独り言


2019.06.30  こんな日には
今日も時々雨が降っては止んで、こんな日は音楽を聴きながら読書と決め込んで、早々と用事を済ませたい。
朝早くから洗濯機くんに洗濯をお願いして、新聞もそそくさと読み終えたところで洗濯終了のブザーが鳴ります。
それを部屋干しして、気まぐれなお嬢を駅まで送って漸くたどり着いたクリニック。 

持ち込んだドリップコーヒーを飲みながら昨日のデータを確認しつつメールをチェックしたり。
古い雑誌の整理(明日ゴミに出すから)をやってから自宅へ帰還。 

しかし、猫の額ほどの自宅の庭にも雑草が生えております。
草むしりをしてからやっとで本来の休日のお楽しみ。 

こんな梅雨の休日に読む本としてチョイスしたのは、村上春樹でした。
昔読んでいたのですが、もう一度。彼の初期の作品で、その時はよう分からんまま何だか消化不良。
今回は少し消化できたかも…、牛の反芻みたいに。
これで、何を読んだか分かった人はもしかして村上主義者?
音楽はこの季節にピッタリ?なものが入ってるアルバムを。 

〜だから この雨あがれ あの娘の頬を照らせ ほら 涙の数など忘れて〜(「あじさい通り」 by スピッツ)

2019.06.29  半分
僕に限らず、遠くに年老いた親がいる場合、実家にはこまめに安否確認の電話を入れているのではないでしょうか。
その頻度は毎日だったり週に一度だったり。
特に認知症を患っていると、
「薬は飲んだかな?」、「火はちゃんと消しているかな?」とか、とても気になると思います。

今週初め、実家に「最近、どう?」なんて電話してみましたが、
「まあまあだよ、でもまだ梅雨入りはしちょらんよ」
なんて答えが返ってきました。
しかし、向こうも漸く梅雨入りしたようです。

僕の場合、梅雨の思い出は何と言っても「カッパ」です。これは切っても切れないものです。
人によっては、蝸牛、紫陽花、傘、長靴っていうワードもでてくるんでしょうが、僕の場合はやっぱり「カッパ」です。勿論、牛久沼のカッパじゃないけどね。

中高と自転車通学で、雨の日はカッパを着ます。
朝、カッパを着て、学校に着くと脱いだカッパを自転車にかぶせて教室に入ります。
帰りも雨が降っていればそのカッパを着て帰ります。
夏服だと当然半袖です。
少し濡れた、湿っぽいカッパに腕を通す時の何とも言えない嫌な感じ。皮膚にペタっとくっつくカッパ。

次の日も雨。
同じカッパに腕を通す時の絶望感。
そして、変な匂いと黒い斑点(カビ)。

そんな諸々が梅雨と同時に思い出されます。

きちんと手入れをしておけばカビが生えることもなく快適なカッパ生活を送ることができたんでしょうが…。
当初の無地のベージュから黒や青の斑点模様に様変わりしたカッパを着て3年間を過ごしたものでした。


今年も半分が過ぎて行きます。
「もう半分」、それとも、「まだ半分」でしょうか?
年を取ると、「もう半分」と感じる人が多いと思います。僕もそう。

そして、うちのクリニックも一つの区切りを迎えます。

果たして、「もう」なのか、「まだ」なのか。

2019.06.21  当選したかな?
先日、オリンピックのチケットの当選発表がありましたが、うちのスタッフ達は軒並み落選だったそうです。
はなから興味のない僕らは、「ああ、残念だったね」と乾いた慰めの言葉をかけたものでしたが…、まだまだチャンスはあるぞ。


明日は夏至です。

夏至を過ぎると一日一日と日が短くなっていくかと思うと、ちょっぴり寂しく感じられます。
仕事を終えて職員通用口の扉を開けた時、今の時期はまだまだ明るくて気分がいいものです。
今日なんかは夕立のような突然の雨が降ったせいか、空気もちょっと澄んでいて、くすんだ心も少しだけ洗われた感じになります。
 


