独り言


2021.10.30  世襲
秋も深まりもうすぐ冬、という季節でもないと思うんだけれども、朝はちょっと寒いです。
昨日、近くの小学校では紅葉真っ盛りの日光へ遠足に行ったようで、天気にも恵まれて何よりでした。 

昔(と言っても30年くらい前)、秋の京都に訪れたのは11月下旬だったのですが、赤い紅葉の中、二人で歩きました。
あの景色は印象的で、黄色より断然赤い方が秋を感じさせてくれます。 

来週からは11月、年々時が経つのが早く感じられます。
この前夏休みだったのにもう冬休みの予定を考えなくてはならないなんて。 

世襲について。
伝統芸能、同族企業なんてところが代表的でしょうか。
「一子相伝」なんていう言葉もありますし、歌舞伎の世界などでは幼いころからその子の意思とは関係なく跡を継がせることが当たり前になっています。
芸能界でも世襲(親の七光り)が幅を利かせるケースもありますが、あまり良い印象を抱かせないケースもありますね。
このあたりは個人的な問題に収まるし、周囲への影響はそれほどないのかもしれません。

小さな会社では息子や娘や親族が後を継ぐケースがあります。
しかし、経営の才覚がなければ事業が左前になることだってあるわけですが、その影響は比較的限定的です。(従業員は可哀想ですけど)

そして、医師の世界でも世襲って昔はかなり多くあったと言われています。
しかし、今ではかなり難しくなっています。
何故か?
親がいくら世襲を望んだとしても、その子に医学部に入るだけの学力がなければ無理ですから。
昔(30年以上前)であれば色々な手立てをして私大に何とか押し込むことができたかもしれませんが、言い方は悪いのですがかつて「底辺」と言われた大学でも今では偏差値が早慶並みになっています。
一応、入試というシステムでその実力(地頭)が計られているわけで、無条件に親の家業を継がせることはできなくなりました。
それに子供の頃に親がいつも家にいない生活を見てきた子供にとってはそれほど魅力のある職業ではなくなっているのかもしれません。 

さて、世襲(の旨味)と言えば政治家の右に出る職業はありません。
幸いなことに政治家家業は何の資格もなく継ぐことができます。
代々政治家という、家業が政治家である場合も多々見られます。(北朝鮮みたいですけど)
親の後姿を見て自分も政治の世界に身を投じる、この国を正しく導きたいという高邁な精神を持って政を行うのであれば文句はありません。
しかし…、その後は申すまい。 

問題は彼、彼女の政治家としての実力、能力を測る方法がないことです。
(日本語が通じない、会話が成立しなくても議員になれちゃうくらいですから)
たとえ親が立派でもその子が立派かどうか、政治家の素養を有しているのかはわかりません。 

例えば地方議員や首長でもやっている人であればある程度の評価は可能ですが、秘書や会社勤めをしていた子供がいきなり後継者って言われてもねえ。
その昔、与党から世襲禁止(制限)の方針が検討されたことがありましたが、あっさり撤回されました。
あれこそ既得権益の撤廃として維新がぶち上げてもよいマニフェストかと思いましたが。 

国会議員たるもの、これまで政治に携わってきた人や経済、社会保障、安全保障、外交などにある程度の知識を持っている人が望ましいと思うんですが、
「政治のことはこれから勉強します」なんていうタレントを連れてきたりするのは有権者を馬鹿にしていると言わざるを得ないように感じています。

人気投票の駒に成り下がっている(利用されている)議員さんが誰とは言いませんが、本来であれば政治のプロであるべきで、その能力の多寡は国民の生活だけでなく国の行方に与える影響は甚大ですよ。

2021.10.23  安い国
今週に入って一気に秋から冬へ突入したかのような寒さになっています。
先週までは半袖半ズボンで過ごしていたのに、慌ててタンスから冬物を引っ張り出してきました。
布団も冬用にチェンジです。 

