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メインものいふ骸骨 その8


多摩川サイクリングロード
0709
0710
0722
インドアグリーン
3連休の最終日
SRXに手を入れる
緩和医療1
緩和医療2
青空の下でお昼を食べる
緩和医療3
ありがとうございました.また会いましょう.

2006年07月01日

多摩川サイクリングロード

優勝するだろうと思っていたアルゼンチンがPK戦の末、ドイツに負けてしまった.やはり開催国は強い.
ブラジルのサッカーがつまらなくなってしまった今大会、唯一芸術的なプレーをしていたアルゼンチンが姿を消したのは痛い.リケルメ、次回も見たいものだが..

昼過ぎからぶらっと出かけた.
のんびり走るはずが、雨に逆上し、徹底的に走り込んできた.狛江のあたりで多摩サイに乗り、ひたすら北上、関戸橋でUターンし、川崎の大師まで行った.今回はすべて左岸走行.二子多摩川手前から丸子橋までは最悪の道だった.前回も思ったのだが、あれはサイクリングロードじゃないよ.
結構疲れた.SPDシューズ買おう.

走行時間5時間、走行距離89km.  

2006年07月09日

0709

昨日、多摩川サイクリングロードを走ったため、今日は休養日.
図書館でCDを借りてきた.最近はまりつつあるクラッシックと、1968-1974のベスト選書.拓郎やウィークエンド、猫、ビリーバンバンに加え、天知真理や浅田美代子、キャンディーズなども入っている.和洋中華ごった煮感がなかなかよろしい.  

2006年07月10日

0710

自転車通勤する気力もなく、SRXで大学へ行く.
ここ1年ぐらいあまり手をかけてあげていないので、異音が凄い.
私のバイクに近づいた人が気づく順に

1.リアサスのゴムがとれているので、走るたびにカンカンと鈴のような音がする−参年物
2.エンジンが暖まっても一向に止まないタペット音(ホントにそう?)−四年物
3.クラッチを繋ぎ、アクセルを回すと鳴るギギギ音(クラッチ?不明)−弐年物

参年物の鈴音は害はないが、残りはちょっと困ったものだ.

そういえば、先週、音もなくメーターケーブルが切れた.
ストックの新物を取り付け、事なきを得たが、やっぱり一度手を入れるべきかなあ.メンテ中、蚊に刺されるのが、嫌なんだよなあ.  

2006年07月22日

0722

パーティーがあったため、日本橋のマンダリンオリエンタルホテルへ行く.
料理は美味しかったが、ふだん質素なものを食べているおれの胃には高級すぎた.
あれはフランス料理というやつだ.すべての料理にまどろっこしいソースがかかり、素材がなんだかわからない.翌朝、たいてい胃がもたれる.

昔から「スーツを着て、ワインを手にフランス料理をいただく」のは好みじゃなかったが、このところその度合が強くなってきているようだ.昨日はノータイにジーンズで参加した.それでも、胃はもたれた.

朽ち落ちそうな昭和の定食屋にはよだれをタラして入っていき、大衆料理に満足する.ジーンズにTシャツ着て、定食屋でビールを飲むのが一番楽しい.もちろん、緑豊かなレストランで、パスタなど食べるのも良い.

スペインやイタリアの裏通りにあるようなこぢんまりとしたB級レストランの感覚がやっぱり一番なじむのだ.

2006年07月28日

インドアグリーン

今日は夏休みを取った.
SRXに乗って個人的な雑用をこなした.
オートバイの用品・部品購入が一番の目的だが、ナップスの近くに園芸センターを見つけたので、テーブルヤシとハーブの苗を二つ買ってきた.

4人で暮らすにはちょっと狭い気もするマンションの部屋を見渡してみる.ここには5年前に引っ越してきた.年は重ねたけど、ほとんど何も増えていない.
そんな中、明らかに増えたものは観葉植物だ.
ホームページで紹介しているポトスとパキラ、ペペロニアはいまだ健在で、さらに大きくなっている.ポトスはいったい何鉢あるんだろうか?残念ながらベンジャミンとジャックと豆の木は一年持たなかったが、代わりにアジアンタムとスパシフィラムが頑張っている.

