独り言


2015.11.28 晩秋
今週は一気に寒くなりまして、連日暖房のスイッチに手を伸ばしています。
11月は世間的にはあまり盛り上がらない時期と言われておりますが、個人的には何かと多忙だったような・・・。

馬齢を重ね、一つ年をとったのも今月。
一応、お約束通りボジョレーを買いに行って、一人で飲んだのも今月。
義母の命日に線香をあげたのも今月。
子供の受験の合否に一喜一憂したのも今月。
母親が上京したので僕の密かな楽しみがつぶれたのも今月。
他にも諸々、あっという間に過ぎてしまいました。

年末も近くなっていますので、今週受診している患者さんには、「来月は年末なのでお薬をいつもより多めに出しておきますよ」と言っています。
もうそんな時期なんですね。
ほんの3か月前は夏だったんですけどね。
時の経つのは年齢を重ねるにつれて早くなっている気がします。

振り返れば25年前の今の時期、晩秋の京都を旅していました。
お寺巡りをしながら赤い絨毯(紅葉が落ち葉になっている)の上を歩き、「写真通りやなあ」と感動しきっていたのですが、相手はそうでもなかったような・・・。

僕は風景を眺めるのが好きなもので、日本でも世界でも写真を見てあたかも自分で旅した気になれるのが得意技です。実際に訪れてその通りだと感動も一入。
地図を見てそこに行った気になることも可能ですから。
最近はBSの番組で旅行した気分になれるのがお気に入りですね。しかし、あまり見れないのが残念ですけど。(チャンネル権がないもので)
これは秋の夜長には最も贅沢な時間の過ごし方だと思っています。

今月の話題として・・・、インフルエンザワクチンの希望者が多くいらっしゃっています。
当初の予想とは異なり、例年通りの混雑ぶりとなっていまして。
まだワクチンに余裕はありますが、スタッフには疲労の色が見えます。(実は僕も)

そういえば、今日、ワクチンが一人分余ってしまいましたので、院長の裁量で僕が2回目を接種しました。だって、誰も希望しないんだもの。(遠慮したのかな?)
当地区では幸いなことにまだインフルエンザの流行はないようで、今のうちに予防接種をしておくことをお勧めします。(11月に1名出ましたよ)


来週からはいよいよ12月に突入です。ボーナス、どうしよう。

2015.11.22  改革
「改革」いう言葉、多くの政治に携わる人々はこれを口にします。
さて、その「改革」は本当に必要なんだろうか?とよく感じます。
改革するということは、現状がダメダメなので、一度組織を全て破壊してやり直すというというニュアンスが込められています。
そしてこれに反対する勢力は「既得権益」、「守旧派」、「抵抗勢力」と悪者扱いされる羽目になります。

そして、改革派は未来志向を持った明るい社会を目指すヒーロー気取りとなるのですが、果たして?
得てしてポピュリズムだったりするわけで。

また、改革者は改革によるメリットは最大限に、デメリットは最小限に想定する傾向があります。

一例を挙げると、大学入試改革がありますね。

大学入試制度は僕らの頃は共通一次試験でした。これはセンター試験と名前を変えて現在に至ります。
しかし、何年後かには達成度テストという新しい制度が生まれる予定です。
 

これまでの共通一次試験、センター試験は本当にダメな制度だったんでしょうか?この制度でどんなデメリットが生まれたんでしょうか?
弊害として一般的には、

マークシート方式での解答で学生の学力が低下した。

学力を把握するのが難しい。

一発勝負だと体調や運に左右される。

などが挙げられています。

だから

複数回受験できるようにすれば学力をより正確に把握できる。
記述も導入することで学力の低下に歯止めがかかる。 

ということが改革のメリットらしいのですが、
本当に学力が低下したのか?どの時代の学生と比較しているのだろうか?

仮に低下したとして、原因はマークシート方式だと断定できるのか?

改革論者は信念に基づいて良かれと思って制度改革を行っているのでしょうが、これに振り回される立場の受験生や大学は本当に可哀想です。

まずは学生目線で。
通常、部活をやっている多くの生徒は高3の夏休み前まで頑張って、大会が終わると引退、そして受験勉強が本格化します。
しかし、新制度が導入されると、高校に入ると同時に達成度テストに向けての準備に入ることが予想されます。

そして何度もテストが行われ、最もいい点数を入試に使えるとのことですが、これが問題なのではないかと考えています。

中高一貫校で高1や高2のうちに教科書が終わってしまうようなレベルの高い学校ならいざ知らず、普通の授業スピードであれば達成度テストでの最高点は高校3年生の後半となる子が殆どと予想されます。
ということは今のセンター試験と変わらないんじゃないかな?
また、複数回のテストを比較するとなると、問題のレベルによるばらつきがあるので、点数ではなく、偏差値による比較の方が公平だと思います。
(もし点数が評価になるのであれば問題の難易度に左右されます。簡単な問題での90点と難しい問題での85点だと偏差値は逆転するケースもありますから)

