東欧4ケ国;旅の記憶 Budapestその1の1
(2005.11.4)

ハンガリ− 首都ブタペスト
ハンガリーの総人口は1030万人は日本の国土の四分の一(北海道の約1.1倍)程度の広さ、アルプス、カルパチア、ディナルアルプスなどの山脈に囲まれた盆地で、東部には国土の約半分の大平原が広がっています。


北から国土を横断するように流れるドナウ川沿いには『ドナウの真珠』と呼ばれ世界で最も美しい町の一つと称えられる首都ブタベスト(国内の真ん中辺りの最北端にある)が位置しています。


9世紀末マジャール人(アジア系)が定着、11世紀初め王国を建設、 1989年ハンガリー人民共和国からハンガリー共和国に国名が変更されています。





国旗の意味/赤は愛国の血を、白は国民の清潔な心を、緑は将来への希望を表すとされているようです。


首都ブタベスト


ドナウの真珠と呼ばれる美しい街、首都ブタベストは人口176万人で町の中心を流れるドナウ川を境に歴史的建造物の多い西河畔ブダ地区と商工業のペスト地区からなります。

通貨は200(Ft)フォリント=100円前後、姓が先で名前が後はヨ−ロッパではハンガリ−だけのようです。

元々アジア系遊牧民族の血が流れているための名残のようです。

ハンガリ−の首都ブタペストに向けてスロバキァの首都プラチスラバをスタ−トしたのは11/4の15:30頃です、すっかり乗り慣れたチャ−タ−したバスに揺られての約190km約3時間のブタペストへ向けての旅でした。

バスの窓外の風景も延々と田園が続くだけでみなさん疲れているのかほとんどこっくりさんでした。ハンガリの首都ブタペストに到着したのは夕食の予定時間をやや過ぎ19:00頃だつたと思います。






ドナウの真珠ブタベストでの夕食


そのままCSARDAというレストランへ直行しました、入り口を撮影したのですが腕が悪くてネオンしか写りませんでした。

メインデッシュは日本人の口に合うという、ハンガリ−のホ−ムパ−ティの定番、グヤ−シュというとチキン入りのパブリカス−プとパンケ−キを楽しみました。

食事中にヴァィオリンやギタ−で盛り上げてくれたりで、いつの間にかパチリでBUDAPESTの文字が入った陶器の皿に写真が、お値段は2,000Fr(約1000円)でしたが現地通貨の手持ち無く日本円で1000円札でOKでした。ご商売がお上手ですね。

夕刻19;00から楽しみ、ホテルへ戻ったのは21;00頃だった。





記念撮影

コリンシァグランドホテル ロイヤル

ホテルはガイドブックにも紹介されているが、入るとすぐ大階段が目に留まり19世紀末にオ−プンし戦後しばらく休業、修復され2002年に再オ−プンしてまだ日が浅く、新築同様の香りが残る客室数414室の天井までの吹き抜けを三つも持つ豪華な大型ホテルです(2泊)。


市内中心部へ徒歩圏の東部に位置しているとても便利なところでした。スタッフの印象も良く部屋も広く洗面所も清潔で豪華でした。

到着してすぐ日本円で5,000円を10,000Frに両替した、ロビ−も朝食のレストランも素敵でした。日本円に換算するには現地の価格が1,000Frなら1/2の500円と何でも半分程度が目安でした。

部屋のカ−ドKey?

ウィ−ンでもそうでしたが、渡されたカ−ドをドアに差し込んで施錠を解除して入室することになっているが出たり入ったしている内に、反応しなくなってしまったのです。

早速フロントに行きカ−ドが反応しない旨手振り身振りで説明するも、相手に通じません?弱りました、数分してから、これならどうかと添乗員の部屋の番号を控えていましたので英語でル−ムナンバ−413をフォ−ワンスリ−手振りで電話してくださいとお願いしたのです。

