独り言

2017.02.25  発見
Jリーグが開幕したのに侍JAPANとソフトバンクとの練習試合の方の扱いが大きかったスポーツコーナー。
正男さんのニュースが連日派手に報道される一方で、大阪の怪しげな小学校の問題はメディア間でどうも温度差があるのはどうしてだろう。
トランプ陣営が一部マスメディア(CNNやニューヨーク・タイムズなど)に対して取材拒否(締め出し)をしたというニュースがあったり・・・。
アメリカはお上が報道の自由を規制し、日本ではメディアがお上の意向を忖度するといった構造で、あまり気分のいいものではありません。
メディアは常に権力に対するチェック機構でなくてはならないと思っていますので、政府に懐柔されたり、恫喝されて萎縮するのはメディアの敗北だと感じています。


昔、「ナンシー関」という消しゴム版画を作って、独自の視点でテレビ業界(特に芸能人)を切るコラムニストがいました。もう亡くなってかなり経ちましたが。
インターネットがまだそれほど発達していなかった時代で、消しゴム版画という一種独特のアナログな技法が非常に秀逸でした。
毒舌だけではただの悪口になりますが、そこには深い洞察と愛情、そして嗤いとオチを用意してくれていました。
爆笑というのではなく、クスクス、ニヤニヤという感じの笑い。
もし、今の時代に生きていたなら脊髄反射で反応するネットで炎上することは必至でしょうけど、数多くの皮肉の効いたコラム集はうちの本棚に今も残っています。

一般社会、世相を切るタイプの社会派コラムニストは数多くいますが、芸能分野でのコラムニストはなかなか面白い人材に巡り合えませんでした。
ただの悪口、非難だったり、感性がちょっと違っていたりで、「うんうん、分かる、分かる」って感じが得られませんでした。
しかし、今回僕の感性に合致した本がこれ。
『芸能人寛容論』

著者は武田砂鉄氏ですが、彼の『紋切型社会』という本を読んだときの感想が、
「おっ、これちょっと面白いやん。これからも注目しとこ。」
しかし、すぐに忘れてしまっていたら、先日、偶然本屋さんで目にしたものですからすぐに購入。
よろしければ一読を。

2017.02.18  めぐる季節
最近、日の出が早くなってきていて非常に嬉しく思っています。クリニックに着くころにはヘッドライトがいらなくなるくらいです。
あとひと月もすれば春分の日ですから。
いくら寒くても、いくら風が強くても昼間の時間が長くなってくるのを感じられればへっちゃらだい。

診療に関していえば、インフルエンザが下火になって、花粉症の患者さんが多くなってきたことでも春を感じています。
「あっ、1年ぶりですね、去年と同じお薬でいいですか?」
「はい、目薬もお願いします。」
「いいですよ、じゃあ2か月分お出ししておきます。」

といった会話が見られる季節です。

受験生にとってはあと2週間ばかりが最後の試練となりますが、なんとか頑張ってもらいたいものです。
ただ、自分の子供が受験に関係ない年になってしまうと、新聞の受験情報には全く関心が無くなってしまいます。
以前はセンター試験の問題に目を通したり、大学の受験倍率を見たりしていましたが・・・。

2017.02.12  夢の話
2日間の休みで溜まっていた学会雑誌を読んだり、古本を整理したり、シーツや枕カバーを洗濯したり、患者さんのデータをまとめたり・・・、一応有意義に過ごしていました。
土曜日には何件か電話がかかってきましたが、時間帯によっては携帯電話が使えない施設に入っていたこともあり、後で履歴を確認したら結構失礼な状況だったことが判明しました。

受験シーズンでもありますので、今日は「夢を持つ」、「夢をかなえる」という話。
小学生に聞いた、「将来なりたい職業」なんていう調査は別になんていうことはないんです。あれはあくまでも他愛もない夢、憧れだから。
しかし、中学生あたりで先生から強制的に書かされるような、「将来の夢」っていうのは非常に困ったものではないかと個人的に感じています。
「将来の夢」イコール「目指すべき職業」であるわけで。そして実現に向けての努力目標だとか、意識改革が求められたりします。
小学生の時のように、無邪気にスポーツ選手とかケーキ屋さんなんて言ってたら、
「お前、何考えてるんだ、もっとまじめに考えろ。」って怒られるのがおちです。

