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ファイナルファンタジー10

<ウィキペディア>


レヴィ笑み「FF10をやってたんですけど、大体熱が冷めてきましたのです」
ネムコ笑み「どれくらいやったの」
レヴィ笑み「時間で100時間超えたくらい。プレイ的にはすべこえ倒した」
ネムコ笑み「やることはやりつくした感じ?」
レヴィ笑み「うーん、元々やりこみ要素はやりたいだけやるつもりだったし、ダーク召喚獣とか倒してなかったり、ブリッツも聖印とってなかったりで、まだやることはあるんだけど、私にしてはまあまあやったほうかな」
ネムコ笑み「もうやらない?」
レヴィ笑み「どうかな。これ以降は、というかやりこみ要素始めてからは敵を倒してキャラ強化の繰り返しだから、先が見えてる感じがあるんだよね。キャラ強化はそれなりに楽しさがあるんだけど、これ以上続けてもなあという感じ。すべこえ以上いるの?」
ネムコ笑み「とりあえず総評?」
レヴィ笑み「グラフィック最高! ストーリーは感動的! キャラも魅力的! ザ・名作! ただゲームとしてはちょっとちぐはぐだったかな」
ネムコ笑み「ちぐはぐ?」
レヴィ笑み「ストーリーはほぼ一本道だから、消費する側が能動的に行動するゲームと考えるとちぐはぐな感じがどうしてもする。例えば好感度はゲームらしいシステムだけどストーリーからすると意味わからんよね」
ネムコ笑み「ティーダの相手はユウナ一択だからね」
レヴィ笑み「ストーリー的にプレイヤーはユウナに恋する。恋しなきゃストーリーが失敗したことになる」
ネムコ笑み「ユウナに恋したよね」
レヴィ笑み「当然! FF10のストーリーは失敗していない。ユウナ最高。この子をどうしても救ってあげたいって思う」
ネムコ笑み「ユウナ派?」
レヴィ笑み「ルールー派です。姐さん最高。一歩引いて常に冷静な大人の態度。序盤つっけんどんな態度してくるけど、ただ素性の知れない人間を警戒しているだけで、実際には警戒の裏側にいつも優しさやいたわりの心がある。基本的に世界のことはルー姐が教えてくれるからね。もうほんとルールー最高」
ネムコ困り「どっちなんですか」
レヴィ笑み「まあそれは置いといてね。ゲームのゲーム性の方向付けとして、主人公が完全にプレイヤーと同じで、プレイヤーがゲームの世界の中で主体として行動させるっていうのが一つある。そうじゃなくて、主人公は主人公で主体性があって、プレイヤーに彼を疑似的に操作させることによって彼の主体性を疑似体験させるという方向もある。FF10は後者だと考えれば、FF10の方向性は失敗していない」
ネムコ笑み「うん」
レヴィ困り「ただそれだとプレイヤーに主体性をもって様々な行動をさせるとこは難しくなるよなあって。いわゆるゲーム性と呼ばれるものの数は少なくならざるを得ないなあって」
ネムコ笑み「でもやりこみ要素もありますよね」
レヴィ笑み「FF10のストーリーを追体験する要素と、やりこみ要素はほとんど分離している。具体的にいうと飛空艇をとってからやりこみ要素は始まるし、やりこんでいる間はストーリーが止まることを考えれば、一度流れのままにゲームクリアしておいてからやりこみ要素を始めるのが推奨されるプレイ方法だと思う。ただ、なぜこのストーリーとやりこみ要素が一つにまとまっているのか、という感じが生じる。なんとなくちぐはぐというか」
ネムコ笑み「世界観がしっかりある中で色々動けるほうが面白いんじゃないですか」
レヴィ笑み「そういうことなんだろうけどね。ストーリー性の強いゲームなら、どんなゲームでも同じだろうし。ただ、いっそのことゲーム性を取っ払うというのも、方法としてはあるかなあ。選択肢のほとんどないノベルゲームとか」
ネムコ笑み「それだとゲームとしての必要性……はプレイヤーと主人公の同調にあると言えるのか」
レヴィ笑み「ただ、ストーリー性が強い作品でも、もっとこの世界の中で遊びたい、って思ったりもするのだから、ストーリー性とやりこみ性を分離させて、ストーリーの後半やゲームクリア後にやりこみ要素を強くするというのは、方法論として正しいのかもしれない。FF10も、成功しているようにも思いますね。やりこみすぎると主線からは強くなりすぎるのも、むしろあのくらい吹っ切れていたほうが割り切れていいのかもしれませんね」
ネムコ笑み「難しいですね。というか100時間プレイしているんだから十分」
レヴィ笑み「楽しかったですね。よく遊びました」

2020年9月27日作成


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