独り言


2023.12.28  最終日
例年はのんびりした気分で最終日を過ごしているのですが、今年は様相が全く違っていました。
予兆はあったんです。
先週あたりから発熱外来を希望される患者さんが多くなっていましたから。

午前9時から電話で受付を始めるのですが、2回線がずっと繋がりっぱなしになってしまい、
ものの10分で午前、午後の枠が全て埋まっていました。

それに、別に設けていたインフルエンザの検査枠も埋まってしまい、電話でお叱りを受けることが頻繁になっていたんですね。

高血圧や高脂血症で通院されている患者さんは年末年始のお休み中に薬がなくならないように早めに受診されていて、
通常よりも来院数が多くなっていました。

ここに発熱の患者さんを紛れ込ませるわけにもいかず、時間や場所を分けて診察をするというのが
コロナ後のスタイルとなっています。
 

さて、昨日も多くの電話がかかってきて、お断りせざるを得ない患者さんがおりました。
スタッフも「電話で怒鳴られたり、苦情を言われるんです」とのこと。 

そこで、
「最終日くらいはできるだけ多くの発熱患者さんを診ましょう」
「明日からはどこもやってないだろうし」
ということで、11時以降を全て発熱患者さんだけの時間としました。

そしたら…、やっぱり大変でした。
予約枠が埋まってからの問い合わせもありまして、全ての患者さんを検査、診察できたわけではなかったのですが、
普通の日の倍以上は診て差し上げられたかなあ。

せめてもの罪滅ぼしです。 

殆どがインフルエンザA型でしたが、インフルエンザB型、新型コロナの患者さんもいました。 
昼からはみんなでお掃除をしてお弁当を食べて解散。

僕は患者さんから頂いたプリンを食べ、納品書の整理や在庫の計算など一人寂しく仕事をしていたら、
いつの間にか夕暮れを迎えていました。
 

医療機関は今日あたりから長いお休みに入っていると思います。(うちは明日から)
この後、国民の大移動でインフルエンザが更に流行するような気がするんですね。
年明けの外来がちと心配。 

皆さま、年末年始に体調を崩さないようお祈りします。

2023.12.24  墓碑銘2023
人生も長くなってくると別れも多くなってまいります。
今年お別れした患者さんの一部を少し脚色して記しておきます。 

・婦人科系の悪性腫瘍で化学療法を受けていた60代の女性。
免疫療法もチャレンジしていたのですが、肺に水が溜まってきたため呼吸困難を訴えておられました。
レントゲンを撮ってみると片側が真っ白。これは厳しいなあって。
常に前向きで決して弱音を吐かなかったんですが、意識鮮明で呼吸が苦しくなるのは見ていて辛かったです。 

・長年外来に通院されていた高齢の女性。
お洒落で礼儀正しく芯の強い方でした。
認知機能の低下で家族も対応に苦慮していましたが、流石に在宅で見ることができなくなり施設への入所となりました。
とても優しいご主人が家事全般を行っていて非常に大変そうでした。
入所して間もなくお亡くなりになったとのご報告を受けたのは6月のことでした。
息子さんも娘さんも非常に理性的でしたね。
 

90歳を超えた男性。
心疾患をお持ちでしたが自分で運転して通院されていました。
ご夫婦ともに芸術家(工作系)で当院にも沢山の作品が置いてあります。
持病の悪化ではなく、自宅での事故がもとで亡くなってしまいました。
「今日は折り入ってご相談が」と診察室に入ってこられていたことが思い出されます。
身体の不調を「年のせい」にされることを嫌っておられたのですが、
やっぱり「加齢による身体機能の衰え」と説明せざるを得なかったんですけどねえ。

高齢になってからの脚立のご使用には十分注意してください。 
つくばで行われたご夫婦での作品展(個展)をスタッフと一緒に見に行ったのはかれこれ10年以上前になります。

・糖尿病と慢性肝炎の男性。
C型慢性肝炎の治療はうまくいったのですが、脳梗塞(糖尿病からの血管障害でしょうか)で入院されました。
最期は誤嚥性肺炎による全身状態の悪化だったと伺いました。

