独り言

2018.05.27  梅雨入り前
そろそろ梅雨も近づいて、爽やかな5月ともお別れです。
昨夜は年に一度の大事な会議があって、久々に夜更かししていました。
しかし、習性とは恐ろしいもので、朝はいつも通りに目が覚めてしまうんですね、これが。

久々に何もない日曜日。洗濯、草むしりを済ませ、夕飯の買い出しをして、アイロンをかけ、FMを聴きながらビールを飲む。
振り返ってみると5月は日曜日も木曜日も殆ど何らかの用事が入っていたので、こんな休日を過ごしたのは・・・。スケジュール帳を見てみると4月22日以来でした。

以前にも書いたことがありますが、個人的には梅雨はそれほど嫌いじゃありません。
夏へのプロローグで、昼間が長いっていうのがいいんですね。

来週も学校検診、頑張ろう。

2018.05.24  陰鬱な気分
日大アメフト部の問題。
今更感はありますが、僕も多分ほとんどの方が感じているのと同じ感想です。
加害側選手の会見を見聞きした後には何ともやるせない、悲しく、苦く、憤懣やるかたない気持ちに包まれていました。
不条理な世界で苦しむ若者を、大人たちは誰一人として助けてやらず、自己保身に走るばかりでした。
仮に自分を選手の親に置き換えてみた場合、加害選手側、被害選手側のどちらからも、日大の上層部に対する怒りは収まらないと思われまして、監督、コーチを擁護する理由は一つも思い浮かびませんね。 

任侠の世界で言えば、彼は鉄砲玉の役割。
「あいつがいのうなればうちの組も助かるじゃけんのう」とか、
「お前が務所に入っちょる間は家族の面倒はちゃあんと見ちょくから」
なんて言われれば、組長や若頭の気持ちを忖度するでしょ。 

このところの政治の世界や官僚の世界でも同じ構図が・・・。
「彼が勝手にやったんです。我々は全く知るところではないんです。」 

ただ、やくざの方がトカゲの尻尾切りをしない(ちゃんと最後まで面倒見てくれる)だけいいのかも。 

部活動で起きた、たった一つのプレーが彼のこの先の人生を大きく変えることになりましたが、世間が日大を見る目というのも大きく変わりました。
「日大ブランド」というものがあるとすれば、そのブランドの価値は大きく下がってしまったんでしょうね。 

ついでに。
「そういう獣医大学の考えはいいね」と君が言ったから225日は加計記念日
っていう俵万智さんの二番煎じが浮かんだのも2日前のことでした。

2018.05.19  YOUNG MAN
「ヒデキ」とカタカナで表記できるのは西城秀樹、「秀喜」は松井で、「英樹」は松山です。

まだ僕らがテレビっ子だった10代、歌謡曲が多くの世代で共有されていた時代、明星や平凡という雑誌をクラスのおませな女子たちが見ていた時代、
ヒデキやゴローやヒロミは僕らにとって、「カッコいいお兄さん」でした。
いとこのお姉さんはゴローの熱狂的なフアンで、部屋の壁や天井に、ゴローの写真を修学旅行で買ったであろう京都か奈良の三角形のペナントとともに何枚も張り付けてありました。 

そして当時の男性アイドルは、耳が隠れるくらいの長髪で、裾の広がったパンタロンを履いて歌っていたものでした。
ヒロミは少し「なよっ」としていて、僕らからすると、「男らしくなく、なんだか女みたいな奴」、ゴローは少し大人の雰囲気でちょっと世代が違うのかなあって感じ。
しかし、ヒデキはとても元気が良く背も高くて歌も上手で明るくて。
芸能人水泳大会や大運動会でも大活躍するほどのスポーツ万能なスターでしたから、女子だけではなく、男子としても憧れるアニキでした。

当時、「リンゴと蜂蜜がとろーりと溶けてる」カレーのコマーシャルに出ていて、そのお陰でうちでは
10日に1度の割合で夕食はカレーでした。(3の付く日はカレーの日だったから)

彼の数あるヒットソングの中でY・M・C・Aの「YOUNG MAN」があまりにも有名ですが、自分は「激しい恋」、「傷だらけのローラ」、「ブーメランストリート」の頃の印象が強く残っています。
多分、Y・M・C・Aの頃は歌番組から少し離れつつあったのでしょう。

