独り言


2019.04.27  平成最後の
自分がこのフレーズを使うとは思わんかったけど…。
まあ、今週は忙しくもあり、最後は案外だったり。

週明けからレセコンがダウンして、延命処置を施して一時的には持ち直したものの、木曜日にはとうとううんともすんとも言わない状況に追い込まれてしまいました。
お陰で処方箋は手書き、お会計も手計算、詳細な明細書の発行なんてできるわけもなく。
しかし、その日に限って患者さんが多くて、普段の木曜日の5割増しって感じでした。
多分、連休前の駆け込み受診という目的なんだと思いますが、あまりの混乱ぶりに、
「明日出直します」っていう患者さんが何人もいらっしゃいました。

サポートの業者さんが来てくれて、レセコンが復旧したのが11時頃でしたが、患者さんには大変ご迷惑をお掛けしました。

事務さんは大幅な残業になるにも関わらず院長は早々と帰っちゃうし(健診の予約があったから仕方なかったんですよ)、久々に試練を味わった日でした。
流石に立場上、健診を終えて戻ってきましたが、何だかどっと疲れが出てきて。もしかしたら、朝、昼食抜きだったせいもあるのかもしれません。

今日は平成最後の診察日、連休前の土曜日、それに午前中のみの診療でしたから、かなり覚悟をしていたんですが、普段の土曜日より少ない感じ。
スタッフも一人増員でスタンバイしていたのに何だか肩透かしを食った感じで診療は終了しました。

4月分の診療の整理をしたり、経理関係、労務関連のお仕事などをしているうちに夕方になってしまいました。
半ドンのメリットを享受しようとしたのに、今日の所はその恩恵に与れなかったようです。
ただ、ちょっとだけ普段見られないテレビ番組を見ることができたのは良かったです。


さあ、平成もあと残すところ3日となりました。
平成という時代を総括する番組が色々とありますが、どこを切り取るかで色んな見方ができてしまうように感じています。
決して総括なんてできないんではないかと。
国際的な面からと国内政治の面からでは評価が違うだろうし、経済面においても企業からの視点と国民の生活目線からでは相当違っているでしょう。
国民も総中流ではなくなり価値観も多様化して中で、「平成時代とはこれだ」というような、多くの国民がうんうんって頷けるようなフレーズがなかなか思い浮かびません。

「多様化した社会」、「階級社会」、「停滞しながらもそれほど悪くない社会」、「成熟(高齢化)した社会」などなど。

個人的に平成時代は、20代前半から50代前半に当たりますので、そこそこいい時代でした。
昭和の時代も悪くはなかったけれど、良かったことから悪かったことを引いた場合、平成の時代の方がプラスが多いように感じています。
何も経済指標じゃないんだからそんなに単純に計算できるはずもないんだけどね。

自分を形成する礎となったものは明らかに昭和の時代に得たものですが、平成の時代にはその上に新しい価値観や倫理観や少量の知識をべたべたとくっつけてきました。
そして、古いものを捨てたり、上から見えないように隠したり、時には先鋭化させたりして人生も後半戦に入っています。
平成という時代にフィットしたかどうかはわかりませんが、順応するためにマイナーチェンジしてきたんだろうと思います。


平成の時代、日本はどうだったんだろうと考えた時、やはり今一つだったんではないかと思っています。
かつては「経済は一流、政治は二流」と言われた時代がありました。
しかし、国内経済は停滞し借金まみれです。GDPこそまだ世界第3位ですが、世界に与える影響、プレゼンスは低下しつつあります。
そのかわり政治は良くなったかと言えば、二流どころか三流ではないかと。

「プーチンさんと何回会談したから」とか、「トランプさんと何回ゴルフしたから」なんて言って仲の良さを強調しても国益になるものは何も得られていません。
周辺国と友好関係を結べず、宗主国のアメリカに追随するだけの外交をする国になってしまったんですね。
そして「日本は凄い」と自画自賛する風潮って何だか不思議でなりません。

さて、令和の時代になってこれが好転するだろうか?
先日の統一選挙の投票率の低さを見ても、国民も二流、三流になっているように感じています。

昔、「もう戦後ではない」というフレーズがありました。
そのうち、「もう先進国ではない」というフレーズが生まれるかも。

明日は名古屋。
これが平成最後の「独り言」です。

2019.04.21  緑の季節
風は少し冷たいけれど気持ちの良い朝を迎えて、洗濯するのにも気合が入ります。
冬物の敷布を洗濯機に入れ、布団を外に干して、タンスから半袖のシャツを4、5着出して、その代わりに少し分厚い長そでシャツを仕舞う。
猫の額ほどのうちの庭の雑草も元気に育っているので、引っこ抜いてからいざクリニックへ。

