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 | 「『月は無慈悲な夜の女王』ロバート・A・ハインライン 読了しました」 |
 | 「ハインラインはSF御三家の一人ですね。SFが好きですか?」 |
 | 「私にSFを読む習慣はないです。有名なので読んでおこうかな、くらいの気持ちですね。セールしてた時に買いました」 |
 | 「セール好きですねえ」 |
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 | 「さて感想ですが」 |
 | 「これは何といってもタイトルがいいですね。百万ドルのタイトルです。よくタイトルがいい作品、なんて話題にいつも挙がっているタイトルですね。これはちょっと凄すぎます。こういうタイトルが既に世の中にあるのだから、もうこれから何か作るとしてもタイトルは適当でいいんじゃないかな、と思ってしまうくらいには最高ですね」 |
 | 「なんといってもかっこいい」 |
 | 「かっこいいですよね。読み終えてみると、わかるようなわからないようなタイトルですけど、でも意味なんてどうでもいいんです。こういうフレーズは、それだけで価値があるのです」 |
 | 「内容はどうですか」 |
 | 「さて、それが難しいですねえ。こういう作品にどういう評価を下すかは、私という人間の評価を下されるようで、なかなか難しいのです。評価をするというのは、多かれ少なかれ評価をされるということですけどね」 |
 | 「そういうのはいいです。気楽に読んでください」 |
 | 「はい。とりあえず、エンタテインメントとして、面白おかしく読める、というものではなかったですね。読者サービスをして、無理に物語に起伏をつけて、ロマンスが生まれたり朋友が死んで泣かせたり、そういう作品ではないです。これはあくまで、無理に、ということですよ」 |
 | 「物語に起伏がないわけではない」 |
 | 「物語ではある革命戦が起こるのですけど、革命で戦争なのですから、当然色々なことが起こる。当然大きな起伏もあるわけです。だからちゃんと面白いですよ。過度なサービスがない、という意味です」 |
 | 「ただ、手に汗握って一晩で読んでしまいました、なんてことはなかったと」 |
 | 「ちょっとずつ読み進めていきましたね。あと、あんまり深くは読んでいないです。つまり、設定とか情景とか、ちゃんと理解しながら読み進めていないです。だから作品の解説をしろと言われたとしても、それは無理です」 |
 | 「まあ、誰も解説をしろなんて言ってこないですから」 |
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 | 「さて、もう少し話をしましょう。SFの巨匠ですが、設定とかはどうですか」 |
 | 「設定などについては、語れませんね。SF界隈について何も知らないですから。たぶん、すごく細部まできちんと作ってあるんだろうな、と思います。月で人が生活するとはどういうことか。なぜ人が月に住んでいるのか。うーん、よくこんなことが思いつくなあ、考えられているなあ、としか言えないですね」 |
 | 「ウィキペで調べましたが、1965年くらいの作品なんですね」 |
 | 「これは想像してたよりだいぶ前ですね。これはすごいですね。ただ、月に人が住むことについては、うーん、もしかしたら現代人よりも、当時の人のほうが想像しやすかったのかもしれない。フロンティア精神が、当時の人のほうがあったのかもしれないし、現代だと、月に住むメリットとか、月に植民するよりもコロニーを作った方がいいのではないかとか、考えてしまいますからね。創造性を働かせるには、当時のほうが有利だったかもしれない」 |
 | 「『月は無慈悲な~』には、月が有人星になっているのと同じくらいの、あるいはそれ以上のSF的な設定がありますね」 |
 | 「意志を持った計算機、マイクですね。今でいう人工知能でしょうか。人工知能は意志とは限らないのでしょうかね。とにかく現代から見て、ああ、人工知能ね、と納得するような設定です。これは65年はすごいんじゃないでしょうか。尤もコンピュータの歴史については全然知らないので、当時から人工知能の発想はあったのでしょうか。でもwindows95が95年くらいだよなあ」 |
 | 「コンピュータの父的な存在であるチューリングが活躍したのが第二次大戦ですね」 |
 | 「こういう時代的なすごさは、現代ではもうよくわからないですね。ただマイクの発想は、AIが急速に発展しているらしい現代でも通用する、通用するどころか輝く発想だと思います。マイクは作中で超人的な(実際人ではない)活躍をするのですが、これは現代人なら大体納得できますよね。AIによる指導(政治)、これは現代のフィクションでも現実感のあるテーマになり得ます。これを65年は、すごいような気がするなあ、と思います」 |
 | 「もしかしたら1900年代の中頃の人間は、すごく現代的な感覚を持っていたのかもしれないですね」 |
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 | 「さて、作品の文体というか、語り方についても述べておきましょう。これが曲者です」 |
 | 「一人称ですね」 |