観葉植物に関しては苦節5年.今年になってようやく育て方が少しわかってきた気がする.部屋の中に緑があるのは本当に気持ちが良い.
猫好きな僕としては、あと猫が一匹いれば、完全なインドア派になってしまうに違いない.  

2006年07月30日

3連休の最終日

夏休み第1弾が終了した.

昨日も渋谷で買い物をした.自転車駐輪場→生地屋→ハンズ→西村フルーツパーラー→駐輪場のコースで、オートバイのシート生地、渡邊美樹の本、革用の針、ベランダの手すり用プランターケースを買った.15年前に買ったカルティエの財布がボロボロになったため(当然か)、ポーターの財布を買った(いや妻に買ってもらったが正解).
夜は早速シートを張り替えた.

今日は朝からSRXのメンテ三昧だ.バッテリー充電、プラグ交換、チェーン注油、グリップゴムの交換、張り替えたシートの装着、洗車、ワックス掛け、ちょこっとピカールで磨き、一昨日塗り替えたグリップエンドの装着..
3時から駒沢公園に行き、自転車の練習をした.人が多く、あまり練習にはならなかったが、いい汗がかけた.走行21キロ.

休日となると、ベランダ関係、観葉植物関係の手入れに時間がかかり、結局出かけるのは午後になってしまうのが、今の悩みである.

西村フルーツパーラーの季節の果物盛り合わせは美味しかった.桃、スイカ、スモモ、巨峰、苺.桃は今年初だ.  

2006年08月03日

SRXに手を入れる

夏が来て少し自由な時間を持てるようになったため、延ばし延ばしになっていたSRXの手入れの続きをすることにした.

今日はときどき手入れをお願いしている墨田区のバイクショップへ行き、整備の相談をした.
一番気になっていたアクセルを開いたときの異音はチェーンが原因だろうということになり、チェーン、前後のスプロケを交換することにした.
チェーンはいつも純正を使っていたが、今回はDIDの520VMというXリングのものにした.防錆と美しさからシルバーメッキを選択した.

ちょっと前から、フロントフォークOHの必要性も感じていたが、左からややオイルがにじみ出してきたので、今回これも行うこととした.
ちょっと意外だったのは、3万キロ時に交換したステムベアリング.ショップの人の話ではすでにガタが来ているらしい.これも交換となった.たった2万キロしか走っていないのに残念である.締め付けトルクの管理が悪かったためだろうか.

とりあえず以上の整備に必要な部品を注文し、揃ったところで、入庫となる予定だ.

まだまだ、手を入れたい点はある.
前後のディスクプレート.
あちこち目立つさびの処理.

これらはもっと先になることだろう.

とりあえず、秋の信州ソロツーリングに向け、必要な整備をがっちりしていきたい.  

2006年08月08日

緩和医療

人はいつか必ず死を迎える.
その時、人は何を望むのだろうか?

初診外来患者の問診票が、再診患者のカルテに混じって僕の診察予定ボックスに入っていた.
主訴は「不眠」だった.
公的病院の内科外来.平均80人の外来患者の診察をしなくてはならない.
レジデント上がりといっても良い程度の臨床経験と甘い砂糖のような人生経験しかない当時の僕(たしか28歳だった)にとって、緊張を強いられる疾患を隠し持った患者さんが怒濤のごとくなだれ込む野戦病院は、つねに能力の限界との勝負だった.

そんな状況下で来た不眠患者.
眠れないのなら、心療内科か精神科に行って欲しいなあ、心の中で舌打ちをしながら問診票に目を通しつつ、患者さんを呼んだ.
そこには、実力はないのに、少しばかりの経験から自分の器を錯覚した若かりし頃の僕がいた.

患者さんは異様にやせ細った30代の女性.がっちりした男性が隣にいた.
これは摂食障害かうつ病だな.甲状腺機能亢進や副腎不全など内分泌疾患を否定したら、精神科依頼の方向も考えないと..とっさに僕は考えた.