高い偏差値を叩き出せる状況は、自分だけが平均点よりずば抜けている場合ですね。
みんながいい点数を取ってしまうと自分が高得点をとっても意外と偏差値は上がらないものです。
そこで、難関校を目指す学生は、一度でも高い偏差値を獲得し、ほかの学生をリードするために他の
3年生がまだあまり勉強をしていない時期(春や夏頃)に高得点を稼ぐことが最も効率がいいと考えるでしょう。まあ、ここには前年度に入試を失敗した浪人生もいるわけですが、3年生春の段階では浪人生にもメリットがあるでしょう。
で、公立校の普通の生徒は
3年秋から冬に学力のピークが来るわけで、ここでいい成績を獲得して、春先に高得点を挙げていた早熟な受験生や浪人生と戦うことになるわけですね。
まさか、春と秋の問題で難易度が違っているということはないでしょうから、同じ点数なら春に高得点を取っている生徒の方が偏差値は上になることでしょう。
 

多分、早期教育、早期受験対策校はメリットが大きく、一貫校が有利となると踏んでいます。
また、受験予備校による小論文対策、面接対策、小賢しい自己アピール術が幅を利かせるようになることも予想されます。

また、
23浪した学生はどの時点での最高点を提出するの?という問題も出てくるわけで・・・。(2年前は偏差値68だったんですけど・・・、高校時代は9割取りましたよとか) 

次に大学や問題作成する側の目線で。
1年に何度も、そして難易度が上下しないような問題を作成する苦労は並大抵でないと思います。
問題の漏えいにも気を付けるし、予備校が簡単に予想できないような良問を作る必要がありますね。
試験会場も今は年に一度、厳重な監督や警備のもと、大学の職員がボランティアみたいな感じで試験監督をしていますが、年に何度もどこで試験を行うんでしょうか?
達成度テストが高校の定期テストや模試レベルのものと考えているとしたら大間違いではないかと思うんですけどね。
それが大学受験と関連するのであればカンニング対策も含め、全国一斉、同時刻に行われることが必須ですから。
 

これを考えたお偉いさん方は、改革することで自分が仕事をしているという気分になるのでしょうが、本当に1020年先のビジョンを描いているのだろうかと不安になります。
振り回されるのは学生や現場の高校、大学の先生たちです。現場の声を聞かず、上意下達で決めていくことはこれに限ったことではありませんが、どうも感心しませんね。
ただ、この「改革」には「改善」を目指しているという意味で連続性が感じられるところが救いです。

しかし、心配なのが西の方の自治体。壊すだけ壊して具体的なビジョンが描けない人。
古いもの、伝統的なもの、一見非合理的なものをすべてぶっ壊してしまう。
壊してしまうことは簡単ですが、創ることは非常に難しく知恵のいることだと思っています。
嘘で固めた持論を嘘で塗りたくって府民を煙に巻く手法。

これに賛同する市民(敢えて「大衆」と言いましょう)もどうかしていると思うんですが、明朝には結果も出るのでしょうか。

2015.11.14  再会
今週末も雨。朝から予防接種希望の方が多く来院されました。
この時期はうちのスタッフも勢ぞろいでして、元々狭い休憩室はさぞ窮屈になっていたことと想像しています。(ごめんね、予算がなかったので広いお部屋は無理だったんだよ)

今日、受診された患者さんのことですが。
一通り診察を終えて、「じゃあ、待合室でお待ちください」と声をかけると、
「僕のこと、覚えていますか?」と声をかけられました。
カルテで名前を確認して顔をまじまじと見ると、なんと、24、5年前に公団住宅に住んでいた時のお隣のお子さんだったんですね。
そこでは数年住んでいて、うちは先に公団を出て今のところに家を建て、お隣さんも少し遅れて公団を出て家を建て移り住みました。
当時、うちの子を連れてお邪魔していた時に遊んでくれていた小学生だったお兄ちゃんが今や一端の社会人となって僕の前に現れたんですね。
「全然わからんかったぁ」と言って、挨拶を交わしましたが、とても懐かしかったです。当時の可愛かった面影も残っていました。
結婚して、お子さんもいて、それもこんな近くに住んでいたなんて。

インフルエンザワクチンの接種の時にしか顔を見ないお子さんたちは5年10年経つとすっかり変わってしまいます。
「あんなに泣いていたのに、こんなに大きくなって・・・」と、お母さんの顔を見るとニコッと微笑んでくれます。
また、本人が「今年は受験なんで、2回目も受けます」なんて言っているのを見ると、
「自分も年を取るわけだよなあ」と感慨深く感じられます。

以前、家庭教師での教え子が受診してきたときにもびっくりしました。名前も変わって(結婚したから)、恰幅もよくなっていたので。

一方で変わらないもの。
うちの古参スタッフ、そして僕の理念。

2015.11.08  雨なので
日曜日、外では冷たい雨が降っています。
普段、滅多に自己主張をしない息子から、
「最後の試合だから見に来て」
と言われていたのが2週間ほど前のことでした。

