独り言


2023.02.26  8波収束?
2月も終わろうとしています。
いつの間にかインフルエンザもコロナもめっきり少なくなってきました。
発熱外来も開店休業状態となっていまして、このまま政府の思惑通り5類への移行がスムーズに進むといいですね。 

5類に移行するまでまだ2か月余りあるのですが、医療機関側の対応については何も決まっていません。
インフルエンザと同じ扱いになるなら「発熱外来」なんて仰々しいものは不要にしてもらいたいところですが、そうはいかなそうだし、
一旦入院したら面会もできないようなシステムもそろそろ終わりにしてもらいたいのだけれど、これまた病院や老健施設などは「ゼロコロナ政策」が続くような気がしています。
 

「だってしょうがないじゃない、一旦コロナが持ち込まれたら大変だもの。」 
この一言に尽きるんでしょうね。

2023.02.23  天皇誕生日やから
今日は休みでした。
いつもより朝寝坊もでき、普段見ることのできないワイドショーも見たし。
それにしてもエンタメが多くて辟易でした。
どこを回しても同じ内容だったし。 

珈琲を飲んで、娘を沖縄に送り出した後は久々のおひとり様を堪能です。 
ダルビッシュや村上のいる宮崎じゃなく坂本や小林のいる沖縄っていうところがいいですね。
同じホテルに泊まるらしくて。
うちに通っている患者さんの中にも
「沖縄に行ってきます」という人がいます。(決してキャンプ目的じゃないけど) 

このところ、人事に関するあれやこれやで気を揉むことが多かったですね。
少しずつではありますが、決まりつつありますので何とかなるのかな?  

診療の方ではこのところ花粉症の患者さんが多くなっています。
そして、健康診断の予約も多くなっていて、
「そうか、そんな時期になったんだなあ」って春を感じています。
また、日の出が早くなってきていて、クリニックに着く頃にはライトが不要になるくらい明るくなりました。 

また、専門学校の学生さんがクリニックの仕事を体験してくれています。
たった2週間ですが、アナログなクリニックの仕事を通して、患者さんとのコミュニケーションを経験してもらえたらいいですね。
レセコンの技術を磨くのであれば大病院のほうが向いていますから。

2023.02.18  生産性とか使える人材とか
僕はこういう言葉が大っ嫌いな人間です。
自分が反対側にいる人間だからでしょうけど…。
人に査定されることが嫌いな扱いにくい奴なんだと思っています。 

だから、自分も他人を査定することが苦手でして、
「先生は人を見る目がないよ」
って言われることがしばしばです。 

他人の能力を判断するのって、非常に難しくってね。
それこそ全能の神でもないのに、自分のことは棚に上げて、傲慢で尚且つ上から目線ですよね。

数字が全てだと割り切れない自分がいるのも確かで、数字では表せない何かを切り捨てるだけの非情さがないんだと思っています。 
数字だけで査定するんだったら、それこそAIに任せてしまえばスッキリしますよね。
部下を査定するような上司もいらなくなるし、人事のお偉方は必要なくなるんじゃないかと。
AI上司、AI店長みたいなシステムが将来生まれるかもしれません。 

査定される方は数字を上げる、成果を上げることに追い立てられ、余裕のある生き方が奪われてしまいそうです。
「生産性」だけが評価の対象となる組織ってとてもギスギスしたものになるんじゃないかと思っていて、
生産性が高い人は「使える」、生産性の低い人は「使えない」と呼ばれることにも強い憤りを抱いております。 

人には能力の多寡もあればもちろん感情もあります。
機械であれば生産性の低いシステムは廃棄して生産性の高い最新機器を導入すればいいわけで、
そういう考えを人間にも当てはめることに寂しさ、侘しさを感じてしまうんですね。


勿論、「使えない」より「使える」方が良いに決まっていますが、「使えない」人を切り捨ててしまえという論調を声高に叫ぶ一部の経営者や評論家に対しては嫌悪感を抱いております。 
最近、四角と丸のメガネのフレームをつけている若い経済学者が、「高齢者の集団自決」を提言したことについても何とも嫌な、心がざわつく思いをしたものですから。

その考え方って、「津久井やまゆり園」の事件を起こした犯人とどこが違うんだろう。
果たして彼は自分の両親に向かって同じことが言えるんだろうか。
果たして彼は老健施設やデイサービスにいる高齢者の前でも同じことが言えるんだろうか。
果たして彼は巷では「老害」なんて言われている現役国会議員や元国会議員(二階俊博氏、麻生太郎氏、森喜朗氏、小泉純一郎氏など)の前でも同じことが言えるんだろうか。 

生産性の高い人間「だけ」がいる国は確かに成長するんでしょう。
しかし、それは健全な社会だろうか、そして幸せな国だろうか。 

「お前は生産性がない」と認定されたらそこにはいられなくなる社会って…。
成長だけを追い求める優秀な人は、自分だけは死ぬまで成長できて、生産性が落ちない人間なんだと思っているのかなあ。

2023.02.12  披露宴
もうめっきりそういう晴れやかな、華やかな席には出席することもなくなったのですが、どういうわけだか今回お呼ばれされることになりました。
自分や友人が結婚するような年齢(2535歳くらいまで?)では何度も出席しましたが、ここ20年くらいは結婚式なんてイベントには出ていないと思います。
また、来賓として挨拶するような場面にも恵まれず(これは本当にラッキー)、久々にタンスの奥から白いネクタイを引っ張り出した次第です。
(でも、何だか少し黄ばんでる?)

