大正五年 旧 十一月 八日 | ||
あまり此の世に大きな運否(うんぷ)が在るから、何方(どちら)の国にも口舌(くぜつ)が絶えんのであるから、世界中を枡掛(ますかけ)を引いて、世界の大本を創造(こしらえ)た、天と地との先祖の誠の王で、万古(まんご)末代善一(ぜんひとつ)つの神国の王で、世界を治めて、口舌(くぜつ)の無い様に致すぞよ。 天は至仁至愛真神(みろくさま)の神の王なり、地の世界は根本(こんぽん)の大国常立尊(おおくにとこたちのみこと)の守護で、日本の神国の、万古(まんご)末代動かぬ神の王で治めるぞよ。 我好しの行り方では、此の世は何時(いつ)までも立たんぞよ。 この世界は一つの神の王で治めん事には、人民の王では治まりは致さんぞよ。世が段々と乱れる斗りで、人民は日に増しに難渋(なんじゅう)を致すものが殖(ふ)える斗(ばか)りで、誠の神からは目を明けて見て居れんから、天からは御三体(ごさんたい)の大神様なり、地(ち)は国常立尊(くにとこたちのみこと)の守護で、竜宮様の御加勢(おてつだい)で、元の昔の神の経綸(しぐみ)通りの、松の世に立替え致して、世界中を助けるのであるから、中々骨が折れるぞよ。 モウ時節が近よりたぞよ、用意をなされよ。 脚下から鳥が立つぞよ。 天地の先祖を、人民の王より一段下に致して、神は此(こ)の世に無い同様にして、東北(うしとら)へ押し込めて、がいこくに上がりて居る悪霊が世界の大将に成りて、悪の眷属(けんぞく)の何にも知らぬ悪魔を使うて、末代世を立てようと思うてエライ経綸(しぐみ)をして居れど、世の本からの天地を創(こしら)えた其(そ)の儘(まま)で肉体の続いてある、煮ても焼いても引き裂いてもビクともならん生神が、天からと地からと両鏡で、世界の事を帳面に付け止めてある同様に判りて居るから、モウ日本の国には動かぬ仕組が致してあるから、日本の人民よ、一人なりと一日も早く大本へ参りて、神の御用と国の御用を致して、世界中を神国に致す差し添(そ)えになりて下されよ。 今迄の世は、王は十善、神は九善と申したが、神も十善王も十善の世に致して、上下揃(かみしもそろ)うて、神国の世に世界中を平均(なら)すぞよ。 今の世界の人民は、現世(このよ)に神は要らんものに致して、神を下に見降(みくだ)して、人民よりエライものは無き様に思うて居るが、見て御座れよ、立替えの真最中に成りて来ると、智慧(ちえ)でも学でも金銀を何程積みて居りても、今度は神にすがりて、誠の神力で無いと、大峠が越せんぞよ。 今度は、神が此(こ)の世に有るか無いかを、解(わ)けて見せて遣(や)るから、悪に覆(かえ)りて居る身魂でも、善へ立ち返(かえ)らな、此(こ)の神の造りた陸地(おつち)の上には、居れんようになるから、改心を致して身魂を能く研(みが)いて居らんと、何彼(ななか)の時節が迫りて来たから、万古(まんご)末代取り戻しの成らん事が出来(しゅったい)致すから、今に続いてクドウ気を付けるのであるぞよ。 是丈(これだ)けに気を付けて居るのに聞かずして、我と我身が苦しみて、最後で改心を致してもモウ遅いぞよ。厭(いや)な苦しい根の国底の国へ落とされるから、そう成りてから地団太(じだんだ)踏みて、ジリジリ悶(もだえ)えても、そんなら赦(ゆる)してやると云う事は出来んから、十分に落度の無いように、神がいやに成りても、人民を助けたい一心であるから、何と云われても今に気を付けるぞよ。 これからは、筆先通りが世界に現われて来るから、心と口と行いと三つ揃うた誠でないと、今度神から持たす荷物は重いから、高天原から貰(もろ)うた荷が持てんような事では、余所(よっそ)から人が沢山出て来たすから、其(そ)の時に駈(は)ずかしう無いように、腹帯を確り締めて居らんと、肝腎の宝の山を取り外す事が出来るぞよ。 今度はこの大本に立ち寄る人民に、神からの重荷を持たすから、各自に身魂を十分に研いて置いて下されよ。ドンナ神徳でも渡して、世界の鏡に成る様に力を付けてやるぞよ。 改心と申すのは、何事に由(よ)らず人間心を捨てて了うて、智慧(ちえ)や学を便りに致さず、神の申す事を一つも疑わずに、生まれ児の様になりて、神の教えを守る事であるぞよ。 霊魂(みたま)を研くと申すのは、天から授けて貰(もろ)うた、大元(おおもと)の霊魂(みたま)みたまの命令に従うて、肉体の心を捨てて了うて、本心に立ち返りて、神の申す事を何一つ背かん様に致すのであるぞよ。学や智慧やぶつを力に致す中は、誠の霊魂(みたま)は研けて居らんぞよ。 この世の立替え致すには、学でも、利巧(りこう)でも、智慧(ちえ)でも、金銀で、法律でも行かんぞよ。兵隊斗(ばか)りの力でも行かず、今の政治の行り方では猶なお)行かず、ぶつやがいこくの神の教えでも猶(なお)行かず、今の学校の教えでも行かず、根本(こんぽん)の世の立替えであるから、今の人民の思うて居る事とは、天地の相違(そうい)であるから、世界の人民が誠に致さぬから、神は骨が折れるのであるぞよ。 日本の国に只の一輪咲いた梅の花の経綸(しぐみ)で、万古(まんご)末代世を続かすのであるから、人民には判らんのももっともの事であるぞよ。 九つ花が咲きかけたぞよ。九重の花が十重(とえ)に成りて咲く時は、万古末代しおれぬ神国の誠の花であるぞよ。 日本魂(やまとだましい)の実りの致す時節が来たぞよ。心の善きもの、神の御役に立てて、末代神に祭りて、此の世の守護神といたすぞよ。 此の世初まりてから、前にも後にも末代に一度より無い、大望な世の立替え立直しであるから、一つなりとも神の御用を勤めたら、勤め徳であるぞよ。それも、其(そ)の人の心であるぞよ。神は無理に引っ張りはいたさんぞよ。 是だけ蔓(はび)こりた悪の世を平(たい)らげて、善一つの神世に致すのであるから、此(こ)の変わり目に辛(つら)い身魂が多人数あるから、改心改心と一点張りに申して知らしたのであるぞよ。早い改心は結構なれど、遅い改心は苦しみが永い斗(ばか)りで、何にも間に合わん事になるぞよ。 艮(うしとら)の金神(こんじん)で仕組(しぐみ)致して、国常立尊(くにとこたちのみこと)と現われて、善一つの道へ立替えるので在るから、経綸(しぐみ)どおりが世界から出て来たすと、物事が速くなるから、身魂を磨いて居らんと、結構な事が出て来ても、錦の旗の模様が判らんような事では成らんぞよ。 今迄苦労いたした事が、水の泡になりては約(つま)らんから、大本の辛(つら)い行(ぎょう)を勇んでいたす人民でありたら、神が何程でも神力を授けるから、ドウゾ取り違いをせぬよう、慢心(まんしん)の出ぬ様に、心得て居りて下されよ。 世界の神、仏事、人民の為に、神が永らく苦労をいたして居るぞよ。 |
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