息子の白血病死は被爆のせいか(被爆60周年記念誌寄稿文

             西 山 京 子   長 崎  当時 13歳

 当時13歳だった私は、親元を離れて長崎の学校に入学し、寄宿舎生活をして4ヵ月が過ぎていました。8月9日は登校しましたが、空襲警報が発令されて授業はなく、友達と別れて寄宿舎仁戻りました。上空には、B29の爆音が聞こえていました。
 その時、ピカーッとせん光が光り、私の体もフアッと生暖かい風に包まれ、そばに置いていた防空ずきんなどみんな飛んでしまい、頭上に壁土や障子がバラバラと落ちてきました。押し入れの中から布団を持ち出し、防空ごうに走り込みました。朝登校して来た生徒は、途中まで帰ったが家にはたどり着けず、学校に戻って来ました。「多分あの辺りが私の家があった所らしい」と話しながら、一晩中、学校の運動場からメラメラ燃える街を見ていました。
 結婚して三人の子供を出産し、ごく普通の平凡な生活をしていましたが、平成元年、突然、息子が白血病になり、25歳の若さで亡くなりました。私が被爆者でなければ、もしかしたら、息子は亡くなることはなかったのではと思い、悲しみから立ち直ることができない毎日でした。
 平成7年、福岡市原爆被害者の会に入り、多くの人の被爆体験を聞きました。
 戦争は自然を破壊し、死傷者を出します。イラクでは、「劣化ウラン弾」でその地域が汚染し、生まれてくる子供に先天性異常児が多いと聞きます。平和は、願うものではなく、祈るものでもありません。平和は、自分でつくるものです。一人ひとりが、平和について真剣に考えてほしいものです。