独り言


2016.03.26  巣立ち
もう3月も終わろうとしています。
平成27年度が終わり、平成28年度に変わる時期であり、何かと落ち着かない気分です。
今年は診療報酬の改定の年でもありますので、今週、来週と説明会が行われます。事務さんにも午後の診療時間が始まっているのにも関わらず足を運んでもらっています。
他の職員たちも一人の母親として春の準備に追われています。僕は一足先に済ませてしまったので、それを横目で眺めているんですが、子育てって本当に大変です。
自分を振り返ってみても、男の子育てって、結局従属的(お手伝いしているだけ)なものでしかないように思えます。

彼女たちもこの4月に子供を送り出せば、ひとまず一区切りできるようです。しかし、家から子供がいなくなるって・・・、男が抱くのとは全く違った感情なんでしょう。
少し落ち着いたところでみんなで遅い花見でも・・・、なんてね。

一方、患者さんに目を移してみると、やはりこの時期は「人事異動」、「転勤」というケースが多くなっています。
このため紹介状を書くことも多くなりましたし、入職のための健康診断やら各種証明書の依頼も多くなっています。

毎年のことですが、こういう一つ一つのことが春を感じさせてくれます。
そして、うちのクリニックにも一つの別れが近づいているのでした。

2016.03.21  ほったらかし
昨日、今日と久々の連休、それも天気が良く、あちこち出かけておりました。
電車ではちょっとしたトラブルに見舞われ、予約していたお店をキャンセルする羽目になりましたが、うーん残念。
今日は朝から2回の洗濯に始まり、草むしりを終えてからクリニックへ。
帰りにあちこち買い物をしながら戻ってきまして、その時のこと。
ある紳士服店に寄ったのですが、品物を選んでいるのに誰も寄ってきません。
デパートに入っているお店では、ぼーっと商品を見ていると、どこからともなく店員さんがささっと寄ってきて、
「何をお探しでしょうか?」、「こちらなどはいかがでしょうか?」、「今年はこの色が人気ありますよ」
などと声をかけてくれます。
買う気なんて全くなく、ただの時間つぶしで入った時などは本当に辛いです。
いいのがあったら買ってもいいかな?と思って入ったとしても、店員さんが売る気満々だとどうもいけません。
「あっ、いいです」と言って店から出てくることは1度や2度だけではありませんでした。

今日行ったところは、色々と見ていましたが、誰も寄ってこなかったので変なストレスもなくチョイスしてレジへ。
この店も以前行ったときはうるさいくらい勧められたんだけどなあって思いましたが、もしかしたら今日の僕の服装のせいだったのかも。
ジーンズに運動靴ではスーツやジャケットを買いに来たようには見えなかったんでしょう。
こうやってほったらかしで対応される方が財布の紐は緩むように感じています。

住宅展示場や車の販売店でもしつこく勧める売り方ってあんまり好きじゃなかったですね。(ずっと前のことだけど)

2016.03.19  サイン
咲いたと言っては喜び、散ったと言っては悲しむ、そんな季節がやってまいりました。
ここで思い出す句があります。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」うろ覚えですが、古今和歌集だったかな?

確かに、桜が咲くと何だかとっても心がウキウキしてきますね。
長い冬が漸く終わり、いよいよ春が来たんだ、というはっきりとわかるサインなのでしょう。
今日、博多と名古屋で開花宣言がなされました。これは例年よりも早いそうですが、うちの前の公園の桜も来週後半には咲いてくれることでしょう。

そういえば、昨日あたりからインフルエンザがめっきり少なくなってまいりました。これも春の訪れのサインです。
その代わり、花粉症が多くて、多くて。
うちのような内科クリニックでも大変なので、この時期の耳鼻科外来は本当に大変なことになっているんだろうって想像に難くないのですが・・・。
それに今年は症状が重い人が多いように感じています。