「令和版所得倍増計画」
最初聞いたときには、「なんとまあ、大きな風呂敷を広げたものだなあ」という印象でしたが、
これを担当大臣が所得が2倍になるものではないと否定しておりました。
誰も2倍になるなんて思ってなかったと思うのですが、大真面目に否定してくれたことで再注目してしまいました。

この30年間実質賃金は上昇していないので、世界から見ると日本はとても安い国になってしまいました。
賃金が5%でも10%でも上がれば物価の上昇にも耐えられるのに、賃金が変わらないので物価の上昇を受け入れるだけの余力はないというのが現状なんでしょうね。
岸田さんの所得倍増計画は言葉のあやというか、絵に描いた餅だったのかなあ? 

国民の平均所得が300万円の国に住む人(A)と平均所得が800万円の国に住む人(B)がいたとします。
Aさんは400万円の所得、Bさんは600万円の所得だとしたらどっちがいいだろう。
Aさんの国で暮らすのであればAさんはお金持ちとして生活できそうです。
Bさんの場合は逆ですね。 

しかし、海外旅行をする時を考えてみましょう。
自国ではお金持ちの階層に属しているAさんはBさんの国を旅するときにはさぞや物価が高いと感じることでしょう。
逆に自国では低所得者層に属しているBさんがAさんの国に旅行をしてお土産を買う場合、非常に安く感じることになるでしょう。
海外からの爆買いツアーの客が大挙して押し寄せるのを「観光立国、日本」と喜ぶのは些か単純な発想ではないかと思っています。

安くて良いものが手に入るのは良いことなんだけれど、それがいつまでも続くとは限らないんじゃないかなあ。
だって、海外からの原材料費が上昇した場合、国民の所得が高い国(金持ちの国)はそれを価格へ転嫁できますが、
平均所得の低い国ではそれを価格に転嫁できずに流通や人件費のコスト削減で補うことになります。

また、そんな高額では輸入できないので他国に買われてしまう(買い負けてしまう)ことになります。

食料や原油などを輸入に頼っている国は自国民が貧乏だととてもきついと思うんですね。

賃金を上げ、従業員(国民)の所得を増やすことは企業にとっても有利に働くと思うんだけれど、それを怠ってきたツケはそのままその企業に跳ね返ってくると思います。
ただ、自社の製品やサービスを貧乏な自国民向けではなく、金持ちの海外向けに売るのであれば別にどうでもいいんでしょうけどね。(国内消費が冷え込んでも輸出が増えれば企業は儲かるから)
自国民を低賃金で働かせ、金持ちの国に高値で買ってもらえたら万々歳って、まるで発展途上国のようです。 

岸田さんの「キシダノミクス」は果たしてうまくいくでしょうか?
「神頼みクス」だったら困るんだけど。

2021.10.16  自由と平等
眺めてみるとどちらとも非常に良い言葉です。
不自由より自由が良いに決まっています。誰しも束縛されたくないでしょう。
平等についても同じです。
平等に扱われたい、差別なんて受けたくないに決まっています。 

仮にここで、「人は生まれつき平等だ」としましょう。(親の財産や学歴などは無視)
しかし、人の能力には歴然とした差があります。
知力、体力もそう、肌の色も顔かたちも、性格だって違います。 

自由な競争によってできた格差は仕方ないものだ、それは本人の才覚、努力、運などによるものだから受け入れるべきだ。
という意見も正しいとしましょう。 

しかし、こうしてできた格差が社会の不安定さを助長(社会問題化)することで、
「格差はいけない、人は平等であるべきだ、困っている人を助けなくてはならない」という考えが当然起きてきます。
 

その場合、多くの富を持っている人(富裕層)から困っている人(貧困層)へ分配することが人道的には求められます。
そうすると、「平等な競争で生じた格差なのに、どうして自分の富を差し出さなければならないんだ」という不満が富裕層から出てきます。 

