり違います。
来週には3月ですもん。 

昨日は約1年ぶりに教会というところに行って参りました。
表参道なんて田舎者にはちょっと気恥ずかしい場所へ。

僕はタキシードを着せられる役回りだったし、行かないわけにはならないでしょ。 

「表参道駅から確かこっちの方角だよなあ、教会らしきもの見える?」
ちょっと迷いながら到着。 

生憎の天気のため、教会の外階段でのフラワーシャワー、ブーケトスなんていう定番のセレモニーがなかったのは残念でしたが、
若い二人の門出を祝う絶好の舞台でした。
 

コロナで打撃を受けていたブライダル関連の行事もほぼ戻ってきているかのような盛況ぶりで、
昨日は6組、そして今日は8組の結婚式が予定されていたそうです。

控室も入れ代わり立ち代わりの賑やかさで、スタッフも大忙しの様相を呈していました。 

披露宴会場では勧められるがままアルコールをどんどん飲んでしまったもんだから、
トイレのドアに顔をぶつけてしまい裂傷を負ってしまいました。

血行が良くなっていたものだから結構出血して、今朝鏡を見たらパックリと切れていて、自分でもビックリ。  

そして、今日は祝日と日曜に挟まれた土曜日だったので、ある程度混むことは予想していましたが、普段の土曜日の2割増し。
心地よい疲れと暖房のせいでウトウトしていたら、あっという間に夕方になってしまいました。

2024.02.22  宣告されたでござるよ
自分では薄々感じていてもそれを認めたくなくて先延ばししている案件ってありませんか?
生命にかかわる場合もあれば、あんまり関係ない場合もあるわけで。
「忙しくて時間が取れないから」、「今はそんなに困ってないから」
なんて言い訳をしながらずるずると時ばかりが過ぎていくんですね。
 

僕の場合もそんなこんなで結構先延ばししていました。 

医療の場面ではよくこんなシーンがあります。
「こんなになるまでどうして放っておいたの?」と医師が患者さんに言います。 

でも、患者さんにもいろんな事情っていうものがあって、なかなか受診できなかったんですけどね。
それを頭ごなしに叱るっていうのは何だか可哀そうだなあって。 
そう言ってみたところで事態が好転するわけでもないし、その後の対処法を示してあげることが大事だと思っています。 

で、なんの事かと白状すると、目の件です。
しばらく前から細かい文字が見にくくなっていて、特に検査データの68が分かりづらくなってきていました。 

「老眼かな?ハズキルーペが必要かな?」なんて思っていたんですね。
でも、運転免許の更新には眼鏡は不要だったし、休日や休憩中にクリニックの視力検査の機械を使ってこっそり調べてみても、
「まだ大丈夫」でした。 

しかし、今回、意を決して眼科を受診してみたところ、
「老眼だね、乱視もあるよ」
と宣告されてしまいました。 

「眼鏡を作りなさい」って。 

検査のお姉さんには
「これは見えるかなあ?」
「見えないかあ、じゃあ、こっちはどうかな?」
なんて、お子ちゃま扱いされてちょっと嬉しかったりして。 

そのうちメガネデビューするかも。

2024.02.17  春の訪れ
2月も半分以上が終わりました。
寒さも和らいでいるし、過ごしやすくなっていますね。
個人的には日が長くなってきているのが精神面での好循環に繋がっているようです。 

今日なんかは午後の発熱外来で外に出た時に
「まだこんなに明るいんだ」って。
疲れなんて吹っ飛んじゃいました。 

春の訪れはテレビのニュースでも続々と送られてきます。
梅、河津桜、桜の開花予想、花粉情報などがそうですね。
僕の場合、スポーツ新聞でも春が感じられます。
読む時間が大幅に増えてきたことにもそれが如実に表れていて、
1月までの2倍以上の時間を費やしているのではないでしょうか。

また、最近ではプロ野球のキャンプの映像はyoutubeでどんどん配信されます。
これを空いた時間に見ていると春を実感させられます。
 

相も変わらずコロナやインフルエンザが多いです。
9時に発熱外来の電話受付が始まるのですが、あっという間にその日の枠が埋まってしまいまして、910分過ぎには
「申し訳ありません、本日は終了しました。」
という状況になっています。 

ただ、陽性率に関しては幾分減ってきたかなあという印象を抱いています。
10人検査して8人陽性だったのが、5-6人になったという感じ。 

 

A「まず毎月500円弱のお金を集めます。そのお金でやることはまだ決まってないし、うまくいくかどうかはわからないけどね。」 

B「えーっ、また負担が増えるじゃないですか」 

A「でもね、君の会社が給料を増やすだろうから、差し引き負担は増えないんだよ。」 

B「給料が増えない人は確実に負担が増えますよね。」 

A「文句は給料を上げない会社に言ってね。」 

B「自営業者や無職の人や年金暮らしの人は?」 

A「…」 

というように見えるんですが。
異次元の少子化対策。
政策は確固とした計画が作成されているのか、そして費用に見合う効果は期待できるのか。 

負けるのが目に見えているレースに有り金をつぎ込まなければならないって空しくないですか?

