独り言


2021.12.28  最終日
最終日はゆっくりと、そして静かに終わりました。
駆け込み診察もなく、各々が締めの作業をするには十分すぎる時間がありました。
今月のレセプトを出し、いつもより念入りに掃除をして、カレンダーを替えて、洗濯をして。
僕は注文していたお弁当を取りに行って、帰ってきたときには既にお茶が用意されていました。
例年よりも早い時間での今年最後の会食となったわけで、あっさりとしたものです。
今年をしみじみと振り返るわけでもなく、ご飯を食べたらささっと片付けて、「良いお年を」のご挨拶。 

夕方までの残された時間は一人診察室でレセプト点検、納品書、領収書の整理などしておりました。
あと、カレンダーにウサギのシールを張るのも大事な仕事でした。
いつの間にか外は真っ暗、でも冬至を過ぎているから少しだけ嬉しくなれます。 

明日からは冬期休暇に入ります。
僕は年老いた親の顔を見てまいります。あと何回会えるかわからないし。
それではまた来年、お会いしましょう。

2021.12.26  年の瀬なので
今日は今シーズンで最も寒い日だったとか。
しかし、朝早くから久々のロングドライブ。
空いている首都高を走るのはとても気持ちの良いものです。
用賀から東名に入ると広々とした3車線の解放感も格別ですね。
このまま御殿場あたりまで行きたいなって思いながらも横浜町田で下りて16号へ。
引っ越しのお手伝いだったんですが、冷蔵庫や洗濯機などを運んでいたら寒さなんてどこかへ吹っ飛んでしまいました。
昼前には戻ってきて娘とランチ。

午後は今年最後のサンデーソングブックを聴いておりました。(山下達郎&竹内まりや) 

<墓碑銘2021
ご遺族の方でなければ個人が特定できないように配慮して書きます。

100歳を超えた女性。
通院できなくなり、いつの頃からか往診をすることになりました。

ご家族のサポートがしっかりしていたのでこちらは何の負担もなく、月に1度のペースでお邪魔していました。
最初から「何があっても入院したくない、最期まで自宅にいたい」と、ご本人もご家族も仰っていました。
胃腸炎を起こしてから全身状態が悪化して、恐らく腎不全になったんだと思います。
医療従事者のお孫さんは僕の診療に支障のない時間を見計らって連絡をくださいました。
礼儀正しく律儀な方でした。 

・胃癌の術後、心臓疾患もあった男性。
やはり入院はしたくない、自宅で最期を迎えたいと仰っていましたので、訪問看護ステーションと連携して往診を始めました。
月に一度、隔週、そして毎週と頻度は増えてきました。

食事が摂れなくなると点滴も行ったりしました。
家族は医療や介護に関しては全くの素人さんでしたので、自宅で看取ることへの不安感は相当のもので、非常に大きな覚悟、勇気が必要だったのではないでしょうか。
急変のサインなんてわかるものでもないし、どういうタイミングで看護師や医師を呼ぶのか難しかったと思います。

最後の日、「いつ呼んでもらってもいいから」と言って、一旦自宅に戻ってからお泊りセット(着替え)を持ってクリニックに待機していましたら、夜中(もう明け方かな?)に呼ばれました。
現役時代は非常に厳格な方だったそうで、うちに通院している時とは大違いだったようです。 

・元警察官の男性。
前の病院からのお付き合い。
何と言いますか、豪快でもあり、繊細でもあり…。
彼に取調室で尋問されたら全て洗いざらい吐いてしまいそうな恐い感じなんですが、笑うと非常に可愛いんですね。
ステージ4の肺癌で抗癌剤で治療していましたが、力尽きました。
土曜日の午後、半ば無理やり退院して最後に会いに来てくださり、その翌日に再入院。
かなり痩せこけて、息遣いも苦しそうでした。
奥様から若い頃の写真を見せていただきましたが、本当に格好良くって、昭和のやくざ映画に出てくる若頭みたい。(褒めてるんだろうか)
とてもたくさんのエピソードがあるんだけど、書ききれません。 

・元製薬メーカーの男性。
「僕は○○という薬の開発に携わっていました」と仰っていまして、医療関係者なら誰もが知っている抗生剤です。
心不全は病院の先生に診てもらっていて、うちには何故か前立腺肥大症の薬をもらいにきていました。
まあ、以前は心不全もうちで診ていたのですが、心臓は専門医の方が良いよねということで、入院を契機にバトンタッチしたんです。
ご自分の体の状態は小さな手帳にびっしりと記載してあって、月に一度の診察の際に説明してくださいました。
11月にイレウスで入院され、その後腎不全を起こしお亡くなりになられました。
11月に奥様が受診されたときに、「うちの主人が入院してしまいまして、ちょっとお話をしたいのですが…」と言われました。
この日は土曜日の午前、一番忙しい時間帯だったので、「その話はまた今度」と突き放してしまったのが非常に心残りです。
「また今度」のお話は、「主人が亡くなりました」のご報告を聞くことになったのでした。
 

