独り言


2020.11.28  いきなり全開
さて、昨日からインフルエンザワクチンの接種を開始しましたところ、大変なことになってしまいました。
金曜日、最後の患者さんを送り出したのが、診療時間をとっくに過ぎた1930分頃。
最大で2時間半待ちということになっていました。
今日は午前のみの診療でしたが、終わったのは14時前でした。それから掃除して、カルテ整理して、帰途に就いたのは14時半。
「お疲れ様でした」という言葉も空しく、そして心なしか疲労の色がありありと。 

待っている患者さんも大変ですが、応対しているスタッフもちょっと気の毒でした。
近隣の医療機関もワクチンに余裕がないらしく、どこに電話しても打ってもらえなかったというお話も聞きました。 

といううちも来週はまた一時休止となります。
入荷の予定もないし、今ある分だけなんですね。
今年は特別な事情で接種希望者が多いのだと思います。
業者としては、「もっと作っておけばよかった」と歯がゆい思いをしていると思いますが、国のワクチン政策はどうもちぐはぐな印象です。
 


前総理と後援会事務所の関係でふと思ったこと。
上司と部下の関係とも考えられるんですが。

部下が上司に嘘をつく」
部下というのは上司に対してイエスマンであることが自分の昇進や組織での立場を有利にするための秘訣だとされています。
上司に盾突く、あえて反論を言い放つ、注進するような部下は上司にとってもちょっとやりにくいと思います。
(ただ、有益な、正しい反論を受け付けない上司は組織として腐っていくことは自明ですね)


しかし、部下が上司に対して嘘をつく、つかざるを得ない状況ってどんな場合でしょうか。
例えば、部下がへまをしでかして上司にバレるのを恐れて噓をつく、というのが最もあり得る状況です。
しかし、部下の嘘をそのまま信じて重要な会議で発表し、そしてそれが過ちだと判明した場合、上司はその部下に対してどのような感情を抱くでしょうか。

参加費を補填していたにも関わらず、補填していないという嘘がバレてしまったわけで、それを国会の場でも堂々と証言したんですね。

「こいつは許せない、俺に恥をかかせたな」って思うのが普通でしょう。
そして、自分の管理下での不祥事に対し、謝罪し責任を取るのが普通の感覚だと思うんですけどね。
まあ、彼の場合、任命責任は私にあるって常々仰っている割には実際に責任を取ったことは一度としてなかっただけに、責任だけは感じていたのかもしれません。 

もし仮に、個人と事務所が完全に独立しているものだとしたら。
個人は事務所に対し、自分の名誉や評価を傷つけられたことに対し、賠償を請求することだってできるわけですが、前総理の場合そんな感じでもないわけで。

結局、事務所のどなたかが詰め腹を切らされることになるだけなのかもしれません。
そして前総理は、嘘を信じさせられた可哀相な道化として一件落着となるのでしょうか。 

もうすぐ11月も終わりです。そんな季節になると
「冬が来る前に」
なんて歌が思い出されます。 

  「震える肩を抱けば それだけ辛くなるから 
     うしろめたさを胸に この秋の日はひとりきり ♪♪
 」  by オフコース 

  「坂の細い道を 夏の雨にうたれ
     言葉さがし続けて 別れた二人
 ♪♪ 」  by  紙ふうせん 

2020.11.23  マスク会食
今年最後の連休です。
「天気も良く暖かいからどこかへ行こう」と思ってた矢先に感染が急拡大しています。
政府は、麻生さんが「民度が高い」と持ち上げてくれた我々、そして知事さんに任せてくれるそうです。
それこそ自助、自己責任であり、成熟した国民はこういう時にも正しく判断し、正しい行動をとってくれるものと信頼されています。そうですよね、菅さん、西村さん。
政府に一挙手一投足を指示されなければ自分で判断できない国民というのもあんまりですが、政策に矛盾が生じた時には訂正したり、誤りを認めたりすることは非常に重要だと思っています。
メンツだとか、プライドだとかに拘って頑なな態度を続けると信頼を失ってしまうと思うんですけどねえ。二階さんに首根っこを押さえつけられているんでしょうか?

