独り言

2017.04.28  GW前夜
今日はプレミアムフライデーでもあったわけですが、巷ではすっかり忘れ去られているのではないでしょうか?
結局、誰のためのプレミアムなんだかわからんシステムで、
「我々、プレミアムな人たちは午後3時に仕事を上がるので、君たちはしっかりとサービスするのじゃよ。」
という感じがしてならんのですね。

4月は花粉症も感染症も一段落ついていましたので、比較的余裕のある外来でした。
しかし、いまだにインフルエンザの患者さんがいます。一日に一人いるかどうかですが、検査をしていないだけで実際はもう少しいるのかもしれません。
因みにA型よりB型が優勢です。
この分ではGWの人の大移動で流行がぶり返すかも・・・。

2017.04.22  2+2=5
ジョージ・オーウェル作の『1984年』より。

トランプ大統領誕生の際にこの本がアマゾンで一位になったということで、ちょっと興味を持って購入したわけです。そして最近読み終わりました。
読んでの感想は、
「トランプ大統領とそんなに関係あるのかなあ?」
「二重思考」と「alternative facts(もう一つの事実)」が関連付けられているのかもしれませんが、何か違うような気がします。
書かれた時代からはスターリンの全体主義国家なんでしょうが、現代でイメージできるのはやっぱり「北朝鮮」の世界かな?

一党独裁、監視管理社会、過去の改竄(修正)、プロバガンダによる洗脳・・・、まさしく北朝鮮だよなあ。
世襲で3代目まで続いてしまうと、国民は生まれたときから自分の国家とはそういうものと信じるしかない(自由な外の世界を知ることのない)人生となるわけで。
他の体制に思いを馳せることもなく、不平や不満もなくなり、反抗する(革命を起こす)気も起きなくなります。
だって、外からの情報は遮断されているわけだから、判断する材料がないわけで、そして監視社会ですから党に反対する思想は処罰の対象になりますね。
わずかに残った昔を知る老人たちに革命を起こす力はなく、若い世代は「自由は隷従なり」の状態となっているものと考えられます。
何も考えず大人しくしていればとりあえず生きていけると。
常に戦争状態であれば国民の結束は固くなり、教育や文化を疎かにしておけば国民は党の命令をよく聞く家畜のような存在となるでしょう。

オーウェルが描いていた世界はソ連ではなく、北朝鮮にできたわけですが、日本では本当に起こり得ないんだろうか?ってちょっと気になっています。

都合の悪い(悪くなると考えられる)交渉記録や文書は素早く処分し、「記録は破棄しました。復元は不可能です。」といけしゃあしゃあと宣う。
株価は上昇している、失業率も低下している。(しかし、可処分所得は低下しているし景気動向も芳しくないんだけど)  
だからアベノミクスは順調だ。

主人公ウィンストンが「記憶穴」に過去の記録を処分して、現状と辻褄を合わせるように新たに文書を作成する。
これにより、かつてあった正しい過去が消え去り新たな捻じ曲げられた過去が現在に合うように繋がっていく。
また、事実と異なることを「ビッグブラザー」の言葉として大本営発表することで、それが事実として記憶にとどまっていく。
しかし、そのうちまた新たな事実が上書きされていく。
そんなことを繰り返しているうちに事実なんてどうでもいいことのようになる。

ここで「歴史修正主義」なんて言葉も浮かんできますね。

本の中では「戦争は平和なり」、「無知は力なり」というフレーズもありまして。
これは積極的平和主義だとか、反知性主義とかと親和性があるのかな?

自宅や職場には「テレスコープ」なるものが配置されており、会話や行動を監視されるウィンストン、そして拷問により心の中も支配され洗脳されていく。

日本でも選挙事務所に警察が監視カメラを設置したという事件がありましたが、監視社会が刻々と近づいているのではないかと・・・。そういった法律もできるようですし。

また、「ニュースピーク」という言葉の概念が附録として記載されていましたが、結構興味深く読みました。(現実的ではないけれど)
言葉をできるだけ少なくすることは結局、その存在をなくすこと、思考や思想を取っ払うことになるんだと。
最近の若い人(自分もおっさんやなあ)の語彙の貧弱さに嘆いてばかりもいられず、そういう自分も親世代に比べ語彙は確実に少なくなっていると反省しています。
一つのもの、事柄を表現するときに日本語には様々な呼称があり、表現の仕方によっても微妙なニュアンスの違いがあります。
色々な言葉を使い分けることができる人、語彙が豊富な人はやはりしっかりとした教育を受けてきたんだなあ、って思いますもん。
日本には美しい言葉や表現の仕方が沢山あり、これを使わない手はありません。
今ではとても便利になった言葉、「やばい」をどんな場面にでも応用している人をとても尊敬することはできないんですね、少しでも自分が賢く見せられるような言葉に置き換えてくれればなあ・・・。

