日本に戦争はない しないと信じたのに

                 釜崎 照子 長崎 当時7歳 

 70前の8月15、7歳だった私は防空壕から自宅に帰る 戦争は終わったと聞き、なんだか変な気持ちでした。これから先日本は戦争はしないと、親たちの話を聞き、良かった、良かったとその思いを、今も信じ、信じて70年を過ごしてきました。が、今その思いが変えられようとしています。どうして・・・どうなるんだろうと不安でいっぱいです。
 原子爆弾が落ちた時、爆心地から4.1キロの実家で閃光と爆発音、気がついたら家の中は家具が散乱して、私は仰向けに倒れていました。これが戦争で、爆弾が落ちたのだと思いました。その爆弾も私のそばに落ちたのだと思い、仰向けのままでもうすぐ死ぬのだろうと、動くことができませんでした。祖母に起こされて防空壕に行き、終戦まで生活しました。中は暗くて土の匂いと横穴の天井からは、水滴が落ちて床は水が溜まっていました。そんな所での終戦までの避難生活。何を食べていたのか覚えていません。終戦前も後も食べ物は不足していて、母は自分の着物を農家に持って行き、食べ物に換えて食べさせてくれたのです。米が少ないので、芋ご飯や、大根ご飯を炊いてくれました。物がない当時でも、おいしいと思ったことはなかったのです.
 戦争が終わったと知って、すぐにアメリカ兵が上陸してきて母は、また自分の着物・帯を出してアメリカ兵の雑納袋に入った、初めて見るお菓子、チョコレート・ガムなどと交換して食べさせてくれました。その時アメリカ人を見て、アメリカを知りました。
 幼稚園の時、雨が降って休んだ翌日、何で休んだのか聞かれ、「雨が降ったから」と答えました。「雨が降って休む人はアメリカに行きなさい」としかられました。初めて聞いたアメリカは、怒られて閉じ込められる倉庫小屋か、昔話に出てくる、鬼ヶ島みたいな所かな、怖いのかなと、ずっと思っていたのです。アメリカ人を初めて見て、戦争があってることは知っていましたが、戦争がどうしてあるのか、その相手がアメリカ国と知ったのです。
 戦後70年。今、平和な日本特集番組を見て思うことは、人の命を無駄にしないでください、戦争はしないでください。絶対にあってはいけないのです。
 今も世界のどこかで戦争があっています。地球上から戦争がなくなり、世界中が戦争ののない平和であって欲しい、と祈り願っています。