今の所、国は感染による死より経済による死の方を重要と考えている様子で、国民がこれを受け入れるかどうかが今後の行方を決めることになるでしょう。 

そんな中、静かなマスク会食という奇妙なご作法がこれからの新しい生活様式となるのでしょうか。
もうね、何だか笑っちゃう、というか、これをまともに実践している風景を想像したくもありません。 

マスクの外側に付いているかもしれない雑菌やウイルスを手に付けて、それが食器やお箸にも付いちゃうと口の中へと運び込まれる可能性だってあるわけで。
いっそのことムスリムのように不浄な左手として、左手はマスクの取り外しだけのために使うってことにすればいいんじゃないのかな?
仏教徒なのにヒンズーやイスラムのしきたりに従うんですよ、クリスマスでもハロウィンでも日本人はどんな宗教でも受け入れますから大丈夫ですって。

でも、口に付いたケチャップやソースがマスクの内側に付いちゃった場合、食後にそのマスクを着けるのは嫌だけどなあ。
汚れてるのが見えてるパンツを履くのってやっぱり嫌でしょ。
  

コロナのワクチンの件。
ファイザー社やモデルナ社が90%以上の有効率を持つワクチン開発に成功したというニュースがありました。
さて、打つべきか打たざるべきか、非常に迷うところです。
高齢者や医療従事者は優先的に接種しましょうっていうことになると思いますが、「新しいものにすぐに飛びつかない」という自分のこれまでの信条がありますので、コロナワクチンに対してもそんな心境です。 

ただ、本格的にワクチン事業が始まるとして、ファイザー製かモデルナ製かのどちらがいいかと言われれば、扱いやすさの点でモデルナ製かな?
ファイザー製のワクチンはマイナス70度の超低温保存が必要で、普通の冷蔵庫では保存期間が短いようです。
モデルナ製は普通の冷蔵庫でも1か月くらい保存できるようですので一般の医療機関で接種できるようになれば断然こっちでしょう。

果たしてどれくらいの期間、抗体が体内に存在して、ウイルスに対する効果が持続するのか、そして、安全性がいかほどのものなのか、そのあたりが明らかになってくれるといいですね。

2020.11.19  盛り上がり
アメリカ大統領選挙に纏わるゴタゴタも漸く鎮静化しているように見えますが、敗北宣言していない現大統領がイタチの最後っ屁を繰り出さないとも限らないわけで。
そして、日本では朝から晩まで多くの時間を割いてこの話題を取り上げていました。
しかし、よく考えると、全く別の国の選挙の話をよくまあこれだけ熱心に報道したものです。
まるで日本州が選挙に参加したかのような、日本のトップを決めるような扱い方でした。
我が国としてはそれだけアメリカに依存し、そして支配されているかの証明でもあるわけですね。 

知性とか、理性とか、常識とか、理念とか、そんなものは全く価値がない、今が良ければいい、自分に得かどうかを優先させる人物を4年前に選んでしまったアメリカは次の4年間で元に戻れるとはなかなか思えません。
バイデンさん、ハリスさんの演説はとても良かったと思いますが、一度分断された感情は修復できるのでしょうか?

「もうノーサイドだ、共に手を取り合って一つになって行こう」っていう戯言は小学校の学級会以来、空疎な言葉として心に刻まれています。
「恨み骨髄」とはよく言ったもので、表面的には仲直りしたように振る舞っていてもどこかでわだかまりは残るものですが、これは自分だけなんでしょうか。
心のどこかで、「あいつとは決して友情は築けない」って思うんじゃないかなあ。