頭脳明晰でよく気の付く方でした。
「駅まで孫の送り迎えをしてるんだ」と話していたことが思い出されます。 

・最後は母と娘
娘さんは常に母の診察や治療に付き添い、生活のサポートをしていました。
仕事をしながら自分の病気(糖尿病)よりも母を第一に考えていました。
がんセンターがよいと聞けば連れていき、有名な先生がいると聞けば紹介状を書いてくれと申し出たりして。
そして、母は娘の励ましで肝臓癌の治療、そして弁膜症の治療も受けていたんですね。
肝炎ウイルスは排除されていたのですが、肝硬変はかなり進んでいました。
それでも最新の治療を模索しながら、そして心臓弁膜症に対してもカテーテル治療(TAVI)を受けました。
そんな矢先に娘に思いがけない悪性腫瘍が見つかり闘病生活に入ってしまいました。
彼女の前向きな性格には本当に頭の下がる思いをしていましたが、医者の立場からはかなり絶望的な状況と考えていました。
先に娘が旅立ってしまったことで、母はすっかり生きる意欲を失っていたんですね。
娘のいなくなった診察室では会うたびに体が小さく、声も弱々しくなり、娘の死後5か月で母も旅立たれてしまいました。
子供に先立たれること、親にとってこれほどつらいことはないと感じました。 

診察日はあと少し。
先週はとてもストレスがかかる毎日を過ごしておりました。

理由ですか?

薬が全くないからでしょうか。
咳止めがないんです、マジで。

メジコンもアスベリンも。フスコデもコデインリン酸塩も全くありません。
だから症状が「咳」の患者さんに対しては漢方薬を出すしかありません。
そして、「良くならないから」と言って再診されても二の矢、三の矢を繰り出すことができないんですね。

国は薬価を下げるんじゃなく、上げて欲しい。
製造メーカーは慈善事業でやってるんじゃないんです。
医療で儲けることはもってのほかっていう政策じゃあ、メーカーは薬を作らないから。 

2023.12.23  少子化
空港のロビーには飛行機に乗りたい人が沢山いるんだけど乗れずに不満を持っていて、
しかし、機内サービスだけはどんどん充実している。
 

こういう表現は言い得て妙だなあと感心したのが国の少子化対策です。 

高校無償化や大学無償化なんていう経済的な支援策っていうのは既に子供がいる家庭には多少の恩恵があるんでしょうが、
果たして現在の少子化(人口減少)に有効なんだろうかって非常に懐疑的に見ています。
 

根本的に、結婚できない若者へのサポ-トが不足していると思っています。
非正規、低収入の若者は、「結婚しよう」、「子供を持とう」なんて考えることもできません。
そこを手当てせずに、「子供をたくさん産めばいいことがありますよ」っていくら勧めても
それは絵に描いた餅でしかないと思っていますけど。 

こういう政策を決める(考える)人たちって、高学歴、高収入の方々です。
それは大卒で都内に住んでいるようなエリートですよね。
恐らく、都会のエリート大卒者は地方生活者や高卒者の生活レベルや考え方というものに想像力が及ばないのではないかと勝手に思っています。 

やはり経済安定性の確保、まずは正規雇用を増やすことが若者が結婚に向かう足掛かりになるのではないかと思いますけどね。 

「そこに愛はあるんか?」と大地真央さんはおっしゃいますけど、
でも愛だけじゃダメでしょ。

2023.12.20  もうすぐクリスマス
もうクリスマスにドキドキ、ワクワクする年齢ではなくなったので、いつも通りの日々を過ごしています。
どちらかというと年末年始の準備に心が奪われています。
荷物を送ったり、年賀状を書いたり、在庫整理をしたり。 

パーティーについて。
今は一人2万円なんですってね。
その昔、病棟や病院の忘年会なんていうときには製薬メーカーさんも参加していました。
各社がいくら払っていたかは当時研修医やヒラの身分だったので知る由もありませんが…。
ビンゴゲームの景品を提供し、協賛金と称して決して少なくない諭吉先生を同席させていたのは知っています。

