イタリアの旅 その5 ロ−マ編
 
2000.12.2(土)6日目〜12.4(月)8日目まで




ロ−マ(Roma)




『ロ−マは一日にして成らず』という名言を少し調べて見ました。スペインの作家セルバンテスの代表作であるドンキホ−テは有名ですが、その中にこの言葉が使われたとのことです。

古代ロ−マ時代、初期キリスト教時代、ルネッサンス時代、バロック時代、そして近世から現代へと連綿として首都として続いてきた重厚な都市で、人口は約270万人でフランスのパリやスペインのマドリッドなどと並び、ヨーロッパを代表する観光都市として親しまれています。

また、イタリアの首都であり政治や経済や文化の中心地的存在であるとともにカトリック教会の中枢でもあります。

現在ロ−マ市の片隅のヴァチカン市国(世界で最小の国で教皇が住むカトリツクの総本山の宗教国家です)にはサンピェトロ大聖堂というカトリックの大本山があり、信者は世界に10億人と言われています。


☆ロ−マ初日『2000.12.2(土)』



『ロ−マはとても天候が良く18度C位かしら?コ−トがいらない程、コロッセオそして少し石段を登ってフォロロマ−ノを見る、その後コロッセ前で全員の記念撮影でした。

観光用の馬車と羽飾りを付けた剣闘士が数人(スパルタカスの世界みたい)、あこがれの五つ星ホテルへ!公園に隣接した美しいホテル。

内部の装飾、ホテルマンの接客等本当に心から楽しめるホテルです。朝食時にも進んでカメラのシャッタ−をおしてくれたりで、3Fのバルコニ−付きのお部屋(椅子が2つにテ−ブルもおいてある)、到着の日は暗かったので公園の緑は良くみえなかった。

昼食はペンネアラピァ−タ(ケチャップか、ミ−トソ−スの赤いパスタ?)、夕食は中華、久しぶりの白飯とチャ−ハン他、清酒を注文したら久しく待たされてほんの少し出てくる。』⇒家内のメモ

イタリアで日本酒、在庫がなかったのかも?昼食の後、ロ−マの三越店に案内されお買い物

『ママは、パシュミナスト−ル、パパは、PFEILのサイフと小銭入れ、Total約35,000円、空港で20%の免税で返還受ける、時間がなく大忙しで走り回る』⇒家内のメモ


☆ロ−マ2日目『2000.12.3(日)』



『今日はオプションを入れなかったので9時までゆっくりぐっすりと眠る。

初めて熟睡した感じです。10時少し前に朝食を摂りに、パン、ミルク、ハム、チ−ズ、果物、どれもとても美味しい!ジュ−スやコ−ヒ−・紅茶でゆっくりと食事をする。

綺麗なウェトレスにスナップを写してもらう、朝日と共にボルゲ−ゼ公園の広大なロケ−ション、緑が心地良い。

ホテルで切り身のお魚(タラ?)と白いパスタ(オリ−ブ油と香辛のみ)とサラダの昼食後お友達になったIさんご夫婦とホテルよりタクシ−でスペイン広場へ人出の多いのに驚くとともに貴重品に気をつけながらの観光とシヨッピング。

午後2時から5時までスペイン広場周辺でシヨッピング、パパのセ−タ−、ママのショ−ルダバック(黒)等のシヨッピング。ここはブランドのシヨップが軒並み。

バックと靴屋さんでIさんご夫婦に会うが又別れてシヨップへ。

BARに入ってカプチ−ノを飲んだ、通りで可愛いらしいピッコロちゃん(子供)と遭い、抱っこさせてもらって楽しむ』⇒家内のメモ

カンツォ−ネと名物料理の夕べ(ロ−マ2日目の夜のオプション)

『女性二人とギタ−の男性一人、初めてなので楽しかったが食事は美味しいとはいえなかった。ガイドの方がやさしい方だった』⇒家内のメモ


☆ロ−マ3日目『2000.12.4(月)』




『ホテル発10時〜午後3時まで自由時間、今日もIさんご夫婦とヴァチカンへ。

タクシ−利用、ヴァチカンの本屋さん(本屋さんが沢山ある)でカレンダほや絵ハガキを買う、そしてピノキオのTシャツ2枚(赤と黒)も。

昼食はヴァチカン市国の橋を渡ったところで中華(注文するのに通じなくて大変だった)、ロ−マ発の機中で皮のキ−ホルダ−3個とジョ−ジ・ジエンセンの2000年ペンダントをショッピンク゜』⇒家内のメモ






