独り言
2019.03.31 それぞれの道へ
3月が終わり、明日からは新年度です。
春は別れと出会いの季節とも言われますが、当院からも一人のスタッフが新天地へと旅立って行きました。
開院時からの付き合いでしたから13年余りを一緒に過ごしてきたことになります。
30歳代で入職し、僕と同じように年はとりましたが、彼女はまだまだ若々しくて患者さんにも人気がありました。
安定した職場(病院)から、この先どうなるかわからない小さなクリニックに来てくれて、軌道に乗るまでは気が気ではなかったかと思います。
大きな職場であれば有給が取れるし、自分の都合で休みの予定も入れられますが、クリニックだとそんなわけにもいきません。
子供の具合が悪ければ早退したり、急遽お休みを取るということもクリニックに勤めていると難しいものです。
しかし、彼女は文句ひとつ言わず(言いたいことは山ほどあったけど言えなかった?)、大きな病気もせずに働いてくれました。
そして、他の職員のまとめ役、僕の愚痴の相手役にもなってくれていました。
特に労務管理、薬品管理、医療機材管理など僕の右腕となって多大なる貢献をしてくれました。
しかし、昨年末、本人より新しいステージへと挑戦したいので退職する旨を告げられた時の失望感、喪失感と言ったら…。
ただ、「別の病院のほうが待遇が良いから」という理由で転職されると、こちらはちょっと凹みますが、そうではなかったので快く送り出すことになりました。
これまで彼女が担っていた業務は残ったスタッフに引き継がれるのですが、あまりの業務量の多さに「みんなで分担しましょう」という声が挙がったのは言うまでもありません。
長年、患者さんからも信頼され、愛されてきた人(ファンも多かった)だけに、クリニックとしては非常に寂しく、痛い卒業となりました。
新しい人生を歩むことになりますが、幸せになることを祈っております。
明日からはもう一人。僕の厳しい面接を潜り抜けてきた人なので期待感はマックス(笑)。
徐々に慣れてきて、うちの色に染まってくれればいいな。
明日は新元号が発表されます。
診断書、公的なところへの提出書類などは最近西暦で指定されているものも多くなってきました。
電話で生年月日を聞くこともありますが、最近の若い人たちは(こういう言い方からしてオッサンや)西暦で答えてきます。
個人的には元号の方が好きなんですが、昭和、平成、新元号が一緒くたになると、「さて、あなたのお年はいくつですか?」って、こんがらかりそうです。
ここに西暦も加わって、平成〇〇年は西暦△△年、平成〇〇年生まれは今●●歳、てなことが頭の中の電卓(算盤)をフル稼働させなくてはなりません。
昭和生まれの人は、「今、仮想昭和94年だから、94引く昭和〇〇年」で計算可能。
平成生まれの人は取り敢えず、「31引く平成〇〇年」で計算可能。来年からは仮想平成32年で計算することになります。
西暦で言われたら、1989年までは昭和、1989年以降は平成って考えて、昭和なら25、平成なら88を引けばいい。
合理的に考えるのであればもう西暦に統一してもらった方が面倒臭くなくていいんですけど。
しかし、何事も合理主義だけでは味気ないと思いませんか?日本らしさも残しながら臨機応変に対応するのが成熟した大人ではないかと。
2019.03.21 幸せかい?
世界幸福度ランキングが発表され、日本は昨年より4つ順位を下げ58位でした、というニュースから。
3月20日は国際幸福デーとのことですが、全然知らんかったとです。
上位の国を見ると、フィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、オランダ…、と北欧の国が並んでいて、アメリカは19位、韓国は54位、中国は93位、ロシアは68位などなど。
幸福度の指標が国民の感じる満足度、GDP、健康寿命などで数値化するらしいのですが、寿命やGDPといった要素は高順位だったようです。
しかし、順位を落とす要因として挙げられているのものが、社会の自由度(64位)、他者への寛大さ(92位)だったらしいですね。
この結果から、経済的には幸福だが、非寛容な国と総括されていました。まあ、そうなりますわな。
ただ、こういったランキングでいつも思うことですが、いろんな要素を数値化してそれを合計して比較するっていうのは果たして正しい手法なんだろうか?