病院(医局)側もそれを当然という「文化」がありました。
そのおかげで、僕ら研修医や看護師さんなどはただで参加できていたんですね。 

参加費(協賛金)を払ったメーカーさんは、参加しているんだけれど僕ら医局員や看護師さんと一緒に騒ぐわけでもなく、
料理には一切手を付けず、スーツを着て会場の外で受付したり、帰りのタクシーや代行の手配をしたり、
二次会の調整をしたりしていました。
 
そして、そこに参加しないメーカーは薬剤の採用(使用)に不利になるというペナルティーがあったというのは明白な事実です。

しかし、今は違います。

コンプライアンスという錦の御旗のもと、便宜供与の禁止でそれが叶わなくなりました。
 

政治家のパーティーに参加する(パーティー券を買う)企業っていうのも結局同じ構図でしょう。
参加して、政治家先生に挨拶(名刺交換)ができれば万々歳。
(ただ、名刺を渡しても受け取ったことを認めない総理のような人もたまにいるのでご注意を)

それに、パーティー券を買わないことで、

「どうしてあそこは買わないんだ」
って目をつけられてしまうことが怖いんじゃないのかなあ。
あの会社には仕事を回さないぞって。

やくざへのみかじめ料を払うような気分ではないのかな? 

それと、政治にお金がかかるっていう話は私たち有権者にも責任の一端があるのではないかと思っていまして。 
田舎ではお葬式やお祭りに政治家が顔を出したり金品を渡したりすることが選挙活動の一環とされていまして、
これは悪習の一つだと思っています。

A代議士は来てくれた、でもB代議士は来てくれなかった。
じゃあ、A代議士に投票しようって言う有権者の方が問題ではないのかなって思っています。

政策なんて全く関係なく、自分にメリットがあったかどうかだけで投票先を決める打算的な有権者がいる限り
こういった政治と金の問題はなくならないと思っています。
 

政治(自民党)への信頼を回復するためにはどうすればいいかって岸田さんはおっしゃっていますが、
信頼を失墜させた事実を明らかにすること、悪事を働いた議員を処罰することが最も有効な方法だと思いますけどね。
それをせずに政治資金規正法の見直しなんかでどうやって次の抜け穴を作るかを画策したところで信頼は回復しません。 

泥棒に入られた現場をほったらかしにして、犯人を捕まえようともせずに、
「では防犯対策を考えましょう」って言ってるようなもんだもの。

2023.12.16  あと少し
大掃除、忘年会と立て続けに終わらせて、いよいよ今年も終わりに近づいてまいりました。
残るは自宅の大掃除と介護保険審査会くらいになりました。
そして、診療もあと10日ばかりとなりまして、診察室を出る際に、
「よいお年をお迎えください」
と声をかけてくださる患者さんも多くみられます。

今年はどんな年だったんだろう。
そう振り返る時期です。 

春先(23月)はスタッフの退職、入職でドタバタしていました。
夏前は九州旅行(長崎)にお出かけ。
夏休みは鹿児島へ。
幸い、スタッフも僕も大きなケガや病気をすることもなく過ごせました。

今年も一年を通してコロナに振り回された感じで、発熱外来やらワクチン接種での混乱が見られました。
なにぶん弱小クリニックなので、増える仕事量に見合うだけのスタッフがおらず、
彼女たちの疲労度は限界を超えていたかもしれません。

秋はここにインフルエンザワクチンが始まりましたからてんてこ舞い。 

苦肉の策(対応)として、受付終了時間の前倒しの明言と、土曜日の発熱外来を中止していたことは薄々ご存じだったかもしれません。
キャパシティーを超えるとミスも多くなるし、不満も蓄積されることは自分の経験からも明らかでしたからねえ。 

1月以降は元に戻せることでしょう。

2023.12.09  平均寿命
人生100年時代なんて言われていますが、僕はかねてより日本人の平均寿命って
この先そんなに伸びないんじゃないかと思っています。

それはなぜか?
生涯独身の人が多くなっていること、貧富の差が大きくなっていること、
労働環境が悪化していること、医療や福祉へのアクセスが悪くなっていることなどが原因として考えられます。 

当座、団塊の世代から今の60代くらいまでは比較的健康を維持できるとは思いますが、
就職氷河期以降の世代は健康格差が大きいんじゃないかと思っていて、このことが平均寿命を押し下げるだろうと推測しています。

