独り言

2018.03.31  年度末
家の前の公園の桜は既に散り始め、駐車場の隅にはピンク色の花びらが積もっています。
先週、東京に行った時にも満開の桜を見ることができました。
患者さんが、「お花見をしてきたよ」って話してくださる時のにこやかな表情は何とも言えずいい感じです。

毎年のことですが、年度末は外来が比較的暇になります。
インフルエンザの流行も終わっているし、花粉症の患者さんも2月から3月前半までに受診が済んでいます。
企業の健診も一旦受付を終了しているので、検査のスケジュールもスカスカです。
一時期は毎日のように午後にも内視鏡検査をせざるを得なかったんですが、今じゃ、「では、明日やりましょうか、それとも明後日でもいいですよ。」
なんて言ってます。

そういえば3月は国家資格合格者や受験者用の診断書を多く書きました。
例えば薬剤師、看護師、理学療法士、柔道整復師、消防士、理容業関係など。あと教職員の方々も。
あの項目の中で、「これってどうやって証明するの?」っていうのがあります。
普通に問診すればわかるもの、例えば「目が見えない」、「耳が聞こえない」、「会話ができない」・・・、なんて事項については、これらが該当しないってことを証明しろっていうのはまあ可能ですね。
しかし、「精神的な疾患の有無」や「あへん、覚醒剤中毒、アルコール中毒でない」っていうことを証明しろっていうのは、絶対に無理ですって。
その日初対面の方が精神疾患を持っているかどうかなんて、よほどのことじゃない限りわかりません。覚せい剤中毒かどうかも判りっこないですもん。
「あなたは覚醒剤中毒ですか?」なんて聞いて、「はい、そうです」って答えるわけもないですから。
あれってとても無駄な診断書だと感じています。

うちもとうとう扶養家族が一人減ることになりました。社会人デビューとなります。
今週、送られてきた保険証を手続き書類と一緒に送り返すことになり、ちょっと寂しさを感じました。
子供と一緒に過ごす時間って長いようでとても短いんですね。
もうお小遣いやお年玉をやることもないし、授業料や生活費を入れることもなくなった通帳は本人に渡すことで一区切りつきました。
親の役目はひとまずここまで。

2018.03.25  そやな
トランプ大統領が鉄鋼とアルミ製品に対し関税をかけ、カナダ、メキシコ、EU、オーストラリア、韓国などは対象から外したものの日本は中国とともに対象に入っているらしいですね。
こういう行為に対しEUなどは激しく抗議しているようですが、日本は大人しいものです。
きっと、アメリカは「日本なんかは少し脅せば向こうから何とか譲歩してくれるだろう」って高を括っているんでしょう。
舐められたものです。

日本は表立って抗議することもなく、何とかアメリカ様に矛を収めてもらうように下手に出ているようにしか思えません。
これは対等な独立国とは思えない素振りですね。

韓国や中国に対しては、「舐められてたまるか」っていう敵愾心をむき出しにするくせに米国に対しては・・・。

個人的には自由貿易礼賛っていうわけではなく、守るべき国内産業は関税をかけてでも守るっていう考え方はありだと思っています。
グローバリズムとローカリズムをいかにバランスよく、折り合いをつけていくかが政治手腕の見せ所だと思うのですが、「100%トランプ大統領と考えが一致している」っていうような人の下ではどうなることやら・・・。

三浦某氏、女性の政治学者ですが、昨年あたりからテレビや雑誌でよく見かけるようになりました。
若くてきれいで、理路整然とお話しする非常に頭のよいお方だと高く評価しておりました。
しかし、最近ではどうもその評価がちょっと。
確かに賢くって、おっしゃることはごもっとも。
しかし、自分と意見が異なる論客やパネリストに対して、「優しくない」。
優しくしゃべっているのですが、それは「哀れみをもった優しさ」なんだと感じられました。
相手の意見に共感するのではなく、「あなたは間違っている、分かってない、可哀そうな人だ。だから私が教え、諭してあげましょう。」
っていう心情が彼女の態度や微笑みから見えてしまうんですね。

完璧な人にありがちで、正義や正論を堂々と仰る時って、人はどうしても全能感に満ち溢れてしまいます。
だって、どこからも反論が出ようにありませんから。
完璧な理論武装をすることで付け入るスキを与えない、そんな人に向かって議論を挑んでも空しいだけです。

いくら時間をかけて議論をしても分かり合える気がしない討論は辛いです。折り合いを付けたり、少し譲歩したりすることで議論が楽しく有意義なものになると思うんだけど。
「そだねー」って。
うちの地元では「そやな」かな?