そして40年の月日が流れ、彼は亡くなってしまいました。

そこで、今でこそ2軍にいる巨人のヤングマンには是非ともここで「立ち上がって」ほしい。

2018.05.16  慣用句
最近何かと出てくるワード、「蚊帳の外」ですが、言葉の意味は分かるけど、「蚊帳」って何だろうって思っている人もかなりいるんじゃないかと思っているんですけどね。
うちの子供たちは「蚊帳」を見たこともないし、そもそも「蚊帳」という言葉すら知りません。
僕は小学校低学年までは親と一緒に寝ていましたから蚊帳の吊り方から入り方や出方もちゃんと知ってます。
「真ちゃん、そんな風にしたら蚊が入ってくるじゃないの。」って何度となく注意されたものです。
そのうち、子供部屋にも新しい蚊帳を吊って、妹と一緒に寝ていましたから、なんやかやで中学に入るまでは蚊帳は夏の必需品でした。
蚊取り線香もセットで使用していましたが、いつの間にか蚊帳は姿を消して、蚊取り線香も徐々に肩身の狭い存在となり、ベープマットが我が家の主流の蚊対策用品となりました。
で、「蚊帳の外」は日本でだけ通用する表現ではないかと思っていて、さて、海外ではこういう状態をどう表現しているんでしょうか?
まさか、「つんぼ桟敷」なんて言うこともないんでしょうし、ただ単に、「仲間外れ」とでも言ってるんでしょうかねえ。
スネオ的外交の結果というべきか、腰巾着国家の悲しいところであります。

他にも日本独特の表現って沢山あって、「客寄せパンダ」っていう表現も面白いです。
最近では清宮クンもその類でしょうか。
その対象は人気の割に必ずしも実力を伴っていないという意識が込められている場合に用いられることが多いように感じています。
真に実力と人気が伴ってきた場合はもう、「客寄せパンダ」とは言われなくなりますから。

ではパンダが日本にやってきてあんなに人気者になる前はこういう状態を何と言ってたんだろうって気になってしまいました。
「広告塔」と言うと、「客寄せパンダ」みたいな揶揄するニュアンスは消えてしまいますし・・・。

10代、20代の頃、諺や慣用句や故事成語などは必死になって覚えたものです。
何故か?
大人としての常識、日本人としての常識であるとその当時は思っていたんですね。
平成も終わりに近づいていて、どこか昭和の匂いのする諺や慣用句なんてものはもう若い人には通じないんだろうなあ。
ワンワード(「やばい」、「大丈夫」とか)でなんでも通じてしまったり、比喩表現や四字熟語を使ったりしても判ってもらえないもどかしさは何とも寂しいものです。
あと20年もすれば、「昭和は遠くなりにけり」ってな感じになるんでしょう。

2018.05.04  戦隊もの
試合(大会)の途中で合体するなんて、凄い荒業を使うんですね。(世界卓球の韓国北朝鮮の合同チーム)
巨大な敵(日本)と戦うには合体する、なんて斬新な、突飛な、そして平和的な作戦なんでしょうか。
昔、子供たちと一緒に見た日曜朝のテレ朝の戦隊ものを思い出しました。
30分番組の後半20分過ぎあたりで、5つのパーツが合体して一つの巨大ロボになるんですけど。
この場合、5人は全員、戦闘に参加しているんですが、卓球の合同チームではこれまで一緒に戦ってきた同志のうち、1人乃至2人がベンチで応援に回ることになってしまいます。
何だか複雑な気持ちにならないかなあ。これは冬季オリンピックのアイスホッケーでもありました。

大会規定もなにも知ったことじゃない、って感じ。
このままでいくと、サッカーのワールドカップも合同チームで参加しようなんて言い出すかも。(多分、FIFAが許可しないでしょう)

GW後半に突入していますが、予定通り家でゴロゴロしています。
買い込んだ本と学会雑誌を読み、娘と映画を見に行き、youtubeを見たり。

2018.05.02  排外主義っていうやつですか?
患者さんのご家族との雑談の中で考えさせられたお話。
外国の方と結婚をして、今は海外で生活をしています。もう日本国籍はなく、あちらの人になってしまって、お子さんもお孫さんもいらっしゃる女性です。
現在、暮らしているのは高福祉高負担で有名な北欧の国です。