また、現役世代の割合が減ってくることにより、社会保障への考え方が否が応でも変わってくると思っています。

それは、「老人世代にお金を使うのは嫌だ、無理だ」という風に。

そうなると、今までみたいに誰もが自由に医療機関にかかって治療を受けることが難しくなったり、
治療の内容にも制限がかかったりするんじゃないかと心配しているのですが、僕の予想が外れることを祈っています。
  


もう一つ、検察頑張れ事項。 

「お答えは差し控える」
これが許されるというのはうらやましい限りです。 

それ以上に、質問をしている記者さんたちの突っ込みがあまりにもぬるいのにもあきれ返ります。
予定の質問に予定の答えをするだけなら人間なんて不要でしょう。
「脱税ではないんですか?」、「不正ではないんですか?」、「国民への裏切り行為とは思わないんですか?」など、
突っ込みどころが満載の事件なのにね。
 

それにキッシーを始めとするトップの方々の対応策というのが、どうもピント外れなのが隔靴搔痒感を醸しています。
悪事を詳らかにするということが蔑ろにされて、徒に国政を混乱させないようにする(事件を矮小化させる)
ことばかりを優先させることが国民の支持を失っていることに気づかないんでしょうね。
 

そして、いつものように応援団が、
「もう飽きた、いつまでやるんだ、他にも重要なことがあるだろう」
と言ってくれるのを待っているんだと思います。 

ここはぜひとも検察には頑張ってもらって、会計責任者を一人二人挙げるだけじゃなく、
名前の挙がった政治家を何人か葬り去るくらいの働きをしてもらいたいところです。

2023.12.02  給料のこと
とうとう12月に入りました。
1年なんて本当にあっという間です。 

先日、ある患者さんに言われました。
「先生、老けましたね」って。
そりゃそうでしょ、もう50も終わりになってしまったんだから。 

「〇〇さんと一緒に一つずつ年を取ってきましたからね」と返しましたが…。 

時間は皆平等に与えられています。
若いころは相当無駄遣いもしてきました。
しかし、残り少なくなってきた時間をどう使っていくかが僕にとっては重要となってまいりました。
仕事だけに費やすのか、それとも…。
生涯現役、死ぬまで働くことを是とする考え方もあるでしょう。

一方、早期リタイアして、悠々自適な生活を満喫するというのもありだと思っています。
ただね、個人的には働かざるを得ない人がとみに増えていることは憂慮しています。 

昨今、経済紙には役職定年だとか再雇用なんかの話題も出ております。
ここには給与の問題も大きくかかわってきています。
日本の雇用形態はこれまで終身雇用、年功賃金が主体でした。
これが崩壊しつつあるわけで、ある年齢以降に給料がガクンと下がることが問題になっていますね。 

「これまでと仕事は変わらないのに給料が下がるのは納得できない」って。
確かにね。

今日まで60歳の自分がやってきた仕事と61歳になった明日の自分の仕事が同じならば当然そういう気持ちになるのは当然でしょう。
しかし、30歳の隣の若者と今の自分の仕事は果たして給料に見合うだけの違いがあるんだろうか?
そりゃあ、役職とか、経験が全然違うじゃないかって言われればそうかもしれません。
しかし、自分の給料が上がってきたのはただ年齢を重ねてきただけのものではないのかって考えられないかなあ。
そこには年功賃金という仕組みがあったからで、純粋に仕事の成果に裏打ちされたものではなかったはずでしょう。

だから、役職定年後や定年後に給料が下がるのは、
「君にはこれまで年齢という下駄を履かせてきたけれど、今日それを脱いでもらったんですよ」
というメッセージなのかもしれないのかなって思っています。 
ただ、一律に年齢で区切るのではなく、高齢になっても能力を考慮した給与形態があればもっと良いんですけど。 

うちですか?
やっぱり年功序列、経験年数のシステムです。
長く働いてくれた人はそうでない人よりも給料は高くなっています。
だって、自分と同じ給料だったら気持ちよく仕事していられなくなるでしょうから。
そして、そんな考え方をする人が一掃されれば能力主義が一般的になってくることでしょう。



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