この「夢」っていうのが非常に曲者なんですね。
こう言ってはなんですが、「僕は普通のサラリーマンになりたいです」、とか、「私は結婚して専業主婦になりたいです」という答えは用意されていません。
必ず、なにがしかの専門職種に就くことが要求されています。

14、15歳くらいのまだ世間知らずの若者に対して、将来の明確な目標を立てさせることは無意味だとは考えないのでしょうか?
その頃だからこそ、早いうちに人生の目標を定めてそれに向けて努力させる事が重要だという意見も完全に否定はしませんが。

果たして、自分が中学生の頃って、こういう教育がなされていただろうか?
多分、違うと思っています。

「夢を持つ」こと自体は決して悪いことではないけれど、全ての子供が夢を持って夢の実現のために努力することが決していいとは思わないんですね。
小学生の時に「持つ」夢と中学生、高校生で「持たされる」夢は意味合いが全く違います。
持たされる夢は結局将来進むべき進路、職業とリンクしています。
そんなの14、5歳の時に決めることはナンセンスじゃないかと。
「夢を持たなくては人生はつまらない」というような教訓、「夢を実現させるために努力することで何かを犠牲にしなくてはならない」ことが問題ではないかと思うんですね。
クリエーター、プログラマー、俳優、芸人、IT会社社長、銀行員、教師、医師等々、数えきれないくらいの職種がありますが、最初からターゲットを絞って夢を実現させた人ってどれくらいいるんでしょうか?

一方、日本人の半数以上の人が普通の会社員として働いています。(サービス業や営業職、正規、非正規問わず)
特殊なスキル(語学や専門知識)が必要で、学生時代にそれを習得して就職できる人もいますが、多くの一般サラリーマンは中学生の頃は違う夢を持っていたはずなんだと思います。
多くの中学生、高校生にとっては、将来の自分っていうものは全く想像できないし、想像できたらちょっと変。

だから、「夢はかなうもの」なんて幻想は早く捨てた方がよくて、夢から覚めることが大人への第一歩だと思っています。
大人になれば何らかの仕事をせねばなりませんから、「夢」なんて甘っちょろいものは端に置いておいて、まずは食べていくことに努めなくてはなりません。
「生きがい」や「自己実現」というものを職業に求めることは、まあ、その仕事に就いてから考えればいいことだと思うんですね。
皆がIT企業の社長やプロサッカー選手を目指すものでもないし、政治家になれるものでもないし・・・、夢がかなわなかったら不幸だってわけでもなく、思ってもみなかった職業に就いてとても幸せだってこともザラだし。


大人になれば「夢」を持つことはめっきり少なくなりますし、それを人前で披露することって非常に恥ずかしいこと(「勘違い野郎」の誹りを受けます)でもあります。
そして夢を持つことは若者の特権です。

今では夢は見るもので、持つものではない年齢となった自分が思うこと。
夢がかなって自己実現できている人も一定割合いますので、「絶対に夢を持つべきではない」とは言いませんが、夢に縛られるような人生は非常に苦しくなるので間口はできるだけ広く開けておくのが良いですね。
視野は広く、オールラウンドプレーヤーを目指すことが大事かな。
そして、「夢は寝てから見ましょう」、「寝言は寝てから言いましょう」ってことですね。よう知らんけど。

2017.02.10  プレミアム
連休前の夜というのはとても幸せな気分になります。
土日休みの職種の人たちっていつもこんな気持ちなんでしょうか。
少し深酒してもいいや、少し遅くまでテレビやDVDを見ていてもいいや、って感じ。
日曜日だけが休みだとそれ程の解放感というものがありません。日曜日は日曜日としてやるべきことがあるし、日曜日の夜には翌日からの仕事に備えるという心情がどこかに生じてしまいます。
しかし、たまたま今回の様に連休になると、休みの初日っていうのはご褒美というか、おまけの休みという気分で非常にウキウキしてしまいます。
従って、連休の場合は初日に何らかの行事、翌日は大人しくしているというスケジュールになってしまいます。
僕にとっては明日はプレミアムな休日です。

今月からプレミアムフライデーという制度ができるそうで、月末の金曜日は早上がりして消費に貢献しましょうっていうものです。(うちは全く関係ないけど)
もしかしたら月末の金曜日の午後外来を受診される患者さんが増えたりして・・・、なわけないか。
果たして月末の週末に残業せずに時間通りに仕事を切り上げられるサラリーマンがどれだけいるのか、ちょっと見ものです。