2018.03.24  球春
昨日からセンバツが始まっていますが、どうも盛り上がりに欠けている感じがしてなりません。
春の大会は夏に比べメディアの扱いが小さいから、だけではなく、「おらが県の代表感」が希薄だからなのかなあって思います。
地方大会を勝ち上がって選ばれることには違いないのですが、春と夏とではこの過程には大きな違いがあります。
夏の場合、地方予選から代表校が決まっていく過程が新聞のスポーツ欄には逐次出ていますし、間を置かずに本番に突入しますから興味が持続していくんですね。
しかし、春の場合は代表校は昨秋の成績が反映され、選考委員により会議室で選ばれます。それに地区大会に出られなかったような高校でも特別枠なんかで出られちゃう制度もあります。
従って代表校がどんな戦いをしてきたかの情報が乏しく、仮にあったとしても本番までかなりの間があるため、記憶も薄れてしまっています。
だから、出場校を見渡しても、一部の有力校を除いては「ふーん」ってな印象しか持てないわけです。
今日の試合でも観客は少ないし、診療の合間に見ようと思っていたら何だかワンサイドであっさりと終わっていました。

東京では桜も咲いて今週末はお花見で賑わうようです。
例年、お花見は4月に入ってからで、その年の新入社員がお花見の場所取りや余興をやらされて、上司へお酒をついで回り、ネクタイを鉢巻代わりにして、桜の枝を折って顰蹙を買うっていうのが定番でしたが・・・。
今年は入社式の頃には花も散っているんでしょうか。
また、花粉症の人にとってはお花見なんてとんでもない行事かもしれませんね。
そして、最近ではエア花見やVR花見なんて言葉も出てきました。
メリットは天気や気温に左右されずに室内で楽しめる、室内でできるから花粉症の人にも恩恵がある、等々。
確かに最近の若い人向けかもしれません。

合理的でスマートな考えと言えばそうかもしれませんが、自然を愛でる、桜の儚さを憂う、世の不条理さを体感する、なんていう日本古来からの伝統を重んじる人間にとってはエア花見は邪道としか言いようがありません。
まあ、このかた20年くらいは所謂、「the 花見」なんてしてないんですが・・・。
近くの公園の桜を散歩のついでに見るだけっていう花見で満足しています。

2018.03.21  暑さ寒さも・・・
寒さは今日を最後にしてもらいたいなあ。
でも、この時期の雨とか季節外れの寒さに関しては寛容な気持ちでいられます。
だって、確実に春に近づいていくのがわかっているから。逆に、秋の雨は悲しい気持ちになります。
今日はこんな雨、風の中、駅までウォーキング。
普段は近くの駐車場まで車で行くのですが、今日は車がなかったので否応なく徒歩で。
晴れていたら快適なものになったんでしょうが、日ごろの行いが悪いせいでしょうかね?

移動中や会場では多くの電話がかかってきましたが、出られませんでした。申し訳ない。

2018.03.17  幸せかい?
先週から今週にかけてミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでいました。
なぜこの本がうちにあるのかわからなかったのですが、息子に聞いてみたら、「中学校の時の課題図書のうちの一つだったから」だそうです。
児童書に分類されているのですが、当時の中学生の息子にはこの本の趣旨は判らなかっただろうと容易に想像できました。
「内容を覚えてる?」って聞いたら
当然のように、「全然」、だって。