でもって、「思い出せる すみずみまで 若葉の繁る頃に 予測できない雨に とまどってた…」(「若葉」 by スピッツ)
などと歌いながら家路に向かいました。

2019.06.13  2000万円
もう十分あるよっていう人もいるでしょうが、そんなの絶対無理っていう人が大多数だと思っているんですが。
昭和の時代の様に、20代前半で結婚して子供を作って家を建てて、50歳に達するころには子供も独立して住宅ローンも返済していれば60歳で引退しても2000万の貯金ができているかもしれません。
しかし今は晩婚化が進み、30代で結婚、出産、それから子育て、ローン返済となると、60歳になってもまだ子供が大学生、ローンも残っているっていうことが当たり前の時代です。
そこから夫婦2人の老後の人生のために2000万円が不足していると言われても…。 

金融庁の試算はあれでも少し甘めに計算していると言われています。
本当はもっと必要なんだけれど、それだと影響が大きいので控えめに言ってるだけだと。 

この先年金をもらう人口は増えてきます。しかし、それを支える人口は減ってきます。これは確実です。
そして社会保障費の保険料率の上限は法律で定められています。
給料の額が同じであると仮定すれば、払ってくれる人口が減れば集められる社会保障費の合計金額は減ります。
そして、もらう人口は増えているので、当然一人当たりに給付される金額は減りますね。

一人当たりの金額を今と同じに保つためには払う人の給料を増やすしかありません。
果たしてこれが可能なんだろうか?
普通に考えると、給付額は下がっていくのが当然と考えられます。

しかし、国は決してそれを丁寧に説明しようとしません。
不都合な真実を隠蔽してしまうんですね。 

それに対して国民は何とも思っていないのか、それとも知らないのか、はたまたそれでいいと思っているのか。
不思議でなりません。

2019.06.09  懐かしの
うん十年振りに大学の寮の周りを散歩してきました。
今日は講習会に参加するだけではなく、今の学生さんたちの生活を少しのぞき見したいという邪な目的もありましたので、ちょっと早めに着いたんですね。
途中、G20のための警備に警察官が大勢出ていましたが、それを横目に見ながら車を走らせました。

僕らがいたのは昭和の頃でしたので、寮自体は新しく建て替えられていました。それでも形や配置は以前と同じで、27号棟はそこにありました。
自転車やバイクが沢山並んでいるのも昔のまま。
しかし、大きく変わっていたのはセキュリティー面で、部外者は自由に入れないようになっていたことです。

木々の葉が生い茂って何とも気持ちのいい景色の中を、「緑のトンネル抜けて 朝の光に洗われるような…」 (「君と暮らせたら」 by スピッツ) 
などと口ずさみながら、おじさんが一人で歩いていたんですが、不審者っぽく見えなかったでしょうか?

また、大学病院にはタリーズやスタバが入っていて、吉池さんだけの売店時代とはすっかり様変わりしていました。

ただ、日曜日ならばもっと面会の人が多くてもよさそうなのに、思ったより人が少ないのが気になりましたね。
それと、宿舎や大学に学生の姿が少なかったのもやや拍子抜けでした。

2019.06.08  講習会
梅雨入りしたそうです。
プロ野球も交流戦に入りまして、今年もセリーグの各球団がコテンパンにやられるのかと不安な気持ちで見守っています。
今シーズンもできるだけ現地観戦をするべくチケットを取る予定でしたが、この冬に想定外のことがあったために今年は殆ど行けていません。

そして明日もチケットは確保できていたにも関わらず、出席必須の講習会のため泣く泣くチケットを譲ることになりました。
代わりに久々に母校の講義室でみっちりお勉強をするんですね。
母校には卒業してから一度くらい行ったかな?確かその時も講習会だったと思いますが、たどり着くまでに少し迷いました。 

不真面目だった学生の頃は途中入室、途中退室はし放題、眠くなれば机に突っ伏して寝られましたが、今回途中退室は認められないときています。
専門医更新のための講習会もこういう感じですが、予定はもっと前からアナウンスされているから今回みたいに当初の予定をキャンセルする必要はないんですけど…。
しかし、折角なので久々に学生時代を思い出しながら病院周辺を散策してみることにします。

