独り言


2015.10.31  カボチャ祭り
今日は少し雨も降って肌寒い一日でした。3日ほど前の夏日が恋しくて・・・、もうあの夏の日は戻ってこないのねって。

そういえば、いつの間にか日本シリーズも終わってしまいました。
セ・パともペナントが終わればすっかり興味も失っておりましたが、スポーツ新聞やニュースなどで目にすれば、「ちょっと見てみようかな」という気にもなります。
そこで、何度かテレビの前にも座ったものの、5分と持たず消してしまう自分がいました。
やはり今の制度(CS導入)はどうもつまらん。
これはJリーグにも言えることで、年間のチャンピオンの決め方がわかりづらい、もしくは納得できないという気持ちにさせられるんですね。
ファンが楽しめる仕組みを考ようとしているのは理解できますが、仮に今年の日本シリーズがロッテvs阪神だったらと思うと・・・。
実は密かにそうなることを願っていまして、その時の世論やNPBがどう動くかを見てみたかったです。
サッカーでも年間王者が下剋上みたいな形で決まっちゃったら最多勝ち点チームのサポーターは納得できるのかなあ。

個人的には10/4にシーズンは終了。気持ちは来年に切り替えて、ホークスの優勝を願って、そして叶いました。(どう見たって、ホークスがチャンピオンに相応しいと思ったので)

そういえば、今日はハロウィンだそうで。
僕らおじさんたちには全く無縁のイベントなんですが、ここ何年かのうちに一気に市民権を得てきました。それに対しての感想など。

外国から入ってきていつの間にか市民権を得たイベントとしては、「バレンタインデー&ホワイトデー」が思い浮かびます。
日本の一地方のイベントが全国展開しているものでは「恵方巻」。
もっと古くは、「クリスマス」なんていうのも、うちの親世代ではなかった行事だったようです。

NHKのニュースにも取り上げられるくらいの盛り上がりになっているのですが、果たしてハロウィンもこの一つになっていくのでしょうか?
日本人って、換骨奪胎が上手な民族であるのは認めますが、本来の趣旨とは異なって、ただのコスプレ大会にも似たような感じがするのはそれはそれで日本らしくていいのかなあ?

ただ、このハロウィンというイベントでどうも気に入らないのが、「経済効果」という言葉をしきりに持ち出すこと。
なんでもかんでも「金」に結び付ける報道姿勢ですね。
「文化」、「お遊び」、「楽しさ」があればいいじゃない。
ここに商機を見出そう、金の臭いを嗅ぎつけて一儲けしよう、ビジネスチャンスだと焚きつける風潮には嫌な気分にさせられてしまいます。

もう一つ。ある決まった「場所」、「時間」に、「一人ではなく大勢」でしか騒げない参加者たち。
自宅からは決して仮装して行けず、現地で着替えたりメイクして、そして終わると着替えてメイクを落として自宅へ帰る。
なんだか、寂しいな。
渋谷で大勢の一般人に迷惑をかけ、警察まで動員させ、トイレを汚し、それでも楽しければ、「あとは野となれ山となれ」。
イベントとはまあ、そんなものかと諦めるほかないんでしょうね。まあ、スポーツ観戦も同じようなものですけどねえ。

あと、不謹慎かもしれませんが、このイベントがリスクになる可能性があるのではないかと思っています。
仮装したチェーンソー男が警察沙汰になったというニュースがありましたが、渋谷にISの仮装した集団、オウムの仮装した集団がいたら・・・。
本物の銃を持ち込んで仮装集団に紛れても全くわからないし、テロを起こすには格好の舞台となり得るわけで。

「君子危うきに近寄らず」という諺をふと思い出しました。

ハロウィンってディズニーリゾート内だけのイベントだと思っていた時期もありましたが、そのうち「復活祭」や「謝肉祭」も日本バージョンで広まるかも。知らんけど。

2015.10.24  冬支度
今日は天気も良く、近くの幼稚園では運動会が執り行われていたようで、まだまだ秋真っ盛りといった雰囲気です。僕も窓を開けっぱなしにして自然の空気を吸っています。
しかし、もともと秋という季節はあまり好きではないんですね。
なぜでしょう。
持病が悪化するから、台風や朝晩の寒さで。
今では滅多にそんなことはありませんが、以前は嫌でしたね。アレルゲンはブタクサだったのかなあ?

