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東欧4ケ国;旅の思い出 

Prahaプラハその1の2(2005.11.3)




プラハ
城その2


その1の1でも触れてますとおり、帰国して城の案内図やら写真の整理をしていて気が付いたのですが我々が入った門は庭園のある北門のようでした。

聖ヴィ−ト大聖堂の威容さに思考力もどこえやら目に付くものを手当たり次第に撮影;ガイドさんの説明もところどころ耳に入る程度です。

駄目ですね、今回は反省しています。

でももう2度と来れないかも知れないプラハ、細かい建物の由来や歴史を長々とガイドしてもらうより:その分できるだけガイドブックなどに出てくる撮影ポイントに案内してもらい、簡単な説明を受けた方がどんなにかうれしかったかもと思う私です。

正門が撮れなかったのは残念だった;こんど若しも間違って再び訪れたら絶対に見逃せないポイントとして忘れないであろう。

プラハとブタペストはもしも来れる機会があるのら是非再び訪れたい都市と思います






コ−ル噴水



北門から入り第二中庭に出ると広場に出ますが、コ−ル噴水(1686)が先ず目に付きました。

楕円形の突き出た聖十字礼拝堂も立派なものでした。

右隣に実際大統領が執務中の公邸が続いております。



聖赤十字礼拝堂と大統領公邸(右側部分) 






コ−ル噴水



聖ヴィ−ト大聖堂

第二中庭から第三中庭に抜けると威容を誇る聖ヴィ−ト大聖堂が現れました。左の写真は西側の正門です。

プラハ場内の最大の見所です、その堂々たる姿は城の外郭となる建物群から遥かに抜きん出ておりました。

900年の初頭に円形の教会が建てられたのが始まりで、11世紀にロマネスク様式に全面的に立て替えられその後、現在のゴシック様式に立て替えられたのは14世紀カレル4世の時代でフランスの建築家により東側の8つの礼拝堂が完成したとのことです。

その後ドイツの建築家が生涯かけて東側の半分を完成、1929年に完成したもので西側正面の2塔(工事中でした)は82m、南側の塔は96.5mもあるそうです、広場の一番端まで行き撮影しましたが大きすぎて入りきりませんでした。

城壁で囲まれた広い敷地内はボヘミア地区のカトリックの総本山でもあり、一般市民が集う大聖堂が,城の中にある教会、これが国王の庇護の元に発展していったボヘミアの教会の特徴ということでした。



聖ブィ−ト大聖堂西側正門 


南門の前で記念撮影

;konica Lexio70で撮影したものをスキャナで取り込みました。右が黄金の扉;その隣のかなりの数の十字の尖塔も見事なものでした。右側に旧王宮の赤い屋根が少し見えています。


聖ヴィ−ト大聖堂南門



聖ヴィ−ト大聖堂南門


黄金の扉(南門の右の下の部分)

聖ヴィ−ト大聖堂の威容さに仰天

南門の左の部分です、人間と比較すると威容さが推定できるかと思います。

当然国民からの税金で建築したと
すれば約1000年もかけてこんなどデカイものを建てる必要があったのかと不思議に思います。

もしかしましたら信者からの寄付だったのかも知れません、それにしてもすごい投資だと思います。






聖ヴィ−ト大聖堂内の撮影許可証;



30コルナ=約150円です。このチケツトは用途に応じてシ−ルを貼るようになっているようで;カメラのシ−ルが逆さまでした。








聖ヴィ−ト大聖堂ステンドガラス絵


20世紀初頭に建設された西側廊内には左右に6つの礼拝堂があり;そのいくつかの礼拝堂のステンドガラス絵ですがとても綺麗なものでした。

200万画素のデジカメでフラッシユ無しのスピ−ド優先1/30 F2.8で挑戦したものですが何とか撮れていましたのでホ−ッでした。

その中でも左3つのうちの一番奥の礼拝堂の窓のガラス絵『聖キリルと聖メトディウス』はチェコが誇る世界的な画家ムハ(ミュシャ)による作で、最大の見物になっていて巨大なステンドグラスの前で誰もが長々と見入っていた。

キリルとメトディウスはギリシア出身の兄弟で863年頃ボヘミアへやってきてキリスト教を伝えプシェミスル王家の人々に洗礼を施した聖者だということだ。

ムハによって描かれた傑作とのことです。残りの作品も20世紀初頭に描かれたア−ルヌ−ヴォ芸術家たちの作品だということです。




『聖キリルと聖メトディウス』ムハの作品













右の門を通って聖イ−ジ教会のある広場へ




聖イ−ジ教会

…1142年に火災に遭い、再建されたものだがプラハではもっとも美しく保存の良いロマネスク建築で、二つの白い塔は正面から見ると太さが違うが右の太いのをアダム;細い方をイブと呼ばれているようです。現在は美術館になっていました。




ロブコヴィツ宮殿


撮影した道のりから辿り歴史博物館(ロブコヴィツ宮殿)で農機具や古い家具、祭壇、楽器などが保管され展示されている建物の門と思います




左が黒塔とダリポルカ塔


案内図を見ながら撮影した道のりから辿り左が黒塔(12世紀に建てられたもので借金を抱えた人の牢獄だったが現在はカフェ−)とダリポルカ塔(15世紀に建てられた牢獄、北ボヘミアの騎士ダリボルは農民の反乱に加担したため捕らえられ、ここに監禁されヴァイオリンで悲しげ曲を弾き人々の同情を誘ったが結局処刑された。

その後彼の生涯がオペラとしても上演されているそうです。

右が東門かなと思います:間違っていましたらごめんなさい。


黄金の小路

黄金の小道は,15世紀末に建設されたプラハ城を守る城壁に沿った100mほどの路地で、黄金の小道の北側に並ぶ家々は城壁の壁を家の壁として利用しており,繋がっている。

15軒ほどのカラフルな家が保存されているが;ルドルフ2世お抱えの錬金術師たちがここで不老長寿の秘薬を作っていたとか、金箔職人が住み着いていたとか云われていることからこの名で呼ばれているようです。

青い壁の家は今から90年前ころフランツ・カフカ(1884〜1924 当時はオーストリア・ハンガリー二重帝国の都市であったプラハに、ユダヤ系商人ヘルマン・カフカとその妻ユーリエの間の長子として生まれた世界的に知られる小説家)が仕事場として使用したということです。



黄金の小路通過券(二人分で100コルナ=約500円…実物の0..7倍)







ガイドブックなどで説明の17番の薄い青色の家と左は18番です



22番のカフカの家の左は23番で
城壁の上に出る階段がついていました




カフカが仕事場としていたと云う22番の青い家は、
今ではカフカの文学館のような小さな本屋さんで、
彼の本や写真、城の地図などが売られていました。




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