イタリアの旅 その2ヴェネツィア編   

      2000.11.29(水)3日目





『7:30朝食 昨日は食べにくいものまでお皿に盛ったが、少し慣れ美味しい朝食、食卓の白いクロスか印象的でした(スタ−ホテル2泊目)、ミラノ発8:30分』⇒家内のメモ







ヴェネツィア(Venezia)


ヴェネツィアは人口は約450万人でヴェネス州の州都である、人口33万人水の都、ヴェネツィア(veniceべニスとも呼称し、都市は魚の形に見えます)は街そのものが海の中で運河が縦横に張り巡らされ橋で繋がった街であり、118の島と島々の間には150の運河、400以上の橋で繋がれており、いずれもア−チ状の美しい橋であります。


足として水上路線バスのヴァポレットとタクシ−船のモトスカ−フィ−、自家用のモ−タ−ボ−ト等が走っているが、ところところでの運河ではゴンドラがいまも昔ながらの渡し舟の役割をしているのが見られました、でも今はほとんどが観光用として運航されています。

過っては海上に浮かぶ孤島であったが150年前にイタリア本土(ヴェネス州のメストレ駅)との間(ベェネツィアはサンタルチア駅)に鉄道が敷かれました、その後に自動車用道路のリベルタ橋(全長3800m)も架けられ、イタリア本土との往来は容易になりました。


ヴェネツィア本島内は自動車(含む自転車)での移動は禁止されていて、車はリベルタ橋を渡ってすぐの所にある「ローマ広場」の駐車場に置いて島内を徒歩か船舶で移動することになります。

都市のなかには約800の教会、加えて数多くの美術館や公共の古い建物などがあり海の中の街だけに湿度は高いがしかし余りベトつかず爽快のようです。

建物の土台は海の底に太い木の杭が何千本、何万本と打ち込まれており、しっかりと堅固な建物を支えています。








Lido島




宿泊先はこの島のホテルでした。ヴェネチェアの東方に横たわる細長い島で、リゾ−ト地として、また映画祭の会場として世界に知られるようになりました。映画『ベニスに死す』や『旅情』主演キャサリン・ヘップパ−ンの舞台にもなりました。

『○○○ レジデンスというホテル、ここはきっと数日間滞在型のホテルと思う、キッチンに食卓と2部屋に分かれ広かったが、おっちゃんこ、のシャワ−風呂には笑ってしまう、通路やロビ−も薄暗く、ボ−イ(イタリア人じゃない?)も応対が悪かった、1泊でよかったわ!!朝食もあまり美味しいとは言えなかったなあ、

思わぬ事故

朝食後メガネ破損!!』⇒と家内のメモは簡単に書いていましたが,実は大変なことだったのです

特に薄暗かったエレベ−タ−ホ−ルで顔面を障害物にぶつけ、その衝撃で瞼のあたり腫れ、レンズは破損しなかったが、枠が変形、添乗員の事故証明書で帰国後損害保険で補てんしてもらい新品を購入する、お陰で大した怪我ではなく腫れもすぐ引いたが、この事故でしばらくの間、機嫌を損ねてしまう、

エレベ−タ−ホ−ルで何で急いでいたか、私のミスが原因だった、ケガをさせてとても可哀想だった、謝りきれる問題ではないが、本当に心からすまないと思っている。後遺症や傷の跡が残るような怪我でなかったことが幸いでした。

でもこれからの人生、イタリアの旅を思い出す度、一生すまないことをしたと思うであろう、レンズが破損していたら大怪我だったかも知れないと思うと身震いがします。

Murano島

観光はできなかったが、ヴェネチェアの北方に浮かぶ島で13世紀にガラスの製法が伝わり以来ヴェネチェアングラスの伝統と技を守り続けてきたガラス工芸の工房や専門店が多い島。












サン・マルコ広場と教会

…世界でも数本の指に入る美しい広場の一つと言われています。

ほぼ矩形の広場は海側から右手にサンマルコ教会、中央に鐘塔(高さ97m),広場の他の3方面は列柱廊のある建物で囲まれており、教会に向かって左の建物は16世紀、右手の建物は17世紀はじめの建築のようです。