本当の理由は、日に日に寒くなるのと日の長さが短くなり気分が滅入ってしまうからなんですね。
「冬が来る前に」とか「秋の気配」なんて歌が自然に口に出てくるような季節は・・・、心寂しくなっていきます。

ダメ押しで、今週、患者さんがおせち、クリスマスケーキ、お歳暮のパンフレットを持ってきてくれた時には、
「ああ、もう今年も終わりやなあ」としみじみ感じました。
また、うちに年賀状のお知らせが来ていまして、「やっぱりおサルさんはあんまりかわいくないなあ」ってパンフレットを眺めていました。

また、秋になると休日の過ごし方も変わってきます。
春夏シーズンはスポーツ観戦、秋冬シーズンは映画鑑賞、読書というパターンがこのところ確立しつつあります。
本当は演劇や落語などにも行きたいところですが・・・、いつかデビューしたいですね。


クリニックではインフルエンザワクチンの接種も始まり、年末の院内清掃や忘年会の日程を決める時期になっています。
ワクチンに関しては、今週から本格接種となっていますが、例年は10月中には少なく11月下旬にピークを迎える傾向でしたが、今年はちょっと早めかな?
新聞紙上では、ワクチンが不足するかも?という報道もありましたが、これも回避されることになりまして一安心です。
ちなみに、僕も今日ワクチンを接種しました。(残り物で)
相変わらず痛かったです。(子供が泣いてしまうのは仕方ないと思います)



今週の出来事でちょっと焦ったこと。
それは「トイレのトラブル」に見舞われたこと。
実はこれ、2回目なんです。
まさしく、便秘状態、医学的には完全な「イレウス」ではなく、「サブイレウス」状態。
水を流した時にあふれることはなかったのですが、水位がゆっくりゆっくりと下がっていくではないですか。
これ以上、大きいほうやトイレットペーパーを流してしまうと・・・、外へあふれてしまう。(人間の体で例えると、嘔吐してしまう状況)
仕方なく、男子トイレを閉鎖して、業者へ連絡。
適切な処置によりお昼には便秘は解消しました。
出費は痛かったですが、とても助かりました。

2015.10.18  倫理観よりも
横浜の傾斜したマンションの問題が連日報道されています。
旭化成の子会社の工事担当者のデータ改ざんが根本的な原因だそうですが、問題はもっと根深いところにあるのではないかと思っています。
下請けの下請けが杜撰な事をやったので、そこに賠償やら責任を押し付ける気満々なのが透けて見えるのですが、こういうことって今回のケースだけに限らず、
日本全国、どこの企業でも起こり得るのではないかと危惧しております。


モラルハザードはどうして起こるのか?

個人の資質によるものなのか、その担当者がダメな人間だっただけなのか?

そうせざるを得ない状況がなかったのか?
(元請けからのプレッシャー、過重労働など)

物が売れない状況を打開するには、
1.    品質を強化する、より良いものを提供して他との差別化を図る、良いブランドとしての評価を獲得する。
2.    低価格路線を図る、他より安くして買ってもらえるようにする。
が考えられます。

1を目指すのは時間もお金もかかります。また、良質なものを見る目を持った良質な顧客を育てる必要も出ます。
これは一企業の努力だけでは難しく、国民性や消費者の懐具合にも影響されます。

21よりずっと簡単です。
生産コストを下げればいいんですから。
原材料を国外の安いものを使う、人件費を下げる(非正規雇用者を雇う、ぎりぎりの人員で作業をやらせる)、下請けに圧力をかけて受注額を下げさせる、など。

これをみんなでやればモノの値段はぎりぎりまで下げられますし、少しでも安くしたところが勝つという構図になります。
そうなると従業員、作業員のモチベーションがどうなるだろうか?

「多少時間やお金がかかっても、いいものを作りなさい」と言われるのと、
「品質は落とさず、ぎりぎりまで安くしろ。工期も○○までに」と言われたら。

 一回や二回は「頑張りましょう」
となるでしょうが、これからずっと、それも「もっと安く、もっと安く」とはっぱをかけられると、
「楽したい」、「もうやってられるか」といった気持ちが芽生えてくるのではないかと・・・。
世界に誇れるモノづくりの文化があると称された日本で、こういったモラルハザードによるトラブルが起こってきたことは、日本人が劣化してきたのではないかと考えさせられます。
これまでのように中国や韓国を笑えないのではないかと思うんですね。
何でも「お金」が優先されると、「モラル」の価値が低くなってしまい、今後もこのようなことが起こるんでしょう。

