独り言


2019.05.26  暑さ満開
梅雨前なのにこんなに暑くなるとは…、予想外です。
朝から布団を干して、2回も洗濯をして、掃除機をかけて、クリニックへ。
今日は特段やることもなかったので、ゴミの日にだすべく学会雑誌や古くなった本の整理をしておりました。

今年は早くもエアコンの出番が巡ってまいりまして、朝は窓を開けっ放しにしていれば耐えられるのですが、そのうちに、「暑いですねえ」という声がチラホラ。
座ってお話をしているだけの人は、「まだまだ大丈夫」なんですが、
忙しく歩き回っている人は、「暑くて、辛抱たまらん」という状況に陥ってしまいます。

今週も暫くは暑い日が続きそうですので、熱中症に注意してください。
認知機能が低下している方は、暑い、寒いの感覚も低下しているようです。
「おじいちゃんはいつまでも冬の服を着ている」、「暑いでしょって言っても、寒い、寒いって言うので困ってます」
なんていう声も聞かれます。

診察の時にも、肌着を何枚も重ね着していて、「十二単」若しくは「マトリョーシカ」みたいな方もいらっしゃいました。
流石に、この時期にはお目にかかることはなくなりましたが…。


トランプさんが国賓として来日しております。
彼が大統領に就任した時には真っ先に飛んで行ったので、新天皇即位、新元号制定の今回、真っ先に駆け付けてきてくれたんでしょうか?
ゴルフをして、相撲を見て、食事して。
仲の良さを見せつけるのは結構ですが、そのついでに何か無理難題を吹っかけてくるような気がしてなりません。

日本が独立国であるならば、国益にならないことには断固として拒否するべきだと思いますが、常に譲歩し、妥協させられているようにみえるんですね。
属国だから仕方なのでしょう、譲歩して相手の言うことを聞くと何かいいことがあるに違いないと今でも思っているんでしょうが、もう何もいいことはありません。

米国の言うとおりにしていればその地位が安泰だ、と考える政府関係者、財界人(経済学者含む)、官僚がこの国を回している限り、日本の財産は米国に吸い上げられ続けることでしょう。

2019.05.19  先生のこと
昨日に続き教育について。
全国の小学校の教員の採用試験の倍率が低下している(3倍台)ようです。
原因としては、好景気のため民間企業が採用を増やしている、教育学部が少なくなり教員免許を取得する学生が減少している、80年代に大量採用した先生たちが定年を迎えて、募集人員が増えたことなどが挙げられます。
確かにそれぞれにもっともな理由であるのですが、もっと重要な原因が隠されているのではないかと思っています。

僕なりの考察では、
「教育現場がブラックな職場であること」
これが大きいのではないかと思っています。

だれも好き好んで辛い職場に足を踏み入れたいとは思わないんではないでしょうか。
親からの厳しい目、過剰なほどの要求、文科省からの数多くの通達、書類作成に関わる事務作業等々。
「聖職」という名のもとに残業代は雀の涙ほど、過重労働と責任を押し付けられる職場に魅力はないんじゃないかと本当に同情の念を抱かざるを得ません。
そして、今度は英語教育もやらなくちゃならないし。

QOLを重要視する若者たちはそういう現場をしっかり見ているので、益々教師になろうとしなくなっているのではないかと思うんですね。

「学校の先生はいいね」
と他人から羨ましがられる仕事だったのはどれくらいまで遡らなくてはならないんでしょうか。

最近では、「学校の先生やってるの?大変ね」って言われるのがおちですから。
どんな職業でも大変です。しかし、そこに憧れ、尊敬、時に多くの報酬があれば人は続けられます。

教育と言うのは常に試行錯誤が繰り返されてきたわけで、ただ一つの正解はありません。
100人の生徒がいれば100通りの指導方法があるわけで、画一された指導方法のもとに100人のコピーを作ることなんてできません。
しかし、文科省の通達というのはほとんどが教師の行動(指導方法)を管理するもので、教師の裁量とか、自由を縛るものとなっています。

当然、国としてはその方が非常に都合が良いことはわかります。
教師が自由な発想を持つことは許さない、国の方針をひたすら守り、マニュアル通りに生徒たちを教えればいいという考え方なんですね。
そこに教師が、「楽しく教えよう」とか、「自分なりの創意工夫で生徒たちを育てていこう」という考えは無益で無駄なこと、あってはならないこととして禁じられているのではないかと思っています。
だから先生たちは非常に不機嫌で、余裕がなく、ストレスを抱えて日々職務に当たっているのかと。

