独り言

2017.08.25  夏の思い出
今年、職員たちと南の島へ行きました。
僕が初めて訪れたのは27歳の夏、両親と今の奥さんと妹の5人で行きました。(費用は全てこっち持ち)
時は1992年、那覇空港を経由して石垣空港に降り立った時に感じたものは「1999年、夏、沖縄」(Mr.Children)の世界でした。
あまりポピュラーな曲ではないので、一応、曲の出だしの歌詞を書いておきます。JASRACから何かお咎めが来るかな?)
「僕が初めて沖縄に行った時、何となく物悲しく思えたのは、それがまるで日本の縮図であるかのようにアメリカに囲まれていたからです」

飛行機のタラップを降りると、ジリジリとした太陽、もわっとした空気が身を包み、空港を出ると舗装されていない白い道にサトウキビ畑。
そんな砂利道を走ってホテルへ続く道は何とも言えぬ異国の雰囲気でした。

石垣島、西表島、沖縄本島の南側(沖縄戦の跡が残る)を見て回ったのは両親がちょうど今の僕くらいの年齢だったんですね。
ハブとマングースの戦い、ひめゆりの塔にも行きました。
多分、両親へのプレゼントの意味を込めての旅行だったと思うんですが、今思えばまだバブルの名残が少し残っていたんでしょうか、とても贅沢なものでした。 

それから約15年後、子供たちと行った美ら海水族館や国際通りは近代化された沖縄の今を感じることができました。
その時はただただ楽しい夏休みの旅行で、「これぞ沖縄」、「夏を満喫」というものでした。

モノレールや高速道路も走っていて、もう侘しさや悲哀なんてものは感じさせなかったのです。

そして通算3回目の沖縄。
今では羽田から石垣島への直行便もあり、約3時間のフライト。
空港も新しい場所に作られていて、すっかり綺麗なリゾート地然としていました。
しかし、なぜか空港に降り立った気持ちは25年前と同じ。
石垣島、竹富島、西表島を懐かしく思い出しながら感傷に耽っていました。
楽しいけれどもやっぱり何となく悲しい歴史を背負った場所、それが沖縄なんですね。
本来なら、プライベートビーチやプールでトロピカルジュースやカクテルを飲んだり、シュノーケリングをしたりバナナボートに乗ったりというプランは・・・、スタッフの激しい抵抗にあいました。
「先生、私たちをいくつだと思ってるんですか?」って。
その代わり、マングローブの林を巡り、水牛に乗って、沖縄民謡を聴いて、石垣牛やマグロを食べて・・・、皆で楽しい一時を過ごしました。
今回は石垣島ステイで島めぐりのプランでしたが、もし、次の機会があるとしたら本島をあちこち巡ってみたいです。

しかし、いまだに僕が沖縄に抱いているイメージはミスチルの歌なんですね。もしくはサザンの「平和の琉歌」。
夏の終わりのこの時期だからこそ、過ぎゆく夏を振り返りたくなってしまいました。

2017.08.17  秋来ぬと
立秋もとうに過ぎていて、季節は秋に入っています。(続きは、「目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」です)

1週間前に関東を抜け出し、西の方へ旅立ちました。
そして帰ってきたら一気に秋の雰囲気。関東の天気がずっとこんなだったことに加え、日の出・日の入り時刻が約1時間違うことにも関係していると思っています。
夕方7時過ぎまで明るい西の方から帰ってきたら、こっちは6時過ぎには暗くなってましたから。
一気に季節が進んだんだなあっていう気分にさせられてしまいました。逆に朝がいつまでも暗いというのは朝の始動が遅れがちになっていました。

九州を横断し、平戸の方まで行ってきたんですが、久々のロングドライブで腰や肩が・・・、年を取りました。
切支丹の資料館や教会を見て、端っこの灯台から壱岐を臨み、海の幸を堪能して、あとはうちでゴロゴロ。


休みの前半こそ暑い日がありましたが、後半は梅雨を思わせる蒸し暑い日となり、今一つ夏休み気分に浸れない自分がいました。
他に理由としては、スイカを食べなかったから?15日の正午に甲子園でのサイレンを聞かなかったから?かも。

2017.08.05  夏休み直前
夏休みまで1週間を切りまして、気分は早くも夏休み?ってことはないのですが、今日の外来はちょっと気分はハイテンションだったかも。

今年は日にちの並びが良く、木曜日から次の木曜日までの休み期間がお盆期間を丁度いい感じにカバーしていまして、2017年が始まった当初からこの夏休み期間は決まっていました。
早いうちから決めておけばスタッフにとっても旅行の予定も立てやすくなるかな?という温かい配慮も働いたのですが、例によって、「別に予定はありませんから」と。
可愛くないんだから・・・。