しかし、話を聞くうちに疑問が湧いてきた.
不眠の訴えは、どうやら身の置き所がないために起こっており、身の置き所のなさは呼吸困難と関係しているように見えたからである.
ひょっとしたら、進行性呼吸不全による呼吸困難が不眠を起こしているのか?若い女性だし、かなりやせているところを見ると肺高血圧か?いずれにせよ、これはかなりヤバイ疾患かも知れないぞ.

一気に緊張が走り、患者さんの診察をすることにした.
「まさか..」
そこには、呼吸器疾患でも、内分泌でも、ましてや摂食障害でもない別の疾患が明らかな形で横たわっていた.

ほっそりとした患者さんのお腹を触るとゴリっとした腫瘤が触れたのだ.
胃癌?しかも明らかな進行癌だ..
自分の顔色が変わりそうになるのがわかった.
僕は努めて平静を装いながら、お腹の痛みや食欲はありますか?と、聞いた.
その時彼女がどう答えたのか全く覚えていない.
しかし、その時僕は「この人は自分のお腹に悪いものができていることを感じて居るんだな.それもずっと以前から..それを医者に指摘されるのが怖くて、不眠を主訴に来院したに違いない.」と確信した.

予約で混み合っている内視鏡検査に彼女を強引にねじ込み、僕自身が検査したのは翌週の月曜日だった.
検査を始めた僕はふたたび愕然とした.
食道にびっしりカンジダが付着していたのだ.その先、胃はスキラス癌によってがちがちに硬化していた.
初診の印象通り、彼女の状態がきわめて悪いことが証明された.

僕は彼女に入院を強く勧め(もちろんこの段階での告知はしていない)、彼女はあっさり応じ、すぐ入院の運びとなった.  

2006年08月15日

緩和医療2

入院後、高校の先輩でもある外科医にコンサルトしたが、「うーん、どう考えても手術適応はないよ」と、あっさり断られた.
残る手段は化学療法.
たまたま、前年に大学病院で経験した症例は、劇的な抗腫瘍効果を示し、職場復帰まで持って行けたものの、当時、胃癌の化学療法はまだ手探りの状態で、効果はほとんどないと言ってもいいような状態だった.

理想的には、癌の告知→治療法およびその結果、副作用の十分な説明→患者さんサイドによる治療法の選択をするべきである.
しかし、彼女に運命を告げることは残酷すぎるよう思われた.それまで、主治医として過ごした時間が余りに短かったのだ.彼女の性格もまだつかめていない.社会的側面や障害事項の把握もできていない.

そこで、警察官だというご主人を呼び、治療法、告知などいくつかの重大事項について、話し合うことにした.職業柄か、彼は全く自分の意見を述べず、ぽつりとすべて先生にお任せすると言った.

食事がとれず、急激な勢いで衰弱していく彼女に時間はない.すぐさま、彼女に治療の説明をし、翌日から強力な治療が始まった.
癌と抗癌剤による多くの不快な、耐え難い症状が彼女に襲いかかっているはずだった.しかし、気丈な彼女から一回もそのような訴えはなかった.耐えることが癌に勝つことと考えている節もあるように見えたが、そのことについてお互い話すことはできなかった.
彼女が胃癌であることに気づいているだろうという確信はあったが、癌という言葉自体僕と彼女の間ではタブーになっていたのだ.

化学療法が終わってからも、僕の心の中に充実感はなかった.
彼女が発するあらゆる医学的所見は癌の進行を示唆していた.
治療判定の結果は、やはり「効果なし、癌の進行」だった.

体力の回復を待って、別の化学療法をする必要があると考えていた矢先、小康状態を保っていた呼吸困難が出現した.
癌性リンパ管症.
癌による呼吸器障害である.
呼吸困難ー窒息の恐怖まで彼女に襲いかかったのだ.

すかさず酸素投与を行った.
一時的に小康状態になったものの、癌細胞はどんどん彼女の肺をむしばみ、ふたたび呼吸困難に苦しむようになった.
対症療法的に酸素を投与するしか(もちろん最も効果的で必要な治療だが)、治療の手だてがなかったのだ.