教会は聖マルコの聖遺体を祀るためにつくられたもので、その後の火災や、補修で現在の建物は11世紀から17世紀にかけて建造・改修されたようです。

東洋的な丸屋根が独特の美しさを持ち、ミラノのDuomom(聖堂)もそうでしたが30m位かそれ以上か?とにかく天井が高くその天井にも彫刻やら直接描いたという絵画があるわけで内部は又荘厳そのもので天井や壁の全面を金モザイクで飾られ、12世紀の頃に造られたといわれる床モザイクが今もかなり残っていました。

何百年も前に良くもこんな工事が出来たものです。中央奥の一段と高いところに主祭壇があり聖マルコの遺骸が納められているそうです。内部は撮影禁止でした。

記念に『サン・マルコ広場の近くでショッピンク゜、ベネチァングラスのプロ−チ(ムラ−ノ白と花瓶ブル−)を購入、昼食はイカ墨パスタ、水とワインを別料金でオ−ダ−』⇒家内のメモ

サン・マルコ教会全景




案内のガイドBookより;サン・マルコ教会全景、右手は鐘楼(高さ97m)





ロ−マ-市街のレストランで使用していたものを購入


家内のメモにもあるように旅行中、食事の都度、ワインをオ−ダ−していたので良くワインを飲みました。

ワインの話が出ましたので、ロ−マでのことです。上の陶器はロ−マのレストランでワインは飲み放題で、この容器で出してくれました。

旅行者の中に店主と会話できる方がおり、この容器、気に入ったので記念に売って欲しいと頼んだら、OK。

日本円で1000円というので買ったが、割れないように持ち帰るのが大変だった。お店の名前、アドレス、電話番号が入っている、これを見るとイタリア&ワインを思い出す。画像は裏と表。









鐘楼



三角の塔サン・マルコ広場の鐘楼、そのすぐ右がサン・マルコ教会(丸い塔が数個見えます)





拡大画像






冠水

…秋、冬は霧が出やすく満潮時には、特に正午から午後2時位までサン・マルコ広場をはじめいくつかの通りが浸水する事があり広場にも万が一のため、下の写真のように左手前の男性の陰になっている部分から斜め上に置かれているベンチ(高さ50cm幅1m長さ2m程度の木製)のようなものです。

浸水の時に、この上を歩くためのものだそうです。広場のあちこちにありました。

そのような事態になるとサンマルコ教会も一階は完全に浸水(床から4〜50cmあたりに浸水の跡があった)するとの事です。

実は大した事はなかったが今朝まで浸水していて、先ほど海水が引いたところだと言う事でした確かにまだ乾いていない部分がありました。広場にもところどころ海水がまだ残っていました。

サンマルコ教会の右横(海岸側より)の方向から撮影したものです。右横に柱が4本写っている建物は統領宮殿。









サンマルコ教会全景の左端の部分、中央の尖塔は
時計塔で15世紀の頃の建物で2人の黒人が
鐘を鳴らす仕掛けになっているようです。


サンマルコ教会全景の中央より
やや左寄りの部分


ベネチァングラスの加工場拡大画像






溜息橋



溜息橋(前方の高い位置にある渡り廊下のような橋、サン・マルコ教会の裏の運河に架かっている囚人が渡ったという、旅の記念の撮影スポット)










サン・ジョル・マッジョ−レ教会

り−ド島の水上バス乗り場より早朝に撮影、対岸に見えるのはサン・ジョル・マッジョ−レ教会(16世紀に建造)、鐘楼(18世紀)があり、海からのサンマルコ広場の風景にそっくりです。





水上バスと左手はサン・ジョル・マッジョ−レ教会




リ−ド島ともお別れの朝・水上バスに車が乗りこむ風景





ゴラドラクル−ズ



先頭が私、次に家内、暗い中、『狭い運河をギシギシと30分程度、両脇の家のレンガと壁シェクスピ−アの時代に戻ったようで楽しかったと』⇒家内のメモ、とても印象に残ったようです。

同乗された方たちも愉快だった。プロの方が撮影(購入したもの)。


サンタ・マリア・デラ・サル−テ教会


大運河が終 わるサル−テ岬に建つ、巨大な円蓋に覆われたヴェネチアン・バロック建築の傑作、17世紀にぺストの終焉を記念して聖母マリアにささげられた教会なそうです。







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