独り言


2021.02.27  見返り美人
2月も終わります。
来週から3月。
歓送迎会、謝恩会、卒業旅行、花見といったイベントは今年も奪われてしまうのでしょうか。
我慢しろ、自粛しろって言われ続けた1年間。
無症状の若者が感染を広げると言われ、GW、お盆、正月もどこにも行けず。 

「書を捨てよ、町へ出よう」じゃないけど、「マスクを捨てよ、町へ出よう」
という気にならないのが不思議なくらい、真面目で素敵な日本人でした。

人生の中で無駄な1年というのは1度としてないのはわかるんですが、特に高校、大学時代の1年間ってかけがえのないものだとこんなおじさんだからこそ思えるのかもしれません。
だって、僕のこの1年間はどこかに消し去ってもそれほど悔しくも惜しくもないものですが。(って言ったら大袈裟か)
しかし、若い人たちは学校生活の楽しい行事が全て吹っ飛んでしまいました。 

「そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ」
って明るく話し合える日が来ればいいのですが。 

だからこそ、早いところワクチンの普及と治療薬の開発を切に望みます。 

開業医にもワクチン接種の協力要請が来ましたが、ワクチンがなきゃ協力のしようがないんですけどね。
最近ではマイナス70℃かなんかの温度管理も何だかなし崩し的に緩和されそうな感じで、通常の冷凍庫でも保管できるのかな?って感じもしています。
しかし、がんじがらめの規則(事務作業が大変)があることで個別接種に関しては非常に悩ましいところですね。


接待する、される事について。
今ではめっきりなくなりましたが、その昔、接待全盛期の頃を思い返すと、メーカーの担当者(とその上司)、そして我々という組み合わせが一般的でした。
メーカーの担当者とはよく知った仲ですので、その場で名刺交換しなくても名前はわかっています。
しかし、メーカーの上司が同席の場合、上司は初対面だったりするので必ずと言っていいほど名刺をくださいます。
「いつも○○(担当者)がお世話になっております」なんて。
彼女が名刺をもらっていないということは既に顔なじみだったんでしょうか。 

接待が常態化して、いろんな業者と会食していれば、いつ誰とどこでどんな話をしたか、名刺をもらったかどうかまでも忘れてしまうことがあるのかもしれません。 

飲み会に誘われたら断らない方であればもしかしたらそういうこともあり得るのかなって。

さて、何のために接待するか。
ただ飯を食わせて何のメリット(見返り)も求めないって普通あり得ますか?
相手を接待する、おごる目的は…、言わなくてもわかります。 

自社製品を使って欲しい、便宜を図って欲しい、これから良い関係を築きたい。
そんなところでしょう。
接待してもらったら、やはり何らかの意図を感じるでしょう、普通。 

一人で食事をするのも寂しいから友達を誘った場合、こっちがおごることがあります。
そしたら次はおごってもらったりします。
しかし、最初におごる時、見返りは求めていません。それは友達だから。 

今回、この方に「見返りを求めずにただ好意でおごってくれただけなんだ」って思われた業者はいい面の皮ですね。
全く効果のない7万円あまりの接待でした。
彼女、もうどこからも誘ってくれなくなるかも。

2021.02.20  昼飲み
今日は半ドンだったので昼飲みとしけこみました。だって、お酒は19時までなんだもん。
まあ、やることはやってから出かけた次第で、昼夜の食事も兼ねて。
今回もおひとり様で、話し相手はマスターと厨房の方だけ。 

お店で大坂さんの全豪を第2セットの途中まで見ましたが、余裕ある試合運びでした。
代行が来たので最後までは見られませんでしたが、帰ってから結果を確認したところ、見事ストレートで勝っていました。おめでとう。

あと、ラグビーの福岡クンが順天堂大学医学部に合格したというニュースもあって、心地よい週末を迎えております。
順天合格って、凄いと思っています。慶応は別格として、慈恵と並んで順天は私学の医学部として最難関校とされています。
(ただ、僕らが学生の頃の順天とは隔世の感があります)

現在28歳の彼が医師になるのは最短で34歳で、これからも何かと注目されると思いますが、応援したいと思っています。

僕が18歳で大学に入学した時、既に2226歳くらいで大学や大学院を卒業してきた人が同学年でいました。(早稲田の理工や国立大の薬学部卒など)
そんな彼らは医学に対するモチベーションが最初から僕ら現役生とは違っていて、僕らがバイトや遊びに夢中になっているのをしり目に授業や実習に真剣に向き合っていました。
僕らは授業をさぼって午後の実習に予習もせずに出てくることは日常茶飯事でした。
当然、実験の目的も手順も判りません。予習していれば起こりうる結果、得られるデータも想定されるのですが、全てが行き当たりばったり。
だから同じ実験グループの真面目な学生(既卒の同級生)に一から十まで教わって、レポートを写していました。 

