独り言


2021.01.30  決意表明
1か月で治します」
と患者さんに言って、残念ながら治らない状況に陥って、
患者さんに、「1か月で治るって言ったじゃない」
と問い詰められたと仮定して。(僕は仮定の質問にも答えますから) 

「申し訳ありませんでした。見込み違いでした。治療がうまくいかなかったので、もう少し時間をください。別の方法を検討します。」
と言うべきなのに
「あれは決意の表明です。」
と言っちゃったら、患者さんにぶん殴られかねません。 

彼にすれば所信表明演説みたいなものだったんでしょう。
「あれもこれもやります」っていう。
できるかどうかの根拠は示さなくてもいいし、できなかった時の責任は取らなくてもよく、大風呂敷を広げるだけ広げるだけの決意表明、だったんですね。 

あの時誰もが、「たった1ヶ月で緊急事態宣言を解除できるわけない」って思っていたのではないかと推察します。
その上であの発言を生暖かく見守っていたのではないかと思うんですが、あんな言い訳が出てくるとは。
決して間違いを認めようとしない、謝らない態度は自分も見習うべきかもしれません。(やれやれ) 

今週はこの他にも秀逸な微笑ましい言い訳をされる方がいらっしゃいました。
「雀荘に行ったけど麻雀はやってない」(相撲親方)
「銀座のクラブで陳情を聞いていた」(議員のMさん)

「クラブに行ったけど酒は飲んでない」(議員のTさん) 

雀荘に行ったけど麻雀はしていないっていうケースはなくもないですよ。
例えば5人で行った場合、1人は抜けなくてはなりません。
それが僕だった場合、そういう言い訳が通用するんですけどね。
しかし、次の半荘では2抜けといって2着の人が抜けて僕が入ることになります。
行ったからには半荘くらいはやるでしょ。

昔、麻雀しようと友達のうちに行ってみたら既にメンツが一杯で、仕方ないんでそこで風呂を借りてテレビを見て帰ったっていう思い出がありますね。 

銀座のクラブで酒も飲まずにはしごして陳情を聞いて回るなんて凄く仕事熱心な、国民の生活を真剣に考えている方なんだなあって、ある意味尊敬して已みません。

さて、1月も終わろうとしています。
今週の木曜日(28日)に久々に降る雪を見ましたが、たまに降る雪は良いものです。
いつもじゃ飽きちゃうから。 

寒い冬もあと2か月弱かと思えば何だか気分も前向きになりますね。
最近は朝も少し明るくなってきているので日課である朝の掃除もやりやすくなっていまして、季節は確実に春に向かっていることが感じられます。 

ただ、残念なことに今年はキャンプが無観客になったのでうちのチビの沖縄行き(5年くらい続けて行ってる)は自然消滅してしまいました。

2021.01.24  呪文
「人類がコロナに打ち勝った証として」
これは何かの呪文でしょうか?
念仏のように何度も唱えればその願いが叶うというのでしょうか。
叶うといいのですが、この勝負はどうも分が悪いように感じています。 

「最後まで諦めるな、諦めたらそこでお終いだ」っていうのはわからないわけではないのですが、何だかIOCと日本(組織委員会)とでチキンレースをやっているように見えます。
代表が内定している選手の立場からすれば非常に辛いことでしょう。
人生を賭けた晴れの舞台、次のチャンスはもう二度とこない選手が大半でしょうから。
そして、メダリストとなれば引退後は国会議員への約束手形が得られるみたいだし。(笑) 

どうしたら開催できるかということを多くの人が考えてもなかなか妙案が見つからないのが現状で、
現時点では、選手はワクチン接種、PCR検査で陰性を確認の上、無観客での開催といったところを落としどころとするんでしょうか。

仮にオリンピックが頂点を極める純粋で神聖なスポーツであれば、開催に向けて応援したいのですが、
一部の誰かのためのスポーツビジネス(ショービジネス)となり下がってしまった感のある現在のオリンピックは別に無理やり開催する必要はないと思っています。

