|
 | 「今回は大河ドラマ『麒麟がくる』の感想を書こうと思います。あくまで肩ひじ張らない<感想>であることを先に述べておきます。実際の作品の内容に基づかない誤認、誤解、偏見などが含まれているかもしれない、ということです。作品に触れた時、個人に芽生える感情は必ずしも事実に基づくものではないからです」 |
 | 「今更なことを殊更に言うのは理由がありますか?」 |
 | 「『麒麟がくる』に私が下す評価が“否”であるためです。肯定するのに面倒くさいことはいらないでしょうけど、否定するのにまともに分析していないのは多少後ろめたさがあります。ただ、娯楽に必要なのは楽しめたかどうかだけなので」 |
 | 「あえて否定的な意見を文章にするのはどうしてですか」 |
 | 「どうも世間的にはアレがそれなりに評価されているみたいなので、ちょっともやっとするので。ネットの片隅に吐き出しておこうと思いまして。世間と私の感性の違いなんて、今更確認するまでもないことなのですけどね」 |
 | 「どのくらい真面目に見ましたか」 |
 | 「一応、たぶん見逃した回はないです。ただ、概ね流し見でしたね。真っ向から視聴するのはちょっと厳しいものがありました。でもまあ、見るに堪えないというほどのこともないですよ。時々嫌気がさしていましたけどね。暇つぶしには一応耐えるレベルではないでしょうか」 |
 | 「娯楽なんて、暇つぶしになればそれでいいんですよ」 |
|
 | 「さて、なにから述べましょうか。どうせ長々と書くのは途中で嫌になると思うので、一番述べておきたいことから。どうして主人公に光秀さんを取り上げようと思ったんだろう、ということ」 |
 | 「どういうことですか」 |
 | 「単に私の持つ明智光秀像と作品に描写された光秀さんの像に乖離があるという話なんですけど、正直あんな光秀さんは光秀さんじゃないと思うんですよね」 |
 | 「麒麟の光秀は戦のない世を作るために信長に仕えて戦いますね」 |
 | 「平和な世を作りたいがために行動している人間が、政権のトップの座を占めている人間を殺すことは、絶対にあってはならないことなんですよね。特に独裁的政権であれば、それを強制的に取り除けば(殺害すれば)必ず混乱が起きます。戦争が起きます。というか起きました。だから平和志向の人間は、どんな理不尽を強要されようと、トップの人間を殺してはいけないんです。殺害した人間、ここでは光秀さんが、そこまで頭の回る人間ではなかった、ということは成り立ちます。しかし明智光秀という人がそんなおっちょこちょいな人間だったでしょうか」 |
 | 「明智光秀は、素性の知れない身から織田政権のナンバー2にまで上り詰めた人間です」 |
 | 「残した功績も抜群ですからね。ちょっとアホだったとは思えない。いや、麒麟の光秀さんはアホだったというなら、それでもいいんですが、しかし勝手に明智光秀を阿呆にするなよ、と思います」 |
 | 「阿呆のつもりで描いていないと思いますが」 |
 | 「私も、麒麟の光秀さんが阿呆として描かれていたとは思いません。ただ、不自然に有能扱いされていたとは思うんですが、それは気が向いたら後述します。話を戻しますと、大きな集団のトップっていうのは、一つの安全装置ですからね。むやみに取り除いてはいけません。これが殺伐とした野心家たちの集団であれば何の問題もないのですけどね。平和志向の人間が、そんなことをしてはいけませんという話です」 |
 | 「だから、史実として本能寺の変を起こした明智光秀を、平和志向の人間として描くことに無理がある、ということですか」 |
 | 「かなり難しいんじゃないかと思いますね。麒麟では織田信長が暴走しだしたから、という感じだったと思うのですが、本能寺はそれだけでは足りないんです。織田信長個人の問題であれば、彼一人排除すればいい話ですから。つまり、後継者の信忠を殺すことはあってはならないんです。だから、今回大河を見ながら気づいたのは(大河にそう描写されていたということではなくて、大河を契機に本能寺の変のことを考えていて気付いたのは)、本能寺の変って、織田信長打倒ではなくて、織田政権打倒なんですよね。だからその目的は政権交代になくてはならない。ええと、だから平和志向の人間が本能寺を起こすのなら、織田政権では平和をもたらすことができない、と光秀さんが思ったことにしなくてはならない。これは私がそう思うという話ではなくて、論理としてはそういう組み立てになる、という話です。私は光秀さんが平和志向の人間だったとは思っていません」 |