また、仮に正しい手法だとしても、得られた結果は本当に実情を反映しているのだろうかと。
年齢、身長、体重、腹囲、年収、アルコール消費量、学歴なんかをごちゃごちゃと数値化して、それを足し算して…、何らかのランキングを出すようなものではないかと思うんですけどね。
また国民性の点からも、「あなたの幸福度は10点満点で何点ですか?」と聞かれた場合、日本人は5点前後と答える人が大多数ではないかと思っています。
「儲かりまっか?」と聞かれたら、「ぼちぼちでんなあ」と答えるのが正しい大人の作法と小さい頃から教わってますから。
たまには、「儲かって儲かって仕方ないんですわ」とおどけたり、「全然あきまへんわ」としょぼくれるかは時と場合によって使い分けますけど。
まあ、こういうランキングに一喜一憂するところも日本人らしいと思っています。
ランキングで常に上位の北欧の方に聞いたことがありますが、別に何とも思っていません。
誇りに思うとか、これからも上位を維持するように頑張るといった気持ちも持ち合わせていないんですね。
しかも、最近では手厚いはずの社会保障制度も移民問題(難民問題)により自国民が恩恵を受けられなくなるという不安から寛容性も少し低下しつつあるらしいですね。
ヨーロッパ各地での極右政党の躍進がそれを物語っています。
また、このランキングでは格差社会、自国ファースト、国境の壁を作ろうとする非寛容の権化のような米国が日本より遥か上位に鎮座しているのには驚きですね。
GDPが配分が大きかったのでしょうか?だとしたら中国の順位がもっと上がってもいいはずなんだが・・・。
日本の順位(58位)周辺の国には、ジャマイカ(56位)、モーリシャス(57位)、ホンジュラス(59位)、カザフスタン(60位)、ボリビア(61位)などがいます。
うーん、幸せ、不幸せの概念ってどうなっているんだろうって気がしませんか?
幸福度を数値化するのはどうもナンセンスではないかと思っているんですね。
僕もこうして並べられたランキングを見て、そして国情、経済力などを見て、
「どうしてジャマイカよりランキングが下なんだ」、「ホンジュラスやカザフスタンなんてあんなに治安が悪いところで暮らしている国民と同じくらいなんておかしいだろ」なんて思っているわけです。
幸福度の感じ方っていうのは世界での評価ではなく、あくまでも国内での相対評価によるものでしょ。
「上を見ればキリがないけれど、食べるものに困っているわけでもなく人並みでそこそこの暮らしぶりだから、まあ幸せかなっていうことで5点」とかいう感じです。
決して、「アフリカの人たちの生活から考えると恵まれているからってことで10点」、「アメリカのセレブの人たちの生活ぶりを見たらうちは全然だから2点」ていうことはありません。
例えは悪いのですが、同じ内申点が4.5点でもトップクラス進学校の生徒と普通の高校の生徒では中身が違うでしょうから。
ここで強引に結論に持っていきます。
他の国との比較においてランキングはあまり意味がない。
しかし、同じ国における経年変化には意味はある。
2019.03.16 新たな季節に向かって
今週は朝のまぶしい光を正面に受けながら車を走らせています。
真っ暗な寒い朝に家を出ていたのはほんの1か月余り前でした。
手袋をしてマフラーを捲いていましたが、今週はマフラーも部屋に置いたまま、そろそろ手袋も仕舞う時期になってきました。
春が来たようです。
結局、インフルエンザB型の流行はなかったようです。
1月のA型大流行で今シーズンは終わったんですね。
今週も「念のために調べてください」というご要望にお応えした患者さんのうち、インフルエンザが陽性だったのは2例くらいだったかな?
さて、今シーズンのワクチンは効果があったのだろうか?