すぐOKで、添乗員に繋がりました。どんな立派なホテルでも時折あることでカ−ドの磁気が薄れてくるそうです。


new Key PLeaseといえば新しいのを作成してくれるとのこと、ワン?ツ−?当初から1枚だつたのでワンPleaseで簡単に済みました。

ウィ−ンでも同じ体験をしたので今度は自力でフロントに行きnew Key PLeaseといいましたら、すんなりとokで再作成完了です。

部屋に戻りnew keyでドァを開けようとしていたころ添乗員さんが駆けつけてくれました。





何棟かの建物が連結しているかなり大きなホテルです
翌朝向かいの道路から撮影しました。







レストラン入り口





今日11/5はいよいよ ドナウの真珠と言われる首都ブタペストの観光の日です。

6:30  モ−ニングコ−ル
7:00   朝 食
8:00  ホテル前スタ−ト

です。いつもなら20分前頃にはホテルに横付けされる例のチャ−タしたバスがどうしたのか、到着していないのです。

現地のガイドvillanyiさんが何か携帯電話でいらいらしながら話しているが、どうも出発時間を間違えたようです。

ホテルからスタ−トして最初の目的地はゲッレ−ルト温泉でしたが、急遽予定を変更して行程外のリスト音楽院、並びにハンガリ−国立劇場(オペラ座)などがあるアンドラシ−通りを散策しながらクサリ橋方向に向かうことになりました。

オペラ座前の地下鉄に降りて見せてくれたりとガイドさんもかなりあせってサ−ビスしていました、オペラ座前の地下鉄構内を見学したり、オペラ座辺りを撮影したりしていた頃と記憶していますが遅れているバスが到着しました、

ガイドは怒っていましたが、運転は確かで私たちは少し位予定が狂っても安全に帰国できることが一番ですので結果オ−ライでした。

バス乗車→王宮の丘→ゲッレ−ルト温泉→昼食→解散→フリ−タイム→18:30ホテルロビ−集合→夕食→20:30〜21:30ドナウ川クル−ズ



ホテルの向かいの風景とホテルの前を通り過ぎるトラムです










早熟の天才ピアニスト、リスト

宿泊したホテルを出て右方向に150mほど歩いて一つ目の交差点の左向かいにあるリスト音楽院です、

左の画像は近くのリスト広場のリスト像です、オーストリア国境に近いハンガリ−のショプロン市近郊のライディングに生まれたリストは、早熟の天才ピアニストであり、10歳の時に国を離れたため、ハンガリー語が話せなかったと言われています。

パリでデビューした彼は、若き天才ピアニストとして社交界の花形となり、ショパンとも交友を深めました。

その後ドイツとイタリアに拠点を構えるが、晩年はハンガリーに戻り、ブダペストで祖国のために尽くしました。

王立音楽院の初代学長に就任して音楽教育に身を捧げたということです。

この音楽院からバルトークやコダーイが巣立ち、世界的に有名な多くの天才と言われる音楽家を生みだしたそうです。

日本でも良く知られているリストとコダ−イの記念館もこの通りにあり、左の建物はその作曲家コダ−イの記念館でアルヒ−フです。

作曲家コダ−イについてネットで調べましたがハ−リ・ヤ−ノシュという作曲で知られており大作曲家だったんですね、リストは知ってましたが勉強になりました。









リスト音楽院(ガイドBook)

アンドラ−シ通り
(市内で最も美しい通り)…

ホテルの玄関を出て右に300m程度行くと間もなく2つ目の十字路に出るが目の前に東西に伸びているアンドラ−シ通りと云う大きな通りに出ます、左折して間もなくするとオペラ座が向かい側に見えてきます。

1872年に完成した2.3kmの大通りで時の外相アンドラ−シ伯爵によって造られたとのことです。

彼は1868年にパリを見てブタペストの都市計画を思い立ち、5階建ての大きな家を建てて町並みを揃えました。

その整然とした景観は今日も保たれ国立歌劇場や大使館の並ぶ市内で最も美しい通りとなりました。





ハンガリ−国立劇場

美しいアンドラシ―通りを一層美しく華を添えているのがのオペラ座、19世紀後半に建設されたネオ・ルネッサンス様式の華麗な建物で、設計はイシュトヴァ−ン大聖堂に関わったイブル・ミクロ−シュです。

正面入り口の両脇にリストと初代芸術監督で作曲家エルケルの彫像があります。

内部の見学は出来ませんでしたがヨ−ロッパに数多くのオペラ座がありますが、ウィ-ンより規模は少し小さいがこれほど美しく華麗な劇場は珍しく一人でブタペストに滞在することの多かった后妃エリザベ−トはよくお忍びでやってきていたそうです


入り口の左の壁の彫刻





地下鉄見学

オペラ座のすぐ前に地下鉄の入り口があり、チヨット見学;各駅共通の駅のプレ−ト→OPERA駅右の画像はオペラ座の向かいの通りの風景です。




地下鉄駅のプレ−ト
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