トレ−ヴィの泉



高さ26m幅20mロ−マ最大の噴水ですが30年の歳月を経て1762年に完成したものです。

ポ−リ公の宮殿の背後の壁面の彫刻を見事に利用した、大噴水『トレ−ヴィの泉』人又人で見えないが、大勢の人の前が池になっており、コインを投げ入れる姿で一杯でした。

観光客の頭で遮られて池を入れて写せません。

国は違っても同じですね、ヤンチャ盛りの御茶目なイタリアの男の子、大観衆の前でおどけている可愛らしい様子に、ついシヤッタ−を切りました。

御両親も何か叫んで(気をつけなさいなさいと云っているのだと思います?)おりました。















観光客で溢れていました



大噴水『トレ−ヴィの泉』の右端のBackに写っている茶色のビルの前の広場と横の通路も、歩くのも大変、人、人で一杯でした。











スペイン広場



スペイン広場は映画オ−ドリ・ヘップパ−ン主演『ロ−マの休日』で一躍有名になった広場であり、スペイン広場の呼称は広場に面してフランス大使館などがありこのように呼ばれるようになって来たようです。

2つの鐘楼がある教会と石段が似合います。

ここも凄い人でいっぱいでした。ビルとビルの間の斜面に沢山の人また人、スペイン広場の階段です。








コロッセ−オ


コロッセ−オがある限りロ−マがある。コロッセ−オが崩壊する時、ロ−マは滅びる。

ロ−マが滅びるとき世界は滅びる。』という、中世のイギリスの神学者であり、歴史家のベ−ダの有名なロ−マ讃歌は、コロッセ−オの存在を表現している名言です。

周囲527m高さ57mこの驚くべき建物は紀元80年頃に完成した円形闘技場で約7万人前後の観客を収容できたようで、中央は猛獣の檻などがあった地下室になっているようです。







コロッコンスタンティヌスの凱旋門



セオの隣にあり、コンスタンティヌスがマクセンティウス帝との戦いに勝った記念に建造、幅25.7m、高さ21m、奥行き7.4mという堂々たるものです。

装飾は古い凱旋門のパネルや像をリサイクルしたようです。

主な部分はフォロ・ロマーノにあるセウェルス帝凱旋門をモデルに、上部にある4つの像と中央のアーチの内側やサイドにある4角形のパネルはトラヤヌス帝の凱旋門より、その他のもハドリアヌス帝の凱旋門から剥がしてきたものとか?。

パリにある凱旋門はこの凱旋門がモデルになったということです。上がデジカメ、右はバカチョンカメラよりスキャナで取り込んだもの、露出オ−バ−かな?滋賀にお住まいのNさんご夫婦とも仲良くなり記念の1枚でした。