これも新自由主義だから仕方ないと言ってしまえば身も蓋もないのですが・・・。

2015.10.17  ただ消え去るのみ
このところ電話での問い合わせ(インフルエンザワクチンに対する)が多くて、ちょっと閉口気味。
うちは接種開始時期がほかの医療機関と比べ、ちょっと遅いみたい。
公式的には来週(19日)からとしていますが、知らずにおいでになった患者さんに対しては何食わぬ顔をして接種しておりますが。

今年も基本的には、「診療終了30分前に入っていただければ予約不要」、「ワクチンはなくなり次第終了」、「小学生以上」の3本柱です。
料金は大人4000円、小中学生は3500円、小学生の2回目は3000円としています。
料金が高くなった分、効果もアップしてくれることを願っています。


先日、うちのスタッフが薬品の在庫整理をしていますと、「最近、強ミノCがあまり減りませんね」というようなことを言っておりました。
そういわれてみると、確かに強ミノCを注射する患者さんがとみに減っています。
強ミノCというのは慢性肝炎や肝硬変の患者さんで、AST,ALTの値が高い時に投与する注射剤で、1回に60-100ml(1アンプル20ml)を週に2-3回使います。
そういう患者さんが7、8人もいれば強ミノCの消費量もかなり多くなるのですが、最近は2、3人になってしまいました。それも週に1、2回しか行わないとなれば・・・。
この理由は、そう、「C型肝炎に対する経口薬の出現」なのです。
強ミノCを使う患者さんは、
(1)肝硬変でインターフェロン治療が対象外
(2)かつてインターフェロン治療を行ったけれど、副作用や再燃により治療に行き詰っている
(3)高齢のためインターフェロンが使えない
などの理由で、あくまでも対症的に肝炎の鎮静化の必要な方でした。

B型肝炎の患者さんは若い方であればインターフェロン、そうでない方は核酸アナログ製剤(経口薬)という治療になっていますので、うちに通っているB型肝炎の患者さんは、
殆どが経口薬でコントロールされていますので、強ミノCは使用していません。
従って、強ミノCは専らC型肝炎の患者さんに対しての治療薬であったわけです。

そこに、昨年からC型肝炎の患者さんに対する治療が劇的に変化し、「インターフェロンを含む治療」から「経口薬での治療」へという流れとなりました。
そうすると、これまでインターフェロンに何らかの抵抗のあった患者さんや、インターフェロンでダメだった患者さんがこぞって経口薬への興味を示すことになりまして、
強ミノCでお茶を濁すこともなくなったというわけです。

今年出てきた経口薬の効果は95%から100%という驚異的なもので、治療期間は3か月、副作用も軽微ですから、うちの多くの患者さんもこの9月からは経口薬投与の申請を始めています。
このお薬は初期の肝硬変の患者さんにも使えますので、これまで以上に対象範囲が広がります。
今日もインターフェロン治療を拒否していた後期高齢者のC型肝炎の患者さんに、「今度のお薬はどうしますか?」と尋ねてみると、
「前向きに考えてみます」とのこと。
保健所に申請書類を取りに行くそうです。

強ミノCもインターフェロンも過去の産物となっていくのでしょうか。あと、ウルソも。(診察室のウルソ熊も心なしか寂しそうにしております)

2015.10.11  ノーベル賞ウイーク
先週は2人の日本人がノーベル賞を受賞しました。生理学・医学賞と物理学賞といった自然科学分野での受賞で、非常に喜ばしいことです。
しかし、文学賞は今回も落選。(別に応募していたわけでもないので落選という表現はおかしいのですが)
平和賞にしても文学賞にしても何だか政治的な要素が絡んでいてちょっと違和感を感じています。
それにしても、文学なんてどうやって判断するんだろう。
文化、価値観、歴史、人種、宗教などが全く異なる世界から、「今年はこの人」て選ぶ基準っていうのは、どうもわからんとです。

今回受賞された2人の方はどちらも地方の国立大学の出身だったことにもちょっと驚きでした。
バリバリのエリート大学を出て、アメリカの超有名大学の研究室に所属して受賞したのとは違って、普通の大学生にも希望を与えるようなものだったのではないでしょうか。
受賞後のコメントもよかったですね。
そういえば、今年、患者さんからスウェーデン旅行のお土産としてノーベル賞のメダルチョコをいただきまして、今もうちに置いてあります。(子供がいくつか食べましたが)