自民党の石破さんも、「あいつは裏切り者だ」っていまだに言われ続けてますからね。 

民主党でも共和党でも日本にとってはあまり変わらないと思っていまして、共和党だから日本に甘く接してくれるとか、民主党だから親中になって、日本はお終いだっていうわけでもなく、
アメリカは自国の国民に対して最も良い政策をしようとするのであって、日本国民のことなんてこれっぽっちも考えてないと思います。

アメリカのご機嫌を取ってお目こぼしをしてもらおうというポチ外交ではいつまでたっても独立国にはなれない、そして、世界からも認めてもらえないように感じています。
(どうせ、日本はアメリカの子分、スネ夫なんだろって)
 

2020.11.15  講演会
119日にワクチンがなくなってから、静かな日常診療となっています。
問い合わせのお電話を頂いていますが、1127日には再開できると思います。 

今年はコロナの影響で学会やメーカー主催の講演会の類は殆どがウェブでの開催となっています。
そして、今日は「教育講演会」というちゃんとしたお勉強のための講演会をウェブで視聴していました。
僕の所属している学会では専門医を更新するためにはこの教育講演会に参加することが必須(5年のうち最低1回)となっていて、朝からずっとパソコンの前にいることになっていました。

通常だと、朝から東京に行って、夕方まで講演を6-7時間くらい聞いて、退出するときに参加証明証がもらえます。
お弁当も出るんですが、途中退席は認められず、非常に疲れる一日になります。
ウェブだと接続さえしていれば途中でトイレに行ったり、おやつを食べたり、コーヒーを飲んだりできて、自由度が非常に高くて便利だなあって思っていました。
東京までの移動の手間もないし、服だってなんでもいいし。
 

しかし、視聴時間が5時間以上でなければ参加したとは認められないっていう規定があって、最後のセッションが終わるまで証明証がもらえないっていうのは現地開催と同じシステムなんですね。
まあ、ずっと大人しく勉強に集中していたわけでもなくて、ちょこちょこ内職(クリニックでの雑用、片付け、書類書き)をしていまして、不真面目な聴講生だったわけです。
それに、食料を調達するため昼休みにコンビニまで出かけましたから。

それでも参加証明証をダウンロードして、クリニックを出たときにはひんやりとした空気に包まれ夕暮れを迎えていました。 

疲れた。

2020.11.08  好勝負
日曜日の午後、坂本の2000本安打と神宮の早慶戦をテレビのリモコンをパチパチしながら観ていました。
早慶戦は優勝が懸かる大一番で、凄く良い試合でした。(早稲田の逆転勝ち)
勝負の分かれ目はエースと心中できたかできなかったかというベンチの覚悟の違いだったのではないかと思いました。

早稲田の早川クンと慶応の木沢クンはそれぞれ楽天とヤクルトにドラフト1位で指名されている両校のエースです。
両者とも昨日の初戦に投げているので今日はリリーフに回っていて、慶応が92死まで1点リード。
2死からランナーを出したところでエース木沢を交代させたところ、次の打者にバックスクリーンへのツーラン。
まあ、前日に打たれている打者だったからとか、左対左だから投手有利だろうという考えはもっともですが、慶応にとっては悔やむに悔やみきれない敗戦となったのではないかと。

早川クンは木更津総合時代に甲子園で投げているのをテレビで見ましたが、今日の投球を見るとプロでも即戦力としてかなりやれそうな逸材だと感じました。
木沢クンはこの悔しさを糧に神宮が本拠地のヤクルトで活躍して欲しいですね。(しかし、ヤクルトはピッチャーが育たないんだよな)

2020.11.07  タイミング
例年、この時期は神戸へ日帰り旅行に行ってるんですが、今年は大人しく配信映像を見ています。
何の事かと言いますと、学会の話です。
昨年も木曜日を休診にして神戸へ出かけたのですが、今年はハイブリッド開催ということで、現地参加とライブ配信の映像を視聴するという参加の方針となっています。
僕は診療の合間にパソコンで映像を見ていますが、開業医としてはこんな形で学会に参加できて、専門医のポイントが得られるのは願ったり叶ったりで、とてもいいシステムとなりました。
ただ、学会の目的としてはちょっと寂しい面もあるのは確かで、「旅」、「グルメ」、「夜の街」といった付随する楽しみも学会の醍醐味であったわけで。 