2019.06.01  抑止力
今日は絶好の運動会日和でした。しかし、最近では運動会も時短、省力化の流れが押し寄せているようです。
この傾向は子供たちの健康のため?保護者や学校側が楽をするため?
誰か納得いく説明をしてくれなければ何だかモヤモヤした気持ちになります。
そもそも運動会って何のためにやるんだろうっていう疑問が沸いてくるんですね。

僕らの時代は運動会は秋にやるものという概念がありましたが、そのうち春にやるところが増えてきました。
秋から春へ。

春へ移行した時の理由でよく耳にしたのは、
「秋は色々と行事が多いため」でした。
その時、「ああ、そうなんだ。学校も大変だね。」と納得していました。

そして、今度は、「午前中のみ」、「午後2時まで」とか。

この流れから見えてくるのは、
「運動会という行事は、面倒くさい」
ということではないでしょうか。
とっとと終わらせて、授業を進めたいという思惑が透けて見えるんですね。

「準備期間はできるだけ短くしたい。」、「応援やダンスは練習に相当時間がかかるよね。」
「最低限、徒競走と団体競技とリレーくらいはやりましょう。」

保護者の時間的拘束も少なくなるし、熱中症対策にもなるし、準備期間が短くなることで授業時間も削られずに済むし、いいこと尽くしじゃないかって。
そこには当事者である生徒の姿は全く見えてきません。

そのうち、修学旅行もなくなってしまうかもね。

<風疹抗体、ワクチン事業について>
先週から国の対策としての風疹抗体検査に訪れる方が多くなってきました。
昭和37年4月2日から54年4月1日の間に生まれた男性が対象です。
市からクーポン券が送られてきて、それを持って医療機関に受診すると、無料で血液検査を受けることができます。
そして風疹抗体が基準値未満であれば無料でワクチンを受けることができます。

ここまで30人以上の方がいらっしゃっていますが、ここまでのところ僕の予想に反して抗体陽性者(ワクチン接種不要者)が多いです。
ワクチンを打ってないし、風疹に罹った記憶がないって言うんだから半数以上が抗体を持っていないんだろうな、って思っていました。
しかし、ここまで抗体陰性、基準値未満の方は3割程度です。
僕も抗体の有無を調べたことがないので、市からクーポン券が送られてきたら調べてみようっと。


<川崎の殺傷事件について>
個人的にはこういう犯罪に対していくら厳罰化をしても抑止力にはならないと思っています。
死刑になってもいいと考える犯罪者は死を恐れません。
彼(彼女)が犯罪者となっても別に悲しむべき家族(親、兄弟、子供、配偶者)、友人がいない時、犯人への抑止効果はゼロに等しくなります。
恐らく、「親が悲しむだろう」、「自分の子供が犯罪者の子供だと言われ、将来不幸になるだろう」、「自分の友人に迷惑がかかるかもしれない」なんてことを考えることはありません。
だって、そんな大事な他人はいないんだから。
自分のことを大事に思ってくれるような他人がいない事、そして強い絶望感がああいう犯罪に走らせるんだろうと思っています。

やれ、警備員を増やせ、保護者が見守りをしっかりしろ、防犯ベルを持たせろ、監視カメラを増やせ、などといった対策は全く効果がないわけではありませんが、
24時間365日これからずっと続けるわけにはいきません。
それこそトランプさんのようにたくさんのSPを付けとけば大丈夫でしょうけど。

この事件を受け、安倍さんは担当大臣に登下校時の安全確保対策を早急に講じるように指示したとのことですが…。

絶望が、孤独がこの犯罪を引き起こしているのであれば、明日への少しの希望と他人との細い繋がりが犯罪の抑止力になるのではないかと思います。
抑止力とは「脅し」ではなく、「一緒に喜んだり悲しんでくれる誰かの存在」ではないかと。

ここで、「明日 君がいなきゃ 困る 困る」という歌詞を思い出しました。(「スターゲイザー」 by スピッツ)
そういう存在であれば人は明日も生きていけるのかな。



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