「お前らなあ、ちょっとは勉強しろよ」って言われながら。 

しかし、最近の学生は真面目ですね、不真面目だったのは昭和の時代まで。
授業も出席率が把握されているし、それが親に報告されるんですね。成績表も親に郵送されるなんて、僕らの時代では考えられないことです。
もし、当時の僕の成績表が実家の親に送られていたら…。
まっ、古き良き時代ってことで。 

最近、外来で頻繁に聞かれること。
Q「ワクチン、ここで打てますか?」
A「残念ながらファイザー製のものは無理です。」、「マイナス70℃の冷蔵庫がないからね。」 

Q「私は打っても大丈夫ですか?」
A「是非、打ってください。」 

インフルエンザワクチンみたいに手軽に打てればいいんですが、なにぶん初めてのことですからみんな不安で仕方ないところでありますね。 

しかし、副反応の項目で、「注射部位の疼痛」っていうのは勘弁してもらいたいですね。
それは副反応ではなく、当然の反応でしょうが。
体に針を刺すという侵襲的なことをすれば通常の痛覚を備えていれば誰しも「痛み」を感じます。
思っていたより痛いか痛くないかの違いだけでしょう。
注射による痛みに鈍感か敏感か、痛みを「そういうもの」と弁えているかどうかの差だと思っています。
嫌々打てば痛く感じるし、打つべきものと納得していれば痛みも受け入れられるはずです。
いい大人が「痛い」、「痛い」って言うもんじゃないって思った次第です、ほんと。

2021.02.13  お帰り
このところ暖かい日が続いていて、「このまま春になればいいなあ」なんて甘い期待を抱きながら働いております。

今週は診察室のパソコンを修理に出して、代わりのものを使っていたのですが、これが全くもって使いづらくて難儀しました。
使い慣れているものであれば予測変換がスムーズに出てきますよね。しかし、代用のものはこれが一々面倒くさくてイライラしていました。

紹介状、診断書、結果報告書なんてものを書いていて、例えば「胃体上部大弯側」っていうフレーズが出てきたとします。

まず、「胃体」は「痛い」、「遺体」っていうのが出てきます。仕方ないので、「胃」を出して、次に「体」と繋げます。
「上部」は「丈夫」だし。
終いには「大弯」の「弯」の字がなかなか出てきません。
IMEパッドを引っ張り出して、「部首は弓だな、弓って何画だっけ?」って。

「胆のう」だって、「堪能」になっちゃうし。 

漸く今日の夕方に修理から戻ってきたので、こんなストレスからもやっと解放されます。 

戻ってきたパソコンはWindows10にバージョンアップされていたのですが、これまでずっと馴染み深かったInternet ExplorerよりMicrosoft Edgeを推奨してくるんですね。
家のパソコンは何かの拍子にEdgeにしてしまったんですが、どうも使いづらいです。クリニックのものは意地でもExplorerのままでいきたいな。 

今週は森元とワクチンの話題でもちきりでした。
「余人を持って代えがたい」と世耕さんは仰っていました。国内からだけのクレームであれば、あの「なんちゃって謝罪」で済ませるはずだったんでしょう。
しかし、外国からのクレームのお陰で余人が現れることになったわけですね。

自国の問題を自国で率先して処理できないっていう醜態は見ていてなんか悲しい。

あと、色んなメディアで、「女性蔑視とも取れる」と表現していましたが、「とも取れる」ということは、
「普通は女性蔑視とは言えないけれど、見方によっては女性蔑視と取るかもよ」というニュアンスを感じてしまいます。
なんか発言者に忖度しているというか、奥歯に物が挟まった感じの表現でモヤモヤ感が募りましたね。

2021.02.11  罰則
久々の休日で、朝から洗濯や掃除をしておりました。
古くなった家具を処分したら休憩室がスッキリ。

明日、職員にちょっとは感謝されるかも。
週の真ん中に休日があるのはとてもいいものだと感じられますね。 

先日、コロナワクチンの件について自治体の説明会に行ってまいりました。
資料の中では高齢者に対して4月から開始する予定とありましたが、現状では計画通りには始まらないように思っています。
医療従事者についてもまだ何も決まっていないようですし、ある程度の混乱は想定内にしておくことが重要だと思います。

4月からって言ったじゃないか」って怒ったところで何のメリットもありませんからね。
これまでの厚労省の仕事ぶりにはみんな慣れっこになっているでしょうから、
「みんな大変だね」、「みんな必死に頑張ってるんだね」って寛容な心で待つことにしています。 