最近、「Made in China」の印字が入った大きな段ボールが次々と勝手に送られてきています。
政府からの一足も二足も早いクリスマスプレゼントなんですが、感染対策用のガウンだったり、手袋だったりするんですね。
決して迷惑とは言いませんが、「そんなにいらないよ」ってな感じで受け取っています。
僕の狭い院長室にも持っていきましたが、それだけでは置き場所がなくて廊下に積んでいました。
しかし、結局は家に持ち帰って、今は使ってない子供部屋に押し込んでいます。

夏頃、出入り業者さんにガウンやグローブやマスクの注文をしたとき、「今、全然ないんですよ」って言われていました。
だから、自分でネットで注文してやっとかき集めたのに、ここにきて売るほど送られてくるとは…。

ありがたみ 中途半端で コロナ用

2020.11.02  都構想に思う
2回目の大阪都構想の住民投票は今回も接戦になりました。
そして、反対票が多数を占めて否決されたわけですが、全く関係ない住民である僕は何となくではありますが興味をもって見ていました。

府と市の二重行政が云々、無駄なコストが削減される、都構想により大阪がもっと発展するんだ、そして明るい未来がやってくるんだというストーリーはどうも胡散臭く感じておりました。
「既成のものを壊し一旦リセットする」という話は維新が得意とするところですが、その後のことになるとどうも曖昧になり、基になるデータや根拠が自分たちの都合の良いものばかりになっていました。
そこを突かれると、「ごちゃごちゃ言うんやない」って逆切れするっていうのが前代表時代からの得意技でしたけど。 

改革するにあたって必要なことは、
1.これまでのシステムの中で、何が問題であったか、どこに不都合があったかを明らかにする。
2.新しいシステムにすることで、こういう風になるという明確な道筋を示す。
3.そして、メリットはこうだ。しかし、デメリットはこうだという点を明らかにする。
だと思っています。

全ての人がメリットを享受できるとは限らず、デメリットを被る人もいるわけで、それをどう手当てするのかとか、経済的な見通しもクリアにしなくてはならないのに、
「まずはやらせて欲しい」だけではね。

維新の話では1はクリアしていたのに、23がどうも眉唾だったのではないかと思いました。 

何事も壊すことは簡単だけれども、築くことは非常に難しいんですね。(それも単に築くだけじゃなく、正しく築く)

どの世界にも、どの時代にも改革至上主義者という人はいます。
仕方ありません。
だって、人間は今よりも良いものを手にしたい、良い生活をしたい、幸福になりたいと願う生き物ですから。

それを「自分だけ」、「自分の仲間だけ」、それとも「コミュニティ全体」のためなのかで評価は分かれますね。 

そして、そこへ至るアプローチは非常に難しいものです。
トップダウンだとスピード重視でちゃちゃっと作ることができます。
しかし、ボトムアップだと丁寧な説明をし、多くの人に協力を求めながら、合意形成をするのに凄く時間がかかります。
他者との利害関係が複雑に絡み合うからですよね。
 

どうも維新は新自由主義の色が強く、濃く出すぎていると思っていて、トップが何でも決めて、市民はそれに従う。
政策の是非は選挙で決めてくれ。選挙で勝つイコール民意であり、政策が悪ければ選挙で落とせばいいんだ。
という思考を強く持っているように思えるんですね。(民主主義イコール多数決)

今回、それがそのまま自分に跳ね返ってきたわけですが、勝っても負けてもあまりいい気分にはなりません。
  

1度目に否決されたときは橋下さんが政界を引退し、今回は松井市長が任期をもって引退を表明しました。 

吉村知事も「僕が都構想に挑戦することはない」と仰っていまして、まずは一安心です。
しかし、注意すべきは、「僕が」という言葉にあるのではないかと思っていて、
「別の人が」3回目の挑戦をするかもしれないんですね。 