今週の水曜日は臨時の休診日となりましたが、それを知らずに来院された方がかなりの数いたようです。
定期的に受診されている方に対してはずいぶん前から院内に掲示もしてありましたし、薬局さんからも案内があったのですが、
急性疾患の患者さんにとっては、「そんなん知ったこっちゃない」ってな感じだったことでしょう。

私事ではありますが、卒業式に出席していたわけで。
当然、電話に出ることもできず、着信履歴だけが増えていったのでした。
これで親としての任務はひとまず終了。
大学生ともなればもう親の出番はなくなりますので、あとは授業料や下宿代などの金銭的なサポートくらいでしょう。
自分の大学生時代を思い出しますと、親が来たのは九州からの引っ越しの時くらいで、入学式も卒業式も一人でしたねえ。
来なかったのは単に遠かったからだけなのか、それともほかに理由があったのかは不明ですが、周りの友人も皆そんな感じでしたから。
今は面倒見のいい大学と称して、親元に成績表を送ってきたり、親を対象とした説明会を催したり、大学生をまだ親の保護のもとにいる存在として扱う傾向があります。
学費を出しているのは保護者であるのは間違いではないし、大事な子供を預かって教育している側からすれば、親に対する責任を果たす意味では当然と考えているのかも。
そして親も大学に対してそうしてくれるべきだと思っているのかもしれませんが、なんか違うような気がしてならないのは僕が特別なのかなあ?
同じ18歳でもすでに社会へ出ている若者もいるのに、大学生はまだ親の庇護のもとで、家からも大学からも世話を焼かれるって、いつまでもお子ちゃま扱いなんでしょうか?

また、最近の風潮では教育をモノ(商品)やサービスと勘違いしてやしないかって思っちゃうんですね。
これって教育をお金(授業料)で購入した顧客(学生や保護者)に対する媚びへつらいではないかと感じられるわけです。
教育をサービスと考える消費者(顧客)は、サービスに対して文句を言う権利がある、対価に合わないモノは買わない、というような行動様式を取るのは目に見えてます。
こんな偉そうな事を言ってる自分も、学生時代は「できるだけ楽をして進級したい」、「少ない努力で高い評価を得たい」と思っていましたね。
まさしく消費者マインドだったわけで、厳に反省すべき二十歳の頃。タイムスリップできるものなら、その時の自分を殴ってやりたいです、まじで。

教育に投資する、子供に投資するっていう言葉を目にすることがありますが、あれも教育や学歴を金融商品みたいなものと見ているから「投資」というワードが出てくるんでしょうか。
投資に見合ったリターンがある、リターンのない教育には意味がない、という考えが主流になったことで、「文系廃止論」が生まれてきたのではないかと思ったわけです。
実学こそ全てだ、社会でものになる学問を教えろ、社会で使える人材を養成するのだ、という号令のもと、大学改革を行うことに言いようのない危うさを感じてしまいます。
「多様性」というワードも流行りですが、皆が同じ方向に向かっていくことのアンチテーゼのようにも見えます。
一見、無価値のように見えることもいつか役に立つこともあったり、今、花形産業であるものが10年後には全く見向きもされず衰退しているかもしれないし。
色々な思考が尊重され、選択肢が示され、選択する権利が保障されることが重要だと思っています。

「バスに乗り遅れるな」と言われて、ブレーキもバックギアもないアクセルだけついたバスに乗せられ、「この道しかない」と総活躍を促されたら、不幸にも事故に遭いましたという状況だけは避けたいな。
おまけに「自己責任」で片づけられたらたまったもんじゃないし。

2016.03.13  事務の卵
肌寒い一日でした。
本を読んだりラジオを聴いたり昼寝をしたり・・・。
久々にだらけた一日を過ごしていました。

先週から受付に専門学校から実習生が来ています。
毎年この時期に2週間の予定で、クリニックの雰囲気を体験してもらっています。
病院部門とクリニック部門を体験するらしいのですが、うちに来て医療の現場、現実に幻滅しなければいいのですが。
先週は受付業務のみの体験で、まだ緊張感一杯で声も小さかったのですが、今週は別のことも体験してもらう予定です。
僕にとってもスタッフにとっても年齢はまさに親子くらい離れていますので、みんなで可愛がって、そしてお節介を焼いているというような状態です。

