独り言

2017.09.30  世論調査が来たでござる
久々に秋らしい天候になり、気持ちもすっきり。
しかし、クリニックの周りには蜘蛛の巣がびっしり。朝の掃除のときにぐるりと回って蜘蛛の巣を熊手で除去しましたが、蜘蛛にしてみればいい迷惑でしょう。
蜘蛛にとっては僕は賽の河原の積んだ小石を崩す鬼みたいなものでから。
でも、朝、職員用の入り口に蜘蛛の巣が張ってあって、これが顔に当たると折角のいい気分が台無しになってしまいますからねえ。

そいえば先日、電話による世論調査なるものがかかってきました。しかし、残念ながら不在だったため対応できずに留守番電話にその一部だけが残っていました。
確か共同通信社によるものだったのですが、何日後かの新聞にその調査結果が出ておりました。
ただ、この電話っていうのがコンピューターによる自動音声によるものでして、人間味が全くない。まあ、客観性を重視するには丁度いいのかもしれませんが、どうも人を馬鹿にしているような気がして好きになれません。
対面調査、書面での調査、自動音声による調査、どれも一長一短がありそうですが、個人的には書面による調査が最も正直に答えられそうです。
あと、調査をするメディア(媒体)によっても答え方が違ってくるように思えます。
例えばNHKの調査には正直に答えるけど他の新聞社だとちょっと空気を読んだりして・・・。
しかし、今回初めての大手メディアからの世論調査に当たったみたいでしたので調査に協力したかったです。


また時々、営業の電話がかかってくることがありますが、これが自動音声だと本当に腹が立ちます。(自分だけかな)
意地でも買うもんかって。だからすぐに切っちゃいます。
こっちの時間を奪ってまで自動音声を聞かせる神経がちょっと・・・。
物を売りたい、案内したいと思うのであれば、直に交渉し、思いを伝えるってことが営業ってものでしょうが。
また、エアコンの効いた部屋から電話一本でマンションの販売をしたり証券の営業をしたりっていうのもあまり気に入らないんですが、まあ、やらされている従業員にも同情しています。(ブラックなんだろうなって)
全く面識のない人と取引をするというのはあまりにリスクが高すぎます。
まずは、信頼関係を築いて、少額の取引をして、それから大きな買い物をするというのがこれまでの僕のやり方なんですが、多分今のビジネスの世界では時代遅れなんでしょう。

自分にとって突然のメール、突然の電話、自動音声による営業や案内などが不快と思わなくなる日がくるんだろうか?多分、来ないと思っています。
その割に、紹介状には「突然のご紹介、恐れ入ります」なんて書いちゃうんですけど。あれっ?

2017.09.23  祝日ですので・・・
僕の生まれた地方の方言で言うと、「祝日やきぃ、やっちょらんのんでぇ」と言います。
朝から数件の問い合わせがあるのですが、祝日でも診療していると思ってくださっている方の多さに驚かされたりして。
当然ですが、うちの隣の歯科医院は通常診療しておりました。

今日も早起きして、「渡辺篤志の建もの探訪」や土井さんの「おかずのクッキング」やらを見て、コーヒーを淹れ、新聞を読んで、買い物をしてからクリニックへ。
午前中一杯は仕事をしながら電話対応をしておりました。
健診やワクチンの予約やら、意外とかかってくるものです。

連休を利用して帰ってきた娘と二人で昼食に行ったわけですが、さすがに休日の昼食時はどこも混んでいまして、それも子供連れが多かったです。(自分も子供連れなのは棚に置くとして)
景気が悪いっていうのは嘘じゃないの?ってな感じの盛況ぶりでして、名前を書いて呼ばれるまでの時間、娘とのぎこちない会話に終始したのは言うまでもありません。


でもこういう完全フリーの休日というのは毎日外来をやっている身としては本当にありがたいものです。
日曜日があるじゃないかと言われても、日曜日は日曜日でしかありません。(判りづらくてすみません。)
溜まった学会誌を読む、YouTubeでお気に入りの芸人のライブを見る、書斎(そんな大層なものじゃないけど)の整理をする、昼間っからビールを飲む・・・、色んなことができるんですね。

秋風はスポーツシーズンの終了も運んできます。
ペナントはカープとソフトバンクの優勝で決まり、あとの楽しみはドラフトくらい。今年は何回秩父宮に行けるかわかりませんが、ラグビーも楽しみの一つではあります。
清宮クンがプロ入りの表明をしましたが、それほど多くの競合にはならないと思っています。(多くて5球団くらいかな?)
彼にはかつて松井に感じたような「大物感」、「怪物感」というものが・・・、僕の見立てが間違っていればいいのですが。