呼吸困難は痛み同様、もっとも苦しい症状だ.どんどん進行する呼吸困難と戦う彼女を前に僕は次の一手を打つべきか思い悩んでいた.  

2006年08月27日

青空の下でお昼を食べる

2泊3日の家族旅行から帰ったのが昨日だった.
週明けからの仕事に備え疲れを取るつもりだったが、リフレッシュしたSRXの感触を再確認すべく、エンジンに火を入れた.

レインボーブリッジ経由で湾岸に出、東へ向かった.お台場方面の道路は大渋滞しており、車はほとんど動いていなかった.お台場の面白いところは混んでいる道路と、空いている道路の差が激しいことだ.

湾岸道路をひた走り、新木場で食料を調達し、若洲海浜公園に行った.
釣りを楽しむ人達を見ながら(釣果はほとんどないようだった)、青空の下、昼食を楽しんだ.
園内を少し散歩したあとは、お台場に戻り結構好きな暁埠頭公園へ.ここにも多くの釣り人がいたが、やはり釣果はないようだった.

ステムベアリング交換やフロントフォークOHの感触を味わうため、わざと左折小回りや急制動など試してみたが、いずれも挙動は安定しており、駆動系の大切さをふたたび実感できた.
 

2006年08月30日

緩和医療3

たった15年ほど前ではあるが、医療を取り巻く状況は現在と大きく異なっていた.

呼吸困難を訴える患者さんの苦しみを取る方法はほとんど知られていなかった.酸素を投与し、どうしても苦しがるときは意識レベルを落とし、場合によっては人工呼吸器管理などという考え方が比較的普通に受け入れられていた.
図書館で本を探しても、苦痛を緩和する方法について十分に解説した本はほとんど探せなかったし、緩和医療という考え方も一般的ではなかった.

積極的な治療を打ち切り、苦痛を取る治療に移行することは医師にとっても抵抗あることだったし、患者さんやその家族から見れば「病院に見放された」という意識が強かったのだ.

系統的かつ論理的な呼吸困難に対する管理法の確立は不十分だったが、呼吸困難感に対してモルヒネが苦痛を減弱することは比較的知られていた.
癌性リンパ管症の進行は早く、予後は週単位から日単位となる.残り少ない日々を少しでも穏やかに過ごして欲しい、その思いから僕はモルヒネを使うことにした.

Sさんは横になることもできないようだった.
冷や汗をかき、苦痛の表情を浮かべている彼女に、僕はモルヒネを使用したいこと、その場合呼吸困難は軽減されること、ただし副作用として幻覚、嘔気、便秘、呼吸抑制などがあることを説明し、彼女の答えを待った.

「今は使いたくありません」
彼女が発した言葉はそれだけだった.たぶん、それ以上言いたいことはたくさんあったのだろうが、呼吸困難ゆえ言えなかったのだろう.

病気に負けたくない.まだ諦めたくない.ここで頑張れば奇跡が起こるかも知れない.
どんどん進行する呼吸困難と闘っている気丈な彼女の全身からそんな言葉を感じ取った.

僕は夫を呼び、モルヒネ使用について話しをした.
はじめは抵抗していた彼も、最後には苦痛が進行するようなら使用したいと言うようになった.もう、日が変わろうとしていた.戦場のような、しかしありふれた一日が終わり、24時間以上ぶっ通し勤務で僕はくたくたに疲れていた.10歳上の内科当直医に患者さんの状態を申し送ったあと、患者さんからの訴えがあるようなら、モルヒネをすぐに使ってください.用法はすでに看護婦に指示してあります.と、付け加え病院を後にした.