2024.02.11  電話の話
固定電話を契約しているからでしょうか、休みの日や仕事終わりの時間帯に営業の電話がかかってきます。
(今日もかかってきました)
 

有名なところではマンション経営。
東京や大阪のマンションのオーナーになってそれを賃貸して家賃収入を得るっていうもの。
「先生の節税対策に是非」ってね。 

それから、東京電力の関連会社、NTTの関連会社を名乗る営業電話。
今より電気代が安くなります、インターネット料金や電話代が安くなって通信速度も速くなります、なんていうもの。 

一般的に、向こうから、
「いい話がありまっせ」
というのは大体が詐欺のようなものと考えていいと思っていますけど、如何でしょうか。 

だって、なんでそんなうまい話を見ず知らずの人に教えるわけ?
うまい話は自分だけ、身内だけで独占すればいいわけで。
「そんないい儲け話は人に教えちゃいけないよ」って電話口の人に言いますけど、性懲りもなく何度もかかってきます。 

それに平日夜の7時、8時や日曜日に電話がかかってくるって、どうみてもまともな会社じゃないでしょう。
そんな時刻に電話営業させるなんて、
「不適切にもほどがある」 

電話営業といえば、僕が研修医4年目の頃。
先物取引の営業の電話が職場にかかってきたことがありました。
ブラジルの砂糖だったか小麦だったかもう忘れてしまいましたが。
とてもしつこかったんです、恫喝まがいだったし。
「じゃあ、来てください。医局の皆さんにも勧めてあげるから」って。
「だって、みんなが儲かるじゃない、君も顧客が増えてウインウインじゃないの?」 

結局、断られました。
僕一人なら何とか騙せると思ったんでしょうね。

うちの場合、親戚の叔父さんや叔母さん、行政やインフラの会社、宅配業者さんには固定電話での連絡先がいまだに必要ですが、
友人からは自宅にはもうかかってきません。

友人との連絡は携帯電話やメールになってしまいました。 

実家の母も昨年固定電話を解約しましたが、正解だったのではないかと思っています。
最初に話を聞いた時には
「そんなにお金に困ってるの?」
って心配したんですが。
生活に必要な電話番号は全て携帯電話に登録して、それ以外の見知らぬ番号には出ないという防衛策を講じているみたいです。 

僕は時々患者さんに電話するんですが(結果が悪かった時に早急に受診してもらいたくて)、出てくれない人がいます。
多分怪しいと思われているんでしょうね。(決して怪しいものじゃないから) 

今や固定電話って仕事には必要だけれども、個人では全く不要のものとなってしまいました。
うちの子供たちも含め、若い人は固定電話の契約なんてしないでしょう。

しかし、僕が自宅の固定電話を止めることができないもう一つの理由は、
固定電話の加入権(今の若い人は知らないだろうけど)って結構高かったんですよ。
僕の時代は8万円くらいしたと思います。(それを売り買いしていました)
それが査定ゼロとなるのが悔しくて。(せこい?)

2024.02.10  連休、何します?
「こちとらそんなもんあらへんで」という人には誠に申し訳ない。 

お正月以来の連休なんですが、特に何もやることがないときたもので、たまった書類の整理や健診の準備、
そして院長室の整理をすることにしています。

僕の部屋には沢山の書類が所狭しと置いてあって、全く整理ができていないんですね。
それに、発熱外来用に国からもらったガウンやマスクの段ボールがいくつも。 

税務に関係する書類は保管期間が決まっているのでなかなか捨てられず、段ボールばかりが増えています。
誰かさんのように証拠となるような書類は全て破棄したり、納品書や領収書も捨ててしまって、
「不明」を連発できるような会計処理ができればいいんですけどねえ。

それに、開業してからのこれまでの軌跡というか、記録というものを破棄するのに少し躊躇ってしまう自分がいるんです。
だからたまる一方。 

ところで、院長室の整理っていうのはこの度必要に迫られてやらざるを得なくなったんですね。
これまでは何でもかんでも、いらなくなったものは僕の部屋に押し込んでいたのですが、
自宅の改修工事(風呂の全面改修工事)をすることになって、自宅で風呂に入れなくなってしまいました。

クリニックには形ばかりのシャワー室があり、ここにもいろんなものが詰め込んであったのですが、
このシャワー室が急遽活躍の舞台となってしまいました。
 

シャワー室のいろんなものを外に出すと、僕の着替えるスペースがほんの60cm四方くらい。
「起きて半畳寝て一畳」みたいな感じでしょうか。
否、そんな格好いい表現ではなく、「足の踏み場もない」、もしくは「ゴミ屋敷」と表現した方が良いかも。 