2017.09.22  期待が裏切られたでござる
連休前だからでしょうか、普段より忙しかった金曜日。

今週前半の連休に久々に映画館を訪れました。
雑誌で高評価を得ていたものでしたので期待して観たのですが、僕にとっては、「うーん、不完全燃焼」
あの作品を観るんだったら、ほぼ同時刻にやってた「泥の河」を観ればよかったなあ、って。(観たのは「ダンケルク」)

もう一つ、やはり雑誌で高評価が与えられていた本。
登場人物や舞台設定などはとても面白そうな感じがしたので、娘に、「面白いっていう本だから買おうよ」と、けしかけて買ったはいいのですが、読んでみたら…。
あまりにも浅くて浅くて。

あくまでも個人的な評価なので、他の人は凄く感動するのかもしれませんけど。

2017.09.18  いつまで働かせるねん
敬老の日に因んでということでもありませんが、人生100年時代が到来という話題が出ておりました。
「九十歳。何がめでたい」という本がベストセラーになっていますので、是非とも佐藤愛子さんには人生100年時代構想会議のメンバーに入って頂きたいですね。

個人的には適当なところで人生を終えるのが理想だと思っていまして、90歳、ましてや100歳まで生きたいとはこれっぽっちも思っていません。しかし、こればっかりは誰にもわかりません。
経済誌ではこれに関しては早速、老後の蓄え、資産運用の面から色々と不安を煽るようなことを書いておりました、相変わらずやなあ。

うちの父親の世代では確か定年は55歳だったと思います。
しかし、子供の学費を捻出するために定年後も仕事をし、子供が一人前になった後は自分たちの生活のために70歳くらいまで働いていたでしょうか。

うちに通院されている患者さんのうち、僕が理想的だなあって感じる老後生活を送っているパターンを挙げてみます。
1.定年後は仕事もせずに、1年に1度くらいのペースで海外旅行をしている夫婦。(「現役時代はどこにも連れていけなかったから」と仰います)
2.地域ボランティア、自治会活動に積極的に参加し、地域のコミュニティーに溶け込んでいる男性。(会社人間はなかなかうまくいかないと言われていますがこの方は例外かな?)
3.週に3日くらい、適当に仕事をしながらスポーツを楽しんでいる人。(天下り?)

そういう方とお話ししていると、やはり「余裕」というものを感じます。
まあ、健康であることが絶対条件ではありますが、経済的にも不安がないんでしょうね。

日本は豊かになったと言われていますが、本当にそうなんでしょうか?
高齢者も労働力として貢献せよ、働いて老後に備えよ、っていうのは幸せな老後が描けないように思えます。
多くの現役世代の人々は、「老後のために貯蓄しなくっちゃ。」、「消費なんてもっての外だよ。」って考えるんではないかと。

2017.09.16  折角の秋の日に
台風が近づいている連休前日、秋風が非常に気持ち良く感じられました。
昨日は2回目のJアラートが鳴ったはず(携帯の電源を切っていたのでようわからん)の時間は既にクリニックにおりました。
窓を開けていたら、何だかよく聞き取れない防災無線の放送が。
北朝鮮のミサイル発射のお知らせだったようですが、のんびりとした雰囲気で決して切羽詰まったものではありませんでした。
聴いていたラジオでもあっさりとしたもので、「ああ、またか」という扱いでした。
2回目にして既に慣れてしまっている自分もどうかと思いますが、だってどうしようもないんですもの。
1分後にどこそこに着弾します、なんていうものだったら対処の方法も少しはあるんでしょうが、東日本のどこかに落ちるかもしれないなんて言われてもね。
宝くじの1等に当たるより確率が低いでしょうから、「どうせ・・・・」って思ってしまうんですね。
そのうち「オオカミ少年」のようになってしまうんではないかと危惧しています。

常識の通用しない相手ほど手を焼くものはありません。
同じ土俵に立つことを拒む相手を無理やりに引っ張り出して、皆で寄ってたかって説得しようとしても無理かな?
挑発に乗って攻撃することで、「窮鼠猫をかむ」、「イタチの最後っ屁」みたいなことにならないとも限らないし。
それより側近の裏切りや国民の革命に期待するくらいしかないのでしょうか。

日本で暮らしていく中でも「常識が通じない人」と巡り合うことってあります。
そういう時の対処方法は、「相手にしない」ことが危険を回避する有効な手段だと思っています。
そんなの放っとけ、相手にするなって。

しかし、国と国ではそんなこと言ってられませんね。
時間がかかってもじわりじわりと包囲網を狭めていき、自らこちらの土俵に上がってくるのを生暖かい目でみていくのがベターかなと思います。

2017.09.09  良い社会って
久々の秋晴れの土曜日、中学校では運動会(体育祭)が行われていました。
例年この時期は残暑が厳しいため、熱中症対策がしきりに叫ばれていたものでしたが、今年はそれほど心配いらなかったんじゃないでしょうか。