さて、解決策。
文科省の学校(教師)への関与を緩和することかな?
先生が「楽しく」仕事ができること、そのためには時間的な余裕が持てることではないかと思います。
がんじがらめな通達、無駄な会議、報告書の作成からの解放が先生たちのストレスを減らすのではないかと。
文科省の望むようなマニュアル通りの「正しい」先生に教わる生徒たちも不幸だと思うんですけどね。
同時に、報酬を上げること。教育にもっと国費を注ぐべきかと。

二つのうち一つでも改善したら先生になろうっていう大学生は今より少しは増えると思っています。

2019.05.18  普通科のこと
窓を開けっ放しにして診療をしていると、裏の森から美しい鶯の囀りがBGMの様に聞こえてきて、日々の診療で疲れた心も癒されます。
今年は特に綺麗に鳴いていますね。

先ごろ、高校普通科のあり方についての見直しが自民党の教育再生実行本部から提言されたというニュースを目にしました。
何でも、今の普通科のままだと生徒の能力や個性が伸ばせず、学習意欲が低下しているんだそうで…。本当かなあ?

批判を覚悟で言うと、
偏差値が40くらいの普通科の学校の生徒はそうなのかもしれません、知らんけど。

何となく勉強して、バイトや恋愛に、そして部活をやって、そこそこの大学に進学して、就活して社会人になって。

昭和の時代に高校、大学時代を過ごしてきた身としては、最近の高校生の実態をこんな風に捉えているんですね。

でも難関校と言われている高校に通っている生徒たちは僕らの頃よりも厳しい戦いを強いられているように感じられ、学習意欲の低下なんてないと思うんですけどね。

この提言では具体例として、
1.科学技術分野の教育に特化した「サイエンス・テクノロジー科」
2.国際社会で活躍できる人材を育てる「グローバル科」
3.地域の課題を解決する人材を育てる「地域科」
などが挙げられているようです。

普通科に通う生徒たちを細分化しようとしているみたいですが、
上の1に該当するのは理系エリート、2に該当するのは文系エリート、3に該当するのは1、2に届かないその他大勢ってな感じがします。

だから1、2に進むのは難関校にいる生徒たちで、そういった高校は既にSSH(スーパーサイエンスハイスクール)として指定を受けていて、
「サイエンス・テクノロジー科」や「グローバル科」を新設しなくても彼らはそういう道を進んでいきます。

それなのに中堅校、またはそれ以下の普通科高校にこういった特別な科を設けて、果たしてうまくいくんだろうか?というのが今回の提言に疑問を持った理由です。

日本の高校は大きく、普通科、工業科、商業科、総合学科に分かれていて、いまや普通科がその多く(70%以上)を占めています。

海外に目を向けてみると、ドイツでは10歳の時点で将来進む道が決まってしまうような教育制度です。
優秀な子(高等教育を望む子)は「ギムナジウム」、高等教育を希望しない、若しくは学力が足りない子は労働者としての道を進むべく「基幹学校」、「実科学校」に行くことになります。

日本の様に18歳まで普通科で将来の目標も定めず(語弊があるかな?)、取り敢えず大学に進むというのは非常に恵まれているといわざるを得ないようです。
ただ、本当に恵まれているのかっていうところがミソで、以前、評論家の山田五郎氏が話しておりましたが、
「誰も彼もが大学に行く必要はないのではないか、職業人(技術者)として一流になる道を目指すことも立派な選択肢だ」という内容でして。
これと高等教育の無償化の話題(否定的な論調)を絡めておりました。
この時は、「皆が大学を目指すことを否定するのか」、「高等教育を受ける国民が減ることで国際的な力が低下するのではないか」と思ったのですが、
労働力不足、技術力不足、ものづくり大国としての地位低下を目の当たりにすると、職業学校、専門職養成の学校の充実というのも重要だと考えさせられるようになりました。
それと同時に技術者(労働者)への正当な評価、報酬があまりにも不足していることも痛感させられました。(ホワイトカラーが優遇されてますもん)
日本の社会では「職業科より普通科に進学する方が将来有利である」という考え方(実際、事実なんでしょうけど)がある以上、普通科改革はうまくいかないと思っています。

この提言を行った部会のメンバーも、
「中学英語もまともにできない、数Iレベルが理解できないような生徒たちは普通科に進学するべきではない」とはさすがに言えないでしょうが、
学習意欲の低下と学力の低下は密接にリンクしていると考えられます。

偏差値で輪切りされた普通科に進み、苦痛に耐えながら授業を受けるよりも、社会に出て役に立つような知識や技術を学べるような学校を作っていくという改革であればいいですね。

2019.05.11  お土産尽くし
9.5連休が終わり、職員たちも元気な姿を見せてくれました。
各々がお土産を持ってきてくれて、僕のお菓子箱は一杯になっています。
大阪、北海道、山梨…。