好き嫌いでものを言うべきではないのですが、非常にイヤな気分にさせられます。 

日本人は比較的そういうことを言わず(心では思っていても)黙って分配する心優しい、寛容な国民だったと思っていました。
一方、アメリカでは教育や医療などにも自分で稼いだお金を他人のために使うべきではないという人がかなりいるために公教育や公的な医療サービスが脆弱です。 

しかし、最近(でもないかなあ)日本でもアメリカナイズされた声の大きな人たちが色々政府に注文しています。
私財で高い教育、医療のサービスを受ければいいんだ、貧乏人は質の悪いサービスで我慢しろって。
萩生田さんがポロっと口を滑らせた「身の丈に合った」発言ですね。
それでも日本はまだ公の精神が保たれているほうだと思っていますし、これからもそうであって欲しいと願っています。 

そして、平等を求めていく上ではやはり何らかの制約や制限が必要になり、自由とは矛盾することが生じます。
完全なる自由を追求すれば平等ではなくなるし、平等を追求すればそれは社会主義、私権の制限、不自由な社会となります。
自由と平等のバランスをどのくらいにするかは非常に難しい問題で、新自由主義からの脱却、新しい資本主義(分配を重視する)というスローガンの岸田総理は難しいかじ取りを迫られていると思います。
先の総裁選の時の公約(決意)は大きな期待を持たせてくれましたが、最近どうもトーンが下がっているのが気になっていまして、操り人形を操っている人の顔がチラチラと見え隠れしていますね。 

どの党も「分配」を声高に主張していますが、ここは「再分配」と言って欲しかったなあ。
その財源をどこから持ってくるのかを明らかにせず、分配するのはちょっと無責任なように感じます。 

最後に。
8番セカンド」と世耕さんに評された我が国の総理は果たして褒められているんでしょうか?
もし自分の結婚式の披露宴で、「彼は学生時代、8番セカンドで活躍していました」と言われたらあんまり嬉しくないけど。
やっぱり、一国の総理大臣は、「エースで4番、そしてキャプテン」じゃなきゃね。

2021.10.09  萎む国力
2か月前、予期せぬ病気で入院する羽目になった方が今日外来に姿を見せてくれました。
両側肺炎で酸素も投与され、酸素飽和度もかなり下がったのですが、治療がうまくいき無事退院の運びとなったそうです。
元々太めの体形でしたので、入院生活でかなりダイエットできたのかと思いましたが、
「ご覧の通り、元通りです」と胸を張ってお答えくださいました。
良かったね。(微笑) 

今年のノーベル物理学賞に真鍋氏が選ばれたというニュースについて。
真鍋氏は日本生まれですがアメリカ国籍を取得していて、研究は専らアメリカで行っていたわけですから、もろ手を挙げて日本国の研究実績を誇るものではないと思っています。
(決して貶すものではなく、素晴らしい業績だと尊敬すべきものです。)
しかし、僕が少し残念に思うのは、こういった研究が日本国内で完結できない、研究の場を国外に求めざるを得ないという国情なんですね。
これまでも多くの(ほとんどの)ノーベル賞受賞者が仰っています。
「日本は基礎研究に予算を出さない(少ない)ため、若手の研究者が育たない。もっと多くの予算をつぎ込んで欲しい」 

「資金は出しましょう。研究は勝手にやりなさい。時間がかかっても良いですよ。」
という余裕のある時代は遠い過去のものです

「すぐに目に見えるような(金儲けになる)結果を出せ。そうじゃなければお金は出さない。」
「選択と集中だ。」
といって、箸の上げ下げまで干渉されるようなところでは世紀の大発明なんてものは生まれようがありませんよね。

