独り言


2011.08.24  紳助
某有名司会者が電撃引退を発表しました。
最近、彼の番組は全く見ていなかったので、別に何とも感じませんでしたが、今日の新聞やらニュースなんかはこの話題で持ちっきりでした。
そんなに重大なことなのかい?
マスコミにはとってもとっても大事なことなのかもしれませんねえ。

民主党の代表選、これも困ったものです。「帯に短し襷に長し」ではありませんが・・・。
あの顔ぶれの中で本気でこの国難を背負っていこうと思っている人はいるんでしょうか?
やっぱり菅さんの方が良かった、なんてことにならなければいいんですが。
自民党をはじめ野党も具体的な対案もなく、与党を倒すことが目的になっていますので、将来が全く見えてきません。

2011.08.18 運動不足
普段、患者さんには「食事と運動」と言っている手前、自分も少し体を虐めてみましょうということで、運動療法を取り入れてみました。
子供の自転車を借りて。これが結構いいものでして、24段変則、車体は非常に軽く、乗りやすいです。
初日は、筑波大学方面へ。これは遊歩道をずーっと走ればよかったので楽でした。
公園の脇を通り、散歩やジョギングをしている人を追い抜き、すれ違い、アップダウンも大したことはなかったので、あっという間に戻ってこられました。公園でテニスをしている人を見たり、ベンチに腰掛けて持ってきた本を読んだり・・・。

翌日は、もう少し負荷をかけようっていうことで、龍ヶ崎まで足を延ばしてたつのこアリーナへ。
ひたち野うしく駅あたりまでは余裕でしたね。全く平坦な道で、非常にスムーズでしたので、
「これなら毎日でも自転車通勤できるかも・・・」って感じました。

しかし、そこからがきつかった。
下根から岡見あたりは道幅が狭くて、後ろから車が来ているかと思うと結構怖いです。
途中から、「あ、失敗した。引き返したい。」って思うようになりましたが、最後は意地みたいなもので1時間以上かかって、漸くたどり着きました。

帰りはもっときつかったですね。お尻が痛くて、膝も少し痛くなって、必死の思いで、行きの倍くらいの時間をかけて戻ってきました。
プールに行ってきたかのように焼けてます。日ごろの運動不足を身にしみて感じさせられた1日でした。


済生会まで毎日自転車通勤している先生のこと、改めて尊敬します。


高校野球も残すところ2日だけになってしまいました。
ここまでくれば面白さも半減です。
やはり3回戦くらいまでが盛り上がります。準々は2日間に分けたのは失敗だと思うんですけどねえ・・・。
1日目に試合をしたチームが日程的にはやはり有利になると思われます。
準々の2日目は準決勝、決勝まで行くと3連投、1日目だと準決勝前に中1日のインターバルがありますので、決勝までは2連投と、
夏の炎天下の戦いではこれは有利でしょう。
それ以上に、昔ながらの準々決勝のワクワク感が損なわれてしまった気がしています。
朝早くから夕方6時過ぎまで、一番面白いとされている準々決勝を4試合見られるという贅沢が奪われてしまったためでしょうか?

2011.08.15  夏休み中につき
「今日、やってますか?」という電話を何件も頂戴しました。一番早かったのが、AM4:40。
おいおい。
何事かと思いましたよ。

今年は実家には帰りませんでした。
今回は日程的にちょっときつかったからですが、それというのが14日(昨日ですが)の専門医の更新に義務付けられている教育講演会への出席だったわけです。
都営地下鉄(メトロって言うんですか)を乗り継いで、永田町まで。その後は子供と待ち合わせしていた湯島天神へ。
湯島へは初めて行きましたが、とても小さな神社でしたね。それにしても暑かったです。
この日は荷物を持っているし、服も一応ちゃんとした格好でしたから熱中症になりそうでした。
近くに東大があるので話の種に赤門でも見に行こうって行ったのが間違いだったかも。
安田講堂も見たし、沢山の東大生も見ました。(当たり前だけど)
タクシーに乗りたかったけど、子供に拒否されて、渋々メトロに乗って後楽園へ。降りたら広島-巨人戦のお客さんと合流してまた死にそうになって・・・。
ホテルでシャワーを浴びたら漸く生き返りました。

2011.08.06  今日は何の日
夏休みまであと1週間。
先週あたりは涼しい日もありましたが、今週は大分蒸し暑くなっています。
待合室は相変わらず28度にしていますが、やはり暑いみたいです。
来週からは少し設定温度を下げたほうがいいかも。

今日は86日。
小学校の時は登校日だったです。(821日も登校日)
広島出身ではないけど、この日は平和授業をやっていました。
815日ではありません)
校長先生のお話を聞いて、黙祷して・・・、午前中で帰ります。
各教室に帰ってからはどんな授業を受けたのかはもう思い出すことはできません。
しかし、86日という日には何かこう特別な思いがありました。
一方、815日は正午の甲子園のサイレンの音としての記憶ですね。

最近の学校では、戦時中の話っていうのはおじいちゃんやおばあちゃんにお話を聞いておくように、なんてことでお茶を濁すしかないし、その祖父母も近くにはいないので、戦争というほんの60-70年前のことは歴史の教科書でしか学ぶことが出来なくなってしまいました。
うちの子供にとっても第二次世界大戦っていうのは遠い昔のどこか遠くのよその国で起こった不幸な出来事という認識でしかないようです。

そもそも「平和授業」ってなんだったんでしょう。
全国的なものだと思っていたのですが・・・。
自分は日教組が強い(?)といわれている県の生まれですので、たまたまそういう環境にいたのかもしれません。社会科の授業では成田闘争、道徳の授業では同和問題なんて扱っていました。同和なんてこっちの人には全く馴染みのない話だったみたいで、自分のほうがびっくりしました。

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