罰則規定について
目標を達成するため、成果を挙げるための方法として、できなかった時の罰則を設けるっていうやり方はどうも気に入りません。
「一致団結してみんなでやり遂げよう」、「心を一つにして目標に向かっていこう」
しかし、中には手を抜いたり、非協力的な態度をとったりする天邪鬼がいたとします。
また、そもそも実力不足のため力を発揮できない場合もあるわけです。

後者に関しては罰を与えることはできませんけど、前者に対し罰を与えようとする風潮がみられています。
家畜や奴隷であれば鞭で叩けば従わせることができるかもしれませんけど。 

ルールに基づいてルールを守らなかった人には罰を与えるべきという意見は尤もなんですね。特に犯罪行為に対しては。
しかし、そうでない場合、協力することへのインセンティブが不十分だったり欠けているんじゃないかと思うケースが多々あります。

その集団の全ての人が徳のある人格者であれば、良きことや理想を追い求めることに何の疑問も持たずに邁進するかもしれません。
もしくは独裁者や党により支配された集団ではあり得る光景ですね。

しかし、普通の世界では利害が競合したり、打算に目がくらむ人もいるわけで、メリットが感じられないと思えば協力しない人も出てきます。
全てが同じ考えを持ち、同じ方向に進もうとする集団は非常に危険でそして脆いと思っています。

違う考えを持ったり違う行動をとったりする異分子を、ただただルールに反したからといって罰するという流れはどうも窮屈で仕方ありません。

「つべこべ言わずに言うことをきけ、上が決めたことを守れ」っていうのは時間も手間もかからず便利ではありますね。
いちいち事情を斟酌してなだめすかして納得させるのは非常に面倒くさいですもん。

コロナ対策の改正特措法っていう法律について感じたことです。 

人は罰を受けたくないから従うのか、それとも何かいいことがありそうだから従うのか。
どちらの方法を取れば気持ちよく生活できるでしょうか?答えは明白だと思います。

2021.02.06  長い会議
「異議なし」、「異議なし」、「異議なし」
開業して初めての医師会の総会に出席した時の衝撃。 

シャンシャン総会とも言われる予定通りの議事進行。
当時の僕は医師会という組織では全くの新参者ですから、席も一番端っこに座っていたんですね。 

重鎮の先生方が活動報告やら収支報告やらを読み上げていました。
議題についても恙なく進行していくんですが、予め理事の先生方の間で話し合われていて(根回しって言うんですか)下々の者はそれを決定事項として拝聴するっていう感じでしょうか。
それ以降は出席しませんでした。(とにかく幻滅したからでしょうね) 

果たして民主主義的な組織ってそういうものでしょうか。 

「文句があるのであれば、責任ある立場になってから言うべきだ」
「理事に立候補して組織の中から変えていくべきだ」
っていう意見もあるのでしょう。

いつぞやの貴乃花親方のようになってしまう危険性だってあるわけで。 

事を荒立たせることなく、波風を立てず、議論が紛糾することなく、時間通りに終わらせることが上手な会議の運営の仕方だとされているのであれば、そんな会議に出席することは無意味だと思っています。
そんなの後日プリントかメールででも送ってくれればいいんだから。
 

会議でゼロから合意形成していくのは凄く手間と時間がかかります。
ある程度は方向性を決めておくって言うことも必要かと思いますよ。
ただ、あまりにも硬直したもので、異論をはさむ余地がないものは会議の体をなさないと思っています。
それはただの報告会で、アリバイ作りでしかないものですから。 

若造が何か意見を言おうものなら、
「なんにも知らない奴が勝手なことを言いやがって」
「少しは空気読めよ」
ってな感じで眉を顰められてしまうのでしょう。 

そこはちゃんと「わきまえなくてはならない」のです。 
身分相応の言動と忖度と阿吽の呼吸で世渡りをしていくことが「立派な大人」の条件として令和の時代でも求められているとしたら、何ともやるせないです。 


もう一つ、「男同士」というのもキーワードかと思っています。
夜のお店、特にお姉さんがいるようなお店には女性は普通行きません。
大体そういうお店で意見を交換したり共有したり、連帯感を持ち固い絆を結ぶのでしょうか。
夜の接待なんていうところに女性議員や女性役員はなかなか行かないものでしょ。

ゴルフやマージャンに夜のクラブ活動、男同士で楽しく遊ぶことで商談も政策決定も何故かスムーズに運びます。
女性同士で根回しをしあうっていう事は僕が男だからでしょうか、あまりイメージが沸きません。
もしかしたらあるのかも。
 

「どうせ女性にはわからない」、「男同士、通じるものがある」なんてフレーズは女性排除の論理ですよね。
今回、図らずも性差別の問題意識を提起してくださったお方には感謝すべきだったのかもしれません。



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