独り言

2017.11.25  出世払い
例えば、若者が太っ腹の方からお金を借りる場合を考えてみましょう。
「返すのは将来君が社会で成功したときの出世払いってことでどうだろう。」
「例えば年収が400万くらいになったら返し始めればいいから。」

「いいんですか?本当に。助かります。」

さて、この若者は見事出世して、借金を返済することができるでしょうか?

ここで、いくつかのストーリーが浮かびます。
1.大学卒業後、正社員になって、きちんと借金を返済していく。
2.残念ながら非正規雇用に甘んじて、年収400万をクリアできず返したくてもそれが困難になっている。

このほかに、こういうパターンはどうだろう。
3.結婚して専業主婦になっちゃった、てへっ。
4.年収400万に満たないように敢えて収入をセーブしようとしてる俺って、頭いいだろ。

何についてのお話かというと、政府が考えている高等教育の費用の負担軽減策のことです。
「出世払い」で授業料を面倒見てやるというもので、最終的に返済できない分は国民に負担してもらうっていう話のようです。

確か、オーストラリアがこういう方式を取っているようで、日本も真似しようとしているのですが、相当な国民負担になると思っています。

太っ腹の大旦那っていうのが政府なんですが、回収できなくても懐は全く痛まず、国民がツケを払わされるのが見え見えですね。

批判を受けるのは充分承知しての発言ですが、高等教育の無償化って、本当に必要なんだろうか?
すべての若者が高等教育を受けなくてはならないの?
すべての若者が大学に行って、ホワイトカラーとして就職することが幸せだと本気で考えているの?

大学に行かずに社会に出て働く、技術を磨いて専門家として育つ、一流の職人となることで高い評価を得られるようになることを後押しするような政策があってもいいと思っています。
大学に行くことだけがエリートとしてあがめられ、高卒者は一段低いものとして扱われるような風潮って、どうも好きになれません。
「学歴がすべてではない」ってな綺麗ごとを言うつもりはありませんが、学歴で人間の価値を決めようとする風潮やそういう人々に嫌悪感を抱いてしまいます。
それに出世払いできなかった人の借金の返済を高等教育を受けなかった人たちに肩代わりさせることはちょっと無理があるんじゃないのかなあ。

それを憲法改正に組み込もうとする動きってもう何というか、馬鹿げているというか。

僕も日本育英会の奨学金で高校、大学に行かせてもらいまして、出世払いが済みました。

2017.11.23  休日
朝、駅で、「先生、これからお出かけですか?」と声をかけられ、電車に乗り込むと間もなく携帯が。
「今日は休診です」
一日で何件もかかってきましたが、今日は勤労感謝の日。
雨の休日、久々に遠出をしてまいりました。

上野の森美術館の「怖い絵展」は凄い行列で11時の時点で、何と210分待ち、3時間半もあの雨の中を待つのはなんとも大変です。
上野駅でも美術館の入場券を購入するのに長い列ができていましたから。
また、東京都美術館では「ゴッホ展」をやっていました。

僕はそれらの有名な絵画展を見るためではなく、公募の絵画展が目的でした。(母の絵が出ていましたので)
上野はパンダだけじゃなく、文化的な一面もあり、いつもとは違う空気を味わうにはいいところです。

午後からは雨も上がり、傘を畳んでちょっくら散策。田舎もんはどうも方向音痴でどもならんとです。あちこち迷子になりながら結構歩きまして。
日頃運動不足の僕にはかえって良かったかも。
そして年を取るとどうしても次の日のことが気になるので日の高いうちに帰宅の途につくことになりました。
明日も頑張ろう!

2017.11.18  打ち止め近し
今日の午前中は予防接種の患者さんでごった返していました。スリッパも履けずに、そして座るところもなく立ったまま順番待ちをさせてしまい大変心苦しかったです。
用意していたワクチンはほぼ捌けてしまい、来週前半には終了となることでしょう。
納入されないことにはどうすることもできません。
しかし、いくらワクチン不足といっても、この時期にこんなに少ないというのは異様な感じがしています。
色々な医療機関に電話をかけまくっている方もいるようで、こういう状況って新型インフルエンザの時以来かな。