 | 「設定がねえ、わかりづらいんですよ。いや、私に読解力がないのかもしれないのですけど。とにかく、月世界は、考え方も生活習慣も身体的な構造も何もかも、地球に住む私たち、作中の地球人もそうですけど、現実の私たちと全然違う。そもそも作中世界の歴史、つまり月への入植の経緯なんか、それは作者が説明してくれないと私たち読者が分かるはずがない。でも説明はしてくれない」 |
 | 「一人称ですからね」 |
 | 「とにかく主人公の語り手は、自分が常識だと思っていることについていちいち説明したりしない。当たり前ですよね。なぜわかりきっていることを、例えば自分の住んでいる場所だとかについて説明しなければならないのか。ああでも、誰に向けて語っているのでしょうか。月について何も知らない人間(つまり読者)に向けて語っているのであれば、いちいち自分たちの習俗について語ってくれても良さそうなものですけど」 |
 | 「明確に何かに向けて語っている、ということではなかったようですね」 |
 | 「一人称小説って、そういう部分に多少違和感がないでもないですね。上手く設定を作っている小説もありますが。とにかく、一人語りというか物思いにふけっていると考えましょう。その場合、いちいち周辺のことについて説明したりしない。それはそれでリアルなのです」 |
 | 「ただ読者はちょっと困りますね」 |
 | 「登場人物たちの受け答えなんかから、設定を類推してくしかない。なんとなく、月は流刑地だったんだな、とか、月では複婚が一般的なんだな、とか描写を拾い集めてつなぎ合わせる作業が必要となります」 |
 | 「月の男性観女性観については作中で説明がありましたね」 |
 | 「地球人に対しての説明の形でですね。結婚の形態についても、多少の説明がありましたね。ただ、それでも完全ではないですし、その説明の部分まで読み進めるまでは、なんとなくわかったようなわからないような感じを抱きながら読んでいくことになります」 |
 | 「説明不足だ、と」 |
 | 「うーん、思ったんですが、これはおそらく趣向としてわざと簡単にわからないようにしているんだと思いますけどね。人間の理解したいという欲求を促しているというような」 |
 | 「あえてそうしていると」 |
 | 「ただ、読者を信頼していないとできない趣向だとは思いますね。それとも自分の作品なら必ず幾人かの読者は読んでくれるはずだ、という自信でしょうか。いずれにしても作者の高さを感じます」 |
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 | 「ここまでかなり硬派なSF小説なのかな、と思いますけど」 |
 | 「硬派なだけじゃないですよ。文章中にすごく遊び心のある小説、なんだろうと思います。なんだろうと思うんですけど、残念ながら私には味わうだけの頭がない。頭がないんだと思うんですけどねえ」 |
 | 「えーと、英語力ですか」 |
 | 「感性の問題なんじゃないでしょうか。ええと、ちゃんと説明しますと、どうも作中では、相当言葉遊びを入れているらしい。わかりやすいところでは、ヒロインのワイオミング・ノットさんが、「ワイ・ノット」と言わないでね、というところでしょうか。はい、私はそう言われてもきょとんしてしまうんですけど、これは英語力だけの問題ではないだろうな、と思うわけです」 |
 | 「この言葉遊びは、マイクがこの冗談を言うという形で、説明してくれましたね」 |
 | 「なるほどなあって思うくらいでは、どうなんでしょう。読者として、ちょっと情けない気がしてきますね。読者にも一定の資質を求めるエンタテインメントって、それはそれでどうかとも思いますけど。いや、ちゃんとそれなりに楽しめましたから」 |
 | 「まあどんな作品でも受け手に何らかの資質は求めるものですから」 |
 | 「ちょっと最初の方をめくってみると、本物の思索家(ディンカムシンカム)と思考計算機(シンカム)をかけているようなんですけど、まあ私には何が何だかわかりません」 |
 | 「翻訳は相当ルビを振ってくれて、頑張ってくれていますね」 |
 | 「ルビを振っているところは、原文でも印象的な、ちょっとひねった言い回しなんだろうなあと想像できますね。想像するしかないのが悲しいところですが、翻訳小説を読むとはそういうことなのでしょう」 |
 | 「遊び心とは言葉遊びだけですか?」 |
 | 「革命戦争なので、割と悲惨なことをやっているはずなんですけど、なんとなく余裕を感じられるんですね。特に冗談好きのマイクと、どんな時でもユーモアを持っている教授のキャラクターがいい味を出しているんじゃないかと思います。この二人は本当にいいキャラクターですね。マイクなんて、意志を持った機械の代表として、小説史に残してもいいんじゃないでしょうか」 |
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 | 「こんなところでしょうか」 |
 | 「言いたいことは大体言いましたかね。とにかく一種の<高さ>を持った作品だと思います。変に読者にへりくだったりしないし、何よりも作中の人物たちが本当にそこに息づいているような、生きている人間とはどういうものか、ということをきっちり考えながら作られた小説だと思います。こういう作品もあるのだ、という事実は、なんというか勇気づけられるものがありますね」 |
 | 「偉そうですねえ」 |
 | 「いやあ、読者というのは気楽なものですよ」 |
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