しかし、ちょっと待てよ。これを導入して思惑通りに消費が増えるんでしょうか?
使える時間だけ増えても使えるお金(収入やお小遣い)は限られていたらあまり意味がないんじゃないかなあ。
月末の金曜日に消費するために、他の曜日に節約したんではトータルとしてあまり変わらないと思います。
やはり使えるお金(収入)を増やすことの方が先だと思いますが・・・。
多分、プレミアムフライデーの恩恵に与れるのは一部の大企業にお勤めの人々だけでしょうから、そこの消費を促せていけるのであれば施策としてはいいのかもしれません。
中小の人々はいくら水辺まで連れていかれて、「ほら、水を飲め」と言われても・・・。
ちと違うか?
それよりも「ない袖は振れぬ」と言ったところでしょうか。

2017.02.04  立春
早いものでお正月からひと月が経過してしまいました。
帰省してお雑煮を食べたり、駅伝を見ていたのはほんのひと月前のことだったんだなあ。(しみじみ)

今日は立春で、暦の上では春になりました。
昨日、一昨日は冷たく、強い風が吹いていて、空には砂が舞って茶色くなっていましたね。
そして、毎朝玄関を掃除していますが、砂を排除するのが大変で、掃いても砂が上に舞い上がるだけ。ゴホゴホと咳き込んだりして朝のルーチンワークは結構疲れました。


世界中が一人の暴君に引っ掻き回されています。
トランプ新大統領の排他的政策に対し、欧州各国のトップは苦言を呈したり、非難のコメントを出しています。
しかし、我が国のトップは「黙して語らず」を通していまして、何とも情けない。

「言うべきことは言う」と勇ましいことをおっしゃっていますが、人種差別的な振る舞いに対する自分の意見(国としての意見)は、彼にとって「言うべきこと」ではないってことになりますね。
恐らく、自分の「言いたいこと」、「言わなくてはならないこと」より相手の「聞きたいこと」、「聞きたくないこと」の方を優先させてしまっているんでしょう。
「こんなことを言うと、相手に嫌われる」という気持ちの方が先に立っているので、相手の出方を待って気持ちを忖度することに血道を上げるのではないでしょうか。

しかし、これが中国や韓国のトップがトランプ氏と同じ振る舞いをしたのであれば、勇ましい我が国のトップは、「言うべきことは言う」の言葉通りに非難のコメントを出したであろうと容易に推測できます。

それは相手がアメリカだから。

これに尽きるのだと思います。
「トランプは信頼できる指導者と確信した」とのコメントを出した方の人を見る目は本当に確かなのか?(節穴かもしれんけど)

「アメリカの雇用を増やす」とアメリカに対する朝貢外交の様相を呈してきた我が国、国内の貧困対策や社会保障対策を後回しにしてもジャイアンに気に入られようと必死に尻尾を振りながらついていくしかないって悲しいですね。
アメリカって、GDPは世界第一位にも関わらず、それでも日本はアメリカに対してODAみたいなことをやらなくてはならないんだろうか?
日本とアメリカが本当に対等であれば、互いに自分の主張を率直にすべきであるんだけれど、常に日本はアメリカに対して属国意識丸出し。
アメリカに嫌われないように、ご機嫌を損なわないように、まず相手の出方を窺って、それにうまく対応するように、といった姿勢ですね。


今は行き過ぎたグローバル社会(経済)の揺り戻しが起きて少し保護主義になってきているのだと思っています。
グローバル経済と民族国家とはやはり相容れない要素がありまして、国民を大事にするならば関税をかけ、国内産業を守る、という流れになると思います。
かつての自民党は農林水産業を大事にして、国土を守るといった保守本流の党だったと思いますが、今は全く変わってしまいました。
産業構造が変わってしまったことで、本来の保守党の面影は失われ、どちらかと言えば都市生活者の党、若者の党になってしまったかのような雰囲気ですね。

グローバル化は国境とか異なった人種とか異なった言語とか異なった文化というものは邪魔な存在となります。
共通言語を話せて、同一の価値観を持った人々がマーケットであることが望ましいのであって、煩わしい規制はない方がいいと考えます。
こういったグローバル社会って元々は金融工学なんて言ってアメリカの経済学者たちが作り出したもので、アメリカ主導で行われたものではないかと思っています。
今やその弊害が世界中に渦巻いて、トランプという鬼っ子にアメリカが翻弄されているというのは何とも・・・。
僕なんかは「ノスタル爺」ですから、反グローバル主義でこのまま突っ走る予定です。




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