彼女も来年は卵から雛になって社会へ出ていくわけで、うちでの経験が就職の選択をするうえで少しでも役に立ってくれればいいですね。

2016.03.12  別解
年が明けてからの日曜日は何かと用事があってゆっくり過ごすことができなかったのですが、明日は久々に何もない休日になりそうです。
というのも、春からの新生活に向けての準備ということで、横浜方面への遠征が多かったのがその理由です。
先週も荷物を積んで日曜の朝に出発。
常磐道から首都高へ、いつものように渋谷から東名へのルートを進んでいたはずでしたが、箱崎あたりでカーナビがなぜか湾岸線へと誘導してきて、それにつられて木場から辰巳ジャンクションへと進んだのでした。
湾岸線は空港中央までは行ったことがありましたが、横浜方面はこれが初めて。
生まれて初めての横浜ベイブリッジにワクワクし、なんだか遠回りしているような気分になりながらいつの間にか料金所も通らず国道16号に降りていました。
首都高を走っているときに感じる緊張感はそこにはなく、比較的快適な解放感というものを味わえた一時でした。(実は僕は後部座席にいたんですが)
走行距離は長かったのかもしれませんが、東名の料金分が安くなったようです。

今回、一つの目的地に行くのにいつも同じルートを使うのではなく、別のルートを使うことで新たな発見、楽しさがあることに気づかされました、って別に大仰なことを言いたいのではないんです。
僕に限らず、年を取るごとに物事に対する固定観念や自分だけの信条っていうのが思考の柔軟性を邪魔します。人の意見を聞かなくなったり、頭ごなしに否定したり。
こんな方法もあるんだ、こういう考えもあるんだって常に頭の隅に置いておくことが重要なんですよねえ。最近忘れていました。

上の子がまだ中学生だったころ、数学の問題を解くときによく言ったものでした。
「解き方は一つじゃなく、色々な解法があるんだよ。二つ、三つくらい別の方法で解ける術を身につければ、この先すごく役に立つよ。」
一つの方法しか知らなければ躓いたときにどうすることもできないけれど、ほかの方法を知っていれば助かることもありますからね。

今度は小菅から中央環状線を通るルートを試してみたいですね。
「この道しかない」ってことはないんですから。


今週、中学校の卒業式がありましたが、その翌日から多くの発熱患者さん(38度以上)が訪れました。
しかし、インフルエンザの検査で陽性になった子はほとんどいませんでしたが、多分インフルエンザなんだろうなあ・・・、って。
今のトレンドはB型(8割方がB型)ですね。しかし、今日に限ってはA型が盛り返している感じもして、まだまだ終息とは言えないのかも。

来週は臨時の休診日があります。
結構前から掲示してありますので大丈夫でしょう。

2016.03.05  泡沫から本命へ
アメリカ大統領選挙のことでも。所詮、よその国のことだから面白おかしく見ているわけにもいかなくなっているみたいで。
僕は何週間か前に、
「トランプさんはそのうち選挙から降りるのではないか」と書きましたが、ここまでのところ予想は全く外れています。
スーパーチューズデーを終えても他の候補を寄せ付けず突っ走っています。
もしかしたらこのまま共和党の代表候補になってしまうんじゃないかと、本気で心配されています。
そういえば、ツインターボがあれよあれよという間に逃げ切ったオールカマーというレースがありましたね。