また、「朝令暮改」という言葉を使う(行動をとる)羽目になるとは思ってもみなかったです。
11月前半までは午後もほぼオールタイムで接種をしており、「来れば打つよ」というスタンスでした。
しかし、かかりつけの患者さん優先となり、そして最終的には午前中のみとなってしまい、
「この前は午後もやってますって言ったじゃない」となじられることになりました。
この措置はほんの2.3日のうちに急遽決まってしまいましたので、学生さんたちには非常に切ないものとなってしまいました。
来週は、「あれば打つよ」、そして、「もうなくなったから打てないよ」となることでしょう。

先ごろ今年の紅白の出場歌手が発表されておりました。
紅組、白組で名前を見て顔が浮かぶ人が3、4割くらい、その中でも曲が思い浮かぶのが8割くらいでしょうか?(白組の方が知ってる名前が多かったような)
AKB系のグループの子は名前が判るのが、各グループ1人いるかどうか、ましてや曲は聞いたこともないです。
名前も顔も判らんような出場歌手が半分以上を占めているようなおじさんになってしまった自分は今年も紅白は見ないんだろうなあ。(この20年近く見てないと思う)

一方、今年の流行語大賞というのも30個がノミネートされていて、こちらは9割近い認知度でした。
ただ、「これって本当に流行ったか?」っていうものもあって、どれもパッとしない印象です。
授賞式に豊田真由子さんや前川喜平さんや小池百合子さんが出てくれると楽しいのですが・・・。
でも、インスタ蝿は今年よく耳にしました。女子には凄い影響力があったようで、おじさんたちは全くついていけない領域と化していました。
「インスタ疲れ」なんて言葉もあったようで、「もう、勝手にしろよ」ってな感じでした。

2017.11.12  成長至上主義
人間はいつまで成長するんだろう?
身長は高校生くらいまで、運動機能に関しては種目にもよりますが、せいぜい30歳くらいまでかな?
技術でカバーできるような種目だと40歳くらいでも現役が続けられそうですが。
ゴルフなんかだと結構長続きしますね。
成長というよりテクニックを駆使して、老練なベテランの味で若手を手玉に取ることも可能です。

頭脳に関していうと、記憶力に関しては20代までかな?
将棋の世界も厳しいようで、プロになるためには年齢がネックとなっていますから。
分野によっても違うんでしょうが、詰め込める知識量のマックスは僕の場合は20代だったように感じています。
日々精進して、研鑽を積んでいればどんどん知識量が増えて、アイデアも湯水のごとく湧いてきて50歳、60歳になっても若手研究者に負けないっていう教授もいらっしゃいます。
しかし多くの人々は、不要になったものを捨てて、新しい情報や知識を上書きすることで偉そうにしているだけかもしれません。
僕も既に高校時代に習得したはずの知識の大部分は捨て去って、新しいものを詰め込んでいます。しかし、引き出しからはものが溢れて収拾がつかない状態になってますね。

成長している、即ちこれからもずっと技術や知識が増えていくような状態、とでもいうのでしょうか。
果たして今の自分がそうであるとは当然言えません。マラソンの様に折り返し点というはっきりした目印はありませんでしたが、もう、折り返しの道を歩んでいます。
若い頃はいつまでも時間があり、希望もあり、死を考えることもなく、一見無駄なことも人生の糧として経験値として蓄えられました。
しかし、折り返しの人生もなかなかいいものです。
限られた時間しかありませんので、不要なものと必要なものをじっくり考えながら取捨選択し、欲張ることもせず、残りの人生を大事に過ごすことになります。
でも、唯一成長が止まらないものがあって、それは「体重」ですね。

さて、日本人の平均年齢は大体46、7歳くらいという統計が出ています。人口ピラミッドを見てもだいたいそんなイメージでしょう。
一方、高度成長期の日本は30歳に満たなかったんではないでしょうか。

しかし、この状況でこれからもずっと右肩上がりの経済成長をしなくてはならないと言われたら・・・。人生折り返しの人が多いのにそんなこと言われてもねえ・・・。

「あくなき成長戦略」、言葉は素晴らしいのですが、託された国民は、「これ以上、誰が、どうやって成長させていくの?」って弱音を吐きたくならないでしょうか。

「効率を上げろ」、「生産性を上げろ」と盛んに言われますが、これ以上乾いた雑巾を絞ることができるんだろうか。
人件費を下げれば簡単でしょうねえ。経団連は多分、そう考えているんだろうなあ。(あくまでも推測です)