その方は今の日本の医療制度を非常に羨ましいと仰います。
一般的には北欧は負担は大きいものの福祉が充実しており、幸せな国だと喧伝されています。
しかし、実際はそうでもないんだそうです。

住んでいる地域には人口当たりに決められた医療資源(医師数、医療機関)があり、いつでも好きなところに受診できるわけではないとのこと。
電話で病状を説明して予約を取ってから受診しなくてはならないんだそうです。
簡単に受診させてくれずに、「そのまま様子を見てください」、「ドラッグストアで薬を買って飲んでください」ってなことを言われるんですって。

なぜ、そうなるか?

中東からの難民が数多く流入してくることが原因として多くのウェイトを占めているそうです。
また、EU圏内からの自由な人の移動により、彼らが高福祉へのフリーライドをきたすことで自国民へのサービスの低下に繋がっているんだそうです。
通常、貧困な難民の方は健康状態が悪く、疾病も多いため病院への受診、入院が必要となります。
このため、限られた医療資源は難民が優先的に利用することになり、税金を払っている自国民は後回しになってしまいます。
高福祉を享受できるから高負担を受け入れている国民にしてみたら、「なんで移民のために自分たちの税金を使うんだよ。」っていう感情になります。
「自分は痛いのを我慢しているのに・・・。」

ご本人はとても理知的な方ですので、そんなことを考えることははしたない、恥ずべきだと仰っていましたが、一般的な市民感情としては当然だと感じてしまいます。
イギリスのEU離脱、フランス、オーストリア、イタリア、そしてドイツでの極右勢力の台頭は同じ流れだと考えられます。

彼女は排外主義、ポピュリズムについては絶対なる悪という立場ですが、日常生活の中でそういう勢力がじわりじわりと侵入してきていると実感している様子でした。
翻って日本の場合も、あまり自慢できる立場ではないように感じています。中韓に対するヘイトは恥ずべき行為だと。


最初の「日本の医療制度は素晴らしい、羨ましい」という言葉は、彼女はこれを排外主義と結びつけてお話ししましたが、日本の医療制度はちょっと違うのではないかと感じています。
確かにフリーライドする輩は一定数いますが、微々たるものです。

日本の医療制度の最大のメリットは保険証一枚持っていれば、いつでもどこでも低額で受診できるフリーアクセスだと思っています。(大病院だと、別料金を取られるけど)
フリーアクセスというのは医療機関からすれば「ちょっと勘弁」っていう面も持ち合わせていますが、受診する患者からすれば本当に有難いものです。

しかし、そんな便利な制度が徐々に崩壊する運命を辿るかもしれないっていうことに国民は気づくべきだと思っています。
新自由主義(強欲グローバリズム)アメリカからの圧力、巨大ファーマの高額薬剤の販売、財務省の社会保障費削減計画などは確実に国民が受ける医療にマイナスに働きます。

なくなって初めてその価値に気づくってことは日常的にもあります。(そのまま飲める水道水、スイッチ一つで付く電気、口うるさい奥さんもそうかな?)
日本の医療制度も制度として(財政的に)かなり危うい、厳しいものになっているのは明らかですが、限りある資源を大事に使えば持続可能だと思っています。

そのためには、やはり死生観を変えることが重要ではないかと考えています。
医療技術、医療機器、医薬品の進歩はどうしても医療費を押し上げます。それでも医療費を下げろっていうなら、早死にしてくださいっていう矛盾に満ちた議論に陥らざるを得ないわけで。
あらゆる延命処置をして1分1秒生き永らえる治療に医療費を注ぐよりもっと別なところに資源を注ぐ方が良いじゃないかっていう議論が湧き上がればいいと思っています。
科学の進歩を諦めず、そして自分の命を諦めるのではなく、自分の残りの時間を次世代に渡すという気持ちを持つ。
これによって国民皆保険制度っていう世界に誇れる日本の医療制度が持続可能となるのではないかと考えているんですね。




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