自分も長い休みの後の仕事はやはりしっくりこないものです。思ったように喋れなかったり、手が動かなかったり。
しかし、これから海の日まで祝日がありません。カレンダーを見ながら過ぎ去った連休を懐かしむ日々が続きそうです。

せめてもの救いは今の気候ですね。今週は天気も良く、裏の森では鶯も鳴いています。気温もグングン上がってきていまして、そろそろ冷房が必要かも。


大津の交通事故より。
痛ましい事故で、決して他人ごとではないと感じられます。
僕も毎日、家と職場の往復で車を運転しています。
幸いなことに無事故(無違反ではない)ですが、やはり右折時には非常に気を使います。
交差点では対向側に右折車がいると、その向こう側にいる直進車が見にくいんですね。
そして自分の後ろに同じように右折しようとする車がいたりすると、早く右折してあげなくてはならないというプレッシャーがかかります。
「いつまで待ってんだよ、今行けるだろ、下手くそ。」なんていう罵声が幻聴のように聞こえてくるんですね。

だから右折信号のある交差点は気楽です。
直進車が絶対に来ないので、安心して右折できますから。

また、年を取ってからは運転が変わってきたような気がしています。もしかしたら車を替えたからからかもしれませんが。
スピードより燃費とでもいいますか、スロースタート、エコドライブを心がけたりして。

それに朝早く家を出ることにより、渋滞もなく、学生たちの登校時間帯にも巡り合わずに済んでいます。
勤務医時代、開業初期と比べ、出勤時間は明らかに早くなっています。
勤務医時代も7時半には病院にいましたが、今は6時半には到着しています。
なぜか?
性分なんで仕方ないんだと思っています。色々と追い立てられるのが嫌なんでしょうね。
掃除をしたり、新聞を読んだり、前日のデータを確認したり…。


オリンピックのチケットの予約が始まった件。
先着優先でもないのにどうしてあんなことになったのかよくわかりませんが、とにかくいい席は高いですね。
一生に一度のイベントだから何としても手に入れたい、ライブで見たい人というのは一定数いると思うのですが、自分の感覚とはやっぱり違います。
僕は涼しい部屋でビールでも飲みながらゆっくり見る方がいいって考える層ですから、こんな競争には参加しようと思いません。
あのチケットを買える人たちって、やっぱりかなりの富裕層なんだろうなって感じました。または価値観の大きく異なった意識の高い方々なんだろうなって。
また、転売を防止するために購入のハードルを上げるのには大賛成で、転売屋には大きなペナルティーを与えるべきだと思う一人ですから。

そして来年の夏、日本はどんな感じなんだろうか?
マスコミが煽り、それに煽られる国民、それを冷ややかに見る一部の天邪鬼。
オリンピックに関して否定的な意見や異論を挟もうものなら非国民の称号を与えられるような同調圧力、「頑張れニッポン」、「感動をありがとう」の大合唱。
まるで手に取るように見える未来像です。

2019.05.06  GW徒然
4月28日(日)
朝、多くの旅行客に混じり、さあ名古屋へ。
名古屋駅からはあおなみ線というローカルな路線で会場まで。
そこはまるで東京のラッシュ時を思わせる混雑ぶりで、地元の一般乗客から見ると、
「なんで今日に限ってこげえ混んどるん?」、「金城ふ頭で何か面白れぇイベントでもやりよっちゃろうか?」(怪しい名古屋弁ですが名古屋の人の気持ちになって読んでください)
という状況だったと想像します。

無事に学会参加登録を済ませ、再び渋滞電車に揺られ名古屋駅まで。
予約してあったのぞみまで少し時間があったので、スタバでもなく、ドトールでもなく、そんな感じのカフェで時間を潰していたときのこと。
アイスカフェラテのトールサイズをちびちび飲んで時間を潰し、人間観察をしておりました。
隣のイケメン男子(大学生もしくは予備校生)二人の会話は非常に今時で面白かったです。
会話の内容からはかなりの学力がある風で、名大、名市大、早稲田、時に東大なんてフレーズが出てきたし、自分の髪形、ファッションから女の子の話題も一杯出てくるし。
「これが生の名古屋弁か」ってほどに名古屋の言葉がふんだんに使われ、
自分の本の内容もそっちのけで二人の会話に聞き入っておりました。

彼らが出て行った後、また二人の男子がやってきました。一人はちょっとぽっちゃり系でチェック柄のシャツを着た子、もう一人はやせ気味のメガネ男子。
二人ともスマホを見ていて、会話はほとんどなし。たまにぼそっとつぶやいて、相手が少し反応するって感じ。

