とめふで 「天理教みさとブログ」リンク先にあったものを転載します。
 
  「とめふで」(2004.6.13一部更新) 

「とめふで」とは、中山みき天理教祖の継承者であった飯降伊蔵氏(本席とも呼ばれる)が在世していた明治年間に啓示された「さしづ」の中に含まれていると考えられます。但し、その内容があまりにも衝撃的な預言であるために、天理教本部から公認されることはなく、信者の間で密かに伝えられてきたものです。筆写が繰り返される過程で部分的に語句の異なった幾つかの記録が残されていますが、その中には「明治34年3月」と日付のある筆写文書も含まれています。次にその中から代表的な「とめふで」の一つを紹介することといたします。(漢字と仮名遣いを一部訂正してあります)

 さあ/\変る/\いよ/\変る。このたびは世界の立替、善悪の立替、神の世となりて善の世界となりて、これを誠の世界として天理の世となる。承知してくれ。学者、金持ち、医者、坊主、百姓の立替、それで替わると云うて置く。その替わると云うのは、今まで高い所にいた者が低うなる、低い所に居た者が高うなる。それも心一つで神がそれぞれ見分けするのや、よう聞き分け。一時、仮家すんだらふしん/\本ぶしん。内もどや/\大まぜや。
 さあ/\内々も掃除すると思え。世界を見て思案せよ。掃除すんだら世界治まる。内もざわ/\外からざわ/\、さあ/\いつ月日飛んで出るやら。間に合う者、間に合わぬ者、人衆揃うてつとめせねばならぬ日がある。
 秋(注)を合図により分け、さび分けする。天は上臼、地は下臼、中に月日飛んで出て、火水風をまぜてとかす。正味より分けをする。この時来たら、あちらの村、こちらの村、昨日までにぎわしく暮らしていたものが、今日はお日様が高う昇ったが、一家も戸が開かん。あちらの村、こちらの村、立派な家が立ち並んでいたものが、影も形も見えんようになったという日がある。世界中のあちらもこちらも蚊のなく様になるで。救け場所の門前には死人の山を築く。なれども内は安心なものや。見えてから説いてかゝるは世界なみ、見えん先から説いておくぞや。今日という日は横目ふる間も油断するな。いつ月日どうなるやら。いつとは云わん、刻限だけ説いて聞かせよう。朝の日の出から日の入りまで、気をつけにゃならん日がある。やれおそろしや恐ろしやと思うたら世界の理に巻き込まれる。
「あゝ常日頃きかせて下さった事、今見せて下さるのかいなあ」と思い、つとめにかゝれ。その時は足下にいる可愛い子供も助けるに助けられん、また、救け人衆でありながら救けを呼ぶ者は捨てとけ、ほっとけ。世界のあちらもこちらも蚊のなく如き日がある。
 今まではこのような事いうても、いつそんな月日飛んで出るやら、やれこわや聞くより早々もう見えた。どんな事も油断できんで。これまでは心得違いありたとて日が来たらんで見許していた。とびら開いて六地(ろくぢ)と聞かしてある。見えぬ先から四十五年、見えてから心得せよ。
 様々に親にしるし打たしてある。世界の子供は何も知ろまい。いつ月日どうなるやら、あゝ/\席順、急ぐ/\。急がねばならぬと悟るがよい。
 神のせきこみ、これは叶わん。人間心で行けるか、行けんか。さあ/\先を見ていよ。さあ、これより一寸さとして日本中授けで響きわたらす。神の話みな疑うている。討つ者あれば討たれてみよ、向かって切る者あれば切られてみよ。一人一名の心定めたら一人で千人助けするのや。神がにをいかけて出すのや。一人でも人の助けさすのや。これ程大きな「こうのう」はない。道の者は、神の授けたる借りものの理をわきまえたものは、心の因縁、道のものは田地はいらん。田地は世界の信者のものがある。これも作ってあまりの心を運ぶ。これを結構と思わにゃならん。また、席ずみのものは、見わけ聞き分け、この世の因縁の理を聞き分けて、財産を売り払い人を助け、これは因縁の理とす。これにそむけば、命も財産も神が受け取る。この事はいつの事やと思うなら、三六二五の暮合いに、これを百十五年限りとす。この時は、小さい魂をこの世に返して牛馬と生き返す、これを承知せよ。それ故に、今日一日を生涯の日とす。早く悟れよ。神がせき込む。さあ/\急いで働け。わずかな日やで。今日一日を万日に向かうよう、聞いて悟らにゃならん。

(注)「秋」は麦(5月)と米(10月)の収穫期を表す語で、「とき」と読むこともある。
 
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