僕は例によって年老いた両親の安否確認に行ってまいります。
また、1か月ほど前に起きた九州北部豪雨の被災地にも途中下車する予定です。
それと、もう少し西の方まで足を延ばしてみようと思っています。
少年時代に行けなかったところ、今なら行けるところへ。


先ごろ内閣改造が行われました。個人的には、「前より断然いい感じ」という印象です。
本当は感じの悪い官房長官や前官房副長官が居なければもっといいのになあ。

また、民進党のイケメン議員さんが離党するらしいのですが、結局民進党にしても細野さんにしても、その理念とかがいつまでたってもわからんのですね。
誰の味方なのか(労働者or経営者、富裕層or中間層〜下層)、そして日本という国をどういう国にしたいのかってところが。
自民党はある時期から完全にターゲットが代わりまして、新自由主義政党になりました。(農業を守ると口では言ってますが、完全に大企業優遇政党ですから)
新自由主義についていけない、こぼれ落ちた層の受け皿を狙うならばその旗印を掲げるべきなのに、自民党の劣化版であれば勝負は最初からついています。
小池さんもまだ何を目指しているのかわからんだけに、ここと連携していくのはちょっと危なっかしいように思っています。


8月は鎮魂の月でもあります。
6日、9日、15日と。
若い頃は何とも思っていなかった(感じていなかった)のに、年を取ると若い頃とは違った感情が芽生えるんでしょうか。
平成天皇の鎮魂の旅を見ていたからかもしれませんが、総理のうわべだけの言葉より天皇陛下の頭を垂れる姿に何かグッとくるものがあるんですね。
以前は天皇制なんて興味もなかったし、どちらかと言えば右翼的なものと捉えていたのですが・・・。

今じゃ陛下が最もリベラルな感じがしております。

台風も近づいているようですが、月曜日あたりは関東地方も影響を受けるんでしょうかねえ。

2017.08.03  ラストゲーム
81日はなぜか休診でした。学会でもなく、自分の遊びでもなく、職員のための慰安旅行でもなく、自分の子供のラストゲームを見届けるために休診としました。
学生スポーツをやったことのある方には少し分かっていただけるかと思いますが。

高校野球の地方予選も終わって、いよいよ甲子園が始まります。
今の時期はちょうど高校総体も行われていて、多くの高校3年生にとってはこれで部活は終了です。
高校野球を例にとると、県の1回戦でコールド負けするような弱小チームから部員100人を超えるような甲子園常連校までいろんなレベルの子がいるわけです。
上の学校や社会人やプロにいって野球を続ける子以外はこの夏で競技生活は終わりになります。
ここでいう競技生活というのは和気あいあいとしたサークル活動としての競技ではなく、あくまでも真剣勝負での競技です。

「この大会が終わったらもうこの仲間たちと一緒に試合することはなくなってしまう」、「負けたら最後の試合になってしまう」という気持ちは最終学年の生徒にしかわからない感情だと思います。
それが
1回戦コールド負けを喫するような学校の選手であっても・・・。
「どうせ俺らは弱いんだから・・・、暑いし、かったりーなあ。」なんて言ってる子だって、最後の試合はそれまでの試合とは違った感情があるだろうと思っています。

自分は大学の最後の夏まで試合に出たのですが、何だか感無量になったのを覚えています。
卒業してしまったら遊びの中では試合をしても、これまでみたいに本気で球を追いかけたり投げたり打ったりすることはもうなくなってしまうんだろうなあ、今日が最後の試合になるのかなって。
仲間たちと過ごした日々を思い出しながら最後の試合に臨む、それが最高学年の選手たちです。 

うちの子もいよいよ学生での最後の大会が行われることになり、親としてはその最後の姿を見てやろうと思ったわけです。
小学生の頃からスポーツ少年団みたいなものに所属して、毎週日曜日には母親はお弁当を作り、父親はコーチのお手伝い、遠征には県内各地を車で送ってやっていました。
優勝できるような強いチームではなく、監督にも怒られながら試合をしていました。中学生になってからは親は口出しもせず、先生にお任せ。試合はたまたま休日が合えば見に行くくらいでしたね。

そして大学生になってからは遠く離れているのでなかなか見に行くこともなかったのですが、最終学年の最後の大会でしたので、親として最後の見納めかなと。 

子供の学校はあまり強くないので、1回戦で負けてしまう可能性もあったため初戦を見に行くことになったんですね。
試合内容は非常に白熱し、ナイスゲーム。スタンドでは自然と目頭が熱くなってしまいまして・・・。
たかが3時間の観戦にも関わらず顔や腕を真っ赤に日焼けさせてしまい、
翌日には患者さんから冷やかされてしまいました。




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