B型は流行しなかったから効果があったと考えるか、でも、A型は全国的に大流行したから効果はなかった(効果は限定的だった)と考えるか。
確実に言えることは、インフルエンザでうちを受診した患者さんの人数は明らかに昨年より少なかったですね。
今週から新人が働き始めたのにお気づきでしょうか?また、受付には2週間の予定で実習生も来ているんですね。
二人とも緊張感が溢れていて微笑ましいです。
経験年数はしっかりあるものの、うちのような超アナログな所で働くのは大変だと思います。
これまでとは勝手が違っていて、真っ新な状態から一つ一つ覚えて行かなくてはならず、メモを片手にやっています。
最初からフルタイムを強いるのは可哀想なので、半日だけ来てもらい徐々に慣れて、来月からはビシビシ行くことにしましょう。
4月からはもう一人加わりますので、新人指導部隊は結構大変なことになりそうです。
2019.03.09 ロジックの破綻
春一番が吹いたそうです。
日中はずっと室内にいたのでわからんかったです。
昼休みに家に帰った職員に聞いてみましたが、「それ程暖かくなくって、風は冷たいですよ」なんて言われました。
もしかしたら、春一番は都内だけだったのかも。
今週は県立高校の試験がありまして、翌日の朝刊には問題が出ておりました。
実際に解いてみたら…、結構難しいんですね。
数学は満点取れるだろうって余裕かましてたら、一番最後の問題(面積を求める)はギブアップでした。
立体のイメージがどうしても浮かばなくて、娘に教えてもらう羽目になりまして。
国語や社会も何だか難しくて、「昔取った杵柄」は、どこへ行ったんだろう?多分、押し入れにでも隠してあるのかもしれません。
厚労省の統計不正での言い訳が凄く斬新でしたね。
「嘘はついたけれど、隠蔽はしていない」
どういうロジックでこの命題が成り立つんだろう?
「嘘をつく」のは「真実を隠す」ためじゃないんだろうか?
「隠蔽する」というのは「真実を隠す」ことだと理解しています。
数学的に考えれば、
A=B、C=Bならば、A=Cが成り立ちます。
そこで、「隠蔽」を辞書で引くと、「ものや事柄が目に入らぬように覆い隠す」とあり、「事実を隠蔽する」という風に使いますね。
もしかしたら、答弁したお方はこう考えたのかもしれません。
「確かに嘘をつきました。
しかし、隠すつもりはさらさらありません。別に嘘がバレようとバレまいと関係ありません。
確信犯的に嘘をついてるだけです。
だから隠してないんです。隠そうという意図は全然ありませんから。」
とか、
「受け取る方がそれを嘘と取るか真実と取るかは勝手に考慮してください
今は「嘘」と判定されましたが、その当時は嘘をついているなんて、これっぽっちも考えていなかったんですよ。
振り返ってみればそれは真実ではなかったんだなって。今になってやっと嘘をついていたんだとわかりました。」
なんて答弁すれば、「嘘はついたけれど、隠蔽はしていない」が成り立つんでしょうか。
しかし、これを問題視しない人の感覚がどうしてもわからないんですね。
あれほど「道徳心を持て」とか「教育勅語を現代にも応用できないか」と教育に口出しする人々が、不正、隠蔽に対してこんなにも寛容な態度をとれるのかが何とも不思議です。
彼らには日本語が通じないのか、はなから理解しようとしていないのか、都合の悪いことは聞こえないのか…、色々と考えられる理由はあります。
ただ、この言い訳を自分の子供や学校の生徒たちが使ったとしたら、その時大人たちはどう対処すればいいんだろう?
2019.03.03 シーズンはまだ先
昨日とは打って変わって寒い一日でした。
調整試合を見にちょっくら出かけてまいりました。
たかがオープン戦にも関わらずほぼ満員ってどういうこと?
まあ、駅からの道もシーズン中と同じくらい混雑していて、いつも立ち寄るお店も盛況で、カウンターに座るのにも少し待たされました。
スポーツ紙も練習の話題に2面も3面も割いてまして、人気凋落を叫ばれているのに不思議な現象でした。
また、ファンクラブ会員向けにシーズン中のチケットも抽選発売されていまして、昨年は常に第二希望くらいまでの席が取れていたんですが、今年はいきなり第五希望の席しか取れませんでした。
システムが少し変わったらしいのですが、何だか改悪されたのかな?