フォロ・ロマ−ノ



ロ−マの街のど真ん中にボッカリ開いた古代空間その遺跡群を呼称している。

古代ロ−マのほぼ全時代を通じ、政治、経済、宗教の中心地だったため数々の建造物が建ち並んでいたが、大火やゲルマン人の侵入などにより荒廃してしまった。

1803年にやっと発掘が始まり、現在の姿になったようです。右端の三本柱と屋根の遺跡はヴェスタ神殿。








アントニウスの神殿前を通過するフォロ・ロマ−ノを一周する観光の客馬車











ヴァチカン市国



ヴァチカン市国は世界で最小の国、カトリック教の総本山でもあリ、東西1,2km、南北1kmほどの小さな国、中には放送局、造幣局、天文台や学校もあるそうです。

バチカンの城壁内に居住している人は800人程度のようです。そしてバチカン市民のほとんどは聖職者です。

教皇庁で働く聖職者以外の一般職員は3000人にものぼるが、彼らのほとんどは市国外に居住し、そこから通勤している。

またスイス人衛兵もバチカン市民である。衛兵の宿舎は市国内にあるが、市国外に住居を持って通勤している衛兵もいます。

ローマとの境界はすべて塀で囲まれています。

古代ローマの時代この丘には皇帝ネロの競技場があった。その皇帝ネロによって競技場で磔刑になったのが聖ペテロであった。 

聖ペテロの遺体は競技場のそばに葬られた。200年後その墓の上にコンスタンティヌス帝によって大聖堂が建てられました。

その後老朽化してユリウス2世によって16世紀初めに再建されたのが聖ペテロ大聖堂(サンピエトロ大聖堂)だそうです。

ヴァチカンは1377年以降ローマ教皇の居住地となっており、1929年イタリア政府と最終的な決着がつきヴァチカン市国という独立国家となりました。




周囲がこのような厚い壁で囲まれている






サン・ピェトロ大聖堂(ヴァチカン市国)前にて



ヴイットリオ・エマヌエ−レ2世橋から


大聖堂のあるサン・ピエトロ広場を東へ数百m移動するとテヴェレ川を横断する、すばらしい彫刻をいくつも施した綺麗な橋に差し掛かりました。

ヴイットリオ・エマヌエ−レ2世橋というらしい、橋からの眺望が綺麗で今でも強烈に焼き付いています。

左手にサンタジェロ城とサンタジェロ橋が美しく川面に映えていました。

又イタリアのプロのカメラマンらしい人が2人で構図を決めながら真剣に撮影しておりました。

左下の写真は左手、西方向を撮影、橋の彫刻像の陰の左手奥にサン・ピエトロ大聖堂の丸い屋根がかすかに写っていました。












コンドッティ通り

2000.12.3(日)ラッキ−だ、ロ−マの休日である、高級ブランドショップのグッチ;ルイ・ヴィトン:カルチェ:ジョジオ・アルマ−ニ;セリ−ヌ;エルメスなど世界のブランドの店が21軒も並ぶ通りを散策



左も右も同じ場所の画像



昼と夕暮れの違いです。

この画像の左がスペイン広場、右がコンドッティ通りです。

バカチョンからスキャナで取り込んだので画像の色彩が変化してます。

この画像の右が高級ブランドショップが並ぶコンドッティ通りで、左が坂になっていて石段のある、有名なスペイン広場があります。

写真の手前にバルカッチャの船の形を噴水があります。おんぼろ船という意味らしい、市内を流れるテヴェレ川をワインの運搬に使用された船を意味しているらしい。

中央に見える塔は『聖母マリアのオペリスク』







バルカッチャの船の形の噴水、カメラを向けている人がいます









可愛い赤ちゃん、だっこさせてもらつた。感激、トテモ素敵な思い出になった!!







HERMES(エルメス)の前で記念撮影、12月だというのに暖かだった。






カンツォ−ネと名物料理の夕べ(ロ−マ2日目の夜のオプション)


女性二人の歌手とギタ−の男性一人の3名でサンタルチアなど馴染みの歌も、我々のツア−の他のツア−の方や若い一般客もいたりでアンコ−ル、アンコ−ルで最後は踊りはじめた人も、楽しく結構盛り上がったと思います。

食事が良かったら言うことなしだったのに、でもよかったよ(*^_^*)。




レストラン LA TORRE前にて









あこがれの五つ星ホテル【右角】

GRAND HOTEL PARKO DEI PRINCIPI

外観は五つ星ホテルとは?と思ったが内装・設備・調度品・職員の応対どれもすごいさすがでした!(^^)!








お友達になったNさんの奥さんと


ロ−マにて宿泊のホテルパルコ・ディ・プリンチピ前(右側がホテル;正面の入り口は右方向、広大なボルゲ−ゼ公園に隣接した閑静なところでした)







2000.12.4(月)夕方、ホテルロビ−にてロ−マ空港への出発時間を待つ








チヨット一息です



添乗員さんと記念の1枚















さようならはイタリア語で


Arrivederci(アリヴェデルチ)、
一度も使わなかった!(^^)!

            10年後二人とも元気だったら是非もう一度お訪れたい国でした。


                 イタリアのみなさんありがとう。







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