2+2ですか、誰が何と言おうとも「4」ですよね。
しかし、拷問を受けたら「5」って言うかも。
でも、それではだめなんですね。拷問を受けたくないから「5」というのではなく、心の底から(本能的に)「5」と言えなくては正常(洗脳された)となったとは言えないんだそうです。

後味は悪いけれどいい本であったことは確かです。

2017.04.15  悩ましい
このところ比較的空いていましたが、今日は久々に忙しく、終わり間近になって入院が必要なレベルの新患の方もいらして・・・。
金曜日や土曜日の夕方に重症感の漂う患者さんが来られた場合、開業医としては非常に悩ましいです。
通常、大きな病院へ紹介せねばならんのですが、快く受け入れてくれるとは限らないんですね、これが。
病院の体制として、土曜日の午後に通常外来をやっているところはほとんどなくて。そういう場合は救急外来へのお願いとなりますが、受け入れ先が決まらないことがままあります。
先方の事情は充分判っているつもりですが、こちらの待合室では患者さんが辛そうに待っているしなあ。
冬の繁忙期はどこもベッドが満床で、病院の先生も受け持ち患者さんが一杯いて、そこにまた入院をお願いするのは本当に申し訳ない・・・、けど、このまま帰せないしなあ。
なんてことを考えているわけです。
しかし、今日のケースは非常に素早い対応を取ってくださり、感謝、感謝です。

今週、もう一件入院をお願いした患者さんがいて、これはちょっと引っ張りすぎて反省すべきケース。
高齢者だっただけにもう少しスパッと入院を勧めるべきだったかなと。

明日は年に一度の学会へ。今回も日帰りツアーとなります。

2017.04.08  菜種梅雨につき
朝は暖かったのですが、時間が経つにつれて肌寒くなってきた土曜日でした。
そして、一昨日はほぼ満開に咲いている公園の桜をゆっくりと眺めておりました。

不思議なもので、昔から卒業式の頃の桜は散っていて、入学式の頃の桜は咲き誇っているというイメージ(歌や情景)はどうしたものでしょうか?
まあ、日本は南北に長いのでそういうこともあり得るのかな?

先日、英語教育の件で全国調査の結果が出ておりました。
生徒の方の問題点と教える側の教員の問題点が挙げられていまして・・・、ご指摘はごもっともです。

そもそも、日本人にとって英語ってそんなに重要なの?というのが個人的な感想です。
英語ができなければ明日からの生活にも困窮するっていう環境に置かれれば人は英語を習得しようとします。
もし、仮に僕が、「来月から英語特区のクリニックで働くように」
と厳命を受けたとしたら、もう死に物狂いで英会話の勉強に勤しむことでしょう。

しかし、現在の日本ではそんなことあり得ません。
社内公用語が英語っていう会社はごく一部です。まあ、そういう会社は一流企業ですから、社会的なステイタス、年収ともに高いのでしょう。
みんながそういった就職先を目指すというのであれば・・・、頑張りましょう。(自分は収入が少なくても日本語だけの会社に勤めますが)
日本人は識字率が非常に高く、多くの日本人は母国語を喋る人を相手に生活しています。外国人と一度も会話をせずに一生を終える人って非常に多いのではないかと思います。
植民地であれば宗主国の言語が話せなければ通用しません。母国語は現地語として認識されるので、まともな仕事にはありつけないですよね。

「これからは世界を相手に」とか、「英語くらい話せないと」なんて言って英語教育の低年齢化を誘導している教育界っていうのはどうも胡散臭いですね。

多分、教育政策を主導する人が真の教育者ではなく、経済界の人間っていうところが非常に怪しいと感じていて、結局、「金を稼ぐ」という視点で教育を弄んでいるように見えるんですね。
英語が国際的に幅を利かせている状況は明らかですが、もしかしたらこれが中国語やロシア語になるのかもしれないじゃないですか(多分ならんと思うけど)。
彼らは日本の伝統、文化、歴史を大事にするとか、優秀な研究者を育てる、世界に通用する学者を養成する、世界からたくさんの留学生を集める、日本で独自の研究を興す、なんてことは
これっぽちも考えていないように感じています。
金になる研究成果をすぐに出せ、予算は出さないよ、自分で稼げ、軍事研究すれば補助してやるぞって言ってますね。

