大正六年 旧 正月 二十三日  
     
  大国常立尊(おおくにとこたちのみこと)が、明治二十五年から地王(なお)の手で、世界中へ知らしてある事が、大正六年には大部出て来るぞよ。
世界に罪悪(めぐり)の多い国には、それ丈けの戒めが、ヒシヒシと出て来るから、出口直にモウー度細々(こまごま)と、ある処(こと)を申してやるぞよと、筆先に書いて知らしてあるぞよ。
何事も前つ前つにくどう知らしめ、気を付けてあるから、世界から何事が出来て来ても、神と直(なお)に落度はモウ在ろまい。
不足のある守護神は、蔭でゴテゴテ小言を申さずに、綾部の大本(おほもと)へ出て来て、何なりと問いたき事があるなら、平(ひら)とう説いて聞かせるから、大本で膝を突き合わして、御話を為たり聞いたり致して、打ち解けて了(しま)わんと、実地まことの仕組(しぐみ)は解りかけが致さんぞよ。
今までの世は、悪の栄える世で在りたから、悪の御魂が世に出て覇張(はば)り散らして、皆己(みなわれ)が傑(えら)い御魂が高いと申して、何も分かりも致さんのに、悪の仕組で、どこ迄も行けるように思うて為て居ることが、全然(さっぱり)間違うて居るから、どれ迄の事は、少(ちっ)とも用いられん事ばかりであるぞよ。
為直(しなお)しは少とも出来んから、十年余り立替えが延びたから、世界はドゥ為(し)ようにもコウ為(し)ようにも、動きもにじりも出来んように成りて来て居るから、立替えが始まるも、何も彼も一所に出て来るから、筆先に度々、同じ事を申して知らしてあるぞよ。神は一度申した事は違わんので在るから、延ばしても、早く致しても、在る丈けの事は在りて了(し)わねば、何も無しに済むという事はないぞよ。
悪の御魂が、ドエライ事を企みて居るから、日本の国にも、斯(こ)う成りて来るのが見え透いて居るから、善一つの仁愛神(みろくさま)と地の世界の国常立尊(くにとこたちのみこと)と、天地揃うて末代の事が仕組みてあるから、ビクリとも致さんぞよ。何遍申しても違わん事ばかり、少とでも違うような、浅い仕組は致してないぞよ。
どちらのしぐみも、偉大(えら)いしぐみであるなれど、日本の国は世界の中心(まんなか)、世界の土台であるから、此の土台の上に、水も漏らさん仕組がしてあるから、途申に変わるような物では無いぞよ。
神の申した事は、チット遅し早しは、人民から見れば在るようなれど、神が在ると申した事は皆在るぞよ。
 
     
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