東欧4ケ国の旅 Bratislava…Part2
(2005.11.4)


旧市街 フラヴネ−広場へ





フラヴネ−広場へ向かうツア−の集団






フラヴネ−広場


時計塔の右横一帯(樹木の裏側)がフラヴネ−広場です。

石畳の美しい街並み、商店街に華麗さはないが活気があり、またスロバキァの人は体格が良く道行く人々も颯爽とした感じを受けました。

左奥に旧市庁舎の塔が見えます。








フラヴネ−広場の土産物店のショウウインドウより







旧市庁舎 
(旧市庁舎の前、一帯がフラヴネ−広場)


ゴシック・バロック様式の2塔からできているというがその区別が判りませんでした。;

スロバキアで最も古い公共建築物で1338年の建設当初はゴシック様式だったが15世紀に周囲の建物と合わせられ1733年の火災の後一部バロック様式で改築されたようです。

旧市庁舎は、現在、市立歴史博物館として公開されております、中庭がかなり広く、一部補修工事中で資材等が持ち込まれ雑然としていました。夏のシ−ズンは土産物店の出店や、野外のレストランのテ−ブルがびっしり並び賑わうようです。


ゴシック・バロック様式とは

ゴシックとは12〜15世紀に盛んに取り入れられた様式で天に伸びるように建てられ縦のラインを強調した様式(パリのノ−トルダム寺院など)のようです。

一方バロック様式とは16〜18世紀初頭にヨ−ロッパで広まった芸術様式でドラマチックな効果をねらった誇張のある表現方法や、過剰な装飾を特徴としたものと言われています(バチカンのサンピェトロ寺院など)。








中庭から時計塔を撮影



聖フランシスコ教会





大司教とは

ロ−マカトリック教会の位階のひとつ、司教は「使徒たち」の後継者とみなされ、司祭団と助祭団のサポートを受けながら、各地の地域教会を指導した。

また、他の地域の司教とともに、教会全体の指導に責任を持ち、司教会議(シノドス)や公会議に参加、キリスト教の教義の形成に重要な役割を果たした。

地理的、政治的、文化的に重要な諸地域の司教は、大司教、総大司教という栄誉を与えられた。

6世紀以降になると、ロ−マ司教は教皇の称号を得て、全キリスト教会を指導するようになる。

司教(Bishop)は教区を管轄するが、大司教は複数の教区からなる管区(教会管区)を管轄する(場合によっては「大司教区」を管轄していることもある)。

プリマティア大司教宮殿

1778〜81年に建設されたものでエステルゴムの大司教が冬の宮殿として使った,フランス・クラシック様式の堂々たる建物で装飾がすばらしいかった。下半分がカメラに収まりません。






プリマティア大司教宮殿


日本大使館


2002年開館した日本大使館。以前はチェコ大使館が兼轄していたらしい。

日本とスロバキアとの親交はこの大使館の設立により、これから深まって行くのではないでしょうか。

国旗の上に菊のご紋章がありました。







スロバキャ国立劇場


ドナウ川と平行している大通りのトラムが走る横に堂々とそびえるバロック宮殿風の劇場は、1884〜86年にかけて建てられたもので、オペラやバレエが上演されているとのこと、ここでしばらく劇場を背景にしたりの撮影タイムのあとプラチスラバ城へ向かいました。






見つめる君(正式な名前?)


添乗員がみつめる君と呼称してました(何かで見たことのある写真です、こんなところにあったのです)、このようなおどけたモニュメントが街のところどころで見かけることができる楽しい街なのです。








ハンビと娘?





女性消防士の像






プラチスラバ城







プラチスラバ城の丘より



ドナウの向こうは新市街地として発展しているようです




プラチスラバ城の丘より



オ−ストリアの国境はすぐそこ、ドナウ川の対岸から約3kmです




プラチスラバ城の丘より




あっという間に周りは薄暗くなり雲間から太陽の光が漏れきらきらと輝くドナウ川が神秘的でした


さようならプラチスラバ




2005.11.4プラチスラバ中央駅に12;25分到着して数時間でしたが雄大な山岳の懐に抱かれて生きている誇り高く心の温かいスロバキアの人々にも接することができました。

 さようならプラチスラバ…11月4日午後3時50分バスはハンガリ−へ向けて出発です


スロバキャ語なら   Chau Chau(チャオチャオ)
  
フラヴネ−広場に抜ける通りの風景
 





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