 | 「えーとつまり、明智光秀が平和志向の人間とするのは無理があるってことですか?」 |
 | 「うーん、政権を変えることに意味を見出せば、絶対に無理とも言い切れないと思うんですけどね。もう少し言えば、光秀さんが、自分が政権を担当しなければこの国に平穏は絶対にもたらされない、と思い込むのなら、ありえなくはない、かなと思います。独善的な強烈な自負心ですね。そうした光秀さんが描かれていたのなら、見る価値があったかもしれないと思います。麒麟の光秀さんが、そうした自負心があったとは全然思いませんけどね。あの光秀さんが本能寺の変を起こすのは、不自然です」 |
 | 「キャラクターの作りが、演繹的におかしいということですね」 |
 | 「本能寺を中心とするのなら、帰納的に間違っている、ということでしょうか。別に本能寺を中心にする必要もないと思いますが。どうも本能寺の話だけで長々と述べてしまったなあ」 |
|
 | 「そもそも明智光秀をどういう人間だったと思っていますか」 |
 | 「そもそも光秀さんは多方面に有能だった人物だと思うんですよね。どうやらあの時代の最先端の兵器だった鉄砲に精通していたらしいし、文化的にも和歌なんか作って、文化人との交流もあったらしい。軍団を率いさせたら丹波を平定しているし、色んな戦争に顔を出しているので、織田家の戦略にも口を出していたでしょうし、早々と足利将軍家を見限って織田家についているのも、先見の明があるともいえるし、その変わり身の見事さは戦乱の世に生きるものとしては褒められてしかるべきものでしょう」 |
 | 「完璧超人みたいですね」 |
 | 「私は、1570年ぐらいの時代は、織田信長と明智光秀が作った時代だと思っています。『麒麟がくる』というタイトルを初めて聞いたとき、ああ、麒麟児のことか、明智光秀の才能を麒麟という言葉で表しているんだな、と思いましたから。もしくは織田信長と、光秀さんと、どちらかもしくは両方を麒麟と表現しているのかな、とか」 |
 | 「違いましたね。はい、いったん麒麟の話はやめましょう」 |
 | 「あと実際の光秀さんは、残虐行為もやっているみたいですね。延暦寺焼き討ちの時真面目に女子供も殺したのは光秀さんだった、なんてよく言われることですし。まあ嬉々としてやっていたか、嫌々やっていたかまではわかりませんけど。戦乱の世ですから、糾弾しても仕方のない話だと思いますけどね」 |
 | 「総じて、非常に有能な人だったと」 |
 | 「物語の主人公としていいのは、そうした才幹を有しながら、30代か40代くらいまで埋もれて世に出てきていないってことですね。素性のはっきりしない人ですから、実際何歳くらいから活躍しだしたのかはわからないのですけど、織田信長より上だったとすれば、30代くらいまでは碌に活躍していないことになる。実際のところ、それまでに足利将軍家に仕えているのだから、それなりに活躍していたんだろうけど、よくわからない。才能はものすごくある人ですから、雌伏の時代は世の中を強烈に恨んだんじゃないかと想像するんですけどね」 |
 | 「その才能を見出したのが織田信長だった」 |
 | 「織田家に仕えてからの光秀さんは本当に活き活きとしていますね。ドラマになる人ですよ。変にいい子ちゃんにしなければ、非常に魅力的な人物だと思います」 |
|
 | 「麒麟という作品自体の、描写についてはどう思いましたか」 |
 | 「もう疲れてきましたよ。光秀さんの魅力については語れましたから、もういいんじゃないですか」 |
 | 「うーん、でも、このままだと、明智光秀の人物像がおかしいから嫌だ、で終わっちゃいますよ」 |
 | 「それでいいですけどね。概ね私の主張はそれだけです。まあいいやあとちょっとだけ。演出については、浅い、くどい、薄っぺらい。以上です」 |
 | 「いやいや」 |