翌朝、Sさんを診るため、いつもより早く病棟に行くと、夜勤の若い看護婦が全員僕のところにやってきた.
「先生、A先生ひどいんです.Sさんが苦痛を取る麻薬を使用してくれと言っているのに、家族に対して、そんなことをすると呼吸が止まって死んでしまう可能性がある.それでも良いのか.と、家族に怒るんです.で、御家族も困ってしまって結局なにもしていないんです.」
僕がSさんの部屋に駆け込むと、昨夜よりずっと消耗したSさんがそこにいた.
すぐに僕はモルヒネによる呼吸苦の緩和療法を開始した.やがて彼女の顔から苦痛が徐々にとれて、柔らかい感じになってきた.
その日は土曜日の初診外来があった.外来の合間、病棟から、だいぶ落ち着いており、意識もはっきりしているとの報告を受けた.
外来が終わり病棟に上がると、Sさんは目を閉じベッドに横になっていた.呼吸状態が悪い印象は受けたが、表情に苦痛はさほど感じられなかった.
血圧や尿量などは落ち着いており、すぐに何か起こるような状況とは思えなかった.

あと数日かなあ.モルヒネが著効し、できるだけ長く穏やかな時間を過ごしてくれればいいんだけど.いずれにしても、あとは患者さんの状態を見ながらモルヒネの量を決めていけばいい.苦痛を取るためには量にこだわる必要はないのだ.

しかし、彼女はその数時間後に亡くなってしまった.
僕は最期を看取ることすらできなかった.
自分がSさんになしえたことはほとんどなかった.申し訳ない気持ちと深い敗北感だけが残った.

あれから十余年.患者さん側の意識のみならず医療従事者の考えも変わり、緩和療法は大きく進歩した.
末期患者さんを苦しめる多くの症状にたいして、どのようにアプローチすればいいのか研究され、かなり充実した管理ができるようになった.しっかりとした教科書が多数出版され、それを読めば経験がさほどなくても、患者さんの末期苦痛をかなり取ることができる.
呼吸苦を取るには、酸素投与による十分な酸素化に加え、モルヒネ投与、さらに抗不安薬や抗うつ薬を加えることにより、不安や恐怖を軽減することができる.ステロイドを併用することにより、苦痛はさらに軽減される.
多くの医師が、緩和療法に切り替えることは決して敗北ではなく、患者さんにとって有意義なものというパラダイムシフトを受け入れることができたことも大きい.個々医師の経験や哲学に大きく任されていた末期患者との良好な医師患者関係を構築するための方法についても一定の方向性が示され、かなりの効果を上げてきている.

素晴らしいことだと思う.
緩和療法に限らず、この10年本当に医療は進歩した.その進歩のほとんどは患者さんの利益に繋がっている.

今、Sさんと出会っていればどのような治療をしただろうか?
残念ながら癌性リンパ管炎に対する治療の進歩はほとんど見られていない.未だ、我々が戦える相手ではないのだ.
しかし、それによる苦痛を取る方法はかなり自信を持って行うことができる気がする.

人は必ずいつか死を迎える.
それは案外身近なことかもしれない.
人の死生観は多種多様だが、どんな患者さんにも末期苦痛が緩和される権利があると、僕は考えている.つい数日前の新聞に「緩和療法普及のため専門家講習を強力に推し進める」方針が明らかにされた.
病気による死は怖いことだが、肉体的な苦痛は恐れる必要がない時代がもうそこまできている. 

2006年08月31日

ありがとうございました.また会いましょう.

2001年9月1日からスタートした「街で楽しむアウトドアのページ」も、おかげさまで無事5年間続けることができました.

サイトの基本方針に記載したとおり、5年を区切りとして、このページをいったん閉めようと思います.

少しばかりのお休みをいただいたあと、ホームページの手入れをポツポツやっていきます.新しい内容をアップすることはできませんが、リンク切れや誤記載など、もう一回ちゃんと書き直す予定です.

しばらくしたら、また再開すると思います.
更新意欲を残しながらの閉鎖なので、再開は案外すぐかも知れません(が、未定です.スイマセン).
内容の方向性は少し変わるかも知れませんが、30代半ばぐらいから、自分に向いているものがわかったので、大きな変化はないと思います.
キーワードは、やっぱりSRX、自転車、山、渓流、緑化、ジャズ、読書、散歩ですね.
好き嫌いをはっきり言いすぎるサイト(M岡談)との評判ですので、すこしトーンダウンしようかな(高校時代の仲間内では僕が一番穏やかだよなあ、M岡?)とも考えています.

それでは、またお会いしましょう.
みなさん、よきオートバイライフを!  

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