昨日の内容とも関連しますが、素晴らしい研究をしたり、発明をするためには必ずしも英語が使いこなせることが必須ではなく、専門書や教科書が母国語で読める(翻訳されている)ことが重要なのではないかと思います。
そこに英語の教科書、文献しかなければ、まず、英語を学ぶことから始めなくてはなりません。
数多くの研究者、学生が学んでいくためには原書を読むことも大事ですが、自国の言葉で書かれた(訳された)書物があれば時間も短く済むし、理解も深まることでしょう。

だったら、最初っから英語で理解できるような人間になればいいでしょって?
50年、100年かけて母国語を英語に置き換えるようなこと(教育制度を変える)をするメリットとデメリットを考えると・・・、アメリカが喜ぶだけですね。
日本人より英語が上手に使えるフィリピン、シンガポール、準公用語となっているインド、日本より早く英語教育を始めた韓国、これらの国では日本人より多くのノーベル賞受賞者がいるだろうか?
まずは、韓国の早期英語教育が成功したのか失敗したのかをきちんと検証したほうがいいと思います。

もう一つ。外国に行かなくては偉くなれない、幸せになれないという人が多くいる国は果たして幸せな国と言えるんだろうか?
自分の国で充分な教育が受けられて、仕事ができて、生活できることって実はとても幸せなんじゃないかと思っています。
留学しなければ自分の国ではまともな仕事に就けないという国は実は途上国なのでは?
自国語で専門書が読める、自国の大学できちんと学べることが分厚い中間層や知識層を育てていくことにつながると信じています。

だから、英語教育を充実させるという政策はその国の教育を発展させることではなく、グローバル企業に都合のよい人間(奴隷)を作るためのものではないかと邪推してしまうわけです。

今の知識エリートの皆さんは、英語を話せないと世界に取り残されてしまうという呪縛にかかっっているかのような発言をなされています。
日本ってアメリカに憧れるんだけど、結局追いつけなくて、いつの間にかフィリピンのような国になってしまうんじゃないかと危惧しています。シンガポールになるのもまっぴらですが。

2015.10.10  学会にて
東京で学会がありましたので、休診となった日がありました。
かなり以前から掲示をしてあったものの、当日は行き帰りの電車内、学会会場で多くの電話が鳴りましたが(当然マナーモード)ほとんど出られませんでした。(すんません)
しかし、上野東京ラインのお陰で乗り換えなしで行けたのは非常に便利でした。欲を言えば通勤時間帯にもこの直通便があれば・・・。

当日のシンポジウムでの発表を聞いての感想などをちょこっと。
僕が見に行った会場だけかもしれませんが、「発表スライドがすべて英語」という先生が何人もいて、ちょっと面食らいました。
しゃべりは当然日本語なんですが、スライドが英語なんですね。
対象や方法などが英語であっても見ればすぐにわかるのですが、結語や考察まで英語ですから読むのが大変。
まあ、ある程度は発表者がしゃべってくれるので発表自体の理解については問題ないのですが、英語力がイマイチの僕にとりましては半分くらい読んだところで次のスライドに切り替わるという、
イジメのような仕打ちでした。
1000人くらい入る会場には語学力に優れたお医者さんばかりが集まっていますので、英語スライドでも問題ないのでしょう。
また、これを海外の学会でも発表できるように最初から英文でスライドを作ったものと推測しています。ただ、会場にいるのは日本語を母国語としている人が殆どなんですけどね。
当然、日本語が多く用いられたスライドを作っている人もいましたが、こっちのほうが断然わかりやすい。

元々、僕の英語力は到底自慢できるものじゃありませんで、大学時代に英語の授業のクラス分けでABCのCに振り分けられたくらいですから。
田舎の公立校出身で受験英語だけやってきて、リスニング(当時はヒアリングって言ってた)や英会話なんて全くやっていませんでしたからねえ。
だから、外国語に対してはどこかコンプレックスというか、できれば避けたいものという感情が植え付けられています。
仕事上、英語の論文を読まざるを得ない時もありますが、これは僕にとっては苦行難行ですわ。

これは自分の努力次第で克服可能な問題であることは重々承知しておりますが、なんか最近、国際化とか、グローバル化の美名のもとに英語を全国民に押し付けようとする風潮が見受けられます。
これには個人的にいやーな感じがしてなりません。
「それはあんたのコンプレックスや僻みによるもんとちゃうか」と一蹴されるかもしれませんが、国を挙げての英語教育推進は注意が必要と思っています。