 | 「浅いと薄っぺらいは一緒のことじゃないか。これじゃ私のほうがよほど浅くて薄っぺらいなあ。くどい、は、明智の庄退去あたりで思いましたね。先祖代々の土地を手放すのか、とかってくどくどとうじうじしていましたので。ああいうのはいつ見ても辟易しますね。とはいえ他に何かありましたかね。ないか。むしろ奥さんが割とあっさり目に死んだのは、良かったんじゃないかと思います。それでも当然鼻につきます。これはでも、仕方がないですね。個人にとって近親者の死ということほど身に事耐えることもそんなにないんですけど、他人の近親者の死っていうのは、ありふれていすぎて、いちいち共感していられないんですよね。だから他人の近親者の死は、なるべくなら目にしたくないんだけど、大河っていうのは大体一代記ですから、大体近しい人の死を経験するんですよね。だからそれを描写しないのも不自然だし、描写するときつくなるし、そもそも近親者の死に触れて感じることなんて大差ないので、いちいち描写する意味もない。個人的な経験としては、これはもうとてつもないものですけどね。作品鑑賞で何回も見たいものではないですね。だから、はい、割とあっさり目に殺すのは、良かったんじゃないかと思います」 |
 | 「浅いもしくは薄っぺらいについてはどうですか」 |
 | 「摂津さんがあまりにもひどすぎたのでわかりやすいと思うんですけど、他人にあんなに挑発的な態度をしてはいけませんよ。相手は武士ですよ。一日で殺されるんじゃないですかね。というか、あれは現代でも殺されますよ。影で悪いことをするんなら、表では人畜無害を装わないと。それが生きるということではないでしょうか。だから、ああいうのって、何も麒麟に限った話ではないけれど、どうも生きた人間には思えないですね。本当にこの人が生きていたらこういう態度をとるんだ、というところまで考えて作っていないんだろうな、ということです。それが、薄っぺらい、という感想です。摂津さんはひどすぎるとしても、他の人たちも、わかりやすすぎるんですよね。人間なんだから、もう少し表と裏を使い分けるはずだ、と思います。とはいえ、はい、麒麟に限った話ではないと思います」 |
 | 「うーん、それはあなたが分かりにくいものが好きなだけ、という話ではないのですか」 |
 | 「かもしれませんがね。でも、エンタテインメントは好きですよ。娯楽ですから、頭を働かせずに楽しめるに越したことはないです。まあでも、何か驚かせてほしいな、とは思いますけどね。新趣向でなくても、作成者の執念、とかでもいいです。性癖とかね。表現に情熱を持ったものを体験したいな、と思いますね」 |
|
 | 「こんなところですか。作中の光秀の描写についてもありますか」 |
 | 「ああもう疲れましたね。ええと、ある特定の三人がなろうとかメアリー・スーとか言われますし、これは大いに賛同しますけど、ぶっちゃけ光秀さんもかなりなろうですよ。特に何もしていないのに周りから評価されていく。何もしていないんだから、ある意味なろうよりひどい。主人公補正といわれればそうなんだろうけど、人生そんなに甘くないよなあ、と思います。作中の光秀さんで感心したのは、13代の方の将軍に思いのたけをぶつけた時くらいですね。ああいわれたら、ぶつけられた方が心を動かすのもわからないでもない。あと、信長には大きな国を作るという夢を語っているので、夢を共有する同志と思われるのもわかる。その他の人には、どこを評価されたのかわかりません」 |
 | 「なんとなく、でしょうか」 |
 | 「なんとなく、で人を評価して悪いはずがないですが、傍から見ていて、不自然な持ち上げに見えるのも事実です。もう少し目に見える実績が欲しいところですね。それに義輝と信長にしろ、夢をぶつけただけですからね。理想を持つだけなら10代の世間知らずでもできるわけです。理想が現実を突きつけられたときにどうするか、というところにその人の人生の真価が問われるわけです。全く、わかりやすくすればわかりやすすぎるといい、わかりにくいところはもう少しわかりやすくしろといい、作品を受け取る側は本当に勝手なものですね」 |
 | 「感想を抱くのに気を使うというのも変な話ですから」 |
 | 「だから例えば、本音はこんな辺境に隠して、表では薄っぺらい人畜無害なことをいう、それが社会生活というものじゃないか、とこういうことにしておけば、今回の主張に沿った感じになって綺麗にまとまるんじゃないでしょうか」 |
 | 「綺麗ですかね」 |
|
 | 「ああでも最後にフォローはしておきましょう。好悪はともかく、作品を作るということには多大なエネルギーを要します。きっちりニーズに合った作品を作り、評価もされているということは、とてつもなく素晴らしいことです」 |
 | 「ここに書いたことは個人の感想ですから。マーケティング的には多数の評価だけが価値のある評価であり、『麒麟がくる』は多数の評価を獲得したことは揺るぎない事実です」 |
 | 「製作者様方には間違いのない敬意を表します」 |
|