連休明けには元号が代わっているので書類のテンプレを変更したりしていたらあっという間にお昼を過ぎていました。

新緑の季節ですが、クリニックは赤く染まっています。これまで緑色だったレッドロビンの葉が赤くなり、それが勢いを増しているんですね。
お陰で職員通用口は枝をかき分けながら開けることになってしまいました。
雨が降った時なんかは服や顔がびしょ濡れになってしまいます。
専属の業者さん(庭師さん)がいるんだけど…、自分で切っちゃうよ。


今日は復活祭(イースター)だそうです。
今日の午後、病院にお見舞いに行ったら、患者さんのご家族からウサギさんのチョコレートを戴きまして。その方は毎年、卵とウサギさんをくださいます。
銀紙に描かれたウサギさんの顔を見ていると、「ああ、春が来たんだな」って感じさせられます。
そして、その方のお母様も見事「復活」してくれることを願っています。

2019.04.20  GW前
本来であれば先週書きたかった話題ですが、上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞の件。
あの内容には賛否があるらしいのですが、僕は概ね好印象を抱いております。 

上野先生は言わずと知れたジェンダー研究の第一人者です。(田島陽子女史も凄いんですが)
男女差別の話は先生の得意とするところで、まあ、いつものお話だったと思うのですが、この後に続く

「頑張ってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
 そして頑張ったら報われるとあなた方が思えることそのものが、あなた方の努力の成果ではなく、
 環境のお陰だったことを忘れないようにしてください。」

「あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、
 恵まれない人々を貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください。」

という言葉が心を打ったんですね。

 1819の若者には何も響かなかったかもしれません。恐らく、僕も大学に入学したばかりの怖いものなしの舞い上がった状態でこの祝辞を聞いたのであれば、
「何言ってんの、このおばさん。自分は高校時代に他人より沢山勉強して受験戦争を勝ち抜いてきたんだよ、自分の努力でこの場所にいるんだよ」って思っていたでしょう。
しかし、今は違います。
うちは裕福ではなかった(はっきり言って貧乏の方でした)けれど、親の教育にかける熱意が非常に高かったこと、高校の先生方がみな熱心だったこと、
それに国の奨学金制度もあって進学することができました。

今の自分があるのは誰かのお陰って思えるのは多分ずっと後になってからになると思いますが、できるだけ早くその日が来るといいですね。


あと1週間すればGWに突入します。
今週は、「まだ薬はあるんですが、少し早めに取りに来ました」なんていう患者さんがちらほら。
お国が「休め」と言ってるので休むことにしましたが(冗談)、職員も家庭を持つ身ですので、大型連休となりました。
僕はと言えば、丁度この時期に内科学会がありますもので、行楽客に交じって名古屋まで行くことになっています。
名古屋での学会って珍しくて、いつぞやのナゴヤドーム突撃以来の遠征になります。

先日、某国営放送のニュースを見ておりましたら、天気予報士のお兄さんが、「ゴールデンウィークの天気は」と言ったところ、すかさず横から
「大型連休です」
と訂正が入っていました。
NHK的には世間が何と言おうと、「大型連休」なんですわ。

GW前、なぜか禁酒を強いられております。
健診でγGTPが高かったから?
違います。
これから健診なので、少しでもいい成績を残そうと無駄な足掻きをしているんですね、これが。
体重を減らすべく、食事量も少なくしたりして…。
果たしてその成果は出るでしょうか?

2019.04.14  マスターズ
今年もこの季節がやってまいりました。
自分は全くゴルフをしないのですが、マスターズだけは毎年見ております。
朝、出勤前のほんのわずかな時間と3日目にあたる日曜日はたっぷりと。
日本では桜が散ってしまう頃、緑一色となったオーガスタの景色が大好きなんですね。
ショットを放った時のスイング音、これに続くパトロンの大歓声。静寂の中に響く鳥の囀り。

日本人選手の活躍も期待しますが、今年は何と言ってもウッズ選手の復活に期待です。

中島常幸さんの解説もいいんですね。本人が本当に楽しそうにしているし、選手に対するリスペクトが感じられるのがグッド。

国際的なスポーツ競技では日本人選手(日本チーム)に対する贔屓の引き倒しみたいな中継に傾きがちで嫌になってしまうのですが、マスターズは割と平等に扱うので好きですね。
松山選手、金谷選手のリプレイ特集もありますが、外国人選手のスーパーショットもふんだんに見せてくれます。

他のメジャー大会はテレビの放送が僕の生活リズムと合わずに見れません。また、全英は荒涼とした風景があまり好きになれず、やはりゴルフはマスターズに限るってとこでしょうか。