「日本人も英語くらい話せたほうがいいよね」という意見は全面的に賛成。
しかし、「公共の場では公用語を英語にしなければならない」、「大学の授業はすべて英語で行わなければならない」、「会社内では英語しか使ってはならない」
となる社会がもうすぐそこまでやってくると考えるとぞっとします。
(ただ、今の政治家も国会内や閣議ではすべて英語を使わなくてはならないというのなら興味本位でちょっと見てみたいですけど)

公用語が英語、日本語はあくまで現地語(土着民が使うような生活語)という社会は果たして幸せな社会と言えるんだろうか?
英語を使える人は社会の上層に属し、政治や経済を牛耳って、一方日本語しか使えない人は一流企業にも就職できず、底辺層、下層に追いやられるといった格差が形成されることが予想されます。
グローバル企業はまさにそれを望んでいることからも、英語特区なんていう構想は企業の視点で出てきた愚策と思っています。
英語を母国語としている外国人とは最初からハンデがあるわけで、まじめな日本人がいくら頑張ってもアメリカ人やイギリス人の上に立つことは無理だと思っています。

母国語以外の言語を習得するには本人の努力もさることながら習得するための時間、教育、お金が必要となります。
英語文化圏で生活したり留学するというのもやはり一部の恵まれた環境にいる人で、英会話教室に通うのにもお金はかかりますね。スピードラーニングも試聴用だけではだめでしょうからねえ。
結局、経済的に恵まれている階層の人が有利となり、これでますます経済格差、社会的格差が生まれると思います。


そもそも、英語さえ使えれば国際人なのか?グローバルなのか?企業人としての能力が優れているのか?研究者として優れているのか?一般常識があるといえるのか?芸術的なセンスがあるといえるのか?
など、挙げればきりがありませんが、基本的に母国語で考え、表現できることが一番重要と考えます。
母国語を捨て、英語を公用語とすることで被占領国のような気分にならないんだろうかと三木谷さんに問いたいですね。日本に住んでいながら、日本語を使えないなんて悲しいじゃないですか。

「英語を話せればいいなあ」という個人的な意思による語学習得ではなく、「英語を話せなければ不利になる」という義務にも似た理由での語学取得は日本人を不幸にしていくと思っています。


結論、「お前はもっと英語を勉強しろ」ってことですね。よう知らんけど。

2015.10.04  「総」
当初の予定では今日は最も重要な一日になるはずでしたが、先週それは泡と消えてしまいましたので、大人しく庭の草取り、洗濯、アイロンがけなどをやっておりました。

10月からは国民の生活も変わるんだと、しきりにアナウンスされていまして、その一つが「マイナンバー制度」ですね。
今週から順次、マイナンバー通知カードが送られてくるわけでして、なんだか面倒くさいなあ。
うちも一応事業者の立場として、職員のマイナンバーを教えてもらって、管理しておかなくてはなりません。
税理士さんに、「とりあえず、いつ使うことになりますか?」とお尋ねしたところ、「12月頃でしょうかねえ」というお返事。
「パソコンのエクセルに入れて、パスワードをかけておけばいいですよ」、「紙でもいいんですけど、漏洩させないようにしてくださいね(ニヤリ)」なんてアドバイスされました。

取引業者さん、行政や企業からの委託業務での金銭の授受もありますので僕のナンバーも教えることになるんですが、多くの取引をしている組織はさぞ大変な作業になることでしょう。
また、何にでもマイナンバーを活用しようとしている輩がいまして(例えばNHK)、どうも胡散臭い。
ついでに言えばポイントカードみたいにマイナンバーカードを常に持ち歩かなくてはならないような運用だけはやめてもらいたいですね。
きっと僕はどこかに落としたり、置き忘れたりすると思いますので。

このマイナンバー制度の前にはかつて住基ネットという制度がありましたが、多額の税金を使ってシステムを構築して、ほとんど役に立ちませんでした。
どうしてダメだったかの総括はしたんでしょうが、だれもその責任を取ることもなく、有耶無耶のうちに廃止されてしまいます。

もう一つ、有耶無耶のうちに何だかわからなくなってきたのが、「旧アベノミクス」。
このほど、「新三本の矢」なるものが打ち出されましたが、「旧三本の矢」の三本目の矢ってどうなってしまったんでしょうか?三本目の矢は放たれずに折れてしまったかのようですが・・・。
結局アベノミクスってうまくいったの?という総括はされずに、いつの間にか新三本の矢が現れた感じにみえます。