だから、明日は少しだけスペースを広げる作業をするつもり。

2024.02.04  ある男
寒い一日でした。
今日はうちに通っていらっしゃる患者さんから
「是非いらしてください」
とお誘いを受けていた日本舞踊の発表会に馳せ参じました。 

「大きな会場を手配したんですが、ガラガラだとお師匠さんに申し訳ないので」みたいなことも言われていましたので。
職員にも動員をかけましたが、結局僕だけ。
枯れ木も山の賑わいにでもなるかなと思っていましたが、さもありなん、大盛況で立ち見まで出るほど。
昔一緒に仕事をしていた方も出演していたし、旧師長さんにもお会いできてとても良い時間を過ごすことができました。
僕を誘ってくれた方の演技は流石に素晴らしかったです。
診察室で見せるしぐさ、立ち居振る舞いが「師範」という感じでしたからね。 

さて、表題のこと。
二十歳になるかならないかで革命に目覚め、70歳で人生を終えた逃亡犯について。
指名手配の写真は何度か見たことがあって、今回改めて彼を認識しました。 

70年代のフォークシンガーのような髪型でにこやかな表情。
確固たる政治信条の下に革命家、活動家として罪を犯し、しかしそれは失敗に終わり、仲間(同志)はばらばらになってしまいました。
あるものは逮捕され、あるものは病死し、海外逃亡をしたものもいました。
一方で彼は50年間国内で逃亡犯として偽名を使い生活をしていたんですが、最後は本名を明かし人生の幕を降ろしました。 

70年代、80年代、昭和が終わり、平成、そして令和と時代(とき)が移ってきた中で、50年という歳月は彼の目にはどう映っていたんだろう。
彼の描いていた未来、世界、社会って何だったんだろう。
彼が犠牲にしてきたもの、他者から奪ったもの(命や財産)は果たしてその活動に見合うものだったんだろうか。
僕は何だかやるせない、切ない気持ちにもなったんですね。 

住民票も保険証も銀行口座もなく暮らしていくという不自由さもさることながら、人と深く繋がることもできず、家族、親族とも連絡が取れない、
そして、過去の自分(本物の自分)とは決別しなくてはならないというのは相当辛かったのではないでしょうか。

自業自得と言ってしまえば簡単ですけどね。
だから最後は…、という言葉になったのではないかと思っています。 

どこかのタイミングで活動を止めていれば、髪を切って就活していたかも。(「いちご白書をもう一度」やね)
そして、定年まで勤め上げて幸せな老後を迎えていたかも。 

「後悔している」と彼は捜査員に話したとされていますが、「後悔」という一言では言い尽くせないような感情があったに違いないんだと思っていて…。 

「馬鹿なやつだなあ」って片づけることができない何か不思議な感覚に囚われています。

2024.02.03  他人事すぎる
朝、家を出るときはまだ暗いんですが、クリニックで掃除をする頃は明るくなってきた今週でした。
2月に入ってキャンプも始まり、オープン戦のチケットも手に入れました。 

診療においてはいよいよ花粉症が始まりました。
「去年と同じ薬で」という問診票が1日に何枚も回ってきます。
うちでは検査も処置もしませんが、薬を処方するだけならどうぞというスタンスです。 

さて、表題の件。
事業がうまくいくかそうでないかは社長の手腕にかかっているのは皆が認識しているのではないかと思うんですね。
そして、うまくいったときは皆さんのお陰、ただ運が良かっただけ。
うまくいかなかったときは自分のせいと考えることにしています。
社員の働きが悪かったとしてもそれはトップが責任を負うわけで。 

しかし、そうではない世界が日本には存在しているようです。 

「部下が悪いんです、自分は全く問題ないんです」と言って咎められない人がいるっていうことに
国民はもっと怒るべきなんですけどね。
 

「秘書が勝手にやったことです、監督不行き届きでした。」
で収支報告書を修正できるなら僕も出来の悪い会計士や税理士を安価で雇いたいです。 

自分ではできない作業を税理士さんにお願いしてやってもらっているのですが、彼はきちんと確定申告をしてくれますし、
その上労務管理までやってくれます。

そして、対価として僕はその報酬を支払っています。 

政治家さんの事務所にはそんなに能力の低い人しかいないんでしょうかねえ。
だめな人を雇うことで自分には火の粉がかからないようにするという点ではリスク管理ができていると言えるでしょうか。 

責任は私にあります。でも責任は取りません。
「職責を果たすことが何より大事だと思っています」ってなんか違うんじゃないかなあ。 

例えばですよ、うちのクリニックでスタッフに何かミスがあった場合、
「彼女に全て任せてあるので僕は悪くありません、責任は取りません。」
ということは世間一般的に通るでしょうか? 

政治家さんはこれが常識なんでしょうね。 

秘書が、部下が、と言って責任を回避できる身分になりたいです。
「じゃあ政治家になれば?」
とあなたは仰いますでしょうか。



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