自分の子供の運動会は小学生まで見に行きましたが、朝早くから場所取りをするでもなく、子供が出る競技の時だけ見て、あとはブラブラしていたように記憶しています。
ビデオを撮ったこともあるんですが、大失敗だったんですね。
我が子のレースだと思ってスタートから一人の子を追っかけていたのですが、目の前に来たら全く別の子で、自分の子は次のレースでした。
「今度こそ」、と意気込んで撮って後で見直したら、手ブレがひどくて酔っぱらってしまい・・・、全く役立たずの父親でした。


最近では視聴者が撮影した映像がニュースに流れ、防犯カメラの映像が犯人の姿を映し、逃走経路の解明の助けとなったり、非常に役立つツールとなっています。
コンビニをはじめとする店舗、公共施設、公園、道路などありとあらゆる場所であちこちに監視カメラが僕らを映しています。
犯人の検挙、不審者の特定、犯罪抑止に役立つとされていますが、本当にそれでいいんだろうかとかねがね感じていました。
別にプライバシーがどうのこうのという問題はこの際どうでもいいことでして、監視カメラに囲まれた社会というものが果たして健全な社会なんだろうか、安全で暮らしやすい社会なんだろうかって。
自分は悪いことなんてしないから監視カメラが回っていてもどうってことないよ、気にするのは疚しい気持ちがあるからじゃないのっていう意見を否定するのではありません。
また、国民を監視するのは公安の方針で国家権力が社会をコントロールしようとしているんだ、なんて陰謀論を繰り広げるつもりもありません。(そうかも知れんけど)

最近読んだんですが、ちょっと小難しい論戦を繰り広げる社会学者の先生(首都大学東京の教授)の本の中で、僕のこのモヤモヤした気分をすっきりさせる解答が書いてありました。
内容を抜粋してみます。
 

「良い社会とは何か」
アリストテレスが論じているのですが、「良い社会とは」豊かな社会でもなければ、犯罪が少ない社会でもない。
「良い社会」とは、徳のある人が溢れる社会です。徳とは「内から湧き上がる力」、自発性ではなく内発性。
損得勘定で何かを選ぶのは自発性、損得勘定を超えるものが内発性。
最大限の社会成員が徳のある振る舞いをするようになった社会が「良い社会」となります。

殺人発生率を例に挙げてみます。
社会Aは人々が「殺してはいけない」と確信しているから殺人発生率が低い。
社会Bは監視と処罰が徹底しているから殺人発生率が低い。
もし、社会Aの方が社会Bより殺人発生率が高かったとしても「殺してはいけない」と確信する者が多い社会Aの方が「良い社会」である。
「有徳者の多い高殺人率の社会」は「有徳者の少ない低殺人率の社会」より良い。
と結論付けています。

また、著者はこの項では、「任せる政治」から「引き受ける政治」へと主張しています。
キーワードは「相互扶助」。
警察を増やすより共同体の成熟、有徳者を育てること。

安全で住みよい社会を形成するために監視カメラを至る所に設置し、警備を万全にし、犯罪者に厳罰を科す。
効果はあると思います。
果たしてこれが我々が望む、理想的な世界なんだろうか?

運動会のビデオ撮影から監視社会へと飛躍しましたが、どこで見られているのかわからないので気を引き締めなくっちゃ。
でもそんな社会は嫌だなあ・・・。

2017.09.02  早くも
今週、発熱、咽頭痛を主訴とする成人男性が受診されました。
「普通の風邪」かな?
普通の風邪っていうのも素人っぽくて全然医学的な表現ではありませんので言い換えますと、
「急性咽頭炎」です。

「周りで熱を出している人や、咳をしている人はいませんか?」なんて型通りの問診を取っておりましたが、
「インフルエンザの人がいまして、接触はないんですが・・・」と仰います。
「職業柄、一応調べておきますか?」と、インフルエンザ迅速検査をやってみました。
8月ですから、インフルエンザなんて全くの季節外れの疾患で、考慮する病気はインフルエンザよりもRSウイルスやら手足口病でしょうが。
しかし、迅速キットでの答えは、
「A型インフルエンザ」


今シーズンのインフルエンザウイルスなのか、それとも昨シーズンのウイルスが今まで残っていたのかは不明ですが、こんな時期にインフルエンザの患者さんに出会うのは初めてでした。
もしかしたら、単に調べてないだけで、インフルエンザの患者さんは他にもいたんではないかと思いました。
ただ、熱の出ている全ての患者さんに対して、インフルエンザの検査をするわけにはいかず、ある程度は季節的なものを考慮して診療しています。
診断のために色々な迅速キットが出ていますが、全員にやる意義はないし、医療経済的にも避けるべきだと思っています。

本当は問診と診察だけでピタリと診断できるような名医になれればいいんですけどねえ・・・。




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