今度は、「一億総活躍社会」だそうです。
相変わらず空疎な言葉の羅列で評判は必ずしもよろしくないようです。
GDP600兆円、出生率1.8、介護離職ゼロ・・・、どれも実現するにはハードルが高すぎるように感じています。
あくまでも目標なので、目標は高く設定することに異論はありません。ただ、達成できる目標であれば努力するモチベーションは保てるのですが、これはどうも厳しすぎるようで。
例えば僕に、「今度の正月までに、体重を3キロ落としましょう」という目標を掲げてくれるのであれば、毎晩のお酒もやめて、毎朝公園を3周走ります。
これは頑張ればできそうだから。
しかし、「65キロにしなさい」と言われたら、
「ライザップに入会するしかないかな?」って思っちゃいますからねえ。(到底無理やから)

そもそも、「一億総なんちゃら」っていうスローガンもどうも昭和的なフレーズで、ちょっと首を傾げてしまいます。
知っているところで挙げてみると、
「一億総白痴化」、「一億総中流」、「一億総懺悔」なんて言葉が思い出されます。

国民全体が一つのスローガンのもと、ある目標に向かって行くっていうのはちと危うい気がしてなりません。
活躍できない人や活躍なんてしたくないって人は必ずいるわけで、そういう人もひっくるめて日本の国を形成しているんですけどねえ。
多様性だとか、独自性だとか、そういうものも大切にしていただきたいなあ。

「みんなが活躍する社会」というのは誰もが納得し、誰からも異論は出ない正しいメッセージだと思います。
しかし、こういった正しいこと(正義感に溢れるメッセージ)は比較的狭いコミュニティー(身内、内輪)においてならば心地よいのですが、
これを一気にすべての人に波及させようとすると、反発する者、目標を達成できない者は罰を受ける(粛清される)ことになるのではないかと考えています。
中国や北朝鮮、かつてのドイツや日本がそうであったように。

2015.10.03  残り3か月
このところ健診と検査が多くなっております。
これらの患者さんに対しましては予約枠を取っているため、症状があり早急に検査が必要と判断される患者さんの対応がちょっと大変になってきています。
大体そういう方の検査は午後に回ってもらったりしていまして、申し訳なく思っております。
これからはインフルエンザワクチンのシーズンも始まるわけで、一層タイトな外来になることでしょう。
うちは診療のすべてを予約制にしているわけではありませんので、時間帯によっては待ち時間に大きな差が出てきます。
ちなみに、今日はいつもの土曜日に比べずいぶんスムーズに流れていたように感じられました。

その中で、「朝抜きで来たので胃カメラをやってください」とおっしゃった患者さんがいましたが、さすがに土曜日は無理でした。
もともとすぐ後に予約の方がいたのと待合室に何人も待っていらっしゃったため、残念ながらお断りしちゃいました。
曜日によってはできる時もあるんですけどねえ・・・。時間にもよりますし。


今週は「癌」について考えさせられる1週間でした。
胆管癌のあの人と、うちにかかっていた方(原発性肝癌、転移性肝癌)のこと。
女優さんについては詳細はわかりませんが、「どうして腹腔鏡手術?」という疑念が拭えません。
テレビでの激ヤセした姿をみれば「これはちょっとマズいよね」という気持ちを抱いていりました。しかし、まあしょうがないですかね。
一方で、うちの患者さんに関してはちょっときつかったかな?
C型肝炎を治療してウイルスは排除できていたのに・・・、「よかったですね」と喜んでいたのに。
原発性肝癌の方は多分大丈夫でしょう、早期でしたから。
転移性の方はちょっと・・・。抗癌剤の効果に期待するしかないですが、本人は気丈な方で何とか頑張ってほしい。


巷ではピンピンコロリ信仰がもてはやされていますが、個人的には死ぬなら癌がいいと思っている人間です。
余命がある程度わかっているほうが、いろいろと準備ができるので。
遺言も残せるし、秘密のデータも処分できるし(謎?)。
小渕優子さんのようにドリルでHDに穴を開けることようなことはしないまでも、捨てたいものもあるじゃないですか。

痛い、苦しいというデメリットもありますが、いきなり死んじゃうより悔いが残らないかなあって。
残された遺族はあっという間に逝ってくれたほうが、介護の手間もかからず、金銭的にも楽なんでしょうが、
死んでいく父や母はどんなことを考えていたのか、自分たちに何を話してくれるのか、聞きたくても聞けないんですよね。


しかし、うちの家系は高血圧や高脂血症が多いようですので、どうも思い通りにはいかないかも。



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