注文したパスタを黙々と食べて、そのうち出て行ってしまいました。

どちらも同じくらいの年でしたが、あまりにも違いが明らかでした。 

いつぞやのことでしたが、やはり二人連れの女性がランチに来たとき、何の会話もせずにおのおのがずっとスマホを操作していたことを思い出しました。
何のために向かい合って座っているんだろうって。 

別にイケメン男子学生が素晴らしいと言ってるわけではなく、彼らの話には眉を顰めるような内容があちこちに散らばっていました。
最近の若者らしいといえばそれまでなんですけどね。
ただ、会話をしている分、健全かなと。
 

4月29日(月)〜5月1日(水)
天気も悪く、一日家の中で読書をしたりテレビを見て過ごす連休前半。田舎のテレビのCMにはやたらとソフトバンクの選手が出てきます。
内川、今宮、甲斐。
共通点は出身地ということなんですが、ソフトバンクは九州出身選手をうまく育てて強くするという、良いチーム作りをしているんだなあと改めて感じさせられました。
楽天、横浜、中日も割とそういうビジョンが見えますね。
地元に根付いた「おらがチーム」を作ることにより、地元の強固なファンを獲得するというメリットがあります。
また、地元民放テレビでは本当に地元のローカルニュースを大切にする傾向があります。
グローバルな時代なのにニュースはローカル。

そして、地元民が購読している新聞は全国紙ではなく地方紙が多いというデータがあります。
以前から全国紙と地方紙の両方を取っていた世帯は、経済的な面から一紙だけとなると地元紙だけになっているからだそうです。
地元紙には地元紙としての役割があるのですが、どこか寂しい気持ちになってしまいます。 


5月2日(木)〜5月5日(日)
雨が上がると澄んだ空気があたりを包みます。

田植えもまだずっと先で、麦の穂が田んぼを埋め尽くしています。
このあたりでは麦を刈り取った後で稲を植えます。
刈り取った麦は有名な焼酎メーカーが一括して買い取ってくれるそうです。

茨城ではこのGW中に田植えをする農家が多いのですが、僕のイメージでは田植えは梅雨の時期なんですね。

「田植え休み」という特別休暇をご存知でしょうか?
秋には「稲刈り休み」という特別休暇もあったんですね。
当時、クラスの半分以上が農家の子で占められていたんでしょうか?(うちはサラリーマン家庭)
子供たちは家の手伝いをしなさいってことで、2日間ほどお休みがありました。
農家じゃない子供たちには単なる休みになるんですが、
先生は「うちの手伝いをしない生徒はちゃんと勉強をするんだよ」と形だけの指導はするんですが、遊びに行くに決まってます。
この特別休暇もいつの間にかなくなっています。(当然ですね)

このシーズンに田舎に戻ることは滅多になく、例年であればスポーツ観戦や映画館に出かけているんですけど今年ばかりは大人しくしております。
親の介護というよりは見守り役として。
 

平成が終わり新しい元号令和が始まりました。
天皇陛下の退位と新天皇の即位の2日間、世間は皇室一色となっておりました。
僕はテレビに噛り付くでもなく夜のニュースや新聞で情報を得ておりました。

モノクロの昭和から平成への変わり目とは全く違うもので、個人的には非常に良かったのではないかと思います。(日本会議の方々には申し訳ないけど)
陛下の崩御に伴う悲しみの中での交代ではなく、皆に歓迎されるようなセレモニー形式というのが良かったです。 

渋谷は相変わらず馬鹿騒ぎ、それも良し。そんな人々も日本国民のメンバーです。
大晦日から新年に変わるような感じで、平成の嫌なことも一旦リセットされるような雰囲気になったんですが、実際は何も変わってない2日間なんですけどね。
2019430日までの日本と201951日からの日本、何が違うんだろう?
しかし、気持ちの持ちようっていうのがもしかしたら大事なんではないかと思ったりして。
ただ、民放には初めから期待しておりませんが、NHKもこぞって祝賀ムードっていうのにはちょっと違和感を覚えました。
天皇制?皇室の在り方?っていうものをじっくり考えるっていう視点がどこかに置かれてしまっている気がしたんですね。
 

令和が何年続くのかわかりません。
そして自分は令和の最後の年まで見届けることができるんだろうか。
僕は新天皇より少し若いのですが、令和時代が自分の人生のゴールのような感じがしてなりません。 

あまりに暇を持て余していたため、「生まれ故郷を探索」というわけでもなくぶらっと散歩してきました。



昔住んでいた市営住宅(築60年近い)です。まさしく昭和の原風景です。
既に空き家となっているところが多いのですが、当時は人気のため入居するには抽選だったとのこと。


平成を象徴する風景も探してみたんですが…。イオンとシャッター通りを並べて撮ってくればよかったかな。



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