孫たちへ伝えたい

                 鈴木 志郎  長崎 当時2歳  

 私は2歳半の時に長崎で被爆しました。
 泰ちゃんより1歳下で、翔ちゃんより1歳上の時でした。まだ小さくて、戦争や原爆の恐ろしさはまったく記憶にありません。
 君たちも今は、小さいから戦争や原爆について分からないと思います。わかるようになって読んでもらえればと思い書きました。
 今から70年前に終わりましたが、日本は多くの国の連合軍と戦争をしました。この戦争で世界中の多くの人がなくなりました。アジアの国々をはじめ全世界で8千万人、日本だけでも310万人が犠牲になりました。
 なぜ大人は、このような恐ろしい戦争をするのでしょうか。戦争とは国と国、あるいは同じ国でも民族や宗教の違いで暴力を使って争うことなのです。兵士は人を殺すことを訓練しています。戦争をすることに反対して戦いたくない人も国の命令で戦争をしています。

 戦争を始める理由はいろいろとあります。ある国が土地や領土をもっとほしいと思っておこすこともあります。石油などの資源を目当てに戦争をおこすこともあります。国境をめぐって、白分たちのものだと主張します。しかし、どんな理由があっても人間同士が傷つけあい殺し合い、街を破壊する戦争は絶対にしてはいけないことです。話し合って解決すべきです。今も世界中のあちこちで戦争をしています。子どもたちが爆弾で亡くなったり傷ついています。食べるものがなくて飢えている人が沢山います。戦争をしていない国も兵器を集めています。 ばく大なお金を使い軍備の拡張です。このお金を食料や薬品を買うのに使えば多くの飢えている人や病気の人が救われます。

 70年まえ第2次世界大戦の終わりごろ、アメリカはとても恐ろしい新兵器の原子爆弾を作りました。これは悪魔の兵器でした。この爆弾が広島と長崎を破壊し21万4千人の市民を殺しました。その後も長い年月にわたり人々を殺す放射線を発生させました。今でも、長い間、後遺症に苦しめられた多くの人たちがいます。原子爆弾が投下された時、私は母と郵便局に行こうとして、玄関先で一人、待っていました。その時、飛行機の音がしたので、「早く中に入りなさい」と大きな声で言ったそうですが、入らないので、飛び出してきて私を抱きかかえて玄関に入ろうとした瞬間に、ピカッとものすごい光線が母の肩に当ったそうです。爆心地から3キロはなれていて、3百メートルの山のおかげで被害が少なくてすみましたが長崎だけでも7万4千人もの尊い命が奪われました。爆心地に近いところでは、4千度にもなり草や木も人間でさえ、とけてしまい、まったく何も残りませんでした。これ以上は悲惨すぎるので大きくなって話すことにします。

 このように恐ろしい原子爆弾ですが、今では多くの国が核兵器として開発し、ミサイルで遠く離れたところまで飛ばすことができます。核弾頭が世界中で1万6千発もあるそうです。核兵器を使用したらこの美しい地球は放射線でおおわれ人類の破滅につながることが心配されます。
 私たち被爆者は、戦争をなくし核兵器を地球からなくすために運動をしています。君たちや世界中の子どもたちに美しい地球を永久に残して平和に暮らせることをねがっているからです。
 君たちも一人ひとりは小さな力ですが、集まれば大きな力になります。世界中の人たちと手を取り合って戦争のない平和な世界を目指して下さい。