イタリアの旅2000・11/27〜12/5 |
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イタリアの旅 その1 ミラノ編 2000.11.28(火曜日)2日目 |
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家内のメモ 帰国してパンフレットやら資料を整理していましたら、同行の家内が折に触れ、旅行社より戴いたスケジュ−ルなどが入っているガイドBookに沢山のメモがありました。 その中よりいくつか家内のメモとして挿入しています。忘れていたり気が付かなかったことなどもあり大変ありがたいメモでした。 人生の一区切り 今回は40数年のサラリ−マン生活に区切りをつける記念すべき海外の旅でした。 会社での研修や視察などでアメリカの主要都市ニュ−ヨ−ク;ボストン;ワシントン;ナイアガラのあるパッファロ−;サンフランシスコ;ロスアンゼルス;ラスべガス;ハワイ;カナダのウイスラ−;香港;ロッキ−山脈周辺の主要なスキ−場などを幸いにも縁があり、お訪れていました。 家内とは過去にはシンガポ−ルとクアラルンプ−ルに行っただけであり;40年間お互いお疲れさんという人生のひと区切りである期待のイタリアの旅でもありました。 飛行機内ではよく食べよく飲んだ 『 成田出発して1時間位でティ−タイム(ワインとコ−ヒ−)昼食は和食、その後又ティ−タイム、夕食も和食、乗り換えたKL1631機でハムとワイン乗り換え時間を含め16時間良く飲み、よく食べました。』⇒家内のメモ 2000・11・27成田発12:40発でアムステルダム空港(オランダ)着現地時間16:40(日本時間▲8時間)12時間の飛行時間でしたが更に乗り継ぎミラノ空港到着20:10通算16時間で無事ヨ−ロツパの大地にしっかりとおりたちました。 第一日目はミラノ空港到着後、チエックインするまでに結構かかり、遅かったので荷ほどきも早々にお風呂に入り、二人ともぐっすりでした。 零下数10度はあろうかと思われる凍りついた数千m級がずらりと並ぶシベリアの険しい山岳地帯を遥か遠くに見下ろしながら一挙に大横断の飛行でした。 ヨ−ロツパの教会は歴史のある都市のシンボルとして建設されているものほど、莫大な費用と職人の数を動員して建てられました。 ゴシック様式の天まで届きそうな尖塔、広大な内部、天井の絵画、特大の祭壇、などスケ−ルの大きさとイタリアの古代の積年の伝統的な歴史に圧倒される素敵な9日間でありました。 定年後はじめての海外にイタリアを選択し良かったと思っています。これからも機会をつくり他のヨ−ロッパの都市を旅したいという夢が膨らみました。 イタリアは人口5700万人で国土面積30万ku(日本の約38万ku)です。人口は日本の半分以下で面積は85%ですので、ゆったりと暮らしているように感じました。 アムステルダム空港(オランダ)到着 『成田からここまで12時間の飛行、ここで△8時間、現地時間16:40分に合わせる』⇒家内のメモ |
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アムステルダム空港(オランダ) |
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アムステルダム空港内の2FのBARより撮影 (銀塩カメラでの撮影写真よりスキャナでコピ−) |
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アムステルダム空港の2階のBAR 『アムステルダム空港の2階のBARでビ−ルとコ−ヒで一息付く、手洗いがトイレッタと書いてあり判りやすかった、自由行動30分後の集合てした。 61番ウイングが遠く判りにくかった』⇒家内のメモ、でも見かけた顔がチラリホラリと、迷わず辿り着けました。 PCを始めて6ケ月、デジカメも購入して数ケ月、操作方法も良く理解できない状態での撮影でした。 撮影ポイントの建物など勉強不足というか、深く考えていなかったのでHPに載せられるような画像が少なく反省しきりです。 屋内の照明の無い薄くらい場所でのものはほとんど駄目でした、性能のこともあるのでしょう。 画像はデジカメDimage2300(ミノルタ);200万画素で撮影のものと一部ポケットカメラ(konika-Lexio70)で撮影のものをスキャナ(NEC-MultiReader1260U)で取り込んでいます。 |
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ミラノ(Milano) 人口150万のイタリア第2の都市がミラノであり又古代ロ−マ以来の歴史都市でありDuomoやレオナルド・ダ・ヴィンチで知られる美術の都でもあると言われています。 イタリアの工業都市ではあるが工場群は郊外にあり市内ではその感じは全くありませんでした。 イタリアはその都市の権力と富みの表徴としてDuomo(教会)の建設に莫大な資金と年月(100年当たり前)を費やし完成させたものが多く長くても2〜3年で完成させる我が国の建築物とは比較の仕様がありません。 『ホテルの土地に段差があるのか、ロビ−は0階、食事は1階(実際は2階)、お部屋は2階(これが3階となる)、慣れない階で戸惑う。 