はなから見る気もなかったし、どうでもいいイベントだと感じていましたから。 

そういえば「完全な形で」というフレーズを何度も聞いた覚えがありまして、何を持って「完全」とするのかは今やどうでもよくなっています。 
今の状況が続くのであれば国体レベル、若しくは東アジア大会レベルのオリンピックならできそうですね。
日本人選手と中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランドあたりの選手であれば入国可能でしょう。

日本が良くても世界各地で感染が収まっていませんし、各国の代表選考会は無事に行われているんだろうかっていう心配もあるわけで。 

何事も往生際が悪いと嫌われるし、あまりいいことが起こらないように思います。

2021.01.16  言葉
昨年、「マイ・フェア・レディ」を見た時の感想なんですが、
その人の喋り方、言葉遣いでその人の生まれ、育ちがわかるということに、「わかる、わかる」と膝を打ちました。
貧しい花売り娘イライザを言語学者であるヒギンズ教授が正しい綺麗な英語を習得させて貴族の舞踏会へ出られるようにするというストーリーです。
(あまりにも大雑把やなあ)

日本ではあんまり想像できないのですが、英国はさすがに階級社会ってこともあって、階級によって飲むお酒の種類や好むスポーツの種類が違うとされています。 

日本にも方言という文化がありますが、方言やアクセントでどこの出身者か大体わかるものです。
そういう方言サイトもあり、自分でもやってみましたが、見事当てられました。
「砂の器」も最初のとっかかりは東北弁らしい喋りと「カメダ」というワードがポイントでした。

ただ、方言だけでは氏素性まではわかりません。
しかし、言葉遣い(およびその人が使うワード)というのは非常に重要です。
50年も生きてくれば言葉遣いでその為人は随分とわかるようになりました。
患者さんの中に綺麗な言葉、上品な言葉を使うご婦人がいらっしゃいます。
それまでの生い立ち、育った環境、付き合ってきた人たちというのがおぼろげながらも想像できます。
同時に、尊敬語や謙譲語を正しく使えるか、語彙が豊富か、美しい表現ができるかっていうのはその人を判断するのに重要な役割を果たすと思っています。 

一方で、テレビから乱暴な言葉、汚い言葉が流れてきて、発する人の顔を見れば、「ああ、そういう人なんだなあ」っていう評価をしてしまいます。
普段何気なく使っている言葉っていうのはその人の素養、教養を反映しているものと思っています。
そして、TPOに応じた言葉遣いっていうのはコミュニケーション能力の最たるもので、決して一朝一夕に獲得できるものではないと思うんですね。
だからコンビニのマニュアル言語や営業におけるへんてこりんな敬語を聞かされると何だかがっかりしてしまうんですな、これが。

また、いくら高学歴で偉そうにしていても、発する言葉で隠された人間性が明らかになることだってあるわけで、「お里が知れる」という人を揶揄する言葉がありますが、
その人の行為でだけでなく喋り方や言葉遣いによっても「知らされる」んですね。
 

こう言うとフェミニストの方々から叱られるかもしれませんが、男性が使ってもそれほど違和感のない少し乱暴で汚い言葉を女性が使うのを見たり聞いたりするとやはり軽蔑してしまいます。
彼女がとても可愛らしく魅力的で美しく着飾っていても、100年の恋も一気に冷めちゃいます。
でも、もう恋なんてしないけど…。(by槇原敬之) 

2021.01.11  罰則
この連休中、朝に給湯器のお湯が出なくて難儀しました。
冷たい水で顔を洗うのはとても辛いものです。

そして、この寒い中、半袖短パンで走り回っている高校生、大学生のスポーツを見るのはやはり暖かい部屋に限ります。
大学ラグビーは天理の初優勝で終わりましたが、天理の主将の涙にはもらい泣きしそうでした。
準決勝の明治戦も見ましたが、本当に強かったです。
 


さて、各地で飲食店は営業時間の短縮を求められていまして、とても可哀想なことになっています。
コロナは夜行性なのかな?なんて一瞬思いましたが…。 

そして、この要請に従わない店は店名を公表されてしまうらしいのですが、何だか釈然としません。
行政が店名を公表することがなぜ罰則になるんだろう?
それは、日本人特有の心性によるものと考えられます。