ただ飯ぐらいの研究者を大勢抱える財力も忍耐力も包容力も今の日本にはなくなってしまっている、それだけ国力が低下して表れでもあります。
大仕事をしたければ海外に行くという流れは今後も続くでしょう。そして、それを食い止める術は今の日本の状況ではなかなか見つからないでしょうね。
今後もノーベル賞受賞者を輩出したいのであれば、学術研究の予算を増やす、研究者の給料を上げる、いちいち目くじらを立てずに勝手にやらせることだと思っています。
でも、無理だろうな。 

高度成長期、そしてバブルの頃は人が何しようと割と大目に見てくれたというか、それぞれが勝手にやっていても周囲は頓着せずにいてくれました。
しかし、今は人がやっていることに対し、やたらうるさく、干渉し、格付けしてくれます。

それはすぐに役立つのか、コストパフォーマンスが良いのか悪いのかとか。
自分よりもあいつの方が得しているんじゃないか、ズルしているんじゃないかとかを絶えず気にしたりして。
「貧すれば鈍する」とはよく言ったものです。

2021.10.02  インフルエンザワクチンのこと
自民党の総裁選は予想通り(希望通りとでも言いますか)キッシー(岸田さん)に収まりました。
穏健な保守というか、「ザ・宏池会」なタイプですね。
分厚い中間層を築くことができるか、国民の所得を増やすことができるか、期待してもいいのかな? 

本来、保守っていうのは農業や漁業に従事する人たちを守る、日々汗水たらして働いている人々に報いる、古き良き伝統を守るものと認識しておりました。
しかし、最近はやりのグローバリズムだ、弱肉強食だというものは決して保守とは言わず、保守とは対極にある考え方だと思っています。
稼いだ奴が偉いんだ、金を持っている奴が全てを牛耳るんだっていう世界はとても醜悪なものとして映ります。
そして、そんな人たちが「保守」を名乗るのは筋違いだと思うんですけどね。
強者に寄り添い、弱者には自己責任を押し付けてきた前政権(前々政権)からの脱却は相当難しいでしょうが、少しでも揺り戻しがあればいいですね。
(組閣のメンバーを見てみると、期待も少し萎みます)
 

それでも、当選が決まって初めて総裁の椅子に座ってインタビューを受けている時のキッシーの表情はとても良かったです。
あの表情がずっと続けばいいのだけれど、何か月か後には眉間にしわを寄せて記者からの質問に窮してしまうキッシーの姿が目に浮かびます。
そんな時、苦しくても嘘をつかずに自分の言葉で語ることができれば、国民は今までの総理とは違うと感じると思います。(同じだったら嫌だな)
宏池会系の政治がうまくいくかどうか見守って行きたいと思います。

総裁選のことはこれくらいにして。 

10月に入りインフルエンザワクチンを希望される方がちらほら。
うちは1018日からですよって案内しているんですが、自治体から送られてくる高齢者の予診票には「101日から受けられますよ」と書いてありますから仕方ないです。
各医療機関によって開始日は異なりますので必ず確認してから受診してください。 

そして昨年までと大きく違うのは、接種対象者を制限したことです。
正確に言うと、「制限せざるを得なかった」のです。
当院のモットーは、「どなたでも(かかりつけでなくても)予約なしで打ちます」でした。
そのため昨年は過去最高の接種人数を記録したのですが、今年はワクチンが昨年度比70%しかありません。
従って今年は「どなたでも」の部分が不可能となりました。
普段の診療で定期的に通院されている方、定期的に通院されてなくても直近5年間でインフルエンザワクチンを3回以上打っている方に限らせていただきます。 

「どうして予約できないの?」と度々訊かれます。
理由はインターネットでの予約システムを採用していないこと、専用の電話係を雇っていないことです。
以前、事務さんに予約係をお願いした年がありました。
当然のように電話にかかりっきりとなり、通常業務が不可能となってしまいました。
また、ドタキャン、ダブルブッキングの問題が頻発したことにより予約制はやめました。
お互いが不幸になる、不愉快になるのであれば予約なしで行った方が良いよねということで現在のシステムにしております。



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