彼の政策っていうものは日本のマスコミからはほとんど聞かれてこないし、聞かれたとしても暴言のようなものばかりで、とても実現(実行)不可能なものばかりですから。
討論会でも相手を非難するようなことばかりで論戦なんて呼べるものではありません。
しかし、大衆からの支持があれだけあるってことにはどうも首を傾げるしかありません。アメリカ人って・・・(自主規制)。
既成のワシントン流の政治にうんざりした大衆、格差の底辺にいるような大衆が不動産王である、言わばピラミッドの頂点にいるようなトランプさんを支持しているのは不思議な現象です。
彼らは、トランプさんが国のトップになれば格差を解消してくれる、自分たちは裕福になれる、って本気で考えているんでしょうか?
ただ単に、自分たちの仕事や収入を奪っていった、あとから来た移民、中国人、日本人を一緒に憎んでくれる同志として支持しているだけなのかもしれませんが。
ルビオさんやクルーズさんでは今までと同じ、絶対幸せになれないと思っている若者がトランプさんを支持しているというのがアメリカ社会の不条理を暗示しているように思えます。
それだけの不満を抱いている国民の受け皿がこれまでなく、これまでの枠組みをぶっ壊してくれそうな不動産王に賭けるしかないというのも不幸に思えます。
日本でも以前似たような現象があったような、なかったような。(○○党をぶっ壊すって)

共和党のまともな層(語弊がありますが)は反トランプの動きになると思うし、少し理性的な考えが働けば揺り戻しがあるはずですが、そうならないくらい底辺層が分厚くなってしまったのでしょうね。
こうなったら、トランプさんの自主的な退場か、何か黒い政治的な強い力が働くかでしかこの流れを食い止めることはできないように感じています。

話はガラッと変わって僕の小学生時代に戻りますが、当時は学期の初めに学級委員長、副委員長の選挙というのがありました。
こういう場合、常に丸尾くんや出木杉くんのような子が選ばれるとは限りません。
ある時、ふざけた奴らが、「面白いからあいつを選ぼうぜ」と言って、明らかに学級委員長に相応しくない子を選挙で選ぼうと画策しました。
「民主主義だ」、「多数決だ」という名のもとに。
その時はさすがに先生が投票結果を認めませんでしたが、あまりに社会がすさんでしまうとこれと似たことも起こり得ると思います。
学校という世界では仲裁する(修正する)役割の人がいますが、大統領選挙になるとそういう役割を果たす人はいません。民主主義って実は怖いんですよね。

ここにきて、トランプ阻止を訴える動きが活発化してきましたがどうなることでしょうか?

さて、日本では多くの時間を割いて大統領選挙のニュースを流していますが、「トランプさんが勝った、クリントンさんが勝った」くらいのもので、
その結果が日本に与える影響、そして世界に与える影響などには踏み込んでいません。
ましてや、世界の国々がこの大統領選挙についてどのように報じているのか、トランプ現象をどう見ているのかなど全くわかりません。
堅牢な日米同盟(主従関係)を結んでいる日本だけがこれほど盛んに報道しているのでしょうか?
日本政府がコメントしないのは内政干渉にあたるので何も言わないのかもしれませんが、誰か一人ぐらいは口を滑らせてもいいのに・・・。

「もし、トランプが大統領になったら」
そう、想定するのはタブーなんでしょうか?
日本としての方針、対策を考えたり、対米政策を見直すとか・・・。
これまで通り常にアメリカ様への追従、そして忖度するんだろうか?
トランプ大統領は日本が変わる劇薬のような気がしてならないのは果たして気のせいでしょうか?


今週は世界卓球をやっています。
娘と東京に見に行ったのはもう2年前のことになるんですね。
個人戦もいいのですが、やはり団体戦っていいです。
相変わらず勝っても負けても愛ちゃんは泣いています。全てのパーツが丸く、いつも困ったような表情で、僕の疲れた心を癒してくれます。
若い子(伊藤美誠選手)も世界の舞台で活躍してきていますし、愛ちゃんがいなくなっても石川選手(佳純ちゃん)と日本を背負っていけることでしょう。
これは世代交代がうまくいってるケースですが、女子サッカーはちょっと厳しいみたいです。
意地悪な見方かもしれませんが、澤さんはいい時に泥船から抜け出せたのかもしれません。





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