日本って常にキャッチアップしないと不安になる習性がありまして、「常に世界から遅れている」、「だから追いつかなくてはならない」
という強迫観念に縛られています。(そんな気がします)
そこにつけ込む形で、英語教育をやるように仕向けている節があります。
果たしてフランス人やドイツ人が必死に英語を勉強しているんだろうか?(してるかも)
イタリア人は果たして英語を必死に習得しようとしているだろうか?(してないよね)

「東京五輪に向けて英語を話せるようにしましょう」っていうスローガンも非常にナンセンスに思えます。
だって、一生に一度、それも2週間ほどのお祭りでしょ、それに東京(少し範囲を広げて関東)以外の人にとっては外国人と接する機会なんてこれっぽちもないんですから。

大阪や京都の観光地なら必要な言語は中国語でしょう。

それにスマホでは翻訳機能アプリっていうものが既に開発されていると思います。
小学校の低学年から英語を必死に覚えるよりずっと効率的ではないかと思っているんですよね。
外国の人に道を尋ねられたら、スマホに向かって喋ってもらい、アプリで翻訳、日本語で答えるとそれが英語となって相手に通じる。完璧ですね。

じゃあ、高校、大学受験には英語は不要なのか?って聞かれたら。
英語論文を読む、論文を書くという学術的に必要と迫られる分野においては必須だと思いますので、受験英語として必要。
その中の一部の人がグローバルな世界で必要となるコミュニケーションツールとしての英語を習得すればいいわけで。

必死に勉強しても身に付かない英語より母国語を丁寧に教える方が国を愛することに繋がると思わないですか?
教育勅語や道徳教育に血道を挙げ、一方でグローバル教育といって母国語を軽視するような教育方針はどうもわからん。

2017.04.02  ニューフェイス
新年度に入り、新人社員が入職しました。
真っ新な制服を身に纏い、ぎこちない笑顔で応対するのを見るのも楽しからずや。
自分の子供と同じくらいの年齢の子と一緒に仕事をするなんて初めてのことですのでスタッフ一同、戸惑っていると思います。
そして、マンツーマンで指導をするベテランさんも今度の連休くらいまでは大変なんではないかと想像しています。(頑張れ)
医療事務の資格は持っていても、こんな小さなクリニックでやるべきことは、来院してくれた患者さんとの会話だったり、電話対応が大部分を占めています。
社会経験を積んでない若者にとって、ニュースを見たり新聞を読んだりするのってとても重要だと思っています。
なぜって、政治経済、社会で起こっているニュース、芸能関係、スポーツの話題などはある程度網羅しておくことは社会人としての心得かと。
それが面識のない人との話のとっかかりだったり、話が膨らむ材料だったりするわけで。
自分の得意分野だけの話題というのはいかにも寂しいことで、これから社会で活躍する若者にとっては広い視野で何事にも興味を持っていくことが人との交流には不可欠になるのではないかと思っています。

同世代の仲間とのコミュニケーションには長けていても、自分よりずっと年上のおじさんおばさんとの何気ない会話や育った環境が全く異なった人々との会話の仕方っていうのはなかなか難しいものです。
コンピューターを相手にすることはもうちょっと経ってからということで、来週からも窓口で看板娘として経験を積んでもらうことになっています。(応援よろしく)

早速、歓迎会を催しましたが、古参のスタッフからは、「自宅から通うんだったら、給料の一部はちゃんとお母さんに渡すように」とくぎを刺されておりました。

4月になって診療は幾分楽になると思いますが、診療以外のこと(行事、約束事)で時間を取られることが多くなっています。
スケジュール帳には既に○や●や△(学会や市のお仕事や私用など)があちこちに付いていて、今日も慌ただしく移動をしておりました。(単に娘とのデートだったわけですが。)
ただ、外に出て太陽の陽を浴びるというのは非常に心地よいものです。そして、うちの前の公園の満開の桜が見られるのは今週後半になりそうですね。

あと、クリニックの裏の林(森?)の伐採が続いております。
春にはキジやウグイスの鳴き声が聞こえていましたが、今はもう聞かれません。
地主さんの話では野兎やタヌキもいたそうで、ちょっと寂しいですね。近くの畑にも住宅が立ち並んできていて、街並みも10年前とは一変しています。

4月、僕の最も好きな季節に突入です。




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