でも今の大阪って知事も市長も維新なので、二重行政は図らずも解消していくんではないかと思うんですが、そんな簡単なことではないのかなあ?
ただ、今回は公明党の立ち位置っていうのが微妙な感じで、来年の衆議院選挙での自民を含めた3党の関係が面白くなりました。
しかし、大阪人の気質ってやっぱようわからん。

2020.11.01  時代劇
月も変わり、今年も残すところ2か月。
患者さんに頂いたコーヒー豆をゴリゴリと挽いて、娘と一緒にコーヒーを飲んでから、いざクリニックへ。
面倒な書類と格闘しつつあとは申請するだけの状態にしたと思ったら既にお昼となっていました。
日頃、ダイエットを指導している手前、今日の昼食は我慢です。

先日、クイズ番組について書きましたが、今日は時代劇の話。

子供の頃、チャンネル権は常に父にありました。
僕が自由に見られるものは夏休みなどの長期休暇中に自宅にいる時か、夕方父が帰ってくるまでの時間でした。 

昔は地上波で多くの時代劇をやっていました。
月曜日は8時から「水戸黄門」、「大岡越前」、「江戸を斬る」
水曜日8時からは断然「銭形平次」
木曜日8時は「遠山の金さん」
土曜日の8時は「暴れん坊将軍」でしたが、どうしても「全員集合」や「ひょうきん族」を見たくてここだけは譲れない枠でした。

僕が10代の頃、父はまだ30代後半から40代でしたが、明らかに若いですよね。青年とは言いませんが、壮年期ですよ。そんな年齢の男性が好んで時代劇を見るものでしょうか?
時代劇って6070歳以上のおじいちゃんが見るものと相場は決まっているものでしたから。
僕の40代っていうのはトレンディードラマを見る年齢はとっくに過ぎて、医療系ドラマも何だか現実感を感じられず、
ジャニーズ系タレントが拙い演技を繰り返しているのにうんざりしていた時代で、徐々にテレビから距離を置き始めていた時期であります。
 

世代を戦前、戦後という括りで分けることが多いのですが、明らかに戦後生まれの人は気質というか、趣向というかそういったものは戦前の人とは違うんだなあって感じます。
父は勿論戦前生まれ、幼少時を戦争と共に過ごしてきて、玉音放送を「やっと戦争が終わった」という気持ちで聞いた世代です。
田舎では高度成長期とも無縁で、「もはや戦後ではない」というメッセージを全く体感できずにいたという話です。
だから、「ビートルズの来日公演の頃はどうだったの」とか、「太陽族ってどんな感じで見ていたの」なんて話題は成り立たないんですね。
そんな中で父は毎週、同じ曜日、同じ時間に時代劇にチャンネルを合わせていました。
そして僕らはそれにきちんと付き合っていたんですね。
昔は家庭に1台しかテレビはなく、家族4人でよくテレビを一緒に見ていたんだなあって感慨深く思えてきます。 

他にも色んな番組があったはずですが、その時期にホームドラマや青春ドラマ系を見た記憶はないんですね。
見ていたのはクイズ番組、時代劇、ニュース。週末は専ら吉本。
父は戦前生まれということもあるんでしょう、もし、団塊の世代だったらまた違った趣向があったのかもしれません。
団塊ジュニアの人と話す機会もありますが、うちで時代劇を見ることなんて殆どなかったそうです。 

時代劇の衰退というのは制作費が高いという面もあるのですが、団塊の世代からの共感を得られなかったという側面もあるのではないかと思っています。
そして、80代以上の男性がいなくなると時代劇も消滅してしまうのではないかと。
僕は面白いと思っていますよ。でも毎週、毎曜日、同じ時間に1時間、テレビの前に座る習慣は既に失われています。
こうして日本の一つの文化が失われていくのでしょうか。 



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