多様性の世界に生きている人々、そして「モモ」。そこに現れたのが「灰色の男」。
「灰色の男」は人々に時間貯蓄銀行に時間を貯蓄するように勧める。そうすると、貯蓄した分の時間には利子がついて、いつか使うときにはためた分よりも多くの時間を返してもらえる。
甘言に惑わされて「灰色の男」の言われるような生活を送ることになる人々。
そうすると、人々は貯蓄する時間を作るために、効率性と速度を生活の中に持ち込み、無駄や遊びを排除していく。
その結果、余裕と寛容を忘れて、せかせかいらいらしていく。「灰色の男」は預かった時間を返すことはせず、自分たちが生きていくことにまわされる。

「モモ」は「灰色の男」の野望を打ち砕くために一人戦いを挑むっていうストーリーですが、児童書の割に現代の資本主義社会へのアンチテーゼが込められているのではないかと感じました。
「時間」を節約すること、即ち、「無駄」を排除する。「効率」を追い求めるあまり、時間をかけて熟考したり、立ち止まって再考することはしない。
経済第一主義、金儲けした奴が一番偉いっていうっていう考えに一石を投ずるような本だったように感じられまして・・・。
14、15歳の子供にとっては何のことだかわからなかったんでしょうね。(多分、自分も同じ年の頃には理解できなかったと思う)


幸福度ランキングっていうのが発表されていましたが、日本は54位、G7の中では最下位だったそうです。全体順位としても前回調査よりも下がっているんですね。
何をもって幸福と考えるかは人それぞれで、上を見ればきりがないんでしょうが、そこそこ幸せを享受しているんではないかと思っているんですけどねえ。
ただ、最近の格差社会(階級社会ともいう)を見ると、幸福感を感じている層とそうでない層とは歴然とした差があるのではないでしょうか。
既に分厚い中間層は崩壊していると思っています。
貧富の差が激しくなると、社会的インフラは増えるし平均寿命も低下していくと思っています。
「人生100年時代」なんていうキャッチフレーズはまやかしで、僕らが後期高齢者になる頃は平均余命は今より短くなっていると推測しています。(外れても責任はとれませんが)
団塊の世代まではこのまま平均余命は延びていくんだろうと思っています。しかし、その後は知らん。
日本の総人口も減っていくんですが、経済学者たちはいつまでも右肩上がりの予測を立てています。
人口が減っていく未来を予測しながら日本の行く末を考える経済学者や政治家がいてもよかろうもん。
コンパクトシティ、コンパクト経済、コンパクトコミュニティ、反グローバリズムとでも言うんでしょうか、そういったものがもっと尊重されてもいいのではないかと思うんですね。

今週の診療から。
日本の医療制度に疑問を抱いたケース。
症例はかなり脚色されています。

自分は内科ですが、明らかに自分の守備範囲を外れた症状、主訴の患者さんが当院を訪れたんですね。
受付のスタッフが、「その症状でしたら、〇〇科を受診された方が良いですよ」
って言いました。当然、診察室にも入っていないし、カルテも作っていません。

患者さんは、別の総合病院を受診します。
そこで、総合病院の受付から、「初診の方は紹介状がなければ受診できません。最初に行ったクリニックから紹介状をもらってください。」と言われてしまいました。

うちの受付では良かれと思って、初診料も取らず、受診した扱いにもせず、適切な診療科を案内したにも関わらず診てもらえず、その上紹介状を書いてもらうためだけに再受診を強いられるなんて・・・。
まあ、日本の医療行政のスタンスとしては正しいものです。
最初から大病院を受診せずに開業医を受診しろっていう流れは理解できます。
しかし、今回のケースは何か釈然としないものを感じました。
そこの病院には総合診療科っていうものが存在しているのに・・・。何のための総合診療科なんだよって。
受診するからには診察料、紹介状作成料は保険診療がかかります。今回、患者さんは受診したことになっていないのでうちは儲けもありません。
だから増え続ける社会保障費には貢献しているんだけどなあ・・・。

何となく心に棘が刺さった感じがしたまま来週を迎えることになったケースでした。

2018.03.11  どこを向いてるの
とうとう佐川さんが辞任されました。
この際洗いざらい喋ってしまえばいいのにね。

財務省に限らず、公的機関における文書や記録の書き換えというのは最も悪質と言わざるを得ないでしょう。
我々国民はお国から発行されるものは何も疑わずに、そしてそれはどこに出しても公式文書として扱われてきました。
これらは信憑性が担保されているというのが国民の共通認識でしたが、これからは「本物は別にあるかもしれない」って疑心暗鬼にならざるを得ないのかな?
一部の国民にだけでもそう思われることは、国家にとって非常に大きな損失だと思うんですね。
そして痛くもない腹を探られたり、嫌みを言われたりする公務員にとってもいい迷惑となることでしょう。