この年になると黒いネクタイの方が使用頻度は高いですね。 

都内の教会で式を挙げて、そのまま披露宴になだれ込んで、フレンチを食する。
数合わせで呼ばれただけかもしれませんが、何だか久々に休日の都内でのウキウキするイベントでした。
朝は少し寒かったけれど、帰る頃には上着が要らないくらい暖かくなっていました。 

しかし、結婚式や披露宴というイベントは若者のものだと改めて感じました。
親戚の叔父さんや叔母さんたちが田舎から大挙して訪れてもやっぱり盛り上がりには欠けますね。
職場の同僚や高校、大学時代の友人たちの若さには叶いません。

2023.02.10  講演会
連休前の金曜日、大事な講演会を視聴せねばならず一人診察室のパソコンの前に座っていました。
コロナ前はホテルの大広間や国際会議場でやっていたのですが、3年の月日はこういった講演会をすっかり変えてしまいました。 

今日みたいな悪天候の場合、司会の先生(座長の先生)が、
「皆様、お足元の悪い中、お集まりいただき誠にありがとうございます」の挨拶で始まったものでした。
会場入り口では、サンドウィッチとジュースが配られ、会の最後に参加証明書が配られるというスタイルでして、
参加しないわけにはいかない結構難儀な講演会です。


しかし、自宅や職場からも参加できることで、僕は近くのとんかつ屋さんのテイクアウトの品を食べながらのんびりと視聴しておりました。
満腹で眠気に誘われるんですが、誰からも咎められることはありません。
 

コロナが2類から5類になることで社会がどう変化するのか、今から非常に楽しみです。
コロナ前に戻って欲しいもの、戻すべきものと、今のまま続いて欲しいもの、続くべきものって…、すごく混乱しそうです。
そこで、「混乱するから政府が決めろ」っていうのはやめて欲しいな。
お上が何でも決める、下々の者はそれに従うっていうのはそろそろやめた方が良いと思っています。
自分たちで判断する、間違っていたら訂正する、そしてより良いルールを決めるということが成熟した大人の社会だと思っています。
箸の上げ下げまで指示されなくても良かろうもん。
 

民主主義って非常に面倒なシステムだけれども独裁や専制よりもましなやり方だと僕は思っています。
自己決定権を放棄してお上にお任せする事が後々大きな失敗だったと気づかないとも限らないわけで。

自由ってそこら中にあるものではなく、放っておくと為政者に奪われてしまうものなんじゃないかなあ。

2023.02.04  所得制限
異次元の少子化対策として子供手当を拡充するという政策の中での話。
子供手当の支給に所得制限を設けるか否かの議論は立場の違いによって意見が異なるわけですが、僕は所得制限を設けるべきという側に立っています。
また、高校無償化だって所得制限がありまして、これも肯定的に考えています。

 

保育所へ預ける時に保育料は収入に応じて差があるのですが、これを不公平だ(逆差別だ)という人がいます。
高所得者も住民税を沢山払っていて、受けるサービスは同じなのに保育料が高いのは二重課税だというご意見は非常に納得できます。
ただ、日本という国で生きて、暮らして、収入を得ている中で、富める者とそうでない者ってどうしても出来てくるわけで、
その差をできるだけ小さくすることが政治の役割だと思っています。

所得の再分配っていうやつですね。
幸運にも高所得者になった人(努力の賜物かもしれませんが)が低所得者と同じ行政サービスを受けたいと声高に叫ぶことに関して、
何だか「みっともないなあ」、「欲張りだなあ」って思っちゃうんですね。
 

自分の代(自分の一生)だけ幸せに過ごしていきたいのであれば、今一時の損得でものを語ればいいのですが、次の世代や、その次の世代、
日本という国がこの先持続していくことを願うのであれば、あまり欲を張らずに朗らかに生きていった方がいいんじゃないんだろうかって。

もらえるものは何でももらわなければ損だって考えると息苦しくなりませんか。 

こういう問題がもち上がったときに、街角のインタビューは大体において
「所得制限のために恩恵を受けられなかった層」
をターゲットにしがちです。

では、低所得層の人に
「お金持ちの人もあなたと同じ手当をもらえるんですがどう思いますか?」
って聞いてみたらどう答えるんだろうか。
「平等にもらうべき」
「もう必要ないでしょ」
どっちだろう? 

所得制限を設けないことはばらまきだという意見が出ていますが、確かにそう思います。
高所得者は貯蓄に回るだけですから。 

ここで、高所得者という定義が出てくるわけですが、1200万円なんですね。
1200万でも子供を私立にやってると苦しいんだという意見も耳にします。
1200万でも手取りだと800万から900万でしょうか。
そんなに余裕はないのかもしれませんね。 

ただね、いわば「パワーカップル」と称されるような、都内のタワーマンションに住んでいるような人たちにまで配る必要はないと思うんです。
高所得者の定義をもう少し上げて、そういう人は遠慮してもらうっていうのがいいのかなって。 

今回、政権与党は所得制限を設けないという方針みたいで、元アナウンサーの女性議員のかつての勇ましい発言(ヤジ)が蒸し返されていまして、
これまた「みっともない」の一言です。
 

前言を翻すという行為はあってもいいと思っていますが、ご本人の信念というものがそうコロコロ変わっても何とも思わないんだろうか。
国会で発言することは僕らが内輪でおしゃべりするようなものではないと思うんですけどね。
「悪い、悪い、この前言ったのは冗談だよ、本当は〇〇だったんだよ」
っていう類のものではないんですから。それにTシャツまで作ったんだし。
所謂、政党の広告塔兼アナウンサーだったんでしょうか。



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