2019.04.13  復興よりも
大事なことって言って更迭された大臣がおりました。
何だか今更感がありまして。
この発言がアウトで、今までのがセーフっていうのがようわからんのですが、あの人が大臣であること、それ以前に国会議員であること自体がちょっとなあ…。
議員さんは選挙という民主主義的なルールを経てあの場に登場しているのですが、最近、どうもその資質が疑われる人が目立つようになっている気がしてなりません。
以前にも少なからずいたんでしょうが、そのレベルが昔とはちょっと違うんですね。

「悪い」の質というんでしょうか、汚職に手を染める、裏の世界と繋がっているなんていうのは確かに悪い(犯罪)のですが、
最近の「悪い」は頭なんじゃないかって。

人の言葉が理解できない、議論が成り立たない、丁寧な説明ができない、等々。
すぐに忘れて記憶がなくなってしまうっていう方も大勢いらっしゃいます。
大勢の中では舞い上がってしまって思ってもないことを思わず喋ってしまう人もこの前辞任なさってしまいました。
議員さんていうのは、大勢の前で演説するのが得意な人ではなかったかと思うんですが、そうでもなかったようです。


今回の忖度発言で感じたこと。
国会議員の果たす役目は、第一にお国のために貢献することであるのは異論のないところです。
しかし、選挙区での演説でこう言います。
選挙区の皆様のお役に立てるように、中央とのパイプを生かして、住みよい○○にします。
政権与党に所属することによって、国からの予算を地元に持ってくる、公共事業(大型インフラ)を自分の力で何とかすることを強調しますね。
野党候補にはできないけれど、自分にならできるんだって言います。
昭和の時代には、○○先生の道路、橋、鉄道っていうのが日本各地にありまして、議員さんは国よりも地元選挙区のためにいかに貢献するかが次の選挙にとっては大事なことだったと思います。

それを利益誘導型の政治と非難をするのは簡単ですが、これを完全に排除した政治ってあり得るんだろうか?っていうのが今回感じた疑問です。
彼の場合、自分の選挙区のためではなく、立場を利用して上司のご機嫌を取るような真似をしたという点が野党からの格好の攻撃対象となったわけですね。

今回の2人の辞任については後者の方がたちが悪いと思っていて、「サクラ」を無理やり散らせて「忖度」のお茶を濁した感が否めませんでした。

2019.04.07  昭和か明治か
新年度が始まり、1週間が過ぎました。
新メンバーも加わり、新たな気分です。
患者さんの数に比べスタッフが多すぎ?ではありますが、まだ慣れていないので暫くは古参スタッフに休みなく出てもらうことになっています。

そして新年号も決まりました。

「令和」
だそうです。

「れ」にアクセントを置くのか、フラットに「れいわ」と発音するのか、どうしましょう。
「和」で終わりますので、「昭和」を参考にしてみますと、
昭和○○年という時は、フラットに言いますよね。
「私は昭和40年生まれです」とか、「昭和20815日に終戦を迎えました」など。
また、「昭和大学」、「昭和歌謡」、「昭和記念公園」、「昭和シェル石油」などもフラットに言います。
しかし、「昭和の○○」となると、「しょ」を高くすることがあります。
「昭和の町」、「昭和の人」、「昭和のスター」とか。
別にフラットに読んでも違和感はありませんけど。
また、「昭和が終わる」や「昭和という時代」なんて時もどっちでもいい感じ。

しかし、「大正」、「平成」は常にフラットで発音します。

そして、「明治」。
「明治○○年」は「め」を高く、「明治」の後に名詞が付く場合はフラット、「明治大学」、「明治神宮」、「明治時代」、「明治村」など。
例外は「明治安田生命」かな?また、明治大学でも「大学」を省略するときには「め」を高くしますね。

さて、「れいわ」ですが、「昭和」と同じで良いのでは、と思います。
「令和○○年」はフラット、「令和の○○」は頭を高くしても良いし、フラットでも構わないんじゃないかと。
この先、令和生命、令和学園、令和産業などが出てくるんじゃないかと思います。これらではフラットな「れいわ」と言いますよね、多分。

「れ」にアクセントを置くと、どうしても玲奈(麗奈)ちゃんみたいなニュアンスを抱いてしまうんですね、個人的に。


もう一つ。
春の日曜日はなんともいいものです。
午前中に一仕事終えた後は、近くの公園の桜を見てからうちでゆったり。桜の木の下にいる人たちの顔はなぜか皆幸せそうです。
暖房も不要になった部屋でビールやワインを飲みながら本を読んだり、阪神競馬場の桜花賞のリプレイを見て過ごす、久々に快適な休日でした。




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