これって、どこか「1984年」の世界に似ているんですよね。
歴史修正主義っていうんでしょうか、誰かの都合のいいように文書を書き換える、そうすると前の文書との整合性が取れなくなり、その文書まで書き換えなくてはならず・・・。
延々と辻褄合わせが続くんですね。
そうなると何が真実で何が嘘なのか、別にどうでもよくなってしまいます。
「どうせ、嘘なんでしょ」、「はいはい、大本営発表ですね」
っていう状態は国家の信用や信頼を失うことに繋がっていきます。

今回、書き換えに関与した職員の処分が行われるはずですが、本質はそこではないように思っています。
誰のために、何のために行ったのか、誰が指示したのか、それとも忖度したのかってなところが明らかになればいいのですが。
ただのトカゲのシッポ切りに終わるようなら、一般の国民だけではなく、官僚からも何らかの抗議が出てしかるべきかと思っています。

公務員っていうのは国民のために働くっていうのが本来の仕事であるはずですが、誰の方を向いて仕事をしたんだろう?
最近、といっても小泉内閣くらいからでしょうか、官僚が国民の方を向かず、議員やその先にいるアメリカ様を向いて仕事をしているように感じています。
誰かさんの覚えがいいように振る舞った、そうすることで自分への評価が上がると考えるっていうのはよくあることです。賢い官僚の方々からすると当然の振る舞いの様にも思えますが。
自分や家族、親族、そして友人のためにはなるでしょうが、決して多くの国民のためにはなりません。

佐川さんも可哀そうな人だったんではないかと同情しています。
誰かを守るために嘘の上に嘘を重ねた挙句、適材適所との評価で昇進したのは良かったけれど、その後も集中砲火を浴びて、長官として何もできずにキャリアを終えることとなりました。
これでは天下りもできないんだろうなあ・・・。


子供が学校を卒業することになり、部活の後輩から寄せ書きみたいなものをもらって帰りました。
「卒業おめでとうございます。先輩と過ごした日々は云々」っていうような内容です。

親の前では決して見せないような姿を垣間見ることができて、微笑ましくもあり、そして複雑な心境にもなりました。
親元を離れて一人暮らしをしていましたが、高校まで一緒に過ごしてきた時とは違う自我、思考、性格を獲得していったんだと。

2018.03.03  季節の変わり目
多分、3月1日を境として受診される患者さんの病名がガラッと変わりました。
インフルエンザから花粉症へと。
昨日、今日はインフルエンザの患者さんは一日に数人へ減少し、花粉症の患者さんが20人以上といった具合で。

この辺りで今シーズンのインフルエンザの総括もせねばならんのですが、
@圧倒的にB型が多かったです。正確にカウントしたわけではありませんが、8割くらいはB型だったような印象です。
Aメディアでも指摘されていたように、微熱でもインフルエンザの検査をしてみると陽性と判定されるケースが目立ちました。
Bインフルエンザの迅速検査でなかなか陽性と出ないインフルエンザB型のケースがありました。(例えば発症して3日目、4日目でようやく検査で陽性)

その他、治療についてですが、リレンザの出番が殆どなくなってしまいました。
内服薬であればタミフルを処方しますが、吸入薬なら5日連続使用のリレンザより1回吸入のイナビルの方が便利でしたから。
また、関係ないことですが、今年も自分は感染せずにシーズンを終えそうです。(スタッフで約1名罹患しましたが他は無事)


1、2月はインフルエンザの診療に振り回されましたが、そういえばノロをはじめとするウイルス性胃腸炎をそれほど診ていないなあって感じました。
ロタウイルスは3月にも流行りますのでまだ油断はできませんのでご注意を。

一つお知らせを。
来週から2週間、医療事務の実習生が当院で勉強します。優しく見守ってあげてください。




戻る