小学生くらいの子供がスポーツをやっていますと、親が練習場や試合会場まで送ったりする必要があって、自然に練習風景や試合も見ることになります。
親が見ていることで張り切って活躍することもあるし、逆に空回りすることもよくあります。
しかし、中学生になれば、学校単位で移動をしたり、試合も平日に行われたりして父親はなかなか見る機会も少なくなってきます。(お母さま方は見に行けるようですが)
また、見に行く機会があっても、子供の方が嫌がってくるのも思春期の特徴ではないでしょうか。
気合の入ったお父さんであれば、仕事そっちのけで子供の追っかけをすることもあると聞いています。(特に高校野球では)


個人的には中学、高校の部活に親がいちいち顔を出したり、口を出すというのは憚られるといった印象を抱いています。それに先生も嫌がるでしょうし。
あくまでもサポートに徹する、見に行くのもこっそり。
たまに、休日に試合が組まれていて、子供には黙って見に行ったりすると、子供もよく見ているもので、

「なんで、見に来たんだよ」と言って怒ります。
「見に来たから緊張して駄目だったんだ」なんて言い訳も通用するわけで・・・。



今朝、「中止になったから」という連絡を受け、所沢までのドライブは急遽取りやめとなりました。

2015.11.03  それって矛盾?
東京モーターショーが開催されていますが、「自動運転」という技術が近い将来実用化されるらしいです。

「Fun to Drive」というキャッチフレーズもあった自動車業界で自動運転は果たして楽しいのか?
これが矛盾を感じている一つ目。

若者の車離れと言われて久しいのですが、今どきの若者は自分で運転しなくても、機械任せで目的地に勝手に運んでくれるような車を積極的に買ってしまうんでしょうか?
20歳の自分だったら絶対に買わないと思います。
しかし、70歳になったら買ってもいいかも。

自動運転と聞くと、「もしかして、飲酒しててもいいんじゃない」、「免許なんていらないじゃん」なんて考えたりもしましたが、
一応、ドライバーは何かあったときにきちんと運転できる状態であることっていうのが必須らしいのですが、その条件って、結局メーカー側は責任を負いませんっていうことでしょうね。
自動運転モードにしていて何かトラブルが起こった際に、ドライバーがすぐさま対応しなけりゃならないとなると、全く気が抜けません。
それなら最初から自分が全責任を持って運転したほうが精神的にもいいと思いますし、いっそのこと、社長のようにお抱え運転手を雇ったほうがいいかな。

自動ブレーキにも同様の意見を持っています。
ある程度まで近づいたら自動で止まってくれるというシステムですが、
「そろそろ止まるかな?」
「あれ、まだ止まらないよ」
「おいおい、このままじゃぶつかっちゃうよ」
「あっー、ぶつかったじゃないか」

「どう責任とってくれるの?」
メーカー、「最終責任はドライバーさんですよ」ってことになったら、自動ブレーキなんて必要ないってことにならないかなあ。
また、突然飛び出してきた人や障害物に対して、「自動ブレーキをつけていたんだから、避けきれなかったのはドライバーに責任ないよね」という言い訳はきかないでしょ。

また、万が一、ウイルスに感染して悪意のある人間が自動運転を乗っ取ってしまうケースだって考えられなくないと思うんですが。

今では標準装備になってきましたが、オートマ、パワステ、パワーウインドーというものは、何だか邪道、言い換えると「軟派な付属品」と思っておりました。
「あんな車を運転して楽しいのか?」って。
しかし、首都高でのクラッチ操作の面倒さから解消され、重いハンドルを回さなくても車庫入れができ、ワンタッチで助手席の窓を開けることができるようになると、あっさり考えを改めることになりました。

しかし将来、自動運転が標準装備となった場合、僕は考えを改めることができるのかどうか、いささか疑問です。

二つ目の矛盾。
「病院から在宅へ」という掛け声とともに医療制度を変えてきた現在。
しかし、在宅での介護が大変になり、介護離職が問題となると、
「介護離職ゼロ」を目標に。
そして、「介護老人施設を新設」。
老人を家に置きたいのか施設に入れたいのか、どっちやねん。

2015.11.01  芸術の秋
秋晴れの絶好の行楽日和、当初の予定では「秩父宮」
しかし、実際は芸術鑑賞。
これって、去年もこのパターンでした。
九州の片田舎から年老いた母がやってくると聞かされたのが3週間ほど前のこと。
出品した絵画を見に来る(運よく賞をいただいていました)というので、東京にいる妹と待ち合わせて美術館へ。

偉い先生の講評も直に聞くことができて、本人も大満足だったのではないでしょうか。
60の手習いで始めた趣味もいつの間にか生き甲斐となっているようで、一人で飛行機に乗って来れるくらい元気でなによりです。(妹のサポートには大変感謝しておりますが)
それにしても芸術的センスは妹だけに遺伝したようで、僕にはこれっぽっちも受け継がれませんでした。

病院時代には決してありませんでしたが、開業してからは患者さんの作品や舞台など密かに見に行くことがあります。
「見に来てくださいね」と言われたり、招待状(ハガキ)を渡されたりすることで見に行くこともありますが、診察室での会話の中で
「あっ、○月○日に発表会をやるんだな」って判明してこっそり見に行くケースもあります。

今度も誘われていますので、行ってみようかな?



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