チケットと言えば、カープの本拠地でのチケット販売が大変なことになっているようです。
一般人、転売ヤー、そして怖い人たちが入り乱れての争奪戦みたいですが、人気球団になった今、昔の理念(市民球団としての責務)を貫くのは難しくなってきているのではないでしょうか。
ミュージシャンのライブチケットでも転売のターゲットとなり、その防止策が色々と工夫されています。(チケット購入者の本人確認)
需要と供給のバランスによって価格が変動するという市場原理に従うべきという意見もありますが、最初から転売目的での購入は厳しく対処すべきだと思ってるんですけどね。
球場周辺やコンサート会場周辺のダフ屋はダメで、ネットを介したダフ屋はOKというのは整合性が取れないと思いますが。
昨年、西武ライオンズのファンクラブの会員がチケットを転売した件で退会の処分を受けたというニュースがありました。
自分が行けなければ行きたい人に譲る、若しくは同じ価格かそれ以下で売るというのが、普通の感覚、許される行為かと思っています。
これを実際の価格より高く売る、ネットオークションにかけるというのは、「とても恥ずべき行為である」、「浅ましい考えの持ち主だ」、という感覚は…、多分ないんだろうなあ。
2019.03.02 届かなかった葉書、そして…
2月も終わりましたが、今年はそれ程寒さを感じませんでした。
そして3月に入り、今日も暖かくて花粉症の方にとっては辛い季節到来です。
でもって、今日の外来は季節限定の耳鼻科の先生にでもなった気分でした。
その方と初めてお会いしたのは大学2年生の頃だったでしょうか。
同級生に、「塾でバイトしてみない?」ってな感じで誘われて、その方の経営する塾に行きヘルプで何度か小学生の授業を担当しました。
教壇に立って教えるのは不向きだと思われたのでしょうか、その後は家庭教師の口を斡旋してくれたんですね。
5年生になるとバイトもできなくなって、その方との縁は切れていました。
それから15、6年の月日が流れました。
僕は結婚して子供もでき、その子が中学受験する際に、「まだあの塾やってるかなあ?」って思い出して連絡を取りました。
「お久しぶりです、覚えてますか?」ってな感じで。
「今度、息子が中学受験をするんですけど、お願いできますでしょうか?」
「いいですよ、先生のお子さんなら。でも、一応面接をしますから来てください。」
と昔のままの声を聞くことができました。
久しぶりに訪れた塾は、昔の大きなビルから小さなマンション(アパート?)の一室に移転していて、生徒数も一クラス10人くらいのこぢんまりとしたものになっていました。
「あれから色々あってね。」と多くを語らずに、しかし笑顔で答えてくれました。
その後、僕は開業することになりましたが、その方は開業初日に一番最初の患者さんとして受診してくれました。
「これから先生(僕)のところで診てもらうことにしたんです。」と言って、これまでの経過を記載したA4の紙を持って来られました。
始まりは塾経営者とバイト学生、次は塾の先生と生徒の親、最後は患者と医者(主治医と言っていいんだろうか)の関係になったわけです。
通院歴は13年余、塾も年々縮小していきました。そしてこのたび茨城を離れ、都内に引っ越すこととなりました。
次の病院への紹介状(診療情報提供書)を渡したのですが、何か言い残した感じを抱いたまま、しかし次の患者さんもいることからそのままになってしまいました。
そして、今日。
その方から封書が届きました。
何かな?
開けてみると、
一枚の葉書が入っています。
「医師国家試験 合格 おめでとうございました。 平成元年 5月」
どうして?
裏返してその宛名を見たらその答えがわかりました。
僕が5年生の時に暮らしていたアパートの住所がそこにありました。
そして、「あて所に尋ねあたりません 筑波学園」と、赤い判子が押してありました。
大学卒業の時は別の所に引っ越していて、当然届くはずもありません。
学生時代の僕は郵便局に住所変更の届けを出すような世間一般の常識もなく、合格を祝ってくれた葉書は送り主に戻っていたんですね。
それが、今こうして自分の手元にあります。30年の月日を経て。
何だかとても目頭が熱くなって…。