世間一般の人に対して、
「この店は公然と叩いていいんですよ」というお墨付きを与えることになるんですね。
非難や中傷や嫌がらせをどんどんやってくださいって。
お上が公認したいじめがまかり通ってしまいます。 

罰則って管理監督している上の組織が直接行うものであって、決して市民をけしかけて店を閉店に追い込むような真似をしちゃいけないと思います。
お店や市民がお互いに監視し合って、あそこは守ってる、守ってないっていうような方法は、お上からすれば自分の労は少なくて済むかもしれませんが、非常に薄気味悪い、いやらしいやり方だと思っています。

2021.01.10  自粛生活突入
年が明けても相変わらずコロナ、コロナ、コロナの毎日です。
13県に緊急事態宣言が出たのですが…、うまくいくと良いんですけど。

でもなぜかトップからのメッセージが国民に届いてないように感じるんですね。 
心がこもってないというか、必死さが伝わらないというか。
多分、原稿を棒読みしているように見えるっていうのが最大の欠点なんだと思うんですね。
自分の言葉で、情理を尽くして、テレビの向こうにいる国民の目を見て話そうっていう風に見えません。(メルケルさんの爪の垢を煎じて飲んで欲しいくらい)

これまで都合の悪い質問には答えをはぐらかしたり、木で鼻を括るような答弁をしてきた人たちが、今回のような非常時にまともに、真摯に、丁寧な説明をしてくれるとは当然思えないでしょう。
期待する方が間違っていたとしか言いようがない状況です。

これまで何度もオオカミ少年に騙された国民が、「今度ばかりは信じてくれ」って言われても、
「はいそうですか」とは言いづらいのではないのかなあ。

あと、あの会見の方法があまりにも舐めているというか、国民のモヤモヤ感、隔靴掻痒感を増幅させているように思っています。
総理の会見が終わると記者からの質問になるのですが、質問は予め知らされていて、その質問に対して官僚の作った原稿を読みながら答える。
そしてその答えに対する追い質問は許されないっていうのが何ともね。

時間が来たらそこで終了、次の予定が入ってますからっていうのも非常に不誠実な感じがします。
コソコソ逃げるようにして立ち去る姿も印象が悪いです。

時間無制限で、いろんな疑問に答えていきますよっていう方が好感度も支持率もアップすると思うんですけどね。 

仮定の質問には答えない、という態度もどうかと思っています。
言質を取られたくないとか、国民を不安にさせられないという気持ちはわからなくもないのですが、不確実な情勢に対し、色んなバージョンを用意することがリスクマネジメントとして非常に重要ではないかと思っています。
「場当たり的だ」、「後手後手だ」と散々非難されていますが、今起こっていることに対して対処するだけではどうしても後追いとなるのは当然だと思います。
最悪を想定する、予想外の事態を想定してプランBやプランCを用意することは悪いことではないと思うんですけどね。

2021.01.05  明日から始まります
長いお休みを取っていましたが、風邪もひかず何とか無事で過ごしておりました。
例年、年末年始のテレビ番組はつまらないものと相場は決まっていて、ステイホームを強いられた今回も時間をつぶすのに一苦労でした。
そんな中でも楽しめたものもいくつかありまして、

「マイ・フェア・レディ」、「孤独のグルメ」、「相棒」
はよかったですね。

スポーツ番組はニューイヤー駅伝に箱根駅伝と大学ラグビー準決勝でしょうか。
ここ10年以上離れてしまった国民的歌合戦は今年も見ることもなく終わりました。
だって、知ってる歌、人が3分の1もいないんだもの。(しかし、視聴率はよかったそうですね)

僕は年越しそばを食べる五郎さんを見て、床に就いた次第です。 

残りの時間は積読していた本を片づけることにしました。
今回のおすすめ本は、「その裁きは死」(アンソニー・ホロヴィッツ著)です。
カササギもメインテーマも読んでいたので、非常にとっつきやすく、昨年の海外ミステリーNo1の評判通りの作品でした。 

年末の寒波で久々の積雪でしたね。



戻る