この先人口(労働人口も)が減って行くのは確実なこの国にとって、これからもずーっと成長を続けていくことは果たして可能なんだろうか?(結局、国内市場ではなく、海外市場がターゲットになるんでしょうけど)
優秀な官僚をはじめとして誰も考えていないってことは信じたくないのですが、あまりにも成長戦略オンリーの政策が過ぎるだけに不安を覚えてしまいます。

破綻せずに持続可能な生存戦略こそが成熟した社会(欧州や日本)には必要なのではないかと思っています。
今更中国や東南アジア諸国と競い合うことはナンセンスかと・・・。

2017.11.11  違和感
座間の事件が連日報道されていますが、被害者の氏名や顔写真を公表することに対して、何だか非常に嫌な感じがしてなりません。
なんでだろう?
被害者は自殺願望という特別な事情を抱えていたから?
ただ通り魔的に誘拐されて殺されたという善良無垢な被害者でなかったから?

相模原の障害者施設で起きた殺人事件では被害者の氏名が伏せられていたのとは対照的だなあって感じました。

今回、被害者のプライバシーを晒す意味はどこにあったんでしょうか?ただの興味本位に過ぎず、被害者家族も非常に辛い状況ではないかと思われます。

これを機にツイッターの規制をせよ、というどこかのお偉いさんの発言にはこれまたびっくり。
ツイッターが悪いのではなく、使う人が悪いって考えが浮かばないという人を官房長官にしておいて大丈夫なんだろうか?
確かに、SNSがなければ今回の事件は起こらなかったかもしれません。
正しい使い方、少なくとも悪意ある使用をしない限り、便利なツールであることは間違いないものであるので、これを全面的に規制するというのはナンセンスだと思うのですが。
オレオレ詐欺に携帯電話や銀行のATMやゆうパックなんかが使われるからこれを使えないようにしようっていう話はありません。(ATMの振込限度額は少なくなってますけどね)
ただ、ツイッターで世界中に悪影響を及ぼすT大統領に向けてのコメントであるならば、今回の官房長官の発言はグッジョブです。

そういえば、この日曜日に埼玉への移動で迷惑を被ったのはT大統領のゴルフが原因だったんだよなあ(圏央道が交通規制で渋滞になってしまいましたから)

2017.11.09  読書の秋
ネットで調べたところによると、10月27日から11月9日までが読書週間だったようで、自分はどのくらい読んだんだろうかってカウントしてみました。
3冊。ちょっと少なかったかな?

11月3日は学会が主催している講演会に行かざるを得なく(専門医更新に必要な点数稼ぎ目的)、折角の休日が丸つぶれ。
11月5日は娘の用事で車を飛ばして埼玉まで。これも一日丸つぶれ。
というわけで、空いた時間(電車の中、試合の合間など)はずっと読書となりました。

この中で読んだ本で面白かったのが、ジョージ・オーウェル作の『動物農場』。
寓話ですが、モデルはロシア革命とスターリンの時代のソ連であることは世界史が苦手な僕にもよくわかりました。
一日で一気読みできるくらいの分量で、非常に面白かったです。

これは現代の北朝鮮や中国にも通じる寓話でもあり、もしかしたら今の日本にもどこか似ている印象を抱きました。
今の日本のどのあたりが似ているんだろうとしみじみと考えてみました。

例えば、歴史修正主義、データの改竄、不都合な事実の隠蔽、一部の動物(支配階級)への優遇など。
これらは支配者層の腐敗という面ですが、動物農場の崩壊の原因はそのほかの動物(国民)の側にもあるんじゃないかというのがこの寓話から読み取れます。
それは、弱い立場にいる動物(国民)が、支配者層に対して何も反対しない、反対の声を上げない、支配者層の応援団みたいなものの大声に負けて、現状に甘んじる。
真実を知っていて現状を伝えようと思えば伝えられるのに、多くの動物(国民)に向かってそれをしようとしない賢い動物(知識層)。


話はガラッと変わって、ワクチン不足。
当初、余裕をこいていましたが、今後の供給スケジュールを聞いてみるとうちもかなり厳しい状況です。
すべての方の希望は叶えられないと感じています。(特に11月後半)
かかりつけの方を優先させていただきます。
12月になれば事態も好転するでしょう。





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