ホテルロビ−9時集合、バスにてドゥオモ、スカラ座、ガッレリ−アなど観光、昼食はレストランで黄色いサフランのリゾット、ワインとサラダでした。 午後はフオックスタウンのアウトレットのフェラガモのお店でキ−ホルダ−やスカ−フをおみやげに、買い物を楽しむ。 夕食はレストランで午後7時より、賑やかで大勢の人が来るお店で繁盛しているようです。 入り口から奥まで満席で(3つくらいの段差のある部屋)中段の1番手前に座席でした。 ワイン(赤)ボトルでオ−ダ−、ミラノ風鳥肉のカツレツでした、パパは鳥が駄目でパスタに変更しましたが、どちらもあまり食べなかったので、添乗員さんに頼み、夜食にナマハムとチ−ズを別料金でテイクアウトしてもらいました。 スイスとの国境、アルプス山脈 『 フオックスタウンからスイスの雪のアルプス山脈が霞んで見えたのがとても美しかった。 旅は始まったばかり、フェラガモのお店で少しだけにして、大きな買い物はしなかった、タウンのBARでカプチ−ノをオ−ダ−して一休みしました。 帰りにNaturaleウォタ−3本、これ以降毎日水の買い物、帰りは少し眠る』⇒奥方のメモ。 免税店での買い物というよりスイスの国境まで来れたことが思い出になりそうでとても嬉しかった イタリアのホテルなどの建築物は1Fが0階で2Fは3Fとなるようで家内にも説明してあげ納得、ナマハムとチ−ズをホテルで食べたがとても美味しかったこと忘れられません。 こんなことが意外と思い出に残るんですね。 また湖をカメラに収めようとしたが、木々の間から見えたり隠れたり、シヤッタ−チャンスを逃してしまいました。 スイスの国境に位置する免税店、フォクスタウンに行く途中湖の側に建つ小集落が綺麗でメルヘンチックでした』⇒家内のメモ ⇒にも印象に残ったと記されていました。 |
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イタリアならトラム&バス |
ビジネス街のモニュメント |
Milano・Douomo イタリア最大のゴシック建築Milano・Douomo;すごい迫力でした 尖塔の数135彫刻像2245体が外部に飾られており正に圧巻であります、 高さ108m正面部分が完成したのは着工から400年以上も経った19世紀はじめとの事158の階段又はエレベ−タ−でミラノの街並みとスイスのアルプス山脈が一望できるようですが昇る機会はありませんでした。 世界各国からの観光客で賑わっていましたがそのスケ−ルの大きさに驚くばかりで建物が大きくてどのようにカメラに収めるか大変でした。 英国人かな?どこかの国の立派な品のよさそうな老紳士が三脚を立てて、カメラに収める構図を慎重に操作していたのが印象的でした。 |
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この画像は銀塩カメラで撮影したものをスキャナで取りこみました |
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Milano・Douomo前にて |
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ヴイット−リオ・エマヌエ−レ二世ガッレリ−ア …Duomo広場の左手に大きなア−チの開口部を見せた大ア−ケド(ガッレリ−ア)で十字型に交差する道路がガラス張りの高い屋根に覆われています。私も見上げて凄いな−、とつい声が出たのですが! イタリアの旅で誰もが感動する建築物の一つ言われています。完成は1877年、道の両側にはブテイック、レストラン、カフェ等が並び歩けない程の人どおりでいっぱいであり、duomoと並ぶミラノの名所と言われています。天井のガラス張りのア−ケドは見事なものでした。 |
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左がガッレリ−ア右がMilano・Douomo |
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Milano・ガッレリ−ア(広大な天井のガラス) |
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Milano・ガッレリ−ア内の人通りMilano・ガッレリ−ア内にて |
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Milano・ガッレリ−ア内の人通り |
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Milano・ガッレリ−ア入口前にて |
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Douomo広場左側周辺 |
スカラ座(左横)前にて |
スカラ座 国際的に最も名高いオペラ劇場1778年完成、3000の座席数その後第2次世界大戦で戦災に遭うも設計図を元に復元されたとのことイタリア・オペラ最高のオペラハウスのようです。 |
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イタリアの旅;初日の宿泊ホテル |
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