・肝硬変、肝臓癌の男性
肝癌は病院の先生にお願いしてカテーテル治療(塞栓療法)を繰り返し行っていただいていました。
肝癌は再発の多い疾患です。一つ潰しても次々と新しいものが出てきます。
そのたびに入院して、ラジオ波治療やカテーテル治療を行いますが、痛いし、熱も出るし、食欲は低下し、体力も消耗するし、とても辛いものです。
ある時から、「もう治療はしたくない、強ミノCの注射だけでいいんだ」と。
週に12回の強ミノCの注射に通い、肝癌は手をつけないという方針になりました。
そうなると癌は大きくなり、肝内転移も起こし、最終的には肝不全となってしまいました。 

・大腸癌の高齢男性
高血圧で通院されていましたが、貧血と腹痛を契機に大腸癌が見つかりました。
手術はせずに対症療法のみで自宅で過ごされました。下血しては輸血をしていましたが、我慢強く、常に感謝の心を持っていた誠実な方でした。
ご家族が献身的にサポートしておられたのが印象的です。 

他にも、僕と同い年のキュートな女性。「え、膵臓癌?」
これはショックでした。
全く考えもしなかった疾患でしたから。 

強風にあおられて転倒して脳出血でお亡くなりになられた90を遥かに超えた小さな老婦人は、毎回駅前から歩いて来られていました。
「一人で何でもできるんだから」、「買い物にもちゃんと行ってますよ」といつもニコニコしてお話ししていました。 

稲敷カボチャや自然薯を持ってきてくれていた膵臓癌、糖尿病の男性。
癌を手術したのが前の病院の時でしたから、かれこれ20年くらいのお付き合いでしょうか。
一本気な所があって他人思いでとても優しい方でした。
認知症が進み、在宅では見られなくなったことで入院されましたが、不慮の事故で亡くなってしまいました。 

・最後に、患者さんではないけれど、クリニックの開院に際し、大変お世話になり、その後もずっと甘え通しだった業者の方。
業者の方ですから、僕に対しては単なる顧客の一人としての付き合いに過ぎなかったのかもしれません。
内視鏡のシステム、カメラ、エコー諸々は彼の会社を通して購入してきました。
だから、機械のトラブル、それもちょっとした不具合やこちらの勘違いによる作動不良に対しても彼に電話をしていました。
そんな時、彼は内心「そんなことで電話するなよ」と思っていたのかもしれませんが、
「はい、すぐに行きますね」、若しくは「今日の午後、時間が空きますから」と言って、常に速やかに対応してくれました。

そしていつも親身になって相談に乗ってくれていたんですね。ちょっと困ったような顔も好きでした。
「会社を通すと料金が発生するから」なんて言っては自分の工具を持ってきて修繕してくれたことも思い出されます。
「随分と痩せましたね」と言ってから暫くして、
「彼は体調不良で休んでいます」

そして、「お亡くなりになりました」の報告を後任者から頂きました。 

こうやってずらずらと書きましたが、書いている途中でも熱いものがこみ上げてきました。

2021.12.25  デフレ脱却か?
クリスマスも終わり、あとは大晦日からお正月を待つだけとなりました。
子供がいなくなればクリスマスプレゼントやお年玉の準備もなくなり、淡々と毎日が過ぎて行きます。
診療も残りわずか、もうひと頑張りです。
と思っていたら、この2週間は体調不良で患者さんにも心配される始末でした。
イブの夜はクリスマスではなく、まさしく「クルシミマス」でしたから。  

デフレ脱却かと思わせるほどの価格上昇がみられる今日この頃です。
ガソリン価格もそうですが、輸入原材料の価格上昇に伴う製品価格の上昇が目立っています。
日銀が目標としていた2%のインフレも達成したんじゃないでしょうか。(黒田さん、良かったね)

価格の上昇が目立たないように製品の分量を少なくするようなステルス値上げもありますので、着々と値上げ作戦は成功していることでしょう。
お菓子やシャンプーやボディーソープなんかは確実に量が少なくなっていて、過去の同じ製品の価格の比較なんて無意味でしょう。
だって、比較対象の製品の規格が違っているんだから。
グラム当たりの値段、ml当たりの値段で比較するのが正しい比較の仕方だと思うのですが、最近の日本の統計についてはその結果をそのまま信じられなくなっていますからねえ。

誰かさんの都合の良いようにデータを書き換えることなんて朝飯前という状態です。

GDPや経済成長率なんていう数値もいくらでも操作できるとなれば国際的にも信用されなくなるはずです。
GDPが年率何%上がりました」、「過去最高を記録しました」、「景気はコロナ前に戻りました」
なんていう報道を聞いても
「どうせ生データを書き換えたんでしょ」って思っちゃいますもん。
だから、日本が中国のコロナ感染者の数値は当てにならないなんて、もう言えないんじゃないかと。 

で、値上がりの話に戻りますが、賃金上昇が伴わないインフレは消費者、国民にとって最悪の事態となるはずですが、みんなよく耐えていると思います。
我慢強い国民性のなせる業とでもいいますか、うまく飼いならされた家畜とでもいいますか、もう少し政策決定者の方に文句を言ってもいいと思うんですけど、
不満のはけ口はどうしても弱者に向かう傾向にあるのが不思議な所です。

2021.12.18  今年の個人的3大ニュース
今年も残すところ2週間を切りました。
コロナも2年目に突入して、ワクチンを接種したり、コロナの検査をしたり、そして陽性者が身近にもいたり、それなりにコロナとの付き合いが深まった年でした。
僕も先ごろ3回目のワクチンを打ち、これで安心して年も越せそうです。(実はコロナの抗体価を測定してみたら、完全に陰性化していたんですね。ここだけの話ですよ。) 

コロナも2年目ともなると、イベントも有観客で行われるようになり、今年は何度となく球場に足を運ぶことができました。
感染対策、行動規制は面倒だった反面、心穏やかに観戦することができたのも事実でした。
選手の生の声、打球音、捕球音を聞くことができました。また、横にお客さんがいないことでのゆったり感が良かったですね。

♪♪ コロナも2年目なら 少しは上手に
   政府のメッセージ 伝えたい ♪♪   (セカンド・ラブ  by  中森明菜風に)

来年はもっと色々なイベントに行けるようになるといいですね。 

巷では流行語大賞や今年の漢字も発表されたりして、一年を締めくくる時期です。
当院も忘年会、大掃除が終わり、インフルエンザワクチンも今ある分を打ち終わったら終了で、賞与も出しちゃったし、あとは職員のコロナワクチン(3回目)くらいとなりました。
 

というわけで、私的な3大ニュースの発表と行きましょう。 
3
夏の大雨にまんまと巻き込まれたでござる。
九州への里帰りの際の島原への旅行でウン十年に一度の大雨の中、車を走らせていて、本当に死ぬかと思ったこと。
雲仙を見に行った翌日に雲仙温泉でがけ崩れが起きていたり、通過後に高速道路が寸断されたり、悪運だけは強かったようです。 

<第2位>
「日本の絶景」などでも紹介されている、「青い池」を見に行けたこと。
夏の北海道を堪能できて良かったです。
冬が苦手なだけに、あの季節の北海道には何度行っても楽しめます。
いつかは礼文島や利尻島にも行ってみたいです。 

<第1
多くの別れですね。
今年は特に印象的な方とのお別れが多い年でした。
そして初めて在宅でのお看取りをしました。
これらについては別の機会に書くことにします。 

番外編
生涯で初めての経験をしました。
「声が出ない」
普通の風邪かと思っていたら、ある日突然声が全く出なくなりました。
今週の水曜日から今日までずっとこんな感じです。
ささやき女将みたいな感じで、声を出そうと思うと咳き込んでしまい患者さんには不審がられるし、心配されるし、たまったもんじゃなかったです。
熱もないし、いたって元気で声さえ出れば全く問題ない状態でしたけど。
トローチやうがい薬も全く功を奏さず、時間が解決するのを待つだけの辛い日々を過ごしておりました。
この間、酒も飲むし、コロナワクチンも打つし、講演会も聴くし普段通りの生活を送っておりました。
静養しろだとか、早く寝ろだとか他人の忠告を全く聞くこともなかったのが良くなかったのかもしれませんね。

2021.12.11  「やればできる」の罪
世の偉い人たちはこう言います
「今の地位にいるのは自分が人よりも努力してきたからだ」
これにはある程度同意できるのだけれど、全面的に同意しかねる部分もあります。 

低賃金に喘いでいる人たちや不平等に苦しんでいる人たちに対してこうも言います。
「今のグローバルな社会で勝つことのできる技術、能力を身に付けるべきだ」
「稼ぎたければ努力しなさい、高等教育を受けなさい」
確かにそうかもしれません。 

競争に勝った人たちにとって、それは心地よく響く言葉であろうと思います。
しかし、敗れた人にとっては、それは屈辱以外のものではないかと思います。
自分は努力が足りなかったから今の境遇にいるのか、低賃金に甘んじているのかと。 

「努力した者が報われる社会」は本来は理想的なのかもしれません。
「働かざる者、食うべからず」という言葉もあるくらいですから、何の努力もせずにのうのうと暮らしていける社会というのはやはり問題が大きいと考えられます。 

しかし、能力主義、メリトクラシーが行き過ぎた社会というのは社会の分断を生むように感じています。
今や約半数の若者は大学へ進学します。ということは約半数は高卒以下です、

「自分は小さい頃からたくさん勉強してきた」
「遊びたいときも塾に行かされた」
「そして高学歴を手に入れた」
「だから高収入を得られるのは当然だ」
「あいつらは(低学歴層)は低賃金で非正規でも仕方ない」
「努力しなかったからだ、文句があれば大学に行けよ」
というような、驕りや傲慢さがエリート層にはないだろうか。 

生まれた家庭、地域、環境によって人は大きく変わります。
本人の努力だけが今の自分を作っていると思っているのであれば、やはり「勘違い野郎」の誹りは免れないでしょう。
教育にいくらでもつぎ込める資金力、都会にいるか田舎にいるかの地域差は努力では埋められないハンデとなると思っています。 

日本の大学の最高峰とされる東大合格者の親の年収は、平均より明らかに高く、合格者は地方より首都圏の、それも私立高校出身者が多く占められている現実があります。
それでも東大に入れたのは自分の努力だけですか? 

エリートの傲慢と非エリートのルサンチマンが明確に現れたのはトランプ大統領の登場とイギリスのEU離脱でしょうか。
エリートが推し進めるグローバリズムについていけない人々はポピュリストに乗せられ、分断化の道を進んでいくことになります。
これは排外主義やナショナリズムと親和性がありますね。

日本でもそういった流れがないとも限らないわけで。 

Yes we can
これはオバマさんのキャッチフレーズです。
しかし、いくら叱咤激励しても無理な目標があったり、克服できない課題があったり。
そこには個人の能力がそもそも備わっていなかったり、周囲のサポートが不足していたり。
希望の言葉かもしれませんが、反面、諦めや絶望感、ひいては憎しみや妬みに繋がる言葉なのかもしれません。 

そんな時に、
「自分の成功は人様のお陰です」
「ただ、運が良かっただけです」
「できるだけ世の中に還元します」
と言う人が多くいてくれたら世間はもっと良くなるように感じています。

2021.12.04  師走じゃき
12月に入りました。
すっかり落ち着いていた感のあるコロナはオミクロンという新しい変異株で再び混乱しています。
年末年始に向けて感染が広がらなければいいのですが。 

先日、ある製薬会社のMRさんが、早期退職することになり、最後のご挨拶に見えました。
50歳前半で退職というのはなんとも切ないですね。
資格を持っているので食いっぱぐれはないのですが、誰もが知っているような大企業でも経営は厳しいのかなあ。 

昨年から製品の説明会、講演会というものは全てウェブになってしまいました。
かつてはホテルの大広間で開催されていたので、講演会の後の懇親会も含めたコストは大幅に削減できているようです。
しかし、他人とのふれあいというか、生の声を聞くことはできません。
例えば、「最近、君のところはどうよ?」、「この前、送ってもらった患者さんはああなって、こうなって…」
といったような話題は全くなくなりましたね。 

さて、第6波が来る前に当院では忘年会をやっちゃいまして、これで今年も終了と相成りました。
今年は納涼会も開院パーティーもなく、ひたすら仕事に打ち込んでおりましたので、これが職員へのせめてもの罪滅ぼしとなったでしょうか。
お店は満席でコロナ以前の雰囲気でなかなかの盛況でした。 

宴会は意外なほどあっさりとしたもので、酔いも大したことなくそそくさと帰ってきまして、「ちょっと飲み足りないなあ」という感じ。
明日はノルマの大掃除が待っていまして、否応なく年の瀬を感じさせてくれます。 

この時期のもう一つの楽しみは都市対抗野球です。
本来は720日頃からなんですが、今年はオリンピックの関係で今やっています。
先週、開幕戦を観に行ったのですが、今は全ての試合がパソコンで見られるんですね。
しかし、診察室で観るのとは違う臨場感は現地でしか味わえません。
毎年1試合か2試合見ていますが、とてもいいものです。 

社会人スポーツっていうのは野球に限らず、バレーでもラグビーでも外資系企業には受け入れることのできない感性なのかもしれません。
チームを運営するコストとそのスポーツで企業イメージを上げるメリットを天秤にかけた場合、そんなに割に合うものではないのかもしれません。
ここでファイザーやモデルナやアストラゼネカが日本の企業スポーツに